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【能登レポ②】能登を発つ前に案内して頂いた曽々木の海岸。窓岩と呼ばれるシンボルが崩れていた。波に削られて穴が空いた様はいったいいつから存在するのか。隆起した海岸線はある種の美しさをはなつ。地震直後の隆起した海岸ではウニや牡蠣が取り放題となっていたので海の幸で食い繋ぐことができたという。自然の脅威と恵みの併せわざである。海岸からさらに奥に行くと珠洲市へつながるトンネルが塞がっていた。隆起した海岸線の地盤に新たな迂回道路を作ろうとしているらしい。そして埋もれたトンネルの
こんにちはLaMureハーバルライフサポーターのnaoです。先日、お仕事で広島に行ってきました。初訪問です。いつかは訪れたいと思いながら、小学生の時に視聴覚室で見た『はだしのゲン』の映像が脳裏に焼きついていて、その凄惨さに直接触れることが少し怖かったのです。原爆資料館は、資料や展示を見ても、当時の方々の苦しみは、平和な日本で生きている私には到底共有できるものではなくて、この時代でも世界のあちこちで必死に生きている人がいる事実に悲しくなるばかりでした。ただ、遺された被爆者の方々の
不思議なもの
今週の「わたしに従ってきなさい」ガラテヤ2:20生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。「キリストとその福音に畏敬の念を抱く」2022年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会わたしには,大学教授を定年退職した,多くの著作を持つ,聡明で,何より,強い決意を持ったイエス・キリストの弟子である
『祈り』、これは、精一杯の努力をしながらも、自分の力では、どうしようもなくなって、自然界・人間界の創造主(超越的存在)に力を乞うことである。『私も持てる全知全能を駆使し、力の有る限り尽くし、努力します。どうか、志が叶う道を誤らないないようにお守り下さい』…。そこには、敬虔な気持ちと畏敬の念がある。これを抜きにした『祈り』は、『神頼み』の類であり、志が満たされない結果になった時、『恨み』の気持ちがでる。祈りが通じなかったのは、自分がなすべきことを怠ったことに、原因があり、謙虚に反省すべきで
[Amebaグルっぽ]日中の暑さを避けて、仕事が終わった18時過ぎからウォーキング夏至から1か月半過ぎて、日没に向かって空の色が変わっていく時刻。空を見上げると、その不思議な色、形に心を奪われることもしばしば。ある日の浦和の空。雲の隙間から見える残日が、まるで天から地上へさす光のようでした。別の世界に、空の向こうに誘われる(いざなわれる)ような気持になりました。このまま、吸い込まれたら辛さも苦しさも忘れられる、一瞬そう思いましたが、地上でも癒しがあることにすぐに気
子育てしてると、とにかく自分ひとりの時間がナイ!!私も、とにかくひとりになりたかった。ゴミを捨てに、コンテナに行くたった数分もトイレに入っているたった数分もそれはそれは、貴重な時間だった。「どこにも連れて行ってくれなくていいから、私をひとりにして!!」それが、こころの叫びだったと思う。でも、よくよく思えば、それは子どもに限ったことではない。パートナーとだって、親だって、いつもいつも一緒だと息が切れてしまう。
人はそれぞれの色眼鏡で人生を見ています。今の色眼鏡で少し生きずらくなっていたり、自分の考えが凝り固まりそのコリをとりたい時などは、自然やアートに触れることがおすすめです。人間はアートや自然に触れると心からすごいと思える畏敬の感情が湧くそうですが、この畏敬の感情は今ある自分の認知の枠組みの更新を必要とします。みなさんも自然の雄大さに触れた時に自分自身の存在の小ささを感じ、そんな自分の悩みなんてさらに小さいことだ。なんて自分の見えていた世界が
今週の「わたしに従ってきなさい」マルコ1:22人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。「キリストとその福音に畏敬の念を抱く」2022年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会わたしには,大学教授を定年退職した,多くの著作を持つ,聡明で,何より,強い決意を持ったイエス・キリストの弟子である,愛する友人がいます。彼は,会議や学術的な調査,またツアーの案内のために,何度も聖地を訪れたことがあります。彼によると,主が歩まれた地を訪
偶然の必然か、必然の偶然か何かのきっかけかもしれず、もしかしたら兆しかもしれない。それとも、警告だろうか?人は、森羅万象の変化に畏敬の念を持つべし。'Little'FugueinGminorBWV578·LeopoldStokowski·SymphonicaOrchestra·JohannSebastianBach
