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6月24日(火)大阪公立大学公開講座<鴨長明>全10回の最終日後半の4回は「発心集」各1話ごと通読・7回(1巻1)「玄敏僧都、遁世逐電の事」・8回(5巻9)「成信、重家、同時に出家する事」・9回↓・10回(4巻10)「日吉の社に詣ずる僧、死人を取り奇(あや)しむ事」先週の9回め発心集5巻3「母、女を妬み、手の指蛇になる事」名もなき人の逸話・ある夫婦がいて、妻には連れ子の娘がいる・妻は、夫の世話を焼くのに嫌気がさして、娘を妻の代わりにさせるから自分はしずかに念仏を唱え
『発心集』は、わたしのもっとも好きな仏教説話集である。さまざまなエピソードを通じて、当時の仏道の姿を知ることができる。仏教説話集であるから、そのテーマは、いかにして現世に対する執着を捨てるか、である。『発心集』には、音楽や和歌など、風流に関する話も多い。風流は仏道ときわめて近いのである。『発心集』巻六の第八話は、わたしの大好きな説話である。こんな話である。笙吹きの時光と篳篥師の茂光が声をそろえて裏頭楽(くわとうらく)を歌っていたとき、帝が急用で二人を呼んだ。
JamesSetouchi2025.1.13読書会『方丈記』(鴨長明)実施記録2025.1.13(月)(祝)実施。担当:Y1木下華子氏(東大文学部)のレクチャーからいくつか・大地震について、長明は「不思議」と記す。他の書では「政治の乱れ」「人々の罪業」「誰それの怨霊」「日本列島を取り巻く龍が動いた」などとある。→「政治の乱れ」「人々の罪業」「誰それの怨霊」などとすると、しかるべき因果関係で説明され、人為の論理に災厄をからめとり支配することになるが、長明はた
最近は、伊藤比呂美さんの本にハマり、読みまくっている。最近読んだのは、伊藤比呂美訳『日本霊異記・発心集』、『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』だ。日本霊異記・発心集(河出文庫い45-3)Amazon(アマゾン)日本ノ霊異ナ話(朝日文庫)Amazon(アマゾン)日本霊異記も、発心集もどちらも仏教説話集です。日本霊異記は薬師寺の僧、景戒が編者。発心集は鴨長明作。発心とは、発菩提心、完全な悟りの道への意志を持つこと。先人の賢愚の事例を集め、座右に置いて
2024年6月7日に伊藤比呂美「日本霊異記・発心集」を読了しました「日本霊異記」は僧景戒が書いたものなので説教臭く、その因果と応報はこじつけと感じたり、そのエピソードと教訓はピントがズレていると思うこともしばしば。ただ、○○の宮の○○天皇とか、○○の国○○の郡○○の村とか、○○氏の出とか、そうした記述に時としてテンションが上がる「発心集」は鴨長明が書いたもので、なんか、上から目線だなと…。恐らく、鴨長明が好きでないから、余計に鼻につくのだろうなと…。まぁ、訳も好みではなかったので結
ことのは学舎の高校生の古文の授業で、「発心集」の「蓮花城入水のこと」を読んだ。中間試験の出題範囲である。こんな話である。蓮花城は登蓮と長年親交があった。ある日、登蓮に言う。老いて死期が近い、入水して正念のまま臨終を迎え、往生を遂げたい、と。登蓮は反対したが蓮花城の決心は変わらなかったので協力することにした。入水当日、多くの人々が見守る中、蓮花城は桂川に身を投げて終わりを遂げた。その後登蓮が物の怪による病になった。その物の怪は蓮花城の霊であった。登蓮が、わたしは恨まれるお
昨日、京都満月の阿闍梨餅の記事をアップしていたら、鴨長明「発心集」(13世紀)の中に出てきた叡実阿闍梨のエピソードを思い出したので紹介します・・・・・・比叡山に、阿闍梨という僧の資格を持つ、叡実という尊い人がいました・・・帝が重病になり、宮廷からお召しがありましたが、気が進まず何度も辞退していたところ、断り切れなくなった。仕方なく参内する途中、みすぼらしい病人で、足も手も動かず、築地塀のそばで腹ばいになっている者がいた。阿闍梨はこれを見て、悲しみの涙を流し、牛車
