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✨ブログをご覧いただき✨✨ありがとうございます✨ただ今沖縄巡礼中詳細はこちらをご覧ください『今週(9/9〜14)のスケジュール「沖縄・富山」』✨ブログをご覧いただき✨✨ありがとうございます✨今週のスケジュール9/9〜14沖縄・富山1週間の中で【沖縄・富山】へ行くスケジュールはこの仕事を始…ameblo.jp沖縄巡礼1日目(9/9)ピーカンお天気な那覇空港へK先生の娘Cさまが車で迎えに来てくださいました。ありがとうございました。
沖縄県立第二高等女学校(現那覇高校)の生徒が、白梅学徒隊に入った。沖縄県立第二高等女学校-Wikipediaja.m.wikipedia.org白梅学徒隊には入らなかったが、後輩の我喜屋敏子さんと大宜味ハル子さんがインタビューを受けてくれた。音楽と器楽(演奏)の時間があった。別になった理由が知りたい。笑パーマや映画が禁止になった。沖縄県立第二高等女学校は、今松山公園になっている。大城千代子さん。「(戦後)まず骨拾いからですよね」富山富士子さん、これまで戦争体験者400人
こんにちは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす空手師範の田中です。今年は、先の大戦が終結して80年。昨日だったか一昨日だったか、NHKの報道番組でだったと想うけど、「沖縄戦」の特集をしていました。第二次世界大戦末期の1945年、沖縄諸島に上陸した米軍と英軍を主体とした連合国軍と日本軍との間で行われた「沖縄戦」では、沖縄県民の1/4が亡くなりました。報道番組では、「ひめゆり学徒隊」について少し触れていました
もういい加減忘れかけてたんですけど昨日たまたま見かけてしまったのでやっぱりこのことは記事にしておこうと思います。5月31日の「月刊正論ONLINE」「ひめゆりの塔」発言訂正の真意、私は事実を語った…参院議員・西田昌司-月刊正論オンライン五月三日、那覇市で開かれた「憲法シンポジウム」(沖縄県神社庁、日本会議沖縄県本部など主催、自民党沖縄県連共催)の講演で、私はいわゆる「ひめゆりの塔」について言…www.sankei.com西田議員が5月3日の講演についての弁明と自
沖縄旅行は観光旅行よりは、慰霊旅行になってしまった感もありますが、そうした沖縄で行かねば・・・という場所として糸満市の沖縄県営平和記念公園と八重瀬町にある具志頭歴史民俗資料館がありました。平和記念公園の塔糸満市は、沖縄戦で艦砲射撃と上陸してきた米兵の攻撃、毫から出された住民達が虐殺された場所でもあるので、そういう惨たらしく、悲惨この上ない歴史を忘れない意味でも、ここは平和と追悼の場だと実感させられます。それなのに無神経この上ない、沖縄をアメリカに売り渡した国賊自民の政治屋共や、
ぎのわんシティFMでは、毎週水曜日の夜8時30分から「水曜ちゅらちゅら作戦」が放送されております。5月21日放送の水曜ちゅらちゅら作戦のバックナンバーがアップされました。今回は「戦跡周辺のメンテナンスを急げ!」というテーマでお送りしました。なお、番組のFBページ、X(ツイッター)もありますので、こちらもお見逃しなく!【FBページ】https://www.facebook.com/profile.php?id=100050982589544【X】https://twitter.com/
ガンガラーの谷の数百メートル手前少し脇道に入ったところに「八重瀬町戦争遺跡公園」があります。この下にはここ「ヌヌマチガマ」はかつて沖縄県立第二高等女学校の生徒たちが軍属として看護に従事した「第24師団第一野戦病院新城分院」彼女たちは、その校章から戦後「白梅学徒隊」と呼ばれました。白梅学徒隊が看護にあたった壕は三箇所ありましたがここはその一つ3月下旬、八重瀬岳中腹に第一野戦病院が開設され沖縄県立第二高等女学校の4年生46名が壕に入ることになりました