今日は教室で過ごす時間の長い生徒さんがいたので、空き時間にいろいろなゲームに興じました。立体四目並べ、将棋、どうぶつ将棋、英語ウノ、トリンカなどでです。知らない人のために、英語ウノとトリンカについて説明しておきます。英語ウノは、ルールは普通のウノと同じなのですが、カードに英語の質問が書いてあり、カードを出しだ人はその質問を読み上げ、次の番の人が答える、というものです。答えられなければ山から一枚引かなければなりません。"Canyouplaytennis?""Yes,I
仏像のはなし令和の時代にーーー仏像、つったって、、、それは京都や奈良、、、あるいは美術館の話で平成生まれの人たちは仏像への崇拝ーーーそんな感覚はない。鎌倉の大仏さまに向かって手を合わせて祈る、、、というスタイルは知ってる。だから、中学生だって、小学生だって合掌🙏する!平成生まれは33歳、それ以前の世代の方がたぶん、人数は多いかな?でも昭和生まれにしたってもう、戦後生まれの人が77歳になるようです。これは、、、何かが、何か大きく変わった‼️日本人の感覚は
①裡(うち)内。内部。うち。※自身の裡に潜む恐怖②畏敬(いけい)崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。※「畏れ」おそれ多い、かしこまる気持ち。③軽薄(けいはく)言葉や態度が軽々しくて、思慮の深さや誠実さが感じられないこと。※「思慮」注意深く心を働かせて考えること。④終焉(しゅうえん)生命が終わること。死を迎えること。⑤聡明(そうめい)物事の理解が早く、賢い。⑥突っ伏す(つっぷす)急に顔などを伏せる。⑦朗らか(ほがらか)心にこだわりがなく、晴れ晴れとして明るい
お家の裏に、春の雪解け水が流れています。僕たちは、時間の流れを見たり感じたりしているつもりでもそれはあくまで「相対的」なものに過ぎないんだな。久しぶりに会った親戚の子を見て「大きくなったね〜僕も歳をとるはずだわ〜」なんて、人はほっときゃ時間の流れなんて意識しない。時間が流れていくなんてのは、そもそも本当に起こっているのかどうかなんて僕たち凡人には証明できないし。でもね、この課題をクリアしないと演奏家、あるいは音楽を誰かに教える側に立った時に大事な事を伝えられない気がする。だから、今まで
「4次元奏法」なんて偉そうな事を言ってきましたが、達人の方々は普通に時間の流れを身にまとって、「音で音楽を描く」事が当たり前になっている。「いけてる」演奏の魅力が何か、「正確さ」だとか「音程」だとかそういう「俗っぽい」事を言っているうちは2次元、3次元の域から出られない。僕は何十年も悪い意味、こんな音楽の見方ばかりやってきたんだけど、今は演奏する時、見えない時間軸を少しだけ感じている。きっかけはこれ「Awe」体験。宇宙や自然に畏敬の念を持った。止まっている空間に時間軸の流れを感
皆さん✨あけましておめでとうございます🌅毎度お馴染みの松陰神社で初詣写真を撮る萩にゃんと遭遇して記念写真を撮ってもらった1/5でーす。松下村塾開塾180年記念&国史跡指定100年記念特別御朱印を頂いてきました〜!枚数限定なので、欲しい方は急いでどうぞ〜!1/7の朝8:30から七草粥を頂けるので是非そちらも💕さて年末何してたのかと申しますと…12/30は家族で下関の彦島八幡宮へこの春、巣立つ娘のたっての希望で海響館(水族館)とペトログラフに行きたい!を叶えるために……女子高生
キリスト教的唯物論神を描いた絵画とはただの絵具と紙に過ぎず神の銅像は銅の塊に過ぎないそこに対する崇拝は相対的な崇拝であって神への直接の崇拝ではないそこに相対的な崇拝をすると言うことは形のない神と言うもの自体に畏敬の念崇拝をすることこそが大事なのである・・・それを現代中国に当てはめれば関帝廟や孔子廟などはそれを崇拝するのは自由だがそれは大衆の中に根付いているから大衆の総体として認めるのであってそれはあ
聖霊は私たちに降りてくる触れることができる、具体的に!具体化させ、癒し、かいふくさせる私たちの様々なケースの中に入り、平和と愛を提供する聖霊来てください!7つの賜物をもたらせてください!!教皇一般謁見・カテケーシス・聖霊の賜物②「聡明」(2014.4.30)www.archivioradiovaticana.va
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「上喜撰」とは宇治の高級茶のことで、カフェインのゆえか4杯も飲めば夜も眠れないことに、黒船来航の驚き、恐怖をかけた歌である。「たった四隻」というところにシャレが効いているわけだが、見たことのない巨大船が、黒い煙をモクモクと吐きながら洋上に浮かぶ姿はいかにも不気味に見えたに違いない。四隻が数百隻にも、数千隻、数万隻にも感じられたのであろう。面白いのは、同じ黒船をはじめて見て警戒心とともに津々と湧く興味を抑えきれず、闇に紛れて乗り込もうとした日本人もいるところだ。得体の知れないものに接すれば
