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太平洋戦争末期の1944年、東京の若い保母達が、空襲から園児を守ろうと、まだ学齢期に満たない子ども達を連れて、蓮田市高虫(旧平野村)の妙楽寺に集団疎開しました。この史実は、当時全国で初めての“疎開保育園”として、久保つぎこ氏により書籍化(「君たちは忘れない疎開保育園物語」)され、その後2019年、平松恵美子監督による映画「あの日のオルガン」として全国公開されました。まだ20代前後の若い保母たち10名ほどが、親と離れて不安定な約50人もの子ども達の安定した生活を作ろうと、およそ1年もの間
その人は私たち家族のところへやってきて、「I先生にはお世話になりました」と深く頭を下げた。叔母は95歳の誕生日を迎えた4日後、静かに逝った。独身を貫いたため、子供は無く、自分の兄の息子たちに見守られての旅立ちだった。幼児教育に捧げた一生だったため、葬儀には、古くからの教え子たち、その父兄の方々、後輩の先生方、と数百人をこえる弔問客が叔母の死を悼んで訪れた。その中の一人の先生が紹介してくれたのがこの映画だった。タイトルは、「あの日のオルガン」、第二次世界大戦の終わりのころ、20代
『あの日のオルガン』(2018年日本)新年あけましておめでとうございます本年もよしすけブログをどうぞよろしくお願い致しますそれでは、今年の一本目。選んだ映画は『あの日のオルガン』太平洋戦争中に学童疎開をした話は映画などで何度も観たことがあったけど保育園児たちが疎開したというのを聞いたのは初めてだった。それがお国からの指示ではなく園児たちの身を案じた年若い保母さんたちの発案だったとは…(否、むしろ、お国は幼児たちのことなどこれっぽっちも考えていなかったのだ)幼子と
2019年2月に公開された映画『あの日のオルガン』(平松恵美子監督)。平松恵美子さんは、山田洋次さんのもとで長年、助監督を務めてきた人です。映画の公式サイトはこちら。映画あの日のオルガン太平洋戦争末期、日本で初めて保育園を疎開させることに挑んだ保母たちの実話を描く『あの日のオルガン』が2019年2月22日(金)公開。託されたいのちを守りぬこうとするヒロインたちの奮闘を描いた真実の物語。www.anohi-organ.comこの映画は、第二次大戦中、東京から埼玉に保育園児を集団疎
映画「あの日のオルガン」に登場する「疎開保育園」のモデルとなった妙楽寺のある地元・埼玉県蓮田市。「映画『あの日のオルガン』を支える蓮田市民の会」のメンバーであり、蓮田市議でもある榎本なおさんの記事のリブログです。戦時中の「疎開保育園」の記憶を、市としても郷土史としてしっかりと後世に伝えていくべきという趣旨の一般質問を蓮田市9月定例市会で行なったとのこと。地元に残された記録が丁寧に紹介されていて、映画「あの日のオルガン」の原作『あの日のオルガン〜疎開保育園物語』(久保つぎこ著)を補完する内容
みなさん、蓮田市文化財展示館を訪れたことはありますか?市役所本庁舎へ行く手前の左側にあります展示内容を一部ご紹介します先土器時代から中世までの市内各地で発見された土器などを展示する考古コーナー黒浜式土器埼玉県の“歴史と民俗の博物館”にも、蓮田市の遺跡・土器のことなどが展示されており、学術的に、国内でも貴重なものとのことです。鎌倉時代から室町時代にかけて死者の供養のために建てられた板碑(板石塔婆)や近世の信仰に関わる石造物などを展示する中世・近世コーナー2
「あの日のオルガン」集団疎開---東京大空襲の戦火を逃れた保育園2018年製作/日本配給:マンシーズエンターテインメント監督:山田洋次主演:戸田恵梨香、大原櫻子第2次大戦末期に保母(保育士)たちが幼い園児たちとともに集団で疎開し、東京大空襲の戦火を逃れた「疎開保育園」の実話。1944年、第2次世界大戦末期の東京。警報が鳴り、防空壕に非難する生活が続く中、品川の戸越保育所では園児たちの安全を確保するため、保母たちが保育所の疎開を模索していた。ようやく受け入れ先として見つかった埼
