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〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたもので〇す。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。〇現代口語文に近い形になおしました。〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。●今大路造斎氏が居士に、先生の奥さまやお子様方は、定めし皆禅がお出来でございましょうなといった。居士はイヤ予の妻子はみな不肖で禅をやらせる器ではないから、律雲導師にに仏の道を帰依させていますといわれた。●今大路氏は禅は男女賢愚に係わらぬものと承っ
リピート観覧。前回の自分の記事を読んだ。が、何を言ってるのかサッパリ分からなかった。興奮していたのだろう。二度目とあって大分要領を得て挑んだ。彼の人物の描写は割とユーモラス。で、それ以外の、つまり風景であったり、建物とかは迫力を帯びている。これが同一線。加えてカラフル。多要素が渾然とするところが魅力かしら。彼は中国に憧れた。そしてめちゃめちゃ描いた。旅をして山登りしてリアルを得た。そしてめちゃめちゃ描いた。描いてて楽しかったろう。見ていて
(昨日からの続き)東京国立博物館での鑑賞の記録である。「黒楽鶴亀文茶碗」仁阿弥道八(江戸時代・19世紀)昨年も展示されており、やっぱり写真を撮っている。基本的に好きなのだ。内側の見込み立ち上がりに亀がいるようで、2つ合わせて「鶴亀」だそうだが…見込み部分を覗いてみたことはないかも。インターネットで検索すると…、おお、泳いでいるような亀が白く表されているのが良く分かる画像が検索できた!来年(気が早い)は、見込み部分も鑑賞したい。「黒象嵌立鶴文茶碗」薩摩・竪野
仏教入門/松原泰道Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}Amazon(アマゾン)で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}★★★★★5年ぶり、2回目?3回目?松原泰道師が釈尊や聖徳太子、そして各宗派の祖師である最澄、空海、法然、親鸞、道元、日蓮、臨済宗の中興の祖である白隠を語り、「仏教」という広大な教えの全体図を表したもの。こう書いてみると、そ
神勝寺どこを見ても癒しの空間が広がっていますとても素敵どちらへ行こうかな一瞬だけ考えて…健脚コースを進んで行きました途中の踊り場で休憩しながら登りましたそして本堂へ本堂拝観後に本堂と同じ敷地内にある荘厳堂の白隠コレクションを鑑賞しました白隠さんの禅画がとても好きなので…真近で見られて感動しました感動のあまり写真撮影するのを忘れて来ました白隠さんの作品どれもとても良かったなぁ〜また観に来ます
一休さんの詩をひとつ桜木をくだきて見れば花もなし花をば春の空ぞもちくる何もないあ無から万物が生じて来る。木を切って中を見ても、花があるわけではない。春になると自然に咲くのだ。生命というものは、どこからやって来て、どこへ行くのか、空から来て、空へ去って行くのだ。形というものは、あるように見えて、実体のない陽炎のようなものなのだよ。……、という教えです。日本には、まるでジェダイマスターたちのような素晴らしい禅のマスターがたくさんおられます。一休さん、良寛さん、白隠さん、それに道元
ほう、そうか今回は、自分を楽にさせるための言薬です。江戸中期に、臨済宗中興の祖と呼ばれていた白隠慧鶴(はくいんえかく)という禅僧がおられます。私の家がある静岡県沼津市のお生まれですが、駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠と謳われるほどの人物でした。こちらが白隠さんのお寺です。あるとき、寺の隣の十代の娘さんが妊娠したそうです。両親から問い詰められた娘さんは、切羽詰まって相手は白隠だと嘘をついてしまいました。怒り心頭の両親は、寺に怒
