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金はどこから来たのか?金はどのように地中で生まれ、なぜ日本は『黄金の国ジパング』なんだ?そして、甲州金とはなんなのだ?『日本は金龍?なぜ『黄金の国ジパング』なのか?(地龍ととも⑥)』“地龍とともに”シリーズの⑥となりますが、けっこう、原初的なお話です。こちらの続き。『金(GOLD)はどこからやって来たのか?(地龍とともに⑤)』わたしは…ameblo.jpこちらの完全な続きとなります。3月31日に迫った本栖湖ツアーのプログラムの構築に関してほんの数日前に手に入
便秘と鬱の私達が歩き始めた理由はこちら今までの"まとめ"はこちら【本日のコース】甲府駅→山梨県護国神社→宮前通り→どて焼き下條→甲府駅1時間4km(呑と見学は除く)地図の仕様でコースは正確に表示されません地図上の緑色を歩くとgood【竜さんのプラン】Y先週まで流行風邪で辛かったから気分転換したいわねRそうだねぇなんとも言えないモンモン感あるものね💦Yお出かけして温泉なんて良いわねRゆみさ
出たぁーーーーーーーーーー!!4日目👊ここまでくるともう双龍さまに太鼓判を押されているよう✨語源・由来|「太鼓判を押す」「お墨付き」人のことを認める・保証する時の表現|世田谷自然食品高価な品物や電化製品には、その品物の性能や安全性、価値を確かなものとする「保証書」がついてきます。では、昔は物の価値を保証する際にどのような方法がとられていたのでしょうか。今回は、そうしたかつての「保証」の方法を由来とする、「太鼓判を押す」と「お墨付き」の、今でも使われている二つの言葉をご紹介します。
前回の続き今回は大手門跡から信玄公御使用井戸までです。下図の龍華池展望台から見た大手門跡です。(グーグルストリートビューより)Google地図です。龍華池展望台は右上にあります。⑧付近から⑤方向は上図⑧付近から⑤角馬出方向です。大手門跡の外側に角馬出が見えます。戦国時代の大手門は櫓門だったと考えられます。現地にある武田神社案内板です。⑨付近に行くと⑨の北側にある宝物殿です。⑨から見た車のお祓い所です。⑩の方に行くと⑩付近から見
午前と午後のレッスンの合間のお昼ご飯の時に近所のスーパーでこの日全国の駅弁の駅弁まつりをしているから母が購入して来てくれると言う事で私も生徒様も山梨の武田信玄公生誕500年記念の「甲州金炭火焼肉弁当」🍱を購入して来てもらいお昼に頂きました😊❣️金粉が上に乗っていて炭火焼きの香ばしい香りがしてお肉の味付けも美味しかったです❣️❣️母の提案で思いがけない駅弁を頂けました🥰💕#ポーセラーツ#ガラスフュージング#フレンチメゾンデコール#クレイクチュール#彩色チャイナペインティング
こんにちはお昼からリッチにスーパーの駅弁フェアで購入したこちらのお弁当をいただきました甲州金炭火焼肉弁当!「武田信玄公生誕500年記念弁当」という特別な駅弁ですね信玄公おめでとうございますもうあれから500年かぁ特製の黄金に輝く包装を取るとお肉の上に…金粉がぁおかずは牛肉とお新香、それに桔梗信玄餅飴のおまけつき食べてみた感想は…焼肉というより牛丼、牛飯の類ですね焼き目みたいのも無いので、境界線がよく分からない(; ̄ー ̄A味つけは薄味のお醤油ベースで吉野家に近いこう
NCAの落札品が到着しました。今年の収集活動はこれで打ち止めですかねぇ。甲州金一分背定日本1726〜1732日本のコインは円銀も未使用銅貨も小判もみんな高騰してしまい何を狙えば良いのかといった状況ですが、この甲州金を始めとした地方貨や幕末試鋳貨類はこの相場の中でも大きな変動はありません。あまりスラブに入れるようなコインではないので最近の流行りには合わないんでしょうかね。背定は1726年に背重から改鋳された最後に作られた甲州金で、甲州金の中ではやや金純度が低めなため白っぽくなって
こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうござます。ブログ管理人の高坂美慧です。生誕500周年で信玄さんの面白いネタを探していたところ、やはり、「甲州金」の施策を推し進めた信玄さんだけあって現代の記念品となる「甲州金」もすんご〜いことになっております現代の「甲州金」ぜひお楽しみくださいませ〜まずは信玄さんのお膝元、山梨県甲府市のふるさと納税の一品ですこちらは18金ですが、24金も同じサイトにあります。K18甲斐武田氏の貨幣制度-甲州金一
