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「長篠日記」の軍議場面を拡張・再構築した物語の核心本作の脚本的な骨格は、「長篠日記」に記された重臣会議の記述を出発点としながら、そこに登場する人物をさらに増やし、軍議そのものを映画の中心軸に据えた点にある。(C)ミヤオビピクチャーズ史料上の軍議は、勝頼の主戦論に対して宿老たちが慎重論・反対論を唱えたという大枠が伝わるものの、誰が何をどう語ったかという細部は断片的にしか残っていない。宮下玄覇監督はその余白に大胆に踏み込み、十人前後の重臣それぞれに固有の論理・立場・感情を与えた
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。しばらくお休みをいただいておりました。NHK大河ドラマ「べらぼう」の放送が終わり、来年からは「豊臣兄弟」が放送されます。「べらぼう」が放送されました今年のうちに「甲陽軍鑑」に関するこの記事だけは出しておかなければ・・・と本日配信することにしました。「甲陽軍鑑」とは信玄さんの時代を中心に武田家で起きた出来事に加え戦略・戦術などが記された軍学書であり、軍記物で
武田八幡宮で旅の無事を祈願して、国道20号線を諏訪湖方面へ進軍。甲斐國から信濃國へ入ると、瀬沢合戦跡があります。北杜市方面瀬沢合戦の碑諏訪湖方面瀬沢合戦戦国時代、信濃國の小笠原・諏訪・村上・木曽の大将が、甲斐國の武田を攻めようと合議。甲斐國境の瀬沢に布陣。甲斐國の武田晴信は、この動きを察知。信濃勢は不意を付かれ大敗。武田勢は戦に勝つも多数の犠牲が出る。戦死者の屍を九つの穴に埋め塚を造ったと伝わります。九つ塚は洪水などで流され、1基の石塔が残るのみ。甲陽軍鑑に記述されて
正門前から190m進んだ山梨大学北交差点で大学の敷地は尽きます。交差点を抜けた左側に、武田信繁屋敷跡の案内があります。信繁は上述の通り信玄の弟ですが、幼少期には父信虎の寵愛が信繁に向かい、ために信虎は家督を信繁に譲ろうとまでしたため、兄弟で力を合わせて父を追放したという経緯もあり、信玄の忠実な弟だったといわれています。馬の飼育、調教にあたる官庁を馬寮(めりょう=うまのつかさ)といいますが、彼の官名はその長たる左馬助(さまのすけ)で、これを唐風に「典厩(てんきゅう)」と呼んでいたので、「典厩
小杉右近(こすぎうこん)概要甲斐武田氏の家臣。武田信玄の近習。?年ー?年別名左近主君武田信玄氏族小杉氏父母不明兄妹不明妻不明子不明生涯1572年小杉右近は武田信玄の近習として上洛戦に従軍した。天竜川を渡らせたくなかった徳川家康は自身を含め本多忠勝・内藤信成らとともに3000の兵を率いて天竜川を渡河した。家康の予想に反して武田軍はより早く進軍しており一言坂で徳川軍の本多・内藤の軍に遭遇した。徳川軍は撤退を始めたが、武田軍は追撃を始め馬場信春隊が坂の下の徳川
山梨県立博物館で明日まで開催の武田勝頼展を見てきました。織田信長が日本に隠れなき弓取と強いイメージを持ち続けていた勝頼の人生。一門衆から、嫡男亡き後の武田家後継者として駆けずり回った戦場。10年間に及ぶ徳川家康との死闘。長篠の大敗からの領国経営。暗君や愚将と呼ばれる勝頼ですが、むしろ甲陽軍鑑のように強すぎた大将だからこそ、滅亡の道を辿ってしまったのかもしれませんね。信玄の負けない美学、五分をもって勝ちとなす。今の私にもぴったりな心境でした。勝頼展は明日まで開催です。ぜひ、山梨県
私の部署は、・資材購買、・工程管理、・不具合・他人のミス処理、・原価計算、・外注との打ち合わせ、・輸出入業務、・経営者の意味不明な指示に対応、・社内工場への製作指示、・営業からの問い合わせ対応、・変更事項の差し替えなどを包含しています。当然に、部署間、経営者・社員間、会社・業者間との利害関係の調整がメインになるのでストレスが大いに溜まります。なので、仕事が終わって一区切りつくという感覚が全くありません。つまり、エンドレスな仕事の感覚
