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前回の裏面で次週の予告。晩年の旧花月では31日は翌年の正月興行の初日になってましたが、この時は休館になってますね。年末番組ですがそれなりに看板は揃えていて、洋介・喜多代、桂小文枝、花蝶・勝美、漫画トリオ。ステレオコントには花紀京、由利謙、藤井信子らが出演。ポケット・ミュージカルスは「さようなら一九六二年」と題し、浜裕二(チャーリー浜)。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩三作・演出の「メリーX’マス」。白羽大介を座長に、専科は白木みのる、副座長に花紀京。
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和37年12月上席の予告。まだまだ古参芸人の看板が多く、秋山右楽・夏川左楽、守住田鶴子・浅田家寿郎が看板で、落語の桂米朝はまだ40歳手前。漫談で浜村淳が出てますね。ステレオ・コントは浅草四郎・岡八郎に由利謙、藤井信子らが出演。ポケット・ミュージカルスはスプリング・ボーイズ(後のザ・ダッシュ)に花紀京、歌手で浜裕二(チャーリー浜)。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩三作・演出の「EEとロッカー」で、白羽大介が座長。副座長に花紀京、専科
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和38年10月下席の予告。漫才のトリは秋田Aスケ・Bスケ。歌う声帯模写の川上のぼるや、東京からゲストでアクロバットの丸井ブラザーズ。奇術のワンダー天勝の娘がワンダーのり子で、後に海原かける・めぐるのかけると結婚し、その娘が海原やすよ・ともこです。ポケット・ミュージカルスはバンドぐらいしか出演者が書いてませんが、吉仲賢次構成の「若人のリズム」で、ルーキー新一が出演。吉本新喜劇は珍しく白羽大介が座長の組に、副座長で秋山たか志が出ていますが、ほ
前回のチラシの裏面で、京都花月昭和38年10月中席の予告。演芸のトリは人生幸朗・生恵幸子、モタレは林家染丸。この席も浅香光代劇団が出演し、舞踊劇「雪之丞変化」、おけさ小唄「弥之吉仁義」を上演。吉本新喜劇は白羽大介、ルーキイ新一、専科は白木みのる。
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和37年11月中席の予告。漫才のトリは右楽・左楽で、右楽は新喜劇の秋山たか志の父親。ジャズ漫画の木川かえるも、花月開場当初から出てたんですね。ポケット・ミュージカルスは「ロックで行こう!」。セレモニーとして花紀京が出演。ステレオ・コントはルーキイ清二・新一、由利謙、藤井信子。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩三作・演出「海抜三千米」。白羽大介が座長で、花紀京が副座長。
オープンしてまだ二ヶ月ほどの、なんば花月昭和38年9月中席のチラシ。「グランドボードビル」とチラシの表紙に書かれているように、先にオープンしたうめだ・京都花月とは差別化を図ろうとしていたようですが、制作費にお金がかかり過ぎてしまい、このスタイルもすぐにやめてしまい、他の二館同様の興行形態となります。演芸は落語はなく、漫才とアクロバットや奇術の6組だけ。当時人気の漫画トリオ、浅草四郎・岡八郎の漫才など。ポケット・ミュージカルスの豪華版の吉本ボードビル「風と恋とリズ
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和37年10月下席の予告。トリは秋山右楽・夏川左楽の漫才。落語で桂米朝。東京からのゲストで自転車曲技の中川ブラザース。ジャズ漫画の木川かえるも相当昔から花月に出てますね。ステレオ・コントに玉松キャップ・中田チャック。チャックは後に泉スナップ(泉ひろし)と組んだり、結構コンビを解散を繰り返します。カウス・ボタンの師匠でもあります。ポケット・ミュージカルスに花紀京と浜裕二。浜裕二は歌手としての出番。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩
『必殺仕置人』「楽あれば苦あり親はなし」テレビ映画トーキー55分カラー昭和四十八年(1973年)九月十五日放送放送局朝日放送TBS系製作国日本製作言語日本語のさばる悪をなんとする天の裁きはまってはおれぬこの世の正義もあてにはならぬ闇に裁いて仕置きする南無阿弥陀仏夜。老人が盗賊集団から拷問にかけられ娘お波の居所を問い詰められる。「死んでも言うもんか」と老人は居場所を秘めて娘を守ろうとする。乾分は頭領に
うめだ花月昭和39年10月中席のチラシ。漫才のトリは秋田Aスケ・Bスケですが、屋号を「中田」と誤植されています。モタレは歌謡浪曲の中山恵津子ショウ。こんなに看板が上だったんですね。泉スナップ・中田チャックはコンビを組んだばかりで、スナップは後の泉ひろし。トップの柳エンド・水野千代子は夫婦漫才で、夫の方は三遊亭柳枝門下。なので上方柳次・柳太、泉ひろし、やなぎ浩二と同門ですね。ポケット・ミュージカルスは藤永暁構成の「わらべの歌」で、由利謙、原哲男、前田五郎他。吉
前回のチラシの裏面で、京都花月昭和37年11月下席の予告。まだまだ古参芸人が数多く、トリは秋山右楽・夏川左楽。桂小文枝(後の五代目文枝)はまだ32歳の若さながらもこの位置とはスゴイ。ステレオコントは新喜劇から花紀京、由利謙、藤井信子他。ポケット・ミュージカルスではセレモニー役で浜裕二(チャーリー浜)。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は作・演出はやはり竹本浩三。白羽大介を座長に、副座長に花紀京、専科に大江真砂夫。井上竜男(井上竜夫)が一番若手で、まだ21歳!
