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本日、映画『暗夜行路』を見てきました。小説は読んだことないし、文学には程遠い私が、暗夜行路の題名からお堅い文学と思いましたが、現代見ても鑑賞出来る映画です。白黒映画の時代、カラーだったらDVD化されてたら不朽の名作になるでしょう。映画が興行収入にしか話題にならない時代もっと映画にも文学にも人間の有り様を伝えるのが文化ではないでしょうか?その担い手はTVではないでしょうか?バラエティ番組ばかりの低予算番組、見られるはずがありませんよ。
市川市東山魁夷記念館10時開館1時間前に到着してしまい記念館周辺を散策金木犀が薫る大きな酔芙蓉近くに東山魁夷が晩年暮らした家がある非公開九十九谷展望台で見た絵残照東山魁夷その絵に導かれて訪問中山大本山法華経寺想像以上に広く立派大仏様駅名にもなっている鎌ヶ谷大仏を目指したが駐車場を探せず道路も混雑していたので、日本で小さい大仏は拝めず断念山田うどん食堂八千代島田台店日替わりランチ980円ミニじゃないので、1人で2人前づつ食べた事になる松戸の矢切の渡
雑誌「白樺」とか白樺派って、そのむか~し現国の授業でやったな~・・遠い記憶。だったものが、ぐっと身近になったのは、そこに民藝運動の柳宗悦先生が関わっていたからだ。「白樺」は、武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)や志賀直哉ら学習院同窓を中心に、1910(明治43)年から1923(大正12)年まで刊行された雑誌。彼ら自身の小説(わりと私小説寄り)や批評を発表しつつ、さらに西洋美術を紹介。ロダンもゴッホ(当時はゴオホ)も、なんならビアズリーもみんな白樺が紹介したのだった。
たまたま通りかかったのは、清春芸術村八ヶ岳方面に行く時には前から一度行きたいなと思っていましたが、まさか通り道にあって急遽、寄ってみました。清春芸術村|KiyoharuArtColony山梨県北杜市長坂町に所在する文化複合施設清春芸術村www.kiyoharu-art.comラ・リューシュ(公式案内から)若き日のシャガールやモジリアニなど巨匠を生んだアトリエ兼住居として現在もパリの記念建築とされているものと同様のギュスターブ・エッフェルの建築。もとは1900年に開
陶山先生が『月刊あだフレ』に書いていましたが、我孫子には、その昔、白樺派の文人(志賀直哉や武者小路実篤ら)が住んでいました。陶山先生は、その理由の一つに涼しさを挙げていました。なるほど、手賀沼は、東京に最も近い大きな沼です。確かに水辺は夏涼しい。しかも、この辺りはわずかに標高が高い。手軽な避暑地であったという説に納得しました。しかし、今では我孫子も都市化が進んで、我孫子駅前などは、都心と変わらないほど暑いとか。これもわかります。ただ、それでも、調べてみると、手賀沼湖畔まで行くと、少し気温が低く
コーヒーブレイクをしたcotoの近くには、白樺派関連の建物があるようです。試しに三樹荘と嘉納治五郎別荘後に行ってみることに。情緒のある石段が待っていました。情緒はあるものの、石段の幅が変で歩き辛いんです。鳥のオブジェ我孫子市には鳥の博物館があるからか、あちこちで鳥のモチーフのものを見かけます。石段の先にはこんな石碑が。天神山緑地嘉納治五郎の像嘉納治五郎が我孫子に移り住み、甥の柳宗悦が志賀直哉・武者小路実篤・バーナードリーチらを招いたそうです。「白樺派」聞いたことだけ
ん~。今日のグラフは1枚。でも、なんか言葉に上手くまとめられない。グラフ自体は、なかなかうまくまとまってると思うんだけど、個人的には。(笑)キーワード:明治・大正期、日本の産業革命・近代化、大衆消費社会、都市人口の増大、家族形態・コミュニティーの変化、“個人”の誕生、野麦峠、モガ、おしん、捨子数減少、親子心中増加、白樺派、有島武郎、灯台社(エホバの証人)の日本での活動開始。書いてて思ったんだけど、これだけ多くのキーワードが関係する話題をせいぜい5千字ぐらいのブログにまとめよ
