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2025年8月14日(木)に、ファインモールド社の1/72甲標的[シドニー]を完成できました。3年前に[真珠湾]版を作ったことがあったのですが、改善された様子が良く分かります。潜水艦艇のプラモデルはクジラ型なので、部品が少なく作りやすくてとても良いです。塗装は、艶消し黒の一色なのですが、ほんの少しだけC65インディブルーを隠し味的に混ぜています。組み立て説明図には、詳しい戦況も記されていて、オーストラリアシドニーでは重巡シカゴを外れた魚雷が宿泊船を沈め、マダガスカル島のディエゴスアレスでは戦
1,故郷に眠るさて、岩佐直治の第3回です。真珠湾で戦死後、甲標的(特殊潜航艇)の9人は直治を筆頭に真珠湾攻撃の英雄となりました。ただひとり、酒巻和男だけは脱出した後に失神して海岸に打ち上げられていたところを捕虜となりました。これがラジオで流れると日本にも知られます。日本軍は酒巻だけを削って公表したので、「九軍神」と称されました。10人で映った写真も酒巻だけ塗りつぶされた……真珠湾攻撃航空隊を率いた、淵田美津雄はそう語っています。酒巻は戦後に復員して1999年に81歳で亡くなりま
1,日中戦争で活躍さて、岩佐直治大尉の第2回です。海軍兵学校にて海軍精神を学んだ直治。その卒業直前に勃発したのが支那事変(日中戦争)です。盧溝橋事件当時、直治は少尉候補生として巡洋艦「磐手」に乗艦しており、そのまま戦地へと赴きます。剣道四段の彼は愛刀・関孫六を振るって白兵戦に参加して、多くの敵兵を倒したと伝わります。ただ、本人はどの方面の戦闘に参加したのか、生涯公言しなかったようです(揚子江方面とする資料もあります)ここで戦功を立てたことが、彼のその後の運命を変えたのか……いずれにせ
長嶋茂雄は明るくてユーモラスで、太陽のようなお方であったと盛んに報道されている。異論はないものの、私には子供のころに感じた「厳しくて恐ろしい野球選手」という印象も抜けずに残っている。長島(当時はそういう漢字だった)との対決を重ねた相手チームの投手が、引退後に語った話だったと思う。彼は長島が守備で失策するのを恐れた。エラーのあとの打席で雪辱を果たしに来る。何度か酷い目に遭ったそうだ。合掌。ネットで「グアム甲標的」などと検索すると、グアム島の米軍が保管している特
岩佐直治さん岩佐直治(いわさなおじ)1915年5月6日生まれ、1941年12月8日、満26歳没。群馬県前橋市天川原町生まれの大日本帝国海軍軍人(海軍中佐)。甲標的(前部に45センチ魚雷発射管を備えた特殊潜航艇)による真珠湾攻撃の考案者の一人で、自ら搭乗して真珠湾攻撃で戦死した。「九軍神」の一人。igarasitaさんが2009/12/08に公開九軍神http://youtu.be/ahX0-ksPEIo九軍神は語らず―真珠湾特攻の虚実(光人社NF文庫)/光人
1,故郷に眠るさて、岩佐直治の第3回です。真珠湾で戦死後、甲標的(特殊潜航艇)の9人は直治を筆頭に真珠湾攻撃の英雄となりました。ただひとり、酒巻和男だけは脱出した後に失神して海岸に打ち上げられていたところを捕虜となりました。これがラジオで流れると日本にも知られます。日本軍は酒巻だけを削って公表したので、「九軍神」と称されました。10人で映った写真も酒巻だけ消されています。酒巻は戦後に復員して1999年に81歳で亡くなりますが、甲標的の訓練施設があった愛媛県伊方町の「大東亜戦争九軍神慰霊碑