(自/他は?)「ただ一念の発心に在り」浄土と穢土とは(あるいは…)「遥かに境を隔つべからず」「所執の境を穢土と称し、如幻の境を浄土と名づく」(解脱上人貞慶、"愚迷発心集")現象する"この世"→[じぶんが抱いている感情・記憶・思考(ものの見方.世界観)]を実体とみなして執着したならそこは地獄となり苦しみが絶えない。つらなり変化し移ろいゆく"空"として、幻の如く観じたなら自他の区別なくすべてを分かち合える、すなわち極楽そのものになる(例えば、戦争で家
【Q19489】食べた後に「これはドーナツなの?」という不思議な感覚に陥ることと、ドーナツ自身も「私ってドーナツ?」と疑問に思うような新食感であることから名付けられた、2022年に中目黒に1号店がオープンした、看板商品の生ドーナツが人気のドーナツ専門店はどこ?【Iʼmdonut?(アイムドーナツ?)】【Q19490】大和国の龍門寺に籠もり空中飛行の術を体得したが、吉野川で洗濯している女の白い脛(はぎ)に目がくらみ神通力を失って墜落し、その女を妻として世俗に帰ったという、『今昔物語集』『発
昨年から今年の5月まで京カレッジ講義の準備で忙しく、やりたくても出来なかったことがいくつかあります。本を数冊Amazonで購入したので、6月は読書月間に充てようと思います😊。まずは、鴨長明『発心集』『無名抄』からですな😊。
受験生の皆さま、ご健闘をお祈りしています。先日、鎌倉でおとずれた三浦氏一族のやぐら山肌にうがたれた坑が自然と一体化した洞穴のようにくらくてここを墓所にするとはどんな心のありかただったのだろうと疑問がわいたのでした。やぐらは右奥の黒い穴手がかりをもとめ場所は違えど鎌倉時代初期に完成したというそれだけをたよりに『宇治拾遺物語』を選んでみたら、町田康さんによるぶっ飛んだ現代語訳におったまげ!池澤夏樹責任編集日本文学全集より『宇治拾遺物語』町田康訳全集第8巻の
雨が降り続いています。一昨日には、うちの近所に池ができました。といっても、雨のせいでも「百鬼夜行抄」の妖魔のせいでもなく田んぼに水が入ったんですけどね。ベランダの向こう、眼の前に広がる畑地・・・と思っていたものが、突如水鏡となって向こう岸を自転車やなんかが通ると、そっくり映り込むのです。まるで「トトロ」の世界です。この変化を喜んだか、カエルや鷺の声が、さらに盛大になった気がします。で、カエルたちが呼んだわけではないでしょうが・・・池が出現したその夜から雨が降り
発心集橘逸勢の女子、配所に至ること昔、橘逸勢と云ふ人、事ありて東の方へ流されける時、其のゆかりの人、嘆き悲しむ類ひ多かりける中に、情けなき女子の、殊にとりわきさりがたく思ふありけり。主も、かくうき事にあへるをばさるものとして、これに別れん事を思へり。娘は云はぬ事を憚り忘れ、恥を捨てて、悲しみをたれて、もろともに行かんとす。おほやけ使ひ、限りなくいとほしく覚ゆれど、流さるる人の習ひにて、事の聞こえも便なかるべければ、堅くいさめて免さず。せめて思ひあまりけるにや、其の宿を尋ね
次の新刊で『方丈記』を扱うため、鴨長明関連の本をいろいろ読んでいて、それで手に取ったこちら。私は河出書房新社から出ている池澤夏樹さん編・日本文学全集の、伊藤比呂美さん訳で読みました。おもしろかった!「仏の教えてくれたことばがある。心の師になるのはいいが、心を師としてはいけない、と。」ではじまる、仏教説話集。構成としては、各説話の前後に鴨長明のコメントが挟んである。「発心」というのは、出家するとか、悟りを得ようという心を起こすこと、という意味らしい。「発心」した人々、もしくは「発心」に向かう人
今年の献灯会はワクチン接種者の増加を見込んで時期をずらしたのですが、感染増加と緊急事態宣言発出により、とても例年通りには行えない状況となってしまいました。しかし、ただお灯明をお供えするだけであっても中止にするよりはマシと考え、静かに法要を行った次第です。自粛をしてくださった方々、遠方よりお力添えをくださった方々に心から感謝を申し上げます。ところで、「マシ」って面白い言葉ですね。後ろ向きなのか前向きなのか、よく分からない言葉です。例えばテストの点数が五十点だったとして、百点満点からは減点です
