ブログ記事14件
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人のNagi/凪です。今回は、『こころの清流を求めて~上座部仏教比丘たちのご指導による日常生活の中の仏陀の教え~パーリ語ダンマパダ』ウ・ウェープッラ大僧正協力・監修北嶋泰観編集・発行の書籍から、引用して紹介いたします。🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸ダンマパダ第一対(句)の章1、(第一偈)
'may'はもうジョンの祈りだね...'asone'は統一と云う意味合いではなく、孔子の言うところの和、「和して同ぜず」の和と読みたいアルバム「IMAGINE」のイメージ映像集に未発表映像約15分を含む恥ずかしながらオーマイラヴのギターはジョージだというのをその日知った、そして、そのレコーディング風景を観ていてついつい目頭が熱くなり、、(>_<)歌詞は俳句や禅に影響を受けたということのよう曲も詩もシンプルで、禅の精神が入った・
(よき人に出会えるように、自分を高めましょう)よき仲間と共に過ごせば幸福な時間が増えていく聖者たちに会うのは善いことだ。彼らと共に住むのは常に楽しい。愚か者たちに会わずにいるなら、常に安楽にいられるだろう。(法句経206)◎共にいるだけで多くを学ぶ「善知識」(ぜんちしき)と聞いても一般にはなじみが薄いことばでしょう。よい知識のことではなく、仏教では「仏道へ正しく導く人」を意味する語で、仏門の師や高僧、またよき友(善友)をさして使われることもあります。この句の「聖者たち
人間に生まるること難しやがて死すべきもののいま生命あるは有難し「法句経182」生きとし生けるものの多い中で、人間として生を受けるということはなかなか稀なることであります。その受け難き人身を受けましても、この肉体の生命には限りがあります。今日「人生百年」といわれていますが、いくら長生きをされても、いつか必ず死がおとずれます。そのやがて死すべき生命が、今日まだ亡くならずに日暮らしができている。これほど有難いことはありません。◎数年前、毎日新聞に読者の投稿がありました
因果応報(いんがおうほう)や自業自得という言葉を聞いたことがありますか?この「因果の道理」は仏教の基本原理と言われています。ものごとには必ず、原因(タネ・内因)があってさまざまな縁(外からの条件や環境)が、組み合わさり働きかけあって果(結果)が生じます。この因果の法則は三世に及ぶ、と言われていて結果がすぐに現れる場合もありますし、次世代になる場合もあります。いつ現れるか分かりませんが、善い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある、、、、という
(人のことをとやかく言う前に!)人の過ちをあげつらうよりわが身の過ちを改める他人の過失は見やすく、自分の過失は見がたい。人は、他人の過失は籾殻(もみがら)のようにまき散らし、自分の過失は巧みに隠してしまう。狡猾(こうかつ)な賭博師が骰(さい)の目を隠すように。(法句経204)◎過ちをおかしたときこそ人間が問われる他人の過ちや欠点というのは目につきやすく、自分の過ちや欠点はなかなか意識できないもの。しかも、他人の失敗を見つけては騒ぎ、自分の失敗はうまいこと隠そうと
自分がしてほしくないことを他人にしてはならないすべての者は暴力に怯(おび)え、すべての者は死を恐れる。わが身にひき比べて、殺してはならない。殺させてはならない。(法句経129)◎自分の身に起こることを想像せよ殺すな、殺させるな、という峻烈(しゅんれつ)なメッセージを放つことばです。「わが身にひき比べて」とは、自分の身に起こることを考えてみろ、ということ。暴力をふるわれてもあなたは平気か?理不尽に殺されてもあなたは平気か?想像せよ、そして自分がしてほしくないことを