ひめゆりの塔から那覇方面に向かって5分ほど車を走らせると右側にこの看板を目にすることができます陸軍第24師団山部隊第二野戦病院小池隊・糸洲の壕(ウッカーガマ)ひめゆりの塔の”ひめゆり部隊”は沖縄県立師範学校女子部と県立第一高等女学校生徒の学徒看護隊ここ糸洲の壕にいた看護隊は当時沖縄県で唯一の私立高等女学校だった積徳高等女学校の学徒隊25名。設立母体が本願寺派寺院であったため本願寺派の紋「下がり藤」から「ふじ学徒隊」と呼ばれていました。Photo
海を渡る祈りの響き2024~シターと歌い紡ぐ平和への祈り~昨年も沖縄と広島を繋ぐコンサートとして開催したコンサート今年は那覇市、沖縄市、広島市で開催致します今年は、広島よりシター奏者白井朝香さんの他ソプラノ益田由身子さんテノール林隆一郎さんバリトン益田眞さんをお迎えして、沖縄出身の作曲家新垣壬敏氏の作品や広島・沖縄で歌い継がれる曲を重唱でお届けします⬆️こちらは昨年のステージ第二部では、画家・絵本作家の磯崎主佳さん作画木
初春の沖縄の旅17日目をまとめます。16日目の記録は下記ブログをご覧ください。『初春の旅沖縄(2024)16日目の記録(中城城、イオンモール沖縄ライカム)』初春の沖縄の旅16日目に戻ります。15日目の記録は下記ブログをご覧ください。『初春の旅沖縄(2024)15日目の記録(瀬底島から那覇に移動)』昨日は…ameblo.jp17日目(2月7日)もダブルツリーヒルトン那覇首里城に滞在3日目となりました。この日は沖縄本島南部を観光しました。大津9.4℃0.6℃
8月15日は仕事のため、本日沖縄県護国神社、海軍壕公園、白梅之塔、バクナー中将慰霊碑、白梅学徒看護隊之壕に行き、戦没者に感謝と哀悼の誠を捧げてきました。沖縄を護るため、日本を護るために闘い抜いた方に感謝することは、より良い社会を創っていくうえで欠かせないとの想いをあらためてかみしめております。
初春の旅沖縄に戻ります。沖縄の旅も17日目、そろそろ終わりが見えてきました。この日は久しぶりに沖縄本島の南に出かけました。糸満市の東にある八重瀬町に緋寒桜の名所があるとのことで出かけてみました。本部町の桜の名所八重岳とよく似た名前です。八重瀬公園の高台から緋寒桜と那覇方面の眺望。八重瀬城(冨盛城)と呼ばれるグスクがあったところです。駐車場から小高い丘に登ろうとした時に’白梅学徒看護隊の足跡めぐり’の案内を見つけた。沖縄戦の足跡でもあり、陸軍24師団の野戦病院があ
沖縄2日目の続き。末吉宮へ行った後は南部島尻方面に行きます。八重瀬岳中腹の八重瀬城跡にある八重瀬公園へ。公園駐車場のすぐそばにあるのが『白梅学徒看護隊之壕跡』沖縄戦の女学生の看護隊では沖縄師範女学校・県立第一高女の『ひめゆり学徒』が知られていますがこちらは県立第二高女の女性徒の『白梅学徒』第24師団第一野戦病院壕跡です。陸軍の野戦病院として500人の負傷兵が収容されたそうでその看護あたっていたのが『白梅学徒』今は落盤して入ることはできないようです。20数年前に来
沖縄旅行の備忘録をもう一つ。2泊3日の沖縄滞在の初日の午後、沖縄戦(1945.4~6)の南部戦跡に少しだけ触れました。訪問の前月、吉村昭の小説『殉国陸軍二等兵比嘉真一』(新装版2020年/原題『陸軍二等兵比嘉真一』は1982年刊)を読んでいて、沖縄戦の南部戦跡の名称がよく登場していたので、その一つ「八重瀬岳」を体感したいと思ったのでした。那覇市内の住宅地や商業施設が密集しているエリアは、正直申し上げて、沖縄戦当時のイメージを持つことは難しいですが、この辺りまで南下すると農地が多く、天然の