こどもの頃、夢中になった本は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう白樺派📚の小説
中川一政白樺派↑本の装丁も多数宮本三郎うまいなんて言ったら「あたりまえだ」と言われそう。この画力!スケッチ宮田重雄の挿絵中西利雄の水彩画
あ?いつもと違って、このタイトルが引っ張る?実は、これ、GPTに書いてもらったのを採用。めんどくさいから、構成もほぼほぼ採用。文章も一部採用。(笑)(記念館への道中、羊蹄山を望む)1.序章:旅のきっかけ最近、自分は文学に関心がある。いや、それは文学に感動して、文学に目覚めて、文学を志そう、なんてそんなアオハルな感じではない。しかし理由を書きはじめたら(いつもどおり)長くなったから途中、大胆に削除して・・・(笑)「近代化」が「日本人」にどんな影響を与えてた
情景描写、心情描写ともに美しい日本語が溢れている。自然(特に大山)の情景を細かに、艶やかに表現している。さすがの「小説の神様」。前編が1922年、後編1937年の発表。前編はゆったりと流れるのだが、後編は慌ただしく動く。15年の歳月のなせるものでしょう。さて、本題。主人公(以下、「彼」)の近親はなにかと忙しい。思い切りネタバレになるが、これがないとレビューにならないので、書きます。①彼は祖父と母の不義の子である②彼は祖父の妾と結婚したかった③
1860年、ロシアで刊行。二葉亭四迷が翻訳したり、国木田独歩や夏目漱石らが自らの作品に引用したり、多くの明治の日本人文豪が、恋愛小説のお手本としている、恋愛小説業界のバイブル。そして、影響を受けた(と思われる)作品も多い。『浮雲』、『三四郎』、『青年』、『雁』、『友情』・・・と数え上げるときりがない。青年(ウラジーミル君、16歳)が年上の女性(ジナイーダ嬢、21歳)に一方的に憧れ、根拠もなくこの愛が成就すると妄想するが、(やっぱり)儚く夢破れるというストーリーは共通してい
志賀直哉さん志賀直哉(しがなおや)1883年2月20日生まれ、1971年10月21日、満88歳没。宮城県牡鹿郡石巻町(現・石巻市住吉町)生まれ、東京府育ちの小説家。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作:1910年、『網走まで』1912年、『大津順吉』1913年、『清兵衛と瓢箪』1917年、『城の崎にて』1917年、短編小説『赤西蠣太』1917年、『和解』19
清兵衛と瓢箪・網走まで楽天市場子供心の心理を描いた『母の死と新しい母』、遭遇した現実の意味を表現した『出来事』最近、他の人から志賀直哉を読んでいるという話をあまり聞かなくなりました。短編を綴るのが天才的に上手な方で、簡潔で、無駄のないそぎ落とした文章で名文を書く文豪です。『城崎にて』、『小僧の神様』などは特に有名ですが、今回は『母の死と新しい母』と『出来事』をご紹介します。ニ編とも上記の新潮文庫に収録されていますが、どちらも10ページいくかいかないかの
雪雲が晴れたある日、米沢を訪れました。お目当ては、上杉博物館で開催中の『椿貞雄と草土社の画家たち』展です。草土社の岸田劉生はよく知られていますが、こちらの画像はウィキペディアより米沢出身の椿貞雄を知る人はよほどの専門家です。岸田とともに二人三脚で草土社を運営したのが椿です。同展ワークシートより二科会と並び当時注目された草土社ですが、関東大震災で拠点となる岸田の自宅が崩壊。同図録より岸田自身も当時大流行の感染症である結核とその後の腎臓炎などにより、38歳で亡くなります。草土社
JamesSetouchi2024.10.18有島武郎(ありしまたけお)『星座』1有島武郎(ありしまたけお)(1878~1923)東京生まれ。父は薩摩系の高級官僚、実業家。学習院に学び皇太子(のちの大正天皇)のご学友に選ばれる。新渡戸稲造をしたい札幌農学校に学ぶ。内村鑑三に学ぶ。札幌独立教会に所属。明治36年(1903年)アメリカ留学、大学院で経済学、歴史を専攻。内村にならい精神病院の看護夫などをした。エマソン、ホイットマン、ツルゲーネフ、イブセン、トルストイ