昭和38年7月1日になんば花月がオープンし、初の8月中席お盆興行のチラシです。表紙付きのプログラムで、チラシというにはちょっと豪華。演芸は6組と少な目で、浅草四郎・岡八郎の漫才、ジョージ多田の奇術、守住田鶴子・浅田寿郎の漫才、音楽ショウのスプリングボーイズ、そして東京から漫談の内海突破、コミカルジャズのハーモニカダンデイズ。歌とコントの吉本ボードビルは竹本浩三構成の「太陽に歌う!」。スリーファンキーズのメンバーだった高橋元太郎を始め、雪村いづみの妹の朝比奈愛子な
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和34年11月下席の予告です。五九童・蝶子、ワカナ・一郎、洋介・喜多代など男女コンビが多いですね。落語の笑福亭枝鶴は後の六代目松鶴。漫楽トリオと書かれたスプリング・ボーイズはザ・ダッシュの前身。吉本ヴァラエティは笑福亭松之助主演で「あねいもうと」。後に座長になる白羽大介、秋山たか志も出演。看板女優として曾我廼家五郎八の娘の西岡慶子。この人は一時期花紀京と結婚していたそうな。五郎八の弟子として、井上竜夫や菊池大助がいます。
前回の京都花月のチラシの裏面で、次席(11月上席)の予告です。演芸は玉松一郎・ミスワカサの漫才に、落語の林家染丸、漫画トリオ。笹山タンバのおいろけ説法ってなんですかね?(笑)東京からゲストで音楽ショウの灘康次とモダン・カンカン、アクロバットの寺島茶目・玉章。(こちらも参照下さい)ステレオ・コントはルーキイ新一・清二と新喜劇の由利謙、藤井信子。ポケット・ミュージカルスは花紀京。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は、白羽大介座長の組にゲストで花菱アチャコが出演。
前回のチラシの裏面で次席(昭和37年10月上席)の予告です。トリは田鶴子・寿郎。落語は林家染丸、人気上昇中の漫画トリオ。奇術にはジョージ多田。ステレオコントは「どんとこい」で、東京からゲストの内海突破が主演。ポケット・ミュージカルスは花紀京。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は、竹本浩三作・演出「秋空晴れて」。白羽大介が座長で、副座長に花紀京、専科で大江真砂夫。
洋画専門館だった「千日前グランド劇場」を、昭和38年7月1日にボードビル劇場「なんば花月」として再開場。先にオープンした「うめだ花月」「京都花月」とは興行内容を差別化し、この時から「なんば花月」は吉本興業の花月三館の最上位になります。今回のチラシはこけら落とし興行の次の、昭和38年7月中席です。なんば花月といえば、この横長の六角形のマークが、ポスターなどでもおなじみでした。ボードビル劇場らしく、表紙には楽器のイラストも入れて、少しオシャレな感じにしてますね。とりあえず演
前回の京都花月のチラシの裏面で、次席(昭和37年10月中席)の予告。トリは幸朗・幸子、モタレは落語で林家染丸。ジャズ漫画の木川かえる、ベティ・領一は後年まで花月で活躍。ポケット・ミュージカルスは花紀京、ステレオコントは漫画トリオ。吉本新喜劇は白羽大介座長に、専科は白木みのる、副座長に花紀京。由利謙、浜裕二の名前もありますね。
前回の京都花月のチラシの裏面で、昭和39年9月下席の予告です。漫才・落語はなかなか豪華で、島田洋介・今喜多代、桂小文枝、浅草四郎・岡八郎が看板。八ちゃんは新喜劇を一時退団して、すぐにスター漫才師になりました。曲芸とアクロバットの東京ラッキー・トリオは後のザ・ラッキー。玉松キャップ・中田チャックのチャックは、後の中田アップでカウス・ボタンや大木ひびきの師匠。ステレオ・コントは東京から内海突破がゲスト。前回の中席に出てた笹山タンバが二代目内海突破。他に由利謙、藤井信子ら。ポ
前回のチラシの裏面で、次席(9月中席)の予告です。トリは秋山右楽・左楽で、新喜劇の秋山たか志は右楽の息子。小文枝さんも当時まだ32歳で、デビューして15年ぐらい。モタレには夫婦漫才の島田洋介・今喜多代。そして人気急上昇中の漫画トリオ。当時のフックは初代で、二代目フック(後の青芝フック)はまだ小島あきらとして新喜劇の座員でした。おしゃべり漫画の高橋とみじって、木川かえるのような演目だったんですかね?ステレオコントに花紀京、由利謙ら。ポケット・ミュージカルスは「リズム!リズム!」で