⚫︎日本は敗戦によりアメリカから民主主義を学んだのではない。はるか昔、記録されている中では、「民の竈」の仁徳天皇の時代から「国家こそが民を護る」という理念を持った日本オリジナルの民主主義があった。日本のまつりごとに従事するものは、日本人にとって国家とは何かという国家観を持っていなければならない。⚫︎日本人は、戦勝国の支配のために造られた世界と日本の戦後体制を、人類の美しい恒久平和のために新しく創られた体制、すなわち「国連」と思い込まされてきた。「国際連合」は「連合国(戦勝国)」を誤って訳した
9月末から、演奏会続きでパタパタしてましたまずは今年1月に亡くなった、白梅学徒隊中山きくさんきくさんの学徒隊での体験を絵本にしシターで音楽を付けた朗読劇ですそちらに、沖縄の歌をちょこっと♪きくさんの想いを後世に伝えるコンサートですまずは9/28、久高島小中学校にて沖縄本島から船で40分ほどの久高島は神の島と言われていてフツーに船で渡れる島ではありますが、その道の方に聞いた話では呼ばれないと行けない島、とも言われていて移住して24年、まだ一度も行ったことのない島でし
ひめゆり学徒隊、梯梧女学徒隊、瑞泉女学徒隊をブログにして、白梅学徒隊をブログにしないと…切ないことになっちゃいますので、はいっと。第24師団第一野戦病院/白梅学徒隊/沖縄県立第二高等女学校。沖縄県立第二高等女学校は、明治38年(1905年)9月に開校した女子技芸学校を起源とする学校。那覇市…ゆいレールの何駅だっけ…県庁前駅か…から徒歩数分(ザックリ)の所にあるのが、松山公園。大典寺に”ほぼ”隣接をしているよ。※那覇商業高校を挟んでいるけど0800頃この公園前に観光バス
山形の塔・真山の塔から徒歩だと5分程度でしょうか。道から少し奥に入ったところに白梅之塔がひっそりと佇んでいます。沖縄第二高等女学校の生徒56名は東風平国民学校で第24師団衛生看護教育隊に入隊し、白梅学徒隊を編成。戦局の悪化に伴い八重瀬町富盛~真栄里(一部は新城分院)へと撤退します。真栄里の第24師団第一野戦病院壕は敵の馬乗り攻撃を受け学徒隊の多くが戦死。第二高等女学校の戦没生徒22名と学校関係者を祀
2023年3月3日(金)超ショック11:20頃の便だったので、最後はふじ学徒隊と白梅学徒隊にご挨拶大典寺/ゆいレール県庁前駅から直ぐだよ右向け…右!進め…7歩礼!そぉ~いやぁ、牧志から→が東風平に向かっておりますが、東風平看護学校で教育を受けた関係から。東風平はコチンダと読みます。こちんだ、おちんちんだ、かちこちんだ、こちんだ、おちんちんだ…かちこちおちんちんだ…繰り返して、10回言ってみましょい東風平にある八重瀬町に移住をしたい…
✨ブログをご覧いただき✨✨ありがとうございます✨今月からお届けするのは昨年(2022年)巡礼で訪れた日本各地の聖域シリーズです✨✨✨2023年の目標の一つ🌟昨年(2022年)に撮り溜めていた画像をお届けするべく有言実行してみました🤗今日の画像①「眞山(みやま)之塔」②「上の壕」白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)訪れた時期2022年12月18日沖縄巡礼(12/17〜19)同行者Aさま場所沖縄県糸満市字真栄里ア
✨ブログをご覧いただき✨✨ありがとうございます✨今日からお届けするのは昨年(2022年)巡礼で訪れた日本各地の聖域シリーズです✨✨✨2023年の目標の一つ🌟昨年(2022年)に撮り溜めていた画像をお届けするべく有言実行してみました🤗今日の画像「白梅(しらうめ)之塔」白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)訪れた時期2022年12月18日沖縄巡礼(12/17〜19)同行者Aさま場所沖縄県糸満市字真栄里アクセスについて白梅之