日曜日ば芸術の森美術館でロートレック展を見てきましたが、芸森と言えば有島武郎邸があります。ここまで来て、有島先生にご挨拶しない訳にはいきません和洋折衷の素敵な建築です✨特に大正ガラスが入った窓が特徴的です。玄関床柱は「えんじゅ」と思われます。北海道産の木材を使われていると考えます。日が差し込み畳に写っていますが、大正ガラスの部分は揺ら揺らとして一際きれいでした✨ナラ、タモ、松、えんじゅ等自ら設計構想を練ったらしいです。窓や屋根も有島先生が決めたらしいです。ずば抜けたセンスの
おはようございます。お彼岸まで一週間ですが、昼間は暑いですね。もう少しの辛抱です。長年関わっている迷惑餌やりのところに三毛猫が流れてきて出産。手術したいのですが『減るからやるな!!』と怒鳴り散らす迷惑餌やりで協力しない。話にならない人。実際、このような人が野良猫を増やしています。猫は悪くない。人間が悪い。動物愛護センターは、指導に来ないので(存在意義なし)、指導の権限がない市役所にお願いしました。指導権限がないと、単なるお願いになってしまう。ただ、この人は現在生活保護だと思うから、役所が来
父との長い確執から和解に至る過程が克明に記されているが、小説の構成(志賀は『コンポジッション』と云う)は、第一子の死、第二子の誕生、和解と3部構成になっている。舞台は志賀が住んでいた我孫子である。「我孫子市緑2丁目7番」に現存する。文豪の家って、こんなに小さいの?と意外に感じる。夫婦に赤児、女中・婆やがいて、この狭さ?志賀直哉邸跡(緑雁明緑地):我孫子市公式ウェブサイト(city.abiko.chiba.jp)すぐ近くに「白樺文学館」。我孫子市白樺文学館:我孫子市公式ウェブサイ
志賀が父親と不仲だったのは有名な話。また、鬱病を煩い、その最中に電車事故で重傷を負ったのも、割と有名。精神状態の不安定さが事件を引き起こす例が、短編集の彼方此方に登場している。共通するのは、行為が残虐であることと、その行為の原因や理由が主人公本人が説明できないこと。●『濁った頭』5歳上の従姉と駆け落ちした男が、従姉を刺し殺す。●『范の犯罪』ナイフを使った奇術の失敗で夫が妻を殺す。意図的か?故意か?●『児を盗む話』若い男による女児誘拐。●『剃刀』床屋の親父が客の髭剃り中
『小さき者へ』はよく受験国語にも登場していた(今はどうなのかしら?)ので、何度も読んだ。この2編は『小さき者へ・生まれ出づる悩み』として一冊になっているので、2編はどういう関係にあるのかしら?と疑問だった。『生まれ・・・』は読んだことがなかったのだ。恥ずかしながら、読む前の勝手な想像:『小さき者へ』が母を亡くした子供達に父が語りかけるものなので、『生まれ・・・』は、その続編として、子供達が生まれてきた事で悩みを抱えて・・・という話なんだろうと想像していた。違った。子供じゃなくて、教
文豪、志賀直哉。明治16年(1883)、宮城県石巻生まれ。2歳の時に東京千代田区に移り住み、東大卒業後、作家への道を歩みます。父との不和により広島県尾道に転居し、その後も、兵庫県城崎温泉、島根県松江、京都、鎌倉、群馬県赤城山、千葉県我孫子と、半ば放浪するかの様な生活を送ります。(生涯、23回の転居をしたそうです)そんな志賀直哉が、昭和4年(1929)から10年間程、住んだ邸宅が奈良にあります。新薬師寺から表通りに出て、反対側の小径へ。春日大社の社叢を背にした
JamesSetouchi『戦争と平和』トルストイ1トルストイ;Л.Н.TОЛСTОЙ1828~1910。ロシアの作家。名門の伯爵(はくしゃく)家に生まれる。カザン大学に学ぶが中退、故郷で農事改革に取り組むがこれも失敗。放蕩(ほうとう)に耽(ふけ)る。24歳で『幼年時代』を書きネクラーソフの「同時代人」に発表。砲兵隊でクリミア戦争に参加、『セヴァストーポリ物語』を書く。1857年欧州旅行でフランスやスイスの社会的自由に出会う。1860年代には農民教育に取り組む。186