潜水艦の雷撃で損傷した戦艦第二次世界大戦で、潜水艦に撃沈された戦艦は、英国のロイヤルオークとバーラム及び日本の金剛の3隻です。しかし、損傷した戦艦もあります。1)大和1943年12月25日、トラック島北西150浬で、米潜スケートの魚雷1本が3番主砲塔右舷に命中した。トラック島に入港して、応急修理した。浸水量は2千から3千トンだった。帰国し、本修理の際、両舷の15.5cm三連装副砲塔を撤去して、12.7cm連装高角砲を6基から12基に倍増した。2)武蔵1944年3月29日、フ
「艦これ」令和七年度月次作戦「十二月作戦」各【ランカー提督】及び【キリ番提督&コメント選抜提督群】月次作戦結果発表武勲褒賞を案内、そして順次配信開始!_聯合艦隊基幹艦隊(1~5位)●[誘導弾搭載襲撃機]キ102乙改+イ号一型乙誘導弾★+4●[改良大口径主砲]35.6cm連装砲改三(ダズル迷彩仕様)★+6●[特殊潜航艇]甲標的丁型改(蛟龍改)★+4●[北方面防備艦攻隊]九七式艦攻改(北東海軍航空隊)★+8new!---主力艦隊第一群(6~20位)
潜水艦に撃沈された日米英の戦艦金剛1944年11月21日未明、台湾海峡で米潜シーライオンの魚雷2本を受けて沈没。カタパルトと収容クレーン未装着の金剛潜水艦に撃沈されたアメリカ戦艦は無いロイヤルオーク1939年10月14日、スカパフローに潜入したU47の魚雷1本を受けて火薬庫誘爆により沈没。バーラム1941年11月25日、リビア沖でU331の魚雷3本を受けて沈没。潜水艦の攻撃で損傷した戦艦大和1943年12月25日、トラック諸島沖で米潜スケートの魚雷1本を3番主砲塔右舷に受け
俗に言う3-4ですよ、3-4。今晩和、私です。某所で分岐条件をよくよく見てましたら、初手でDマスへの分岐は、戦艦級+空母系が0で駆逐艦3以上で確定。その後、Hマスでは、初手の条件満たす中でなら、軽巡洋艦+駆逐艦が5以上でLマス確定。そのLマスでは、重巡級+軽巡洋艦+駆逐艦が6でJマス確定。JマスからはPマス(ボスマス)へ固定なので、これで良いんじゃね?ってなとこで編成変わりました。HマスとPマスの2戦で終わりますから、ウィーク
2024.8.4海上自衛隊教育参考館の全景です。ハワイ真珠湾攻撃に使用され撃沈されたものだという特殊潜航艇(甲標的)、特殊潜航艇(海龍)です。大和ミュージアムにも同じものが展示されているそうです。
2024.8.4海上自衛隊教育参考館の屋外展示を見学しました。戦艦「大和」46センチ主砲弾、三景艦「松島」「厳島」「橋立」32センチ主砲弾と、説明書き、特殊潜航艇「海龍」試作3号艇、特殊潜航艇「甲標的」甲型・特型格納筒です。
広島・呉遠征時に立ち寄った「大和ミュージアム」に展示されていた「海龍」(潜水艇)を目の当たりにしましたがそういえばこの呉の隣にある江田島の「海上自衛隊第一術科学校」(旧海軍兵学校)へ昔見学に行った際にそこに安置されていた”甲標的”もあった事を思い出しました*公式Hpより”甲標的”(特殊潜航艇)(自前の写真が無いのは撮影禁止だった為)甲標的といえば開戦時1941年12月8日(現地7日)5隻の甲標的がそれぞれ母船である伊号潜水艦5隻より発進して警戒厳重な真珠
イベント海域設置には間に合いましたが、予定より少し遅れましたかなぁ。今晩和、私です。長良型軽巡洋艦由良の改二改装ですね。大発系等含め、色々な物が装備可能になるようですが、その割に装備スロットが3のままってのは、少し勿体なく感じますね。甲標的なんかも装備可能ですし、この子なりの正解を探るのが楽しくもなりそうです。しかし、対潜値の高い水上偵察機も持参してくれましたし、色々出来そうな子になりましたねぇ。器用貧乏とかになりそうでもありますがwとりあえずは、
