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北海道の廃線跡巡りも大詰めを迎え、今日は「白糠線」の廃線跡巡りをして来ました。短い路線ですが場所が不便白糠線は根室本線「白糠駅」から北上する33.1km・8駅の路線でした。焼酎好きの方ならご存じかもしれませんが、しそ焼酎「鍛高譚」は、その銘柄が白糠町の「鍛高」という集落の名前からきています。そんな白糠線巡り、予定していたスケジュールは9/27(土)に東京出張から札幌の自宅に帰り、身支度をした後、帯広駅前に前泊。9/28(日)朝一からレンタカーで白糠線巡りをした
明日はいよいよ廃線跡巡り終盤戦「白糠線廃線跡巡り」です。これに伴い、今晩は帯広駅前のホテルに前泊しています。完全に旅行気分明日の廃線跡巡りが本番ですから、今日の移動はその準備。なのでタイトルは「準備編」としました。横浜出張から13:30頃帰ってきて身支度を終え、15:00過ぎに自宅を出発。いつもの旅の始まりの札幌駅ですが、こんな時間に出発するのは初めてかもしれません。オーバーツーリズム状態の札幌駅ですので、この時間は人であふれかえっていて、ちょっと調子が狂います。早速改札
最近、さぼり気味のこのブログ。そのツケが回ってきたのか、今週末実施の「白糠線廃線跡巡りの旅」の復路で予約していた特急が豪雨災害で運休に。なので今回はスケジュールを見直しました。知恵を絞って往路に利用する特急「とかち5号」は帯広駅止まりなので運休区間の対象にならず問題無し。復路の「おおぞら8号」は運休区間にヒットしますので、列車そのものが運休。そこで復路は帯広駅から普通列車で帰ってくるスケジュールを作ってみました。帯広駅から札幌駅方面に向かう午後~夕方
この飛び石連休は最後の万博巡りをしていたので、このブログをさぼってました。おかげさまで〆万博は2日間とも大阪メトロ中央線の始発で乗り込みましたので、両日併せて25ヶ所ほどのパビリオンに入ることが出来ました。暗雲が・・・そんな今週末は金曜日から横浜に出張して、9/27(土)の午前中帰宅後、帯広に向かい1泊。9/28(日)に白糠線廃線跡巡りをする予定。準備したスケジュールは9/27(土)は帯広入りするだけですので掲載してません。9/28(日)AMにサクッと白
昨日に引き続き白糠線ネタで。上茶路駅はこの路線唯一の有人駅だったが昭和49年には無人化されている。廃止後に何回か訪問したがその時の上茶路駅跡。たぶん1980年台後半か1990年台前半。上の写真と同じ場所から撮ったもの。更地になっている。これは2011年のときのもの。さらにおまけとして廃止のときに行けなかったオヤジに地元の人が送ってくれた最終日の写真を大切に保管してあったのでそのうちの1枚。懐かしいね。どんどん北海道の鉄道が衰退して
白糠線が廃止になってからすでに40年以上が経つ。オヤジが中学生の時に乗りに行きたかったけど残念ながら乗車が叶わなかった路線の1つだ。国鉄再建法で第1次廃止対象特定地方交通線の先陣を切って昭和58年10月22日が最終日となった。行けなかったオヤジは白糠駅に郵便依頼で切符を送ってもらったなあ。いま所持していないのが残念すぎる。ネットで買えば買える時代になっても自分で手に入れたものの重みは本人にしかわからないだろうなあ。何回か廃線跡は訪問しているが200
▲道の駅しらぬか恋問北海道白糠郡白糠町恋問3丁目3番地1高速が伸びてなかなか仕事でも寄らなくなりました▲ポストの裏側📮恋が叶うポストお手紙入れてね✉️▲コイタくん・メイカちゃん▲恋問海岸コイトイとはアイヌ語でコイ(波)とドィエ(崩れる・壊れる)という意味で打ち寄せる波が砂丘を崩し川や沼に流れ込む様子を表しています北海道には恋問、声問など同じ意味の地名がいくつかあります▲▼道の駅内▲チーズコーナー🧀▲リコッタチーズ工房酪恵舎(白糠郡白糠町茶路東1線11
昭和58年廃線の白糠線「上茶路駅」付近に残る信号機。廃線から50年。線路跡は自然に還ろうとしています。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
■5日目(7/4)-②もういいだろ廃線辿り誰も興味ない廃線辿りの本命“白糠線“上茶路駅跡に突撃!と、その前に・北進駅幹線道路から左折して北進駅に向う道を右折して入ったらスグにダートになり、大きな水たまりがあって中に何があるのか分からないので旅はまだまだ続くので断念した。マイカーでは無理・北進駅〜上茶路駅遺構は所々残ってて楽しませてくれます。いよいよメインイベント上茶路駅突撃著作権上無音にしてますが、実際は雑草で警告音鳴りまくり途中止まっているのは標識撮影のた
