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山田太一さんが東日本大地震後にスペシャルドラマのために書いた「キルトの家」「時は立ちどまらない」「五年目のひとり」の脚本をまとめたもの。放送局も時期もキャストも違うのだが、震災被害に遭った人に寄り添い、正面から受け止めて、そして山田太一さんらしいファンタジー要素も加えて描いている。山田太一さんのように言いにくいことをちゃんと口に出して相手に伝えるようなドラマ、もっと見たかったな。配信ではなかなか見られないし、脚本が載っている本や書籍を探していこうか。時は立ちどまらない~東日本大震災三部作
昨年お亡くなりになったシナリオライターの山田太一さん。この本は彼が残した様々な名作ドラマ、例えば「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「思い出づくり。」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」「冬構え」「シャツの店」「今朝の秋」「丘の上の向日葵」などについて、ご本人が書いた文章を掘り起こしてまとめたもの。うん、これは神企画だ。そして、宮藤官九郎さんがこの本の解説文を書いている。宮藤さんが山田太一さんの脚本をどう思っているのかがわかるのが嬉しいし、楽しい。それにしても…上にタイトルを書いたド
昨年11月に旅立った山田太一さん。彼に未発表のシナリオがあったことを初めて知ったのは、2月に神田の古書店を巡っていたときでした。「書泉グランデ」に入ったのは、何年ぶりか忘れるほど。2月のライヴ参戦時に投宿したホテルが神田神保町でしたので、ライヴ開始までの時間を古書店めぐりに充てたという次第です。未発表シナリオは、「ふぞろいの林檎たちⅤ」、「男たちの旅路<オートバイ>」、「今は港にいる二人」、そして初シナリオ作品である「殺人者を求む」。山田太一さんの真骨頂は「会話劇
「若い者は、おとぎばなしを本気にします。国のために勇ましく戦って死ぬのも悪くないと思うでしょう。国のために死を決意する、国のために命を捨てる、本当にそうだったですか。一部の、思い上がった指導者のために、苦し紛れに考え出した、むちゃくちゃな攻撃方法のために、どれだけの若者が死んだか、日本人が死んでいったか、いや、殺されたといってもいい。本人はともかく、残された家族はいったいどうなるんですか。それが、それがあなたの言ってる、勇ましいことですか。勇気ということですか。私はそうは思
お知らせです‼️山田太一全作品インタビューを、スタジオジブリの小冊子『熱風』で連載させていただくことになりました✨5月号(5月10日刊行)からです!いきなりですが、定期購読は急いでお申し込みいただく必要があります!詳しくはnoteに書きました!山田太一全作品インタビューを、スタジオジブリの小冊子『熱風』で連載します!|頭木弘樹6年間222回の全作品インタビュー2017年6月28日から2023年9月20日まで、途中にコロナ禍による数カ月の中断をはさんで、約
NHKのTVドラマ男たちの旅路家族で欠かさず観ていたゴダイゴのミッキー吉野が担当してる音楽がすごく良くて、サントラ盤まで買ってしまったくらい好きだったそれにしても…俳優陣には魅了されまくった鶴田浩二さん桃井かおりさん水谷豊さん毎回なにかと重く考えさせられる人間ドラマだったように思う劇伴の効果というものを実感させられたドラマ挿入歌も秀逸…ゴダイゴだもんね
中条静夫さん中条静夫(ちゅうじょうしずお)本名:中條靜雄(読み同じ)1926年3月30日生まれ、1994年10月5日、満68歳没。東京府八王子市出身の俳優。1948年、大映東京撮影所に入社。大部屋俳優として通行人役から出発し、1954年の『金色夜叉』『馬賊芸者』あたりから脇役として台頭する。1971年12月の大映倒産まで在籍し、その後は福田恆存の主宰する劇団欅を経て、劇団昴に所属。1961年、文芸ロマンス映画『お琴と佐助』(大映)監督:衣笠貞之助原作:
第3部から2年が経ち、その間に山田太一は身障者と話す機会を持ち、そんな彼らを主役にした脚本を書きたいと思うようになったとリーフレットに書いています。本来ならば第3部の3話目「別離」で桃井と死別した鶴田が何処かへ旅経つシーンで終わりにする予定だったが、視聴率も良いし上記のような欲求も出てきたので、失踪した鶴田を探し求めるところから書き出そうと考えたという。「流氷」それがこの第1話です。桃井と死に別れて、そのまま今までの生活を続ける意味を失い、列車を乗り継いでいたら最果ての地・根
今朝も椅子に座りこれを書いている。腰、明確に悪化、夜中痛みで目覚めそれから寝直せず。家事再開(食事後の片付け)が原因なのだろう。絶対に外せない営みが元凶な場合、一体どうすればいいのか?整体の先生は「動きながら改善できる。動き方を自分で模索するしかない」と言うけれど、1年以上それが見つからない。左足親指、まるで変わらず。痛がゆい。舌だけは元に戻ってくれたのか?ありがとう。★昨日は「男たちの旅路」(車輪の一歩)という山田太一脚本のドラマをyoutubeで見つけた。1979
このところの当ブログで、1973年にTBSで放送された『それぞれの秋』について書いています。僕は毎回楽しみにしていて、脚本家・山田太一さんの名前を覚えました。もうひとり、このドラマで覚えたのが「桃井かおり」さんです。既に『赤い鳥逃げた?』(1973藤田敏八監督)など映画に出ていましたが、僕がこれらの映画を名画座で観た方があとでしたから、桃井さんの演技が観たのは『それぞれの秋』だったと思います。小倉一郎さん演じる主人公の妹(高沢順子さん)が入っているスケバン・グループのリーダー役で、なぜか
*シルバーシートロンドンに通信員として赴任していた志村喬は羽田空港へ行き、当時の生活を懐かしみ、昔話を誰彼となく話したがる。そんな彼が空港で亡くなったことから、水谷と桃井は彼の住んでいた老人ホームへ行ってみると、笠智衆・加藤嘉・藤原鎌足・殿山泰司といった同居人に歓迎される。そんな彼らが突然、都電の車庫で電車ジャックをするがなかなか理由を話したがらない。鶴田が駆け付け説得し、ようやく反乱の理由を聞かされるが、老人ホームに入るにあたり、現役時代のことは綺麗に忘れて単なる男と女と
今夜、第2部の3作品を見終わった感想を。*廃車置場水谷と柴は自分が定められた警備範囲のすぐ脇で痴漢事件が起きてしまい、そこへ鶴田が現れて説教。お前らがやってる靴屋に鞄の修理を持ち込まれたとき、修理が出来るのに断るのか?少しぐらいはみ出したってイイじゃないか?少しぐらい情があってもイイじゃないか?と諭すストーリー。何を云いたいのかは分かりますが、何か表現方法がイマイチ訴えるものがなく空回りしているような感じ。*冬の樹コンサート会場に殺到したファンの間で女子高生が怪我をし
山田太一さん脚本『車輪の一歩』(1977年)は、鶴田浩二さん主演の名作ドラマ『男たちの旅路』シリーズの中でも傑作のひとつとして高い評価を受けた作品です祭文は学生時代に障害を持つ子供達の施設でボランティア経験をしたことがありますその時に障害を持った子供たちと接していて感じた一般社会とのギャップが、ずっと自分の心の中で消えない違和感としてあったのですが、ドラマ『車輪の一歩』を観て、その違和感が具体的に障害者の人々を取り巻く社会のあり方なのだとあらためて思いました司馬遼
昨夜、第1部の3話までを見終わりました。このようなシリーズものの常ですが、最初のうちは登場人物の紹介的な内容になるのは致し方ないのですが、何となくアレ?という感じでした。心に訴えかける感じが希薄というか。自殺の名所といわれる高層ビルから飛び降りようとした桃井かおりが鶴田浩二に生きる意味を諭される第1話。その桃井かおりが警備会社に勤めるようになり、万引きを捕まえながらも許して逃がしてしまう第2話。森田健作(水谷豊と桃井かおりのイメージが強くて、森田健作が出ていたことは忘れて