死の貝―日本住血吸虫症との闘い―(新潮文庫)Amazon(アマゾン)昨日の続きです。感染源が特定できたものの、そこからミヤイリガイのせん滅作戦が大変でした。貝を殺すために生石灰が使われるようになりますが、その効果が分かるまで、発祥地の住民はとにかく田んぼの水路からミヤイリガイを除去しようと必死になります。ミヤイリガイは長さ6~8ミリ程度で、そんな貝を端でコツコツと拾い集めたということです。行政でも、捕った貝を買い取るという活動を始めました。一方で、ミヤイリガイの繁殖力は
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。2025年はどんな記念の年になるのか、武田とみさんと話していきます。美慧:とみさん、改めましてあけましておめでとうございます♪本年もよろしくお願いします。とみ:美慧ちゃん、そして皆さまあけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします♪美慧:勝頼さんの特別展の情報、有難うございました。驚き
川中島の戦いというと、戦国時代最強の武将が激突した最大の合戦のように言われていますが、本質は、天下の行方には関係ないもので、広くもないたいして利益のあがらない土地の取り合いで多くの人を死なせることになった、料簡の狭い大将同士の不毛の戦いです。いってみれば岐阜県の知事選挙のようなもので、どんなに激戦となっても、殆ど意味のないしょうもない戦いなのです。この戦いは武田信玄の強欲さによって起きたものです。越後との国境まで武田の勢力が及べば、国境から遠くない春日山城に本拠地を置く長尾輝虎を刺激す
土曜日の16時49分に公開時事通信英首相、経済好転で賭け14年ぶり政権交代に現実味―総選挙、7月4日実施:時事ドットコム【ロンドン時事】英国の総選挙が7月4日に実施されることになった。「今年後半」を示唆してきたスナク首相が今月22日、早期解散を発表した。与党・保守党の劣勢が伝えられ、14年ぶりの政権交代が現実味を帯びる中、経済状況に好転の兆しが見える今こそ、国民の審判を仰ぐ好機とみて賭けに出たと言える。www.jiji.comBBC【イギリス政権交代】スターマー英首相、新内閣を発足
2024年5月9日こんばんは今日はプロジェクトをずっと別の側面から支えてくださっていた方と大仕事が終わった記念に食事に行ってきましたまた1つ、重しが無くなっていったようなホッとした気分の大切さを知った木曜日でしたねさて、4月中旬頃に大学メンバーと旅した信州各地と長野県の隣県を回る旅もついに今回が最終回となりましたこの旅はとても盛り上がったので終わってしまうのが寂しかったのですが最後に訪ねましたのはこの旅のゴール地点甲府市にあります武田神社です武田信玄の政治拠点、躑躅ヶ
(*'▽')【今日のひとこと】小幡豊後守善光寺前にて土屋惣蔵を奏者に憑御目見仕、豊後、巳の年霜月より煩、積聚の脹満なれ共、籠輿に乗今生の御暇乞と申。
●春日惣次郎・春日昌信(虎綱)の家系図(大蔵道入の娘)香坂氏-Wikipedia武家家伝_高坂氏(harimaya.com)※根津氏-Wikipedia※香坂・香坂・春日家の人滋野直家禰津道直禰津貞直禰津宗直禰津宗道→禰津御料人(正室・武田信玄)春日貞親→春日貞広香坂貞行→香坂宗重娘春日虎綱春日貞親(小次郎)(長野県佐久市香坂、居住)数代春日貞広(大隈守お
