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躑躅ヶ崎館レポ第7弾です。その6はからリンクしています。縄張図古府中図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------さていよいよ躑躅ヶ崎館レポも最終章です。その初っ端は、皆さんご存知(だと思う)武将の屋敷跡です。四名将の一角である高坂昌信
躑躅ヶ崎館レポ第6弾です。その5はからリンクしています。縄張図古府中図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------西曲輪の北は荒涼としていますが、往時は味噌曲輪があったそうです。まぁ、何も判らない状況ですが…。ただ…。
躑躅ヶ崎館レポ第5弾です。その4はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------さぁ、この躑躅ヶ崎館で一番楽しみにしていた場所にやってきました。西曲輪の北虎口です。その手前には横堀を渡す土橋が存在します。その風情が、
躑躅ヶ崎館レポ第4弾です。その3はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------大手虎口を出ますと、大手石塁が再現されています。武田氏時代には、丸馬出があったようですが、武田滅亡後にこのような状態になったとか。ちなみに、
躑躅ヶ崎館レポ第3弾です。その2はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------本曲輪に入りました。この本曲輪の縁にも分厚く高い土塁が見られます。すごく撮り難かった虎口付近の土塁。立入禁止区域内にも土塁
躑躅ヶ崎館レポ第2弾です。その1はからリンクしています。縄張図古府中図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------さて、その2も武田二十四将の屋敷跡からスタートです。先ずは、秋山伯耆守信友屋敷跡です。彼も少し地味な印象がありますが、四
獅子吼城での無念さを現地に残し、中央道に乗って甲府市内に向かいました。年末ですが、上りという事で混雑なく進みます。まぁ車の台数はやはり多かったですけどね。全く知らない場所で高速に乗ると、あまり見かけないナンバープレートが見られるのが嬉しいですよね。いつも『愛媛』ナンバーばかり見ていますから。甲府インターで高速を降り、甲府城を横目に見ながら甲府駅の横を通過し、いよいよ躑躅ヶ崎館(武田氏館)に到着しました。---------------------------------
新府城レポ第7弾です。その6はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------本丸虎口にやってまいりました。ここには蔀の構と呼ばれる土塁が立ちはだかっていました。ただ…。イメージが違うんだよなぁ~。
新府城レポ第6弾です。その5はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------大手枡形虎口から西には、曲輪が展開していました。横に長い曲輪でした。この曲輪の南側の場外に向かって土塁が存在していました。
新府城レポ第5弾です。その4はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------城の東側には、横堀の痕跡が残っています。その名は首洗池。この首洗池には堰堤が残っていました。これで、貯水をコントロールしていたのでしょうか
新府城レポ第4弾です。その3はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------続いて帯曲輪を歩いていきます。笹のような中に道ができていました。その3でも書きましたが、緩斜面の主郭方面。築城にもう少し時間
新府城レポ第3弾です。その2はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------搦手虎口の背後には、馬出状の曲輪があります。どのような役割の曲輪だったんでしょうこの曲輪の北側、所謂、横堀や湿地帯側には土塁
新府城レポ第2弾です。その1はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------西出構からさらに西に向かいます。途中、水堀と垂直に走っていく空堀(横堀)を発見しました。曲輪を区切っている感じですね。僅か
この日から独りぼっちになります。あの水曜どうでしょうの四国八十八箇所3で、ミスターと安田さんがいなくなった、大泉さんの心境です。って判りますそんな独りぼっちの状況で、またもや朝早く出発です。向かうは、山梨県、そう甲斐国です。それにしても、暗い国道52号線は怖かった両サイドが山に囲まれる道で、民家及び街頭が少ない峠道。遅い車もあるし、早い車もいるしで、しかも早起きでやや眠気もありましたし、知らない道ときているので甲府盆地に到達した時は、ほっとしましたそんなこんなで7時前に、この日
初めてリブログ機能なるものを使ってブログを書いてみます。先々月に、今年の年末の予定を書いたんですが…。その行動予定を、ほぼほぼ決定させましたまずは、初日、城巡りの遠征では必ずと言っていいほど使用している、始発の特急しおかぜに乗り、岡山から新幹線に乗り静岡へ。その日に向かうのは静岡市街に残る丸子城です。この城は丸馬出や技巧的な虎口、さらに横堀や竪堀が残る城のようです。山城なので午後の時間を丸々使うと思いますがもし時間が余っていたら、徳川家康の隠居城であった駿府城、もしくは、