届いた~‼非常階段、路面電車、猟銃、廃車置場、冬の樹、釧路まで、シルバーシート、墓場の島、別離、流氷、影の領域、車輪の一歩、戦場は遥かになりて正直なところ、この中でストーリーを忘れちゃってるものもありますが、きっと見出すと思い出すでしょう(^_-)。今夜から夕食後に見るのが楽しみです(^_-)-☆。毎晩このカッコイイテーマを聴けるだけでもワクワクです(^^♪。https://www.youtube.com/watch?v=x5zkPbuqzok
こういうNHKのビデオの全面広告はときどき載っているのですが、いつも「あ、これ懐かしいな」とは思うものの、なかなか購入まで至りません。アマゾンやヤフオクで探せばもっと安いんじゃないかな?と思いつつ、結局はそのまま忘れてしまうからです。ところが「男たちの旅路」が無性に見たくなって、ヤフオクで調べてみたら流石にNHKの方は通販価格だけあって安い。https://www.amazon.co.jp/%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C%E4%B8%B
斉藤とも子さん斉藤とも子(さいとうともこ)本名およびデビュー当時の芸名:斉藤友子(読みは同じ)1961年3月14日生まれ、63歳。兵庫県神戸市北区出身の女優。1972年頃、小学6年生の頃、母親を癌で亡くした。同じ境遇の家庭をテーマにした、日本テレビのドラマ『微笑』を見て感激し、それをきっかけに芸能界の道を志す。1976年、NHKで放映された『明日への追跡』(少年ドラマシリーズ)でデビュー。1978年、『若い広場』(NHK教育テレビ)の中のコーナー「マイブック」で聞
昭和村を創りたいと考えています。昭和37年生まれ、62歳の私には様々なハラスメント、今風の常識、嫌煙運動などが我々世代に対するジェノサイドのように感じることがあります。(笑)そこで密かに進めています。昭和、その中でも「偏差値」「学歴」「ハマトラ」「シャコタン」「ツッパリ」を理解してくれる人たちだけでのコロニー、昭和村の建設するという野望。同じ時代の空気を吸った人たち、価値を共有してくれる人たちの共同生活の場を。今のところ、賛同者は子育てに疲弊した私の家内のお追従程度だけですが。「
池部良さん池部良(いけべりょう)1918年2月11日生まれ、2010年10月8日、満92歳没。東京市大森区出身の俳優、随筆家。父:池部鈞(風刺・風俗漫画家)従兄:岡本太郎(芸術家)従姪:安倍昭恵(内閣総理大臣の安倍晋三の夫人)1949年7月19日公開、青春映画『青い山脈』監督:今井正原作:石坂洋次郎「青い山脈」脚本:今井正、井手俊郎音楽:服部良一出演:原節子、池部良、伊豆肇、木暮実千代、龍崎一郎、若山セツコ、杉葉子、薄田研二、藤原釜足映画青い山脈
スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年2月号に、追悼/山田太一――山田太一の創作法を書かせていただきました。6年間の取材を通じて知った、山田太一先生の創作法の一端をご紹介させていただきました。よろしかったら、ご覧ください。小冊子『熱風』2024年2月号の特集は「猫の現代史」です。-スタジオジブリ出版部小冊子『熱風』2024年2月号の特集は「猫の現代史」です。。2024年2号≪雪道中≫口絵FromPakThongChai61(...。www.ghibl
読売新聞に掲載された「広角多角」、片山一弘編集委員の記事を読み込んでしまった。昨年秋に亡くなられた、脚本家・山田太一さんの作品についてだ。2024.1.28付け讀賣新聞東京本社版朝刊掲載紙面より「男たちの旅路」というドラマがあった。昭和51(1976)年から昭和57(1982)年まで放送されていた。特攻隊の生き残りである警備会社の主人公、吉岡司令補(鶴田浩二)、人としての道義とは何かと戦争を体験した世代が、戦後生まれとの価値感の違いに対する強い憤りを描いたドラマ。ドラマを通してその