昭和37年5月上席、うめだ花月のポスター。今でいうゴールデンウィーク興行。東京からゲストを二組呼んでますが、夢月亭歌麿は後の五代目柳家つばめという人で、歌麿の名前は3年間ほどしか使っていなかったようです。吉本の看板はワカナ・一郎で、ワカナは四代目で後に吉本新喜劇に出てた河村節子(施つ子)です。余談ですが三代目ワカナは三崎希於子、二代目はミヤコ蝶々。他にも田鶴子・寿郎、花蝶・勝美など戦前からの芸人さんがまだまだ活躍していた時代でした。ポケット・ミュージカルスは白木みのるで「
昭和45〜7年頃か、と記憶してますが、松竹芸能さんが角座で白木みのるさん座長で喜楽座を旗揚げ、その後、九州から博多淡海さんが来られて座長として新喜楽座を旗揚げされました、松竹から曾我廼家文童さん、吉本から白羽大介さん、梅コマから私、芦屋凡凡が加わり数年間、興行しました、この写真は当時角座前に飾って有った写真を私が劇場の方に無理を言って頂いた写真です、この頃、我が師匠芦屋雁之助先生は東京日比谷で活躍中でした、朝日放送でなもんや三度笠も終り、この頃から演劇もテレビも東京移行が始まっ
昭和51年師走の角座。年末のこの時期でも看板さんを揃えていることに、解散した古参コンビが出てきているとはいえ当時の松竹の芸人の厚さをまだ感じますね。トップには酒井くにお・とおる、そして宮川大助・小助。このあたりは散々松竹記事で移籍のことなど書いてますので割愛。このクソ寒い時期に生駒一の河内音頭って(笑)まぁ吉本でも河内家菊水丸は年中出てましたが。「年忘れ爆笑御前試合」いやぁ~なんだか新花月みたいなメンバーですな(笑)南風カオルはタップダンスの中野ブラザーズの兄。ヤング
昭和51年師走の角座。トップに出ている船仁のるか・喜和そるかは若手漫才で有望でしたが、コンビ結成9年で解散。三つ目に桂福団治。奥さんは声帯模写の翠みち代。ベテラン漫才が解散し、その片割れ同士がコンビを結成しましたが、イマイチ振るわなかった平和日佐丸・木村栄子。看板も随分下がってしまっています。大看板ほど、昔のイメージが強いですからね。中入り前に夢路いとし・喜味こいし。お二人のソフトなしゃべくり漫才はモタレや中入り前がちょうどいい感じ。モタレにレツゴー三匹、そしてトリは正
昭和51年8月上席「角座」のチラシ。鳳キング・ポーカーはその屋号から想像できますが鳳啓助の弟子。横山たかし・ひろしはコンビ結成して8年ほど経っていますが、松竹では古参芸人が多いのでまだまだ出番は浅いです。吉本にいたら即売れたかといえばどうでしょうね・・・師匠の横山やすしに潰されてたでしょうね。落語の桂春蝶。酒豪でトラキチ、平成5年に51歳の若さで死去。休憩後は「中国は広島生まれ」のゼンジー北京。前年5月に2代目平和ラッパ、同じく11月に三遊亭小円が死去し相方を失った者同士の
前回紹介したチラシの予告で、昭和38年11月上席のなんば花月です。漫才の看板は二組で前席同様に落語がありません。当時の吉本にはまだ落語家が少なかったからかもしれませんね。夫婦漫才の島田洋介・今喜多代、そして新喜劇にいた新人市岡輝夫とコンビを組み岡八郎と改名し、浅草四郎とコンビを組んで人気急上昇。浅草四郎は前田五郎の師匠。朝のラジオでおなじみの浜村淳は当時は漫談で花月に出ていました。しかし、あまり面白いものではなかったらしいです。ジャズ漫画の木川かえるは吉本に入った頃。長
昭和34年3月1日に開場した「うめだ花月」が初めての正月興行です。まだ開場した当初は地上が「梅田グランド劇場」という映画館で地下が「うめだ花月」でした。昭和47年に地上と地下が入れ替わります。演芸は10日間のうち半々で出演者が替わるようですね。コミックショウの西川サクラ・ヒノデのサクラは後のフラワーショウの華ぼたん。ヒデオは後のWヤングの軍さん。二人とも自殺してますね・・・。落語の林家染丸は三代目。弟子の染二が四代目染丸を継いでいます。「素人名人会」の審査員でもありました。
また大昔のなんば花月です。昭和38年11月下席。吉本新喜劇は白羽大介・花紀京の二枚看板です。白羽大介さんは吉本を辞めてからルーキー爆笑劇団や松竹新喜劇で活躍し2005年に亡くなられました。字が小さくて見にくいですが、由利謙・浜裕二・原哲男・桑原和男の名前もありますね。マドンナは藤井信子さんでしょうか。タイトルが「ずばり大阪」とそのままのタイトルで笑えます。吉本ショウは人気絶頂の漫画トリオ。ノックさんのピンカールが懐かしいです。浜裕二(チャーリー浜)も出てますが、歌ったんでしょ