真の長生不死の神丹はもとからそなわった本然の性徳をおさめなんじが本源の生気をまもり散らさず眼はみだりに見ず耳はみだりに聞かず口はみだりに言わず身体はみだりにうごかさず真一の生気を臍の周囲から下腹のあいだに集め養う。時は毅然として元気専一そのものになるこれこそ丹を練るということ『コラム:心が身体を創る』「心が身体を創る」(エドガーケーシーが語る感情について)エドガーケーシーはこう言っています。「どんな場合でも恨みは抱かないでください。恨みは争いを生むだけで…ameb
一切の小智才覚をすてよ一切の過去にとらわれずそれを捨てきって未来にも思いわずわらされずなおりたいともおもわずなおしたいともおもわず現在の心を無にし空にしうまれたての心赤子の心そのままの心自然の心にせよ『愛を贈る』もう闇にフォーカスするのは止めよう。今、この瞬間から止めよう。つい先ほどまでは関心を向けていたかもしれない。それは正義感からそれは興味本位からでもネガティ…ameblo.jp『共に力を合わせ』さ我々がこの地球に降りてもう随分と経った輪廻転生にどっぷり浸かってつ
いい言葉が、心を掃除するAmazon(アマゾン)900円2012年7月4日発行・・・2023年3月15日読みました私の心に残ったこと強さの源には、仏教の教えの根本である「諸行無常」の精神が息づいていたのではないでしょうか最澄が人生の苦しさから抜け出す方法を説く・この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことですたとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません空海が人生を生き抜く方法を説く・人
視力をやしなわんとするものはつねに瞑目して眼をやしない眼を労使しない耳をやしなわんとするものはつねに耳をふさぎ雑音を聞かぬようにする。心気をやしなわんとするものはつねに無駄口を吐かず沈黙している
梅天神、あるいは渡唐天神と呼ばれるこの絵については、過去に書いた記憶があります。2016-02-17『梅天神』正しくは、渡唐天神と呼ばれる絵です。一般的には、梅の枝を手にする菅原道真を描く絵画を言います。なぜ渡唐なのかというと以下のような、南北朝時代の伝説に基づいてい…ameblo.jpなんと、もう7年も前なんですね。トシとるはずじゃ。白隠さんの描く、天神さんは、冠や衣が文字になっていて、「南無天満大自在天神」とあるよう。詳細は、下記サイトで。「梅天神」(白隠禅師御真筆)掛軸「駿
「「へそまがり日本美術」府中美術館編・著講談社」表紙の絵は、うさぎです。遠くから見たら、かわいいうさぎの耳をつけた子どもがドレスを着て、こっちを見ているのかな?と思ってしまうかもしれませんが、これはうさぎと切り株を描いたものなのです。韓非子からの守株待兎(しゅしゅたいと)という言葉がもとになっている絵なのです。「守株待兎」とは、「中国春秋時代、宋の農夫が、ある日、兎が切り株にぶつかって死んだのを見て、また、同じような事が起こるものと思って、仕事もせず、毎日切り株を見守ってばかりい
おはようございますいつも見て下さってありがとうございます今年になって既に幾つものうさぎを写真に撮りましたが、街の中にも、うさぎが多いですね。今年の干支でもありますが、断然他の干支の時より、あちこちで見ます。あれこれ先を考えると、なかなか不安な世の中ですが、ぴょんぴょんと飛躍したいものですうさぎ占いやってみました嬉しいです!!そうなるといいなぁ💕小山観音に行きました先日、美濃加茂市にあ
お墓の写真が出てきますので、気になる方は閲覧注意でお願いします。(一応、わたしの見る限りでは、特に怪しいものは写ってないようです)銀閣寺と京都大学の間ぐらいにある、神楽岡って中世からの埋葬の地らしいですね。京都の歴史に詳しい人が、お墓巡りツアーに連れて行ってくれました。大文字の見える神楽岡墓地です。むかーしむかし、白隠和尚が、禅の修行をやりすぎて、ノイローゼになってしまったそうです。そこで、白川の岩窟に住んでいる、当時200歳くらいの白幽子という道士に教えを乞いに行き、「