投げつけた砂が自分にかかるように愚行は自らの災いを招く汚(けが)れのない人、清浄で罪のない人を害する者があれば、災いはその愚かな者に返ってくる。風に逆らって塵(ちり)を投げれば、その人に戻ってくるように。(法句経125)◎弱者へのいじめや暴力を断つ相手を困らせようと、砂をつかんで、えいっと投げつけても、逆風であれば戻ってきて自分が砂ぼこりを浴びることになります。お釈迦様は、罪のない人を害することをそうした愚かな行為にたとえて、自業自得を教えることばにしていま
(陽炎(かげろう)画像参照)この世は陽炎(かげろう)のようなもの無常を覚(さと)れば心は自由になるこの世は泡沫(うたかた)のごとしと見よ、この世は陽炎(かげろう)のごとしと見よ、このように世を見る人を死王が見つけることはない。(法句経170)◎心身を整えて苦を生む原因を断つ!この世は泡沫や陽炎のようなものだと知るなら、死をよぶ魔王もあなたを見つけることはできない.........。万物は移り変わり、この世はいっときの夢のようなもの。その「無常」という真理に目
礼儀を守り年長者を敬う人にはよいことがどんどん増える常に敬礼(きょうらい)を守り、年長者を敬う人には、四つの事柄が増大する。すなわち、寿命と美しさ、楽しみと力である。(法句経109)◎常に礼と敬意をなくさずに!「人は必ず陰徳(いんとく)を修(しゅ)べし。陰徳を修すれば必ず冥加顕益(みょうがけんやく)あるなり」という道元禅師のことばがあります。「陰徳」とは人に知られずによい行いをすること。「人は必ず隠れた善行を積むべきだ、そうすれば必ず目に見えない加護や目に見える利
幸福と出会い喜ぶものはみな美しい仏たちが現れるのは喜びだ。正しい教えが説かれるのは喜びだ。集団が和合しているのは喜びだ。和合している人々が修行に励むのは喜びだ。(法句経194)◎「法悦」(ほうえつ)とは仏の教えに出会う歓喜!この句の因縁話を紹介すると.............祇園精舎にお釈迦様が住んでいたとき、五百人の出家僧が一堂に会いして「この世の幸福とは何だろうか」と議論しました。「それは愛欲だ」「王位だ」「米や肉である」などさまざまな意見が交わされまし
煩悩の火を消してから心ゆくまで笑おうなんの笑いか、なんの喜びか?心は常に燃えているのに、心は暗黒に覆われているのに、なぜ灯明を求めないのか。(法句経146)◎その笑いは喜びとは無縁笑ったり喜んだりしているなら一見ハッピーな光景なのに、お釈迦様はなぜこんな水を差すようなことを言うのでしょうか?燃えているというのは煩悩の炎、心を暗黒に覆うのは※無明の闇です。その炎を消しもせず、暗闇から抜け出そうともせず、本当の幸せとはほど遠いところにいるのに、あなたたちは何を
(将来いい芽(良いこと)がでるかは、今を大事に生きることです。)悪の行為は敵への仕打ちのように自分を苦しめる無知な愚か者は、自分に対してまるで仇敵(かたき)であるかのようにふるまう。そうして悪業(あくごう)を重ね、苦い果実を実らせる。(法句経66)◎苦を生まぬよう悪因を断て仇敵、たとえば親の仇(かたき)といったら怨み憎しみの対策の対象の最もたるもので、出会ったらとことん苦しめてやろうと思うものです。無知で愚かな者は悪を行う。それは自分に対して「仇敵」にする
(日本人の健康食はこれです)人を非難せず食事は質素に独(ひと)り自分を見つめる時間を持つ人を非難せず、傷つけず、戒律をよく守り、食事には適量を知り、独り静かに坐り臥(ふ)し、心を整えることにつとめる。これが諸仏の教えである。(法句経185)◎日本人の生活規範を支えたものここでは仏の教えによる生活がより具体的に述べられています。戒律とは修行僧が守るべき生活規模で、自発的に守るべき「戒め」と、場合によっては罰則もある他律的な「律」を合わせたもの。この句の
今日は暑かったです。私は、午前中は父と買い出しへ。午後は、PCをサクサク進める予定だったんですが、昼食後私室に用事があって、入ってついつい座ってしまったのが、不味かった・・・そのまま、枕元に置いておいたコミックを読んでしまい、読み終えてPC部屋へ行こうとしたところへ、今度は、レディが入ってきて、一緒に寝よう!と誘惑をΣ( ̄○ ̄;)明日はまた、家の事で1日外出ですし、昨日までも、バイトから帰宅後、外出等多かったので、レディの誘惑に乗って、少しだけとお昼寝し