✨ブログをご覧いただき✨✨ありがとうございます✨沖縄巡礼のお知らせです12月17日〜19日そうです!今日から沖縄です。羽田7:35発🛫あと数時間後には機内にいますが荷造りはこれからです💦沖縄巡礼での目的白梅之塔(しらうめのとう)来訪前回訪れたのは2015年6月です。当時の模様や白梅之塔についての詳細はこちらをご覧ください。『沖縄白梅の塔と国吉勇さん』みなさまおはようございます。沖縄本島出張(6月27日~29日)より帰っ
はいさ~い。八重瀬町は、沖縄本島南部に位置する町で、戦時中は東風平町と具志頭村があった地区です。1945年5月末、首里地区を制圧した敵は南下を始めますが、梅雨による道路のぬかるみと小禄地区を死守する海軍部隊の善戦により西部地区の進撃は大きな損害を出し停滞します。一方東部戦線では、5月22日に第32軍司令部が南部への撤退を決定し、26日頃から順次撤退を開始。撤退部隊が円滑に実行できるよう、
白梅学徒隊の足跡を那覇から南部へ追う「白梅学徒隊」とは、1945年3月6日から6月4日まで、「学徒勤労動員令」によって第二十四師団第一野戦病院(山三四八六)の従軍補助看護婦として、沖縄戦に動員された沖縄県立第二高等女学校の四年生、五十六名編成の学徒隊のことです。那覇近郊や本島中・南部で避難生活をしていた生徒たちに、軍の陣地構築作業のかたわら、焼け残...www.youtube.com
若梅会は、白梅之塔慰霊祭を継続すること、白梅学徒隊の沖縄戦を語り継ぐことを活動の柱として集まったグループです。白梅之塔は沖縄戦当時、白梅学徒隊として戦地に動員された県立第二高等女学校の学徒らを追悼する塔。県立第二高等女学校は、那覇市久米町にあった高等女学校。白梅の乙女たち1944年10月10日の十・十空襲で校舎を焼失した後、1945年3月6日に、4年生56名が第24師団衛生看護教育隊に入隊。
小出博治さん死去長野五輪で「一校一国運動」提唱信濃毎日新聞...校一国運動)」を提唱した小出博治(こいで・ひろじ)さんが26日午前7時56分、肺炎のため長野市の病院で死去したことが27日分かった。【独自】「寄生虫博士」藤田紘一郎さん死去、81歳…「笑うカイチュウ」「清潔はビョーキだ」読売新聞【独自】「寄生虫博士」藤田紘一郎さん死去、81歳…「笑うカイチュウ」「清潔はビョーキだ」.2021/06/2805:00.「頑張ってるか。オレはまだ生きてるぞ」野村克也が因縁のライ
12月25日~28日の沖縄旅。勝連城からの続きです。全9部作中、第8作目です。もう終盤となってきました。今のうちに厚手のハンカチを用意しておいて下さい25日中城城→首里城→具志川城26日伊是名城→今帰仁城27日座喜味城→勝連城勝連城と打とうと「かつ」まで打つと、予測変換で一番に「カツラ」が出てくるようになりました「カツラ」は世界遺産越えですさてさて、勝連城から向かったのは八重瀬城🏯(八重瀬グスク)坂を登り駐車場に到着🚗💨八重瀬城は標高105~125mの場所に
Hellofriends!thanksforvisiting県立白梅高等女学校同窓会(那覇パシフィックホテルにて)中山きくさん91歳http://www.jvvap.jp/nakayama_kiku.pdf中山きくさん1928(昭和3)年11月10日生まれ沖縄県佐敷村(現南城市)所属白梅学徒隊(県立第二高等女学校)第24師団第1野戦病院戦地富盛(現八重瀬町)~真壁(現糸満市)~知念方面中山きくそんと同期の武村さん91歳母が今年の同窓会の乾杯の音頭🍻京都か
場所は八重瀬町富盛ヌヌマチガマに入壕する前に、白梅学徒たちが最初に配属された場所で待ち合わせしましょうとのことで梅雨とは思えない好天気な朝、八重瀬公園へ。※ちなみに間違えて違う場所で暫く待っていた↓ここ今考えたらこのような何の目印もないところを待ち合わせ場所に指定される訳がない。が、気持ちが前のめりすぎてその時は気付かず待ち合わせ5分前におかしいと気付き移動。。。八重瀬公園入口にて無事お会いできた山内さんは優しい笑顔の素敵なお父さん。戦跡巡りの意図を聞かれ「ひめゆり」のミュー