※度々お知らせしておりますが、当方のPCの不具合につき、皆さまの全てのアメブロ記事でタイトル部分と本文以外が欠落し表示されません。「いいね」「フォロー」をしていただいてもお返しすることも出来ません。見返りを期待して押される方は申し訳ありませんが、ご遠慮下さい。当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。1938年7月25日、千代田は水上機母艦として竣工。搭載機は当初九五式水上偵察機を補助機合わせて28
今日は真珠湾攻撃があった日です。昭和初年生まれの私の父親は、以前に書いたように、自分は戦争中に生きていたから戦争のことは全部知っていると言い、ゼロ戦は新聞社の飛行機をあれしたものだったから弱かった、戦艦大和は戦争中に聞いたことがなかったから戦後に造られた軍艦だと言っていた人ですが、真珠湾攻撃に関しても、あれは潜水艦でやった、俺はそのときに聞いたから絶対に間違いない、あのときに潜水艦は最初の特攻隊だった、飛行機は関係ないと言っていました。ここで潜水艦と言っているのは甲標的のことで
※度々お知らせしておりますが、当方のPCの不具合につき、皆さまの全てのアメブロ記事でタイトル部分と本文以外が欠落し表示されません。「いいね」「フォロー」をしていただいてもお返しすることも出来ません。見返りを期待して押される方は申し訳ありませんが、ご遠慮下さい。当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。1942年の11月頃、餓島の日米の攻防戦はすでに終盤戦に突入しており、我軍の劣勢は加速していました。
[海軍兵学校]③防空壕など広島県江田島市江田島町国有無番地海軍兵学校は東京築地(旧海軍操練所)から明治21年(1888年)8月江田島に移転し、世界3大兵学校と称された。戦時中、連合軍は海軍兵学校の戦後利用を考えたのか、空襲などは行っていない。見所は2つの校舎(現在の幹部候補生学校と第1術科学校)、職員庁舎、教育参考館、大講堂、戦艦陸奥の4番主砲、特殊潜航艇甲標的や海龍など。海軍兵学校の跡地は幹部候補生学校と第1術科学校など、になっている。見学の案内→海上自衛隊第1術
[海軍兵学校]②甲標的・海龍・魚雷など広島県江田島市江田島町国有無番地海軍兵学校は東京築地(旧海軍操練所)から明治21年(1888年)8月江田島に移転し、世界3大兵学校と称された。戦時中、連合軍は海軍兵学校の戦後利用を考えたのか、空襲などは行っていないため、往時の建物が残っている。見所は2つの校舎(現在の幹部候補生学校と第1術科学校)、職員庁舎、教育参考館、大講堂、戦艦陸奥の4番主砲、特殊潜航艇甲標的や海龍など。海軍兵学校の跡地は幹部候補生学校と第1術科学校など、にな
今日は予定通りの張線、艦載機搭載、錆入れなどを行いました。他にもう一つ前回使用のボートダビットの丈が気になってしまい結局背の高いものに交換しました。あまり目立たないですがメインマストの風速や信号灯、信号兵張り出し部手摺馴染んで見分けがつかないリールなど追加。後部の大型クレーンのワイヤー部が角材のように見えるためプラの角棒にしようかと思ったのですが模型的にオーバースケールになってしまうため真鍮線にしました。マストに軍艦旗を取り付け95式水上偵察機
船体の中央から前回の天蓋、支柱、クレーンを塗装して船体に組み込みました。対になっているクレーンは甲標的の積み込み用ですが短艇の揚収にも使用されているようです。模型でも短艇類を乗せるスペースがあまりなく入れづらいところです。いずれにしても横の手摺は後付けにしようと思います。実艦の天蓋は長さ100m、幅20mで艦上機の着艦を目指したものの当然の如く無理だったので後方に連装機銃3基と探照灯が配置された「機銃甲板」となります。また天蓋は空母時に飛行甲板の一部となるよう