「・・・・・・。丁度その二年前ですが、明治二十六年に米国の万国博覧会があって、そこで世界宗教会議ちゅうのが開かれましてな。本邦からも鎌倉の円覚寺の釈宗演老師が行かれて、臨済禅の話をなされた。そんなこともあって、・・・・・・」鉄鼠の檻/京極夏彦約二年半ぶりだろうか大方丈で日曜法話を(ー人ー)ほぼほぼいつもの場所に✨懐かしい...この日の法話は「鎌倉の禅と円覚寺開創の精神」と題され、さながら日本史の授業の様相もあり、かつそこに禅宗視点での寸評が
昨日取り上げた禅の話題に関連して、一部写真は再掲になりますが、数年前に訪れた神勝寺禅と庭のミュージアムの話を。こちらには、国内随一の白隠コレクションがあります(200点ほど)。2012年にBunkamuraで見た「白隠展」は、ここから一部拝借したのじゃないかななどと今になって思います。当時、貸出元はチェックしなかったけれど。もっとも私がこちらを訪れたメインの理由は白隠ではなく、ダイナミックな建築物でした。一つが洸庭と呼ばれる一角にある名和晃平さんのこちら↓中がどんなふう
秀峰は、朝に聞こえる鳥のさえずりを聞くと、とても幸せな気分になります。鳥たちは、何の目的もなく、損得勘定もなく、ただ自然な本分に従って鳴いているだけなのに、それが人間に喜びをもたらす。この自然の摂理に、あらためて、「う~ん、よくできているものだ」と感心してしまいます。同様に、雨の降っている時の雨音が聞こえる時も、ウットリと聞き入ってしまします。これも、何の対価を支払うものでもなく、誰かの行為によるものでもなく、ただ「ありがたい」という、なにか神々しい自然の働きを感じ取ることが出来るのです
君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。~出典不詳。『槐安国語』に白隠の句あり江戸中期の禅の高僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の名句です。臨済宗大徳寺派の祖、大燈国師の語録に、白隠が評語と下語を付した、『槐安国語』に収められています。(ただし白隠のこの句の出典は不詳とされています。くわしくは下記リンクを参照してください。)◆良寛「君看雙眼色不語似無憂」の典拠について(ぱぽ書房)https://bit.ly/3rUbjy5同書より、大燈国師の元の句(千峯雨霽露光冷から
狩野栄川院(典信)の龍虎図屏風円山応挙の雪中老松図墨色の濃淡によって松の幹と枝の立体感をあらわし、背景に金泥を刷いて、絹地の白さを生かして枝上の雪を浮かび上がらせています。応挙の特質である平易な画風が良く表れた作品。伊藤若冲の松梅図黒川亀玉の芭蕉菰鶴図鶴の細密濃厚な描写の見事さ。英一蝶の富士山図東海道の難所のひとつさつた峠の山道から、旅人たちが駿河湾越に、そびえる富士山を望みます。柔らかな筆致、穏和な彩色は江戸狩野風ですが、軽快な人物描写は、個性派の一蝶ならで。
心を燃やす練習帳不安がなくなる白隠禅師の教え[齋藤孝]楽天市場1,430円心を燃やす練習帳不安がなくなる白隠禅師の教えAmazon(アマゾン)708〜5,420円江戸時代に臨済宗の僧である白隠禅師は名前くらいは知られていますが、そこまでが普通の人の感覚と思います。しかし白隠は、今に引き継がれる禅の教えを確立する共に、絵や書など後世に残るまで影響を与える多くの作品を残し、「臨済宗中興の祖」「500年に一人の名僧」とまで称えられる大人物なのです。
2015年9月23日ビックリするくらいの手抜きっぷりお皿にすら盛り付けないとは…当時の私…相当お疲れモードだったのかな❓
草彅剛がNHK大河「青天を衝け」で見せる“静”の凄みついに民放入り混じり争奪戦に日刊ゲンダイNHK大河ドラマ「青天を衝け」は、吉沢亮(27)が演じる「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一の生涯を描いているが、同時に、草彅が演じる15代...『青天を衝け』に登場の英公使パークス、七尾でも開港迫っていたJBpressNHK大河ドラマ『青天を衝け』。6月20日に放送された第19回目の前半には、イギリスの公使ハリー・パークスが登場し、日本に強く開港を迫る...宮田章司さん死去