1919年、実篤34歳の作。既に文壇で確固たる地位を築いていた。男A、男Bは互いに尊敬し合う親友。女Cには、Aが先にプロポーズするが断られた。CはBが大好き。実はBもCが大好き。結局、BとCは結婚し、Aは泣きわめく。が、「仕事のうえで決闘しよう」と立ち上がる。親友同士が同じ女性に恋をするなんてのは、よくある話。ガンガン積極的に突っ走るAが涙を流し、そっけない素振りのBが射止めるのも、よくある話。CがAを振るときのセリフ:「ありがた迷惑に思っております」「一時間以
「志賀直哉に文学の問題はない(坂口安吾)」https://aozora-bunko-viewer.vercel.app/books/43141#aozora_bunko_viewer安吾が言うとおり、私小説が告解の代用だとすれば、それはまさしく天皇制国家への告解だったのではないか。事実、志賀直哉はじめ武者小路実篤らの白樺派(大正教養派)は昭和10年代から戦時体制に積極的に協力していくことになる。志賀直哉は「シンガポール陥落」を発表し、武者小路実篤は日本文学報国会劇文学部
この前の投稿もご覧ください『天国プチヴィーの子たちにお花が届きました』雨が降っています。GWも終わりですね。昨日、伊達市のF・T様からお花が届きました。毎年、ヴィヴィアンの命日にお花をプレゼントしてくださって、有難うございますず…ameblo.jpおはようございます。今日は雨。晴れの日の写真から。梅の実が膨らんできました。モッコウバラジャングル。自宅のミニドッグランには、古株1本。ドッグランに、2本あります。一季咲きですが、キレイガーデニングの親友ホスタたちも葉を広げました。葉
子どもに頼まれて買った有島武郎の文庫本から。代表作のひとつ、ですよね「小さき者へ」。夫の不倫を知って不登校になった上の子が最近、小説をたくさん読みます。アニメ『文豪ストレイドッグス』の影響で近代文学に興味を持ち、好きなアニメキャラの作品を入り口にさまざまの作品を読むようになりました。『文豪ストレイドッグス』は、実在の文豪の名前を冠したキャラクターが作品名にちなんだ技を駆使して敵組織と闘うバトル要素が強いアニメです。作品自体の文学的な描写は少ないのですがお気に入りのキャラ
このところ不調続きの対局です。今日は、攻めの切れ味が冴えておかげさまで3連勝をすることができました。良い気分です!😄お相手は、初段、三段、二段の方。とくに二段の方が強かった!本日はこれから星野順一郎我孫子市長に面会があります。この秋に予定されている「千葉県川柳大会at我孫子」への協力要請です。面会用のメモを用意しました(エライ!←自画自賛)。前回の実績を踏まえて、今回も同レベルのお願いをするつもりです。①前回の実績(ア)平成23年度第46回千葉県川柳大会平
2024年3月16日(土)。天気晴れ。「我もまた渚を枕」(川本三郎:著、晶文社、2004年)に「手賀沼と利根川水に暮らす町「我孫子」」という章があります。私は、これを読んで我孫子に行ってみることにしました。昼食は、初台の「オペラシティ」にある「HUB」にて、シェパードパイを食べました。競馬中継をやっていたので、ずっとここにいようかと少し思いました。それから都営新宿線で「岩本町」まで行き、「秋葉原駅」でJR線に乗り換えます。「和泉橋」から見た「神田川」。「上野駅」で常磐線に乗って、「我
夏目漱石の作品読んだことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう中学生時代に好きな人(男性)が図書委員だったので、ほぼほぼ毎日通い、白樺派などの文豪の書籍を読み漁ったので、その中にもちろん夏目漱石もありました夏目漱石📚夏目漱石-Wikipediaja.m.wikipedia.org余裕派wiki📚余裕派-Wikipediaja.m.wikipedia.org白樺派wiki📚白樺派-Wikipediaja.m.wikipedia.org