こんにちは。アセント学習塾の山田です。当塾の中学生の高校受験コースの国語の授業では普段、実力養成のために塾用教材の『標準新演習』を使用しています。今年から改訂があり、「説明的文章・文学的文章・詩歌・作文・古典・文法」の単元が「基礎編・習得編・演習編」と三段階のレベルで、それぞれ順に掲載されている構成となって、螺旋的に進んでいける教材となりました。したがって、中1の国語でも現在は古文の基礎編の単元を学校に先駆けて進めております。しかし、いきなり中1が古文を全訳するのは難しいた
今夜は「発心集」。西行の出家の話でした。弟に預けた娘の様子を見に行ったら「帷子姿にて下衆の子供に交じりて、土に居りて遊ぶ」とあります。「帷子はまあスリップみたいなものです」と言いましたが全く通じない。「スリップ」は死語なのでしょうか。「タンクトップ」と「スリップ」は違うような。「シミーズ」がいちばん近い気がするけれど、これはまさしく死語でしょう。いやはやびっくりぽん。追記。「キャミソールではないか」とご教示をいただきました。明日言ってみます(笑)。
仙台市若林区沖野、六郷地区のhal学習塾です。今回は「発心集」(鴨長明)という仏教説話集から一つ。小田原といふ寺に、教壊聖人といふ人ありけり。後には高野に住みけるが、新しき水瓶の、様なども思ふやうなるを儲けて、殊に執し思ひけるを、縁にうち捨てて、奥の院へ参りにけり。かしこにて、念誦なんどして、一心に信仰しける時、この水瓶を思ひ出して、あだに並べたりつるものを、人や取らんと不審にて、心一向にもあらざりければ、由なく覚えて、帰るや遅きと、雨垂りの石畳の上に並べて、打ち砕き捨ててけり。
子供の頃、テレビゲームが流行していた。ファミコンだ。親は絶対に買ってくれることはなかった。また、お小遣いをためて購入することも禁止された。学校では、毎日のように「俺はここまでクリアした」などと友達が話をしている。私は会話の中には入れない。一人、端の方で気配を消しながらなんとなく近くにいるだけだ。短時間ならなんでもない。慣れっこである。しかし、取り残されている時間が長くなってくると寂しくなってくる。思い切ってその場を離れることも考えるが、
真夏に直江津へ行ったことがある。テニスの試合に出場するためだ。出発は、試合前日の早朝だった。先輩の車に便乗させてもらい、「SPEED」の曲を流しながら関越道をひた走る。「SPEED」は、先輩のお気に入りでした。途中休憩をはさみながらも、約5時間で到着した。丁度お昼だったので、まずは腹ごしらえをしなくてはいけない。高田駅近くの定食屋さんへ入り、豚汁定食とカツ丼を食べた。東京では考えられない量と安さに驚いた。素朴な味付けで、とても美味しかったこと
書類を届けるために、ちょっと離れた大きなお寺さんへ行った。駐車場に車を止めると、まずはお堂の前に進み合掌礼拝をする。それから、受付のある会館へと緊張しながら向かう。初めて行くお寺だったのだ。さて、入口の扉をあけ中に入ろうとすると、いきなり「おはよう」と挨拶をされた。しかも、かなり高めの声で。「んっ」と不可解に思いつつ声のする方に目を向けると、「九官鳥」だった。少し驚いたが、せっかくなので、こちらも「おはよう」と挨拶をした。受付の方によると、毎日挨拶をし
京都創生連続講座in東京第1部午後1:30~午後4:30古典再発見!!【前半】「京ことばで語る源氏物語~野宮の別れ・「葵」「賢木」~」女房語り:山下智子(朗読家)100年くらい前の京の町屋辺りの言葉に訳された『源氏物語』の朗読を聞くというもので、朗読の前に「御息所」にまつわるイメージを「深く重たい秋」と表現されてから「葵」「賢木」「野宮」のあらすじと、「賢木」から「暁の別れ」の一部を原文で朗読された。私には女房文学が女房言葉で書かれていたか