今日見た映画の方が、こどもの日にふさわしい映画だったかもしれない…ま、でも、あまりにも切ない話、見ているだけでツラくなっちゃう映画だったので、ふさわしいとは言えなかったかもしれないですけど…太平洋戦争末期の大変な時代のお話です…映画「あの日のオルガン」、実話をもとに作られた映画のようです…日本初の「疎開保育園」のお話らしいですよ!主役の主任保母さんが戸田恵梨香さん。もう一人の主演が大原櫻子さん。そして、1000人を超えるオーディションで保母役に選ばれたのは、佐久間由衣、三浦透子、堀
緊急事態宣言が出されましたこんな時と思う人もいるでしょうしかし、こんな時だからこそ里山再生を体験してほしい1日1組限定の「ヤギと暮らす家」興味ある方はメッセージくださいね
https://www.scmp.com/news/hong-kong/education/article/3074514/coronavirus-hong-kong-secondary-schools-should-reopen香港ではコロナの封じ込めが出来つつあるとして学校を4/20より開校かと言われ始めている。今、すでに学校が閉校になって1カ月半も経つ香港だが、学校閉鎖はたまらんと、イギリスへ、韓国へ、日本へ、とけっこう早い段階で人は学校の空いている国に移動してしまっている。今知り合
今年一番面白かった映画教えて!面白かったでないとダメですか?良かったと面白かったは全く別物なので…観て良かった映画はあの日のオルガン岩合さんの猫とじいちゃんこれも良かったけれどとても良かったけれどあの日のオルガンは日本人なら見てほしいと思える映画でした戦時中、疎開保育園があって、命がけで子どもたちを守った保母さんたちがいたことを、多くの人に知ってほしいと思いました観に行った日の記事です映画「あの日のオルガン」▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
はすだ観光協会主催の"蓮田の映画舞台『あの日のオルガン』を歩く"というイベントが9月15日(日)に開催されました疎開してきた子ども達が歩いた道を、実際に歩いて体験してみよう!という企画で、桶川駅から、疎開保育園の舞台となった「妙楽寺」(蓮田市高虫)までの全7.0kmを歩くものです。途中で、周辺の蓮田市高虫・上平野の神社や史跡などを訪ね、妙楽寺では関係者から、映画や実話に関するお話をお聞きしたそうです。埼玉新聞の記事にもなりましたのでこちらもご覧くださいhttp://w
映画#あの日のオルガンの試写会参加。「疎開保育園」を初めて知った。実話だというが、子どもに「文化的生活を」と奮闘する保育士達のセリフも含めて脚本が最高!私がこれまで観た#戦争映画の中でベスト1だと思う。11月22日㈮市川市内にて自主上映決定!ぜひ、ご覧ください。
いよいよ、来月7月には、全国に先駆けて、市と市民グループ共同での地域上映会が行われますその上映会に先立ち、今月末に私たち、映画「あの日のオルガン」を支える蓮田市民の会の定期総会を開催いたします詳細は以下の通りです。≪日時≫2019年6月29日(土)14:00~16:30≪場所≫蓮田市立図書館視聴覚ホール≪内容≫定期総会~当会の活動報告などメイキングDVDの放映記念講演「疎開保育をめぐる平野村地域協働保育の実り」講師:西脇二葉氏
関東の皆さんへ映画「あの日のオルガン」で取り上げられた疎開保育園。この疎開保育園の園児だった方を取材した企画ニュースが放送されます本日、4/24(水)午後6時10分~52分NHK総合の首都圏ネットワークの企画ニュース。https://www4.nhk.or.jp/P350/これまで、NHKは幾度もこの疎開保育園の史実と映画「あの日のオルガン」を放送の中で取り上げてくださっています。また、この疎開保育園の企画ニュースはNHK総合「おはよう日本」にて5/10(金
