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こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズです。前回の続きです。念願の父(畠山政長)の敵討ちをするべく出陣した畠山尚順(ひさのぶ)だったが細川政元の軍に敗れてしまう。一方、畠山尚順と手を組んで将軍の座を取り戻そうとする足利義尹は延暦寺の力を借り入京しようとしていた。【坂本の戦い】越中守護代・神保長誠(じんぼうながのぶ)に匿われていた前
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズを書いていきたいと思います。細川政元のクーデターによって、室町幕府第10代将軍・義材が幽閉さらに越中国へ逃亡。そして、相続争いの当事者だった畠山政長の自刃により畠山家の争いは終結したかに見えた。だが、まだ争いの火種は残っていたのである。時代は畠山政長が自刃してより四年後の明応6年に新たな戦いが起きるので
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズです。応仁の乱のその後の続きを書いていきます。長い対陣の末、南山城の国衆の国一揆によって畠山両陣営は京都と河内へ、それぞれ引き上げた。その後、畠山義就が死去してしまいます。畠山義就の後を畠山義豊が跡を継ぎます。そして新たな戦いが始まるのです。【高屋城の戦い】・畠山義豊が義就の跡を継ぎ畠山政長は畠
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日の「歴史の裏側教えます!!」は、戦国時代の幕開けについて書いてみました。おそらく、これは人によって捉え方が違いますので、戦国時代の幕開けのキッカケの一つとなった出来事を書いてみたいと思います。戦国時代が始める前、応仁元年から11年間に渡って繰り広げられた「応仁の乱」。畠山家の家督争いに端を発し、各守護大名たちが、己の利権を含めて東西に別れて争
秋田で三成の墓を訪ねてみた蓋と城帰命寺に残る三成の墓.三成生存伝説.六条河原から脱出した三成が、佐竹義宣を頼ってこの地で帰命寺を開いたというのが秋田に残る三成生存伝説なのです...●石田三成[1]・[2]・[3]●畠山義豊の墓Yahoo!ロコ-Yahoo!JAPAN成田山不動尊の境内奥に、畠山義豊の墓があります。小さな墓ですが、この日も花が飾られていて、それなりに大事にされている感じです。応仁の乱は、細川...一色徳保のお墓お墓ネットネット上のお墓で