久々に白糠線の廃線跡をたどりました。近年、国道をまたぐコンクリート橋が取り壊されたのは聞いてましたが、他はほぼ良好に残っているようです。有名になった上茶路駅跡に行ってきました。まず入口から素晴らしい。これもれっきとした道道です。(道道上茶路上茶路停車場線)駅前通りだった道ですね。少し奥へ歩くと上茶路駅の跡にたどりつきます。1面2線、鉄製の屋根、貨物側線もあるし、なかなか立派な駅ですな。あれ、近年まであった、保守トロッコの車
道内7日目、釧路の朝は霧におおわれていました。釧路湿原をぶらぶらするつもりでしたが、これじゃどうしようもない。霧の釧路/根室地方は諦め、晴れているはずの十勝に向かいます。R38・白糠町に来たところでふと気が変わりました。そうだ足寄に行こう。右折してR392、白糠町鍛高(たんたか)にやってきました。一面に広がるシソ畑。町おこしのために開発されたしそ焼酎「鍛高譚」に使われるシソが栽培されているんです。収穫は秋、赤紫色に染まる頃も見てみたい。北上を続けると立派なコン
昭和58年廃線の白糠線跡に残る跨線橋。現役です。ただ跨線橋の下は引退しています。名前は残っていくんですね。nostalgiaNO49は日高本線の様似~浦河間です。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
令和3年廃線の日高本線「厚賀駅跡」のロータリー。昭和58年廃線の白糠線「上茶路駅跡」のロータリー。廃線から40年以上シンボルツリーとともに残ってます。今回は木曜日の投稿となりました。nostalgiaNo47は北海道の簡易軌道車両です。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
昭和55年廃線の白糠線「上茶路駅」跡に残るレール。トロッコを走らせたこともあるよう。森に還りつつあるレールが鉄路の記憶をしっかり残している。nostalgiaNo46は石勝線夕張支線です。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
↑↑↑メッセージボードのメッセージを必ずお読みください。・・・・・・・・・・・・本日は北海道を走っていた国鉄白糠線廃止40年です。今から40年前の1983年(昭和58年)10月22日が白糠線の最終運行日でした。国鉄特定地方交通線廃止第1号という事で、白糠線廃止が全国ニュースになったのを覚えています。私は白糠線に乗車した事はないのですが、廃止翌年に宿泊した釧路の国鉄保養所で、白糠線のサボを購入しました。この時私は小学校を卒業し春休みに北海道を訪れていて、北海道在住の
釧路に帰省する時、大雨じゃなきゃ訪ねています。道東自動車道は本別~阿寒の区間は無料区間です。だから白糠ICで下りて、上茶路駅跡を眺めてから再度利用しても無料。これは無料の特典を酷使しなきゃでしょ?上茶路駅は根室本線白糠駅から分岐していた白糠線にあった駅です。上茶路地域には雄別炭鉱上茶路鉱があり、そこからの出炭輸送の為に敷設された路線ですが、開業時にはほぼその役目を終えて閉山を迎え、あまり活用されることがなく赤字ローカル線の代名詞のようになっていました。ただ、終着
5月2日火曜日5月2日の第3部は白糠線の廃線跡探訪の続きからスタートです。今回の白糠線廃線跡巡りの最終目的地は、昨年8月にも訪れた上茶路駅跡です。草が生い茂っていない青空の下で見る廃線跡はより雰囲気を感じました。白糠線上茶路駅跡駅に至る道には道道の看板が残っていました。さてここから白糠方面へ戻る事にしました。上茶路駅を出てしばらく走ると、カマダ川に架かるコンクリート橋を見る事が出来ました。白糠線上茶路-縫別カマダ川続いて現れたコンクリート橋は川の名前も不明です。
5月2日火曜日雪が溶け草木が伸び始めるこの時期が廃線跡を探訪するには良い時期です。しかも天気も良く廃線跡探しをするには絶好の日和でした。白糠線を訪れるのはこれで二度目ですが、前回は8月中旬でしかも雨模様という悪条件のもとでした。今回は、前回ルート的に見る事が出来なかったり、草木が生い茂っていて見つけることが出来なかった構造物を見る事が出来ました。まずは、前回は見ていない第1茶路川橋梁です。ここは地元の人に使用されているようで、橋の上を歩いて対岸に渡る事が出来ました。.河原に降りて撮