本日、ザキちゃんはお休み❗朝一で妻を駅まで送り届けてその後、バイクでソロツーリングにでも行こうかと思いましたがどうも天気が、今一なのでやめて置きました。仕方なく、暇潰しにイオンシネマの有るショッピングセンターに行きました。取り敢えず何が上映しているかを確認すると、40分後に始まる「あの日のオルガン」が有りました❗まあ、暇潰しに観てみるかな券を買ってからフードコートでラーメンを食べ、ちょうど良い頃合いで劇場に入りました。ほんの暇潰しのつもりでしたが良かったです❗泣かされました
最近、映画を観てもブログに書き忘れていたことが多かったのですが、この映画はすぐ書いておこうという作品。「あの日のオルガン」をAC東員で今日(4月15日)観てきました。太平洋戦争末期にあった「疎開保育園」の実話を映画化したものです。前にも書きましたが、AC東員の作品チョイスがなかなかいいんですよね。この映画自体は、ほかの劇場で2月22日から上映されていたものですが、遅れても東員で上映されることがうれしいのです。
「あの日のオルガン」この映画は、上映館が少ないですなので、お近くの劇場では上映が無いかも知れませんでも、この映画こそ広く多くの人に観て頂きたい映画です映画が始まってすぐ笑いに包まれますその瞬間にも、過去の戦争を知る私たちには同時に涙も溢れて来ます笑って泣いて笑って泣いて笑って泣いて・・・忙しいです、しかし、尊いです大人も子供も本当に愛おしいです戦争は絶対にしちゃいけないんですもう一度、観に行きたいと思いま
3月12日火曜日映画、あの日のオルガンを家族4人で観に行った。実話からの映画という事で、ハンカチを忘れずにねと、先に見た友達から言われていた。母は昭和10年生まれで、生まれた時から戦争があったんだなと、母の子どもの頃の話を聞くきっかけになった。戦争の時代に生まれ、波瀾万丈の人生を生き抜き、今も消えそうな命の炎を燃やして生きているんだな、もっと大事にしたいと思った。母は、最初の歌の場面あたりから、懐かしいのか、子どもたちが歌う姿が可愛すぎるのか、涙ぐんでいた。私の隣だったから、身体の調
こんばんは。先日、発表会後に映画へ。。。“あの日のオルガン”上映会場が限られており初枚方の映画館へ🎦これは、戦時中の保母さんのお話✨内容を書くと内容みたくない方は、この先読まないで下さい🔻東京のある園で保育をしてる中空襲のサイレンが鳴り、、、防空壕へ逃げる日々。。。小学生は、疎開してる中、幼児は親から離せないという理由から疎開できていませんでした。そこで、保母(保育士)の案で園児を連れて疎開する案を提案✨親御さんは、喜ぶどころか反対😧強制は出来ないとい
新聞評見て(そこそこ以上の評価)見に行きました。退屈でした。見ながら泣いている高齢者も多かったけれど、それは、演出の「えぐさ」にひかかっているだけです。ま、子役の演技の「ベタさ」は仕方ないです。女優陣がとてもショボかったです。「おい、見ている人、感動しろよ」という演技なのです。そんな女優陣の中で、橋詰功の演技が、もっと「浮く」のがとても悲しかったです。彼も、女優陣、下手だな、と思いながら参加していたでしょうね。汗。
神奈川県内、上映している映画館が少なくて、いちばん行きやすいと思ったのが、今日行った「横浜シネマ・ジャック&ベティ」でした昔、テアトル鎌倉が大好きだった私には懐かしさを感じる映画館でした以前から黄金町にジャック&ベティがあることは知っていましたが、観に行く機会がありませんでした「あの日のオルガン」が上映されているとわかって、ようやく行く機会ができましたこのリーフレットに書かれている内容をだけ書きますね1944年の東京、20代を中心とした若手保母たちが、国の決定を待たず、日本で初めて園