昨日、12月8日は太平洋戦争開戦の日。真珠湾攻撃のあった日です。「真珠湾攻撃」といえば、一般的には日本海軍の6隻の空母から飛び立った航空隊による空襲として認識されているかと思いますが、攻撃に参加したのは飛行隊だけではなかったということはご存じでしょうか?実は空襲の始まる少し前、5隻の特殊潜航艇が真珠湾に侵入を試み、警備の艦艇に発見され戦闘に及んでいます。(映画「トラ・トラ・トラ」でもそのシーンがありますね)「特殊潜航艇」というのは2人乗りの小型潜水艦のことで
[三机湾]特殊潜航艇「甲標的」の訓練基地真珠湾奇襲攻撃訓練の地佐田岬半島のほぼ中央に位置する三机湾。日本海軍はここを太平洋戦争開戦2年前の昭和14年(1939年)頃から特殊潜航艇「甲標的」の訓練基地として極秘訓練を開始した。選定された理由は「ハワイのオアフ島にある真珠湾と地形や水深がよく似ている」から。海軍が駐留していた時は西宇和郡三机村(現在は西宇和郡伊方町)。訓練機関は1ヶ月おきに7〜10日間だったが、昭和16年(1941年)の春頃から常駐訓練になった。三机湾の沖に潜水艦母艦
ファインモールド1/72甲標的[シドニー]はテーマ特型格納筒❺でアップしたものです。[真珠湾]と異なる部分はAパーツのNo10~17をカット同じく魚雷部品No26~33がカットされ画像左のシドニー専用Bパーツが追加されました。その他は後部のステー加工以外基本同じです。大きく変わったところは前部(艦船ではないので艦首とは言わない)のガードの大型化と防潜網カッターでしょう。その他二重スクリューガードと舵の大型化司令塔前にも防潜網カッターを設置して
終戦時、呉のドックに建造途中で放置された「蛟龍」群。安く簡単に建造できる「蛟龍」は、本土決戦への投入なども考えて計画的に生産が進められていた。太平洋戦争末期、コストをかけずに大量の潜水艦を装備するため、小型の潜水艇が開発された。その名は「蛟龍」(こうりょう)。秘められた開発、運用、その戦歴に迫る!戦力化された小型潜航艇「甲標的(こうひょうてき)」は、主に敵の港湾に潜入して戦果を得たが、努力や犠牲に比べてそれはあまりに少なかった。また、小型で航続距離がごく短い「甲標的」を目的地まで運搬
1/350AFVCLUB伊号第二十七潜水艦甲標的搭載型です。ブログ本編、特型格納筒の流れで制作しました。元は伊ー19でFパーツの甲標的とNの専用EPを追加されたものです。Dパーツの零式小型水偵はそのまま残されています。ただ塗装・デカール指示図では水偵を乗せていますが実艦総重量の関係からも止めておくのが無難かも知れません。実際にも甲標的搭載と水上偵察機搭載艦に分けていたようです。早速制作します。フルハル仕様で耐圧殻が入ります。(AFVの潜水艦って
晴天なれど波高し改造された特型格納筒(甲標的)5隻は1隻づつ丙型・伊ー16型潜水艦の後部甲板に搭載されハワイ目指して出撃していきました。彼ら第1次攻撃隊は開戦時刻前に湾内に侵入、航空部隊と同時に攻撃を行うという任務を与えられます。7日午前0時42分真珠湾から10海里地点から順次発進、6時37分駆逐艦ウォードは潜望鏡を発見し攻撃の末撃沈、太平洋大戦最初の攻撃でこれによって日本艦艇最初の喪失となっています。また、コンパス不調のため座礁した酒巻少尉は海岸に漂着したところを
ファインモールド1/72甲標的真珠湾攻撃時です。1997年頃にオイツーのブランド名で発売されていました。早速箱を開けてみると箱の大きさに比べパーツは少なく感じさすがに古いキットなのでバリが目立ちます。それでも1/700を作っている自分にとって1/72はデカイので処理も簡単にできそう・・・です。(スクリューまわりが特にヤバイ)いつものファインモールドらしく組立説明書には甲標的のことを細かく解説されています。※甲標的の開発・運用などは本編テーマ特型格納