今日の朝日新聞の朝刊の「ひもとく」の欄で、山田太一の本のご紹介をさせていただきました。よろしかったら、お読みください。ネットにも掲載されています。(ひもとく)山田太一の世界「ありきたり」でない挑戦続けた頭木弘樹:朝日新聞デジタル山田太一はその89年の生涯で、じつにさまざまな、そしてたくさんの作品を残している。私は亡くなる2カ月前まで約6年間、毎週1回ずつ、全作品インタビューを行っていたので、まさにそれを実感した。テレビドラ…www.asahi.com
年末12/30に放送されていた1時間番組「あの日あの時あの番組」を見た。<NHKサイトより>過去のインタビューとそれに関連したドラマ場面を再構成した番組だった。紹介された作品は4つ。TBS「ふぞろいの林檎たち」主題歌「いとしのエリー」は今でも耳に残っているけど、ドラマとしてはあまり好きではなかった。氏でインタビューで語っていた「マイナスを持っている人の方が面白いじゃないか」はその通り。ただ、ちょっと描き方がストレート過ぎたように思う。主役の男女6名が弾けすぎて、小林薫や国広富之な
月刊ドラマという雑誌で、43人の、日本の第一線の脚本家が選んだ、山田太一さんの一本という特集を組んでいるそうです。それぞれの、ベストオブ山田太一ということです。ふと、思いました。私ならば、何を選ぶだろう、と。「獅子の時代」「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」「シャツの店」「早春スケッチブック」五本ならば、すらすらと名前が上がりますが、ひとつとなると、かなり迷います。しかも、これ以外に、単発もあり、「終わりに見た町」「今朝の秋」「ながらえば」など、記憶を辿れば、まだまだ出
自宅を出て駅へ向かい、電車に乗り、いつものように芝居の稽古場に向かう。頭の中では本日の稽古で何をやるかをいろいろと考えているが、ふと町の人々を見回せば、老若男女、実にいろんな人々が目に入る。そんな人々を見ながら弱者と強者について考えた。老人が杖をついてゆっくりと道を歩いている。この人は社会的な弱者であろう。幼い子供たちが保育園の若い女性に先導されて歩いている。この子供たちも社会的な弱者であろう。目の不自由な人が白杖をついて歩いている。この人も社会的な弱者であろう。町行く人々は圧倒的に健康な成人
リアルタイムで見ていたと思うが、今また見たい見てもらいたいドラマである。涙する。
1月3日の朝日新聞「天声人語」の文章を拝借しました。1月1日は夕方からテレビ番組「出川哲郎の充電・・・」を見ようとしていて、緊急速報で能登半島地震が流れ、NHKの画面を見ると、緊迫した強い口調で「逃げて」の叫び声が何度も訴えかけていました。あの緊張感ある叫ぶ女性の声は心に残り、遠く離れた九州からでも後押ししたくなる叫び声でした。そして1月2日の夕方の羽田空港での火災事故、なんで「正月早々」と思った。2014.1.9の朝日新聞のスクラップ記事から山田太一さん(2023.
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と書き出してすぐにお断りさせてもらうと、今年から年賀状を書くのをやめた。幼い頃、年賀状を書くことが好きだった。どんなデザインと文言で年賀状を作るか?それを考えることがわたしのすべての創作の原点のようなところがあった。しかし、大人になってから長い時間が経ち、年賀状は手書きからパソコンの時代になり、通信手段も手紙よりもメールが主流になった。そんな時代の変化に後押しされて、新年のご挨拶を年賀状で行うことに見切りをつけたというわけである。ご
『男たちの旅路車輪の一歩』山田太一さん追悼の意味で久々にDVD見る。スゴイ作品。密度が高い脚本。材料の強さと料理人の確かなウデ。高い評価を受けているだけのことはある。テレビドラマは1979年の時点でここまで到達していたのか。よくもこれだけのものを1回だけの放送のために書いたね、山田太一さん。吉岡がスーパーマン過ぎるかな。(しかし傑作ヒーローものの常で、ヒーロー吉岡は車いすの青年ら、特に斉藤洋介さんに主役を譲り脇役に回っている)でもまさに視聴者の常識を覆し