日本人にとっての神とは、信じる者だけに救いの手を差し伸べる排他的な神ではない。人間は皆生まれながらに罪人だと宣言する恐ろしい神でもない。ただ土地の人々のそばに寄り添い、見守るだけの存在だ。たとえ目には見えなくても、人とともにあり人とともに暮らす身近な存在だ。この国の人々にとって、神は人の心を照らす灯台だ。もとより灯台が船の目的地を決めてくれるわけではない。航路を決めるのは人間だし、船を動かすのも人間だ。何が正しくて何が間違っているのか、灯台は一言も語らない。静まり返った広大な
人生経験の多い方からはその方の経験値においてのいろんなことを教わることが多くありますね。ましてや先人の教えともなれば私たちが一生かけても経験することができない知識やまたその知識より深めた徳慧を学ぶ事ができますね先人先生とも言える方々畏敬してやまないですね
世界中を旅しながら筆文字で笑顔になる幸せの種まきを目指している筆遊旅人Keiです。http://tabi-iki.com/本日もご覧くださりありがとうございます。(*^^*)********屋久島の地図を見ると里にその面積にしてはかなり多めの神社があることに気が付きます。今回の旅では神社はお参りできませんでしたがなぜその数が多いか、後になってわかった気がします。屋久島が神秘的なのは・・・山岳信仰と深いかかわりがあるからでしょう。山岳信仰とはご存
老人の祈り老人の深き祈りあり.......想いは宙にゆらめき宙にまふ.......
どうも「ポストコロナ」との言葉には違和感しかない。蓮舫氏ではないが、なぜ「アフターコロナ」ではダメなのか。何かしら、凡人には理解しがたい意味を含ませているのだろうが、それが何とも言葉遣いをつまらなくさせている。それほどに「コロナ」の存在を重視しているのだろう。そもそも、コロナは目に見えず、ただ自らの生存活動に終始しているだけである。その生存に畏敬の念をもち、適切な距離を保って共存をつづけることはけしてむずかしいことではなく、またこれまでもそうやって共存してきたわけである。いわば、われわれのエ
「或る人へ」2005年11月21日貴方は20年ほど前に弟の作品を観に来られた。その静かではにかんだような眼差しの奥には深い哀しみが宿っていました。馬が好きで、馬の写真ばかり撮っている、と語られた。若き頃はプロボクサーであったと。貴方の優しさは殴り合いには不向きだったでしょう。日常の生活において寡黙な魂を保持し続けた不屈の意志。昨年に久しぶりにお会いした時、その表情に深い諦念が顕れていましたね。私が最近馬の写真は撮られているのですか?と聴くと、『今は撮っていません』と下を向いたま
奈良公園で鹿を見たときのさみしさで思い出したのだが、クマ牧場でクマを見たときもさみしかった。より正確に言えば、「さみしさ」とは別の感情なのかもしれないが、他にしっくりくる言葉も思い付かないので、取り急ぎ「さみしさ」ということで進める。登山したことがある人はそれなりに理解してもらえると思うけど、熊ってめちゃくちゃ恐いのである。熊自体でなくても、熊っぽい気配とか、熊がいた痕跡めいたものを目にするだけで、かなりビビる。なんなら熊に限らず、山中で出会う野生動物は何であれかなり恐い。鹿も怖い。デカい
アッレマンスレッテンアッレマンスレッテンアッレマンスレッテンAllemansrättenAllemansrättenAllemansrättenなるほどですよね☺️スウェーデンの哲学的な生き方自然は誰にも所有出来ない汚してはいけない共生すると恩恵があるコロナ禍の時代には尚更響くなぁ🎵自然は誰にも所有出来ない!倫理観としてもとても大切ですよね。
絵画、音楽、映画、演劇など芸術に触れると心の底から「スゴイなぁ」と感嘆します。ポジティブな感情が生まれ、健康にも良く、人生の満足度も上がると言われています。すごく納得できます。最近美術について勉強しております。「美術鑑賞プログラム」を受けているのです。私は元来の絵心ゼロ。美術など無縁の人生で、そもそも全く分かりません。分からないからこそ、知らない世界を知り潜在意識を活性化させたい。たった一度の人生を楽しみたい。と思い、受講しました。結果、最高に楽しいです。ポジティブな
カトリック要理・・・・■聖霊の七つの賜物…イザヤ書2章1~3節の記述に基づき、カトリック教会は聖霊が人間に与える七つの賜物を教えている。上智(知恵)sapientia・聡明(理解)intellectus・賢慮(判断)consilium・剛毅(勇気)fortitudo・知識scientia・孝愛(神さまを愛するこころ)pietas・敬畏(神さまを畏れるこころ)timorDominiの七つである。■聖霊降臨は教会の暦の中で復活祭に次ぐ祝祭の一つとして盛大に祝われ