今回の『駅【超簡易版】』シリーズは、北海道釧路地方南西部、白糠町の中心市街地に位置する根室本線の駅で、かつては赤字ローカル線であった白糠線が分岐していた、白糠駅(しらぬかえき。ShiranukaStation)です。隣の駅滝川方……音別駅根室方……西庶路駅撮影時2014年6月白糠駅は有人駅(業務委託駅)で鉄筋コンクリート造り平屋建ての駅舎を構えており、『みどりの窓口』があります。駅舎がある駅南側
こんばんは~~ついに⑳まで来てしまいました・・・前回は幻の白糠線上茶路駅跡を散策しました。規模のでかさと状態に朝から興奮しつつも、時間に限りがあるので白糠線の数多く残る遺構のうち、2つの橋梁跡を訪れました。早速・・・!第10茶路川橋梁国土地理院より引用1977年すぐ左上が上茶路駅ですgoogleearthより橋梁だけでなく路盤も一目瞭然ストリートビューこの時点では道路にも架かっていましたが・・・老朽化に伴う崩落の危険があるとして撤去されていました
こんにちは、5日目の朝が来ました。今回は白糠町を走っていた幻の(?)白糠線の遺構を少し見て回ろうかなと思います。白糠線1964年白糠駅~上茶路駅開業1973年上茶路駅~北進駅延伸開業1983年全線廃止、バス転換、、、え???短命すぎないかな・・・???一応、計画では北進駅から地北線(後の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線・後に廃線)の足寄駅まで結ぶ予定だったらしいです。そして、さらなる延伸(北進)を願い、北進駅と名付けられたそうです。地北線も三セク化、後に廃線と
昭和58年廃線の白糠線跡。時は流れかつてのレールも流され時の流れを伝えるには説得力十分。
↑↑↑メッセージボードのメッセージを必ずお読みください。・・・・・・・・・・・・来年2023年は令和5年なので、8月1日は#581系の日8月3日は#583系の日となるでしょうか。手元に写真がある形式については、気力が許す限り該当日にブログを更新したいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・来年2023年は、以下の出来事の20周年です。(2003年の出来事)1月5日江ノ電500形(初代)引退3月14日クモハ42形引退3月19日
39年前に白糠線が廃止になったようで・・・💦根室本線の白糠駅から分岐されていた支線・・・
昭和58年廃線の白糠線「上茶路駅」跡。ホームもある。遺構は他にもある。半日過ごせる素敵な場所。
8月14日日曜日白糠線の廃線跡巡りの続きです。国道392号線の上を通るコンクリート橋はかつて2か所あったのですが、この第10茶路川橋梁は国道の上に掛かる部分の桁は撤去されていました。縫別-上茶路第10茶路川橋梁そして白糠線内で唯一ホームが現存する上茶路駅は、ホーム上屋に掛かる屋根や駅名標板の枠、そして、廃線後保線用の軌道自転車を使用したトロッコ遊びが出来る施設として活用していた頃の名残とはいえ現役時代からあるレールが残っているものの、草木に覆われ自然に還りつつあるように見えました。
8月14日今回の廃線跡巡りも最終日。この日も早起きをしてスタートです。まずは、前日夕方に行った釧路川に向かいました。ラッピング車を期待したのですが、またもや原色。今回の遠征では1本もラッピングに出会えませんでした。キハ545193625D快速はなさき続いて、JR釧路駅の5番線ホーム横に残っている勇別炭鉱鉄道のホームと釧路駅駅舎を結んだ地下道入口です。雄別炭礦鉄道釧路駅ホーム地下道入口次に向かったのは、釧路港の埠頭へ続いていた雄別炭礦鉄道鶴野線の根室本線跨線橋跡です。霞
昭和58年廃線の白糠線。さよなら列車のヘッドマーク。ここは廃線跡遺構の宝庫。何度も行きたくなる路線。
10:23帯広駅着帯広駅でホーム反対側に停車中の釧路行きに乗り替えます釧路行きは2両編成、私は2両目の北海道カラーのキハ40に乗車10:28帯広駅発この汽車は鉄さんたちで溢れていました。私も車内でパチパチ写真撮るので人のことは言えませんがなかなか熱い鉄さん多かったです。前のボックスシートの鉄は走行中、窓全開で身を乗り出して撮影雪降ってるのにまあ最悪席移動しましたよ…12:41白糠駅着下車するのが寂しい去るキハを見送る「ヨンマル入場券2枚ください!⑩」と、いうわけでコンプリ