本ブログは、記事のバックアップ用として利用しています。オリジナルはこちらです→https://tokuhain-thailand.blog.ss-blog.jp/------------------------------------------------------竹採と言っても筍掘りではありません。お題は、これ、マンホールの蓋ね。我が街は、かぐや姫の里として有名・・・かどうかは別にして、かぐや姫伝説があるわけ。で、マンホールの蓋のデザインがかぐや姫。
正受老人は真田信之の子家紋は六文銭至道無難禅師の書の「正受庵」掲額農夫の打つ槌は誤つて白隠を気絶させた~夜になり夜露が口に入り目覚めた時~白隠は大悟した~飯山再発見のための連載~168藤村が飯山へ取材に訪れたのは最低5回19「破戒」拾五章(五)真宗寺住職寂英の法話~正受庵第11世住職酒井盤山和尚の話と、古田十一郎講演集「詩歌に詠われた飯山」の白隠の話を紹介して、真宗寺住職の法話の内容を紹介してきた。「破戒」の中では~「~思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫の
白隠蹴落し坂正受庵の参道「白隠蹴落とし坂」は~我々の臨済宗にとりましては誠に貴重な参道でございます~飯山再発見のための連載~166藤村が飯山へ取材に訪れたのは最低5回17「破戒」拾五章(五)真宗寺住職寂英の法話の内容を改めて知る~古田十一郎講演集』『一日暮らしのくふう~正受老人をたどって~』❷白隠は、正受庵で8ヶ月間厳しい修行を続けました。ある時、町へ托鉢に出た。托鉢というのも大事な修業でございますから。昔は一軒一軒お経を上げて、そして布施を頂いてまわって歩いた。ある家の前で白
■【きょうの人】0330白隠慧鶴臨済宗中興の祖本日、ゆかりの人をご紹介します。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。■白隠慧鶴臨済宗中興の祖はくいんえかく1686年1月19日(貞享2年12月25日)-1769年1月18日(明和5年12月11日)諡は神機独妙禅師、正宗国師白隠は、臨済宗中興の祖といわれる江戸時代中期の禅僧です。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれ、15歳で出家して諸国を行脚して修
大阪の桜の名所公園10選!密を回避して花見を楽しもうウォーカープラス右岸には造幣局や泉布観(せんぷかん)など、明治初期を代表する建築物がある。大川の流れに沿った桜並木のプロムナードには、天満橋から桜之宮橋(...桜の名所(大阪)大阪府の桜の名所です。rekishichips.web.fc2.com沈没船の犠牲者悼む勝浦で「ハーマン号」慰霊祭米副領事ら参列千葉日報およそ150年前の明治維新期に勝浦沖で沈没した米国船「ハーマン号」に乗っていた犠牲者を悼む慰霊祭が13日、地元住民
10世紀頃の中国で書かれた禅語を紹介します。『無門関(むもんかん)』の中で、雲門文偃(うんもんぶんえん)が修行僧から「仏とは何か」と尋ねられて、「乾屎橛(かんしけつ)」と答えたというのです。それは、日本語に直せば「糞かきべら」、つまり、排便の後でお尻を拭く小さな木片で、いわばトイレットペーバーです。例え「仏」といえども、「糞かきべら」と変わりがない、つまり、浄不浄や優劣、貴賎等の区別を認めない姿勢です。「糞かきべら」は、お尻の選り好みもせず、お尻を拭く仕事を黙々とこなす。この「乾
正法眼蔵のご紹介〜7ラスト前回の公案の続きとか、正法眼蔵の現成公按のまじでラストになりますのでよかったら読んでみてください🙏画像はコチラからお借りしました👈正法眼蔵(一)全訳注(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)711〜4,850円スタンダード3拍手③「片手の音を聞いたら?」の公案について隻手の声の詳細はコチラ👈□この公案は白隠さんが晩年に創作したもので□その公案は「両手を打てば音がするけど片方の手には何の音があるか♫」というな