ブログ記事9件
神戸にあった伝説の財閥鈴木商店の大番頭金子直吉の次男で哲学者の金子武蔵先生について調べていて、不思議なことに気付いた。武蔵先生の『わが心の自叙伝』という手記には、私の両親は生活の本拠を変えること六回、私に至っては一家をかまえてから九回の多きに及び、しかもその間に一家離散の時期さえ含まれている。まことに故郷喪失の典型のようなものであって、心のふるさとなどありようはずはない。しかしこの私にもふるさとに準ずるものがないわけではない。それはしいていえば須磨であり、とくに一の谷山荘である。たし
✡✨✨『一ノ谷』‼。。。『須磨の浦』‼。。。上へ上へと!!…上がって行くと〜‼️⛰️⛰️すごく綺麗に整備されている♪✨✨『モルガン灯籠』『モルガン石灯籠』『モルガン石灯籠』は、モルガンユキと呼ばれる本名・加藤ユキが贈ったものです。モルガンユキ14歳で芸妓となったが、アメリカの大富豪のジョージ・モルガンと出会い1904年に横浜で結婚、そしてアメリカに渡りました。その後パリに渡り、現地の社交界でたいへんな話題をよびました。1951年に『帝劇』で「モルガン
異人山(一の谷)の幻の異人館旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)この異人館の南側にあった芝生の庭で大正の初めにジョン・ホールと地元医師らがローン・ボールに興じたそうだ。ジョン・ホールというのは、志茂田景樹『汽笛一声』によると、明治5年5月7日〔太陽暦6月12日〕に新橋~横浜間の仮開業の際、シャープ・スチュアート社製の機関車を運転した鉄道技師らしい。新橋横浜之間鉄道之図『横浜鉄道蒸気出車之図』https://ja.wikipedia.org/
神戸新聞NEXTに「モルガンお雪も住んだ「異人山」当時の灯籠、今も」とある。モルガンお雪が異人山(一ノ谷町二丁目)に一年ほど住んでいたらしい。安徳帝内裏跡にある安徳宮とモルガン灯籠モルガン灯籠の一つにモルガンユキと母の名前が刻まれている「モルガンお雪」(本名・加藤ユキ、1881~1963年)は、アメリカの大富豪モルガン家の御曹司に見初められた事で有名。モルガンお雪をモデルにした宝塚のミュージカル「モルガンお雪」https://designroomrune.c
旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)http://kobemtsh2006.blog79.fc2.com/blog-entry-636.htmlを参照。旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)http://kobemtsh2006.blog79.fc2.com/blog-entry-40.htmlを参照。旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)http://kobemtsh2006.blog79.fc2.com/blog-entry-
異人山(一ノ谷二丁目)の異人館渥美健一『神戸異人館』より
雪化粧の異人山(一ノ谷町二丁目)の異人館雪の降ることが極めて珍しい一の谷では、数十年に一度のレアな一枚旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)渥美健一『神戸異人館』より
異人山(一ノ谷町二丁目)の雪化粧の異人館越しに眺めた須磨浦(一の谷海浜)雪の降ることが極めて珍しい一の谷では、数十年に一度のレアな一枚旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)広瀬毅彦『風見鶏謎解きの旅』挿絵より
異人山(一ノ谷二丁目)の異人館群右手奥のサリーちゃんの家のような異人館が旧ダンロップゴムイギリス人クラブ(旧塩田迎賓館)渥美健一『神戸異人館』より