3月初めの山梨旅行とお彼岸に行った旅行の事を早く書かないと、4月の旅行になってしまう〜と焦りつつも、もうね、年度末で会社が忙しくて家で家事を終えたらバタンキューの毎日なので一日一回しか更新出来ません山梨旅行では色んな所に行ったので、書き終えるのに4月までかかりそうですさて、私と夫が武田神社様を出ていよいよ昇仙峡へ向かおうと駐車場に歩いて行くと、昨年はコロナで長期閉館していて入れなかった信玄ミュージアムが開いていたのです❗夫と「…入る❔」「どうする❔
(大村博士像ビートたけしのお兄さんに似ていると思うのは私だけ?)2021年12月1日は山梨の生んだ英傑武田信玄公の生誕500周年の誕生日にあたる。県内の皆さんが楽しみにしていた「信玄公祭り」が今年も中止になってしまったのが残念だ。「人は石垣人は城情は味方仇は敵」で知られる武田信玄だが、その聖人君子的なイメージは江戸時代に武家社会で流行した武田流軍学の販促本である「甲陽軍鑑」に負う所が大きいらしい。実際の武田信玄はというと、オヤジ(信虎)を駿河に追放して家督を奪い、
武田信玄生誕500年記念映画『信虎』は、甲斐国の戦国大名・武田信玄の父信虎の晩年を、描いた時代劇息子信玄の「上洛作戦」から始まり、孫の勝頼の最期など武田家の興亡を描いた作品。監督は金子修介、音楽は池辺晋一郎、監修として平山優が参加。孫の勝頼との確執、その後の顛末を描いた物語。黒澤明作品を目指して一流のスタッフが総力を結集した野心作映画『信虎』武田信玄生誕500年記念(11月12日~東宝系全国公開)公式〈”新”戦国時代劇〉#映
昨年発表した悪ふざけ作品。ビューワーで確認したらとんでもないことになっていたので、デバッグしました。修正バージョンをアップロードしました。今月末に本作のキャンペーン予定です、お楽しみに。げんごろう:異聞甲陽軍鑑Amazon(アマゾン)200円
1573年5月13日(元亀4年4月12日)に戦国時代の甲斐の虎の武田信玄が亡くなりました。甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代武田信虎の嫡男として生まれました。先代の武田信虎の時に武田氏は守護大名から戦国大名になり、国内統一を達成します。しかし、武田信虎は武田信玄の弟の武田信繁を跡取りにしようとしたため、武田信玄は家臣達と結託して武田信虎を駿河国の今川義元のところに追放します。武田信玄は武田信虎の領土を継承して隣国の信濃国に侵攻します。その時に越後国の上杉謙信と五回にもわたる川中島
1582年4月3日(天正10年3月11日)に甲斐国の戦国大名の武田勝頼が亡くなりました。信濃への領国拡大を行った武田信玄の四男として生まれ、諏訪氏を継ぎ高遠城主になりました。その頃はまだ本人も周りも武田家の家督を継ぐとは考えていませんでした。しかし、武田信玄の正嫡である武田義信が廃嫡されると継嗣となり、1573年には武田信玄の死により子の武田信勝が元服するまでの後見人として実質的に家督を相続します。強硬な領国拡大をし、一時は武田信玄の時よりも広い領土を治めます。しかし、1575年の長篠
こんにちは。ブログをご覧くださいましてありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。タイトルから、本日は年末に旅をしていた京都の三条夫人のお話がいよいよ登場します。が!先に、まずは御礼をお伝えさせてください老若男女、歴史ファンの多くの方が愛読されていらっしゃる天乃みそ汁さん運営のアメーバブログ「歴音fun」にて年始早々、「甲陽文寛〜甲斐武田2019−2023〜」をご紹介いただきましたその際の記事がこちらです。一番最後のところでたくさんのエールをいただく形
あけましておめでとうございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日は、2021年、生誕500周年を迎えた信玄さんのお人柄が表れている言葉につきまして武田とみさんとお話ししていきます。美慧:お正月3日間は、年始のご挨拶の後はゆっくりしようかな〜って感じましたが、記念の年になりましたし、とみさんとお話ししたくなっちゃってとみ:あら、楽しみたいのね美慧:そうですとも今回
【問題】≪難問≫『甲陽軍鑑』の中で、“信玄公御代に一の無手際なる合戦”と書かれる戦いは、次のうちどれか?【選択肢】志賀城の戦い戸石崩れ三増峠の戦い二俣城の戦い【正解】戸石崩れ【解説】武田信玄は信濃戸石(砥石)城をめぐって村上義清と戦い、敗北を喫したが(戸石崩れ)、『甲陽軍鑑』ではこの戦いについて、“信玄公御代に一の無手際なる合戦”と記している。
先日、テレビをみていたら武田信玄のけとが書かれた甲陽軍鑑の話しが紹介されていたので、つい買っちゃいました。これから読むぞ❣️
1561年10月18日(永禄4年9月10日)に武田信玄の軍師とされる山本勘助が川中島の戦いで戦死しました。諱を晴幸、号を道鬼と言い、武田二十四将、武田五名臣の一人に数えられています。『テストをやまかんでやる』と言う事がありますが、やまかんとは山本勘助を略した山勘が語源です。山本勘助はそのくらい先を読む人物とされています。甲陽軍鑑では天才軍師として描かれていますが、実像はまだはっきりとしていません。山本勘助が立てた作戦が川中島の戦いで使われ、その戦いで戦死したとされています。川中島の戦
本書は、新出文書によって山本菅助=勘助が確定する以前に書かれた、『甲陽軍鑑』からうかがえる勘助の事績をまとめた一冊です。現在も初代菅助である道鬼の事績については『甲陽軍鑑』以外には「市川家文書」で武田信玄の使者として市川藤若を訪ね、口頭で信玄の口上を述べたことしかわからないため、現状では勘介の生涯は本書にまとめられていると考えてもいいかもしれません。※新出文書については以下に詳しいです。『『山本菅助の実像を探る』海老沼真治編』『甲陽軍鑑』に登場する武田信玄の軍師・山本勘助は他に
『甲陽軍鑑』に登場する武田信玄の軍師・山本勘助は他に存在を確認できる史料が存在せず、『甲陽軍鑑』そのものについても後世に編纂された偽書説が定着していたために長く架空の人物、あるいはせいぜい一兵卒と認識されていました。(『甲陽軍鑑』の評価の変遷は『「甲陽軍鑑」の史料論』に詳しく論述されています)『『甲陽軍鑑』の史料論-武田信玄の国家構想黒田日出夫著』『甲陽軍鑑』は武田信玄の重臣・高坂弾正昌信が記したとされるもので、小幡景憲が高坂弾正に仮託して書いた偽書として扱われてきました。その理
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」、武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」織田軍によって成敗された一族家臣たち面々の紹介です。各史料に記された武田の一族・家臣たちの最期勝頼とともに最後まで戦った臣以外の一族・家臣たちの最期は「甲乱記」や「甲陽軍鑑」に詳しく記されています。以下、要約抜粋します。「甲乱記」武田の一族家僕の面々生害の事先づ逍遙軒信綱は、甲州鮎川原にて討たれ、一条上野介信龍は同州市川(上野城)にて討たれ、
Fūrinkazan(風林火山)isaJapanesefamouswordwrittenintheflagofTakedaArmyintheKai(甲斐).OriginalphrasecomesfromSunTzu(孫子).信玄公の御作法は、御小旗の文字に書き給ふ。其古語者、一、其疾如風一、其徐(靜)如林一、侵掠如火一、不動如山一、天上天下唯我独尊(「甲陽軍鑑」より)風林火山、今こそ令和維新!令和維新の歌↓疾(はや)きこと