地元、蓮田市が舞台となった映画「あの日のオルガン」、私も1年前から、市民プロデューサーとなって応援をしてきましたがいよいよ、いよいよ、いよいよ2月22日から全国劇場公開スタートです早速、新都心にあるMOVIXさいたまへ、家族と観に行ってきました家族も、いい映画だったと。上映後に、戦争のことや蓮田での逸話などいろいろと話すことができました。なかなかこうして家族一緒に観られる映画ってないですよね。試写会も含めれば、既に4回も観ていますが、見るたびに違う思いもめばえ、やっぱ
先日1月30日、念願の映画の舞台となった地元、蓮田市での特別先行試写会が開催されました場所は蓮田市総合文化会館ハストピアのどきどきホール約2年ほど前にできた新しいホールです。http://www.hasudacity.jp/1118.htm参加者はなんと600名、ホールは満杯監督の平松恵美子さん、エグゼクティブプロデューサーの李鳳宇(リ・ボンウ)さん、企画の鳥居明夫さん(シネマとうほく代表)、配給の舟橋一良さん(埼玉映画文化協会代表)、埼玉県知事代理の新田さんら、映画製
疎開保育園の舞台となった「妙楽寺」の地元、蓮田市ならではのことですが、当時の疎開保育園にまつわる思い出や逸話、歴史を知る方々との出会いがありました。できる限りではありますが、こちらのブログで、“疎開保育園の記憶”シリーズとして、随時ご紹介していきたいと思っています。今回は、映画を支える蓮田市市民の会のメンバーの一人、北本市在住の石井徹さん(現在80歳)から伺ったお話です。「けんちゃんとミドリちゃん」私が生まれたのは1938年、映画「あの日のオルガン」の舞台とな
先日12月14日、埼玉県先行試写会が埼玉会館小ホールにて行われました。これは、埼玉県内全市町村での上映運動を広めるべく、蓮田市長や各団体が呼びかけ人となって後援ほか関係各団体の皆様に対して行った特別試写会でした。マスコミ関係者の方々も含め、およそ400名の方がご参加くださり、会場はいっぱいに開会時には、呼びかけ人代表としてさいたま市私立保育園協会会長であり、わらしべ保育園園長の剣持浩さんがご挨拶してくださいました。そして平松恵美子監督からのご挨拶戦
先日、11月25日は、第二次世界大戦中、東京の戸越保育園と愛育隣保館の幼児たちが親元を離れて、埼玉県蓮田市の妙楽寺へ疎開してきた日。つまり、疎開保育園が開設された記念すべき日でした地元、映画を支える蓮田市民の会主催でこの日、その出来事を記念して妙楽寺にて定例会が行われました。この定例会では、映画の原作本「あの日のオルガン」(久保つぎこ著)と絵本「けんちゃんとトシせんせい」(高木敏子作狩野ふきこ絵)とを蓮田市内の小中学校や図書館などへ置いてもらえるよう
11/25は妙楽寺に疎開保育園が開設された記念日です先日、当会ではこの記念日に合わせて、定例会を行いました。当会の会員や、地元の方々など56名の参加をいただき、74年前、桶川駅から6.2㎞のでこぼこ道を歩いて、蓮田市の妙楽寺までやっとたどり着いた園児たちに思いを馳せながら、今後の映画上映に向けた取り組みを検討する定例会となりました。(疎開保育園には53名の子どもたちがいたので、大体同じくらいの人数ですね)蓮田市長にもご出席いただき、当会からこの映画の原作本「あ
先日、疎開保育園の舞台となった埼玉県蓮田市の妙楽寺にて、映画を支える蓮田市民の会の定例会を行いました。妙楽寺の総代、石井様をはじめ、疎開園児たちと一緒に国民学校へ通った方や、当時の平野村のことを知る方、映画を応援してくださる方、新聞記者の方も参加しての会となり、話も尽きず、盛り上がりましたあれ?なんだか本堂内が新しいような?そうなんです。当時すでにボロ寺だった妙楽寺はその後建てかえられていましたが、実は8年ほど前に罹災し、火事で燃えてしまったため、6年程