今日の夜噺は・・・「太鼓判を押す」その人物や品物の質が絶対に良いモノであると保証することを「太鼓判を押す」と言います。「太鼓」?どんな太鼓??大太鼓?皷?調べてみると・・戦国時代、甲斐の武田氏は「甲州金」という金貨を鋳造し、甲斐国内で流通させました。甲州金は、他諸国の貨幣が重さで数える貨幣だったのに対して、枚数で数える貨幣であり、非常に先進的なモノでした。1番価値が高い一両金を筆頭に、その1/4の価値である一分金、更にその1/4の価値である一朱金。。。と分けられていたのですが、こ
こんにちは。いつもブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。武田信玄公、生誕日の本日、無事、丸1歳となりましたこのように続けることができましたのは、お読みくださる皆様のおかげです、誠に誠にありがとうございます本日は、武田とみさんと、これまで1年間で書いた中で、特に人気で読まれた記事についてお話しして参ります。美慧:とみさん、無事ブログが1歳になりました〜本当にありがたいですとみ:本当にお読みくださる皆さまのお
甲州金一分無背日本1608~日本の地方貨幣といえばまずこれが挙がるであろう、甲斐の国(現山梨県)で江戸時代まで使われていた金貨です。背重は前から所持していましたが、ずっと欲しかった無背が漸く手元にきてくれました。大きめのボタン電池のようなコロンとした見た目が面白いシリーズです。甲州金は江戸時代以前は「古甲金」といわれる様々な形状の金貨が一緒くたになって流通している状態でしたが、江戸幕府が誕生した折りに規格の統一がされ、円盤形の金貨として造り直されたのが「新甲金」
皆様こんにちは、交易事件の一向一揆と野武士2倍が楽しみなゆきとむしです。一向一揆の2倍が起請文関係にあるメンバーが集結にいるときのみ有効、というのが少々不便。消化できず終わることもしばしば、改善してほしいですよね。話は変わりまして、最近追加されたアイテムの「甲州金」。皆様使用してますか?今回は甲州金の使い道について書いていこうと思います。甲州金とは・さまざまなアイテムに交換できる甲州金はイベント報酬に含まれているアイテムで、一定数に到達すると甲州金商店にてアイテムと交換でき
和本江戸期甲州金図録「金銀図録」巻3甲州品1冊/近藤守重/絵入古書古文書/木版摺り/古銭/小判です。29丁。半紙本。木版刷り。元題簽。『データ』【書名】金銀図録【巻冊】巻3、甲州品1冊です【著者】近藤守重(江戸後期の探検家。書誌学者。通称重蔵。号は正斎。江戸の人。幕吏として松前蝦夷(えぞ)御用をつとめ、数回にわたり蝦夷・千島を探検、択捉島に「大日本恵土呂府」の木標を建てるなど、北辺の防備に努める。のち書物奉行。晩年は左遷され、不遇のうちに没した。博学で考証にすぐれ、著
こんばんは。ブログにご訪問くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日は、甲州金のお話を武田とみさんとともにお話しします。美慧:年始、とみさんから頂いた甲斐善光寺のGOLD御朱印のお話からの〜年始の本格的なお話は、華やかに信玄公の甲州金からスタートしようかなと思いましてとみ:あら、いいわね美慧ちゃんいい流れね、賛成美慧:ありがとうございますそれで、徳川家康公が、信玄さんのことを実は慕
新甲州金壱朱日本1721~1724流石に書くことが無くなってきましたが甲州金の一朱です。一分、二朱に比べると周囲の玉列が無くなり薄っぺらい見た目をしています。0.9グラムしかない超小型の金貨のため流石に同規格で作るのは難しかったんでしょうかね。同じ厚さで作ったら豆粒みたいな金貨になってしまいそうですし…一朱金は文字がひどく潰れて何書いてあるのか判らないような品も多いですが、これは比較的まともに文字が残っています。それでもやはり他の額面に比べると浅打ち気味です
新甲州金貳朱背重日本1721~1724先日紹介した甲州一分金と同シリーズの二朱金です。一分に比べ厚さや形はそのまま直径だけを縮小した感じの作りになっています。重量は半匁の1.88グラム。二朱は一分や一朱に比べ少し少ないようで、カタログ価格も他二種類にくらべやや高めに書かれています。甲州金は表→裏の順に極印が打たれ、また各極印はこのサイズのコインとしては非常に深く打たれるため裏極印がある箇所の表側はほぼ必ずといってよいくらい図案が潰れています。新甲州金の
新甲州金壱分背重日本1721~1724新甲州金は江戸時代に甲斐の国(現山梨県)で通用していた地方貨幣の一種です。一分、貳朱、一朱、朱中(1/2朱)の四種類があり、小判など江戸時代に使われている貨幣が四進法なのは元々この甲州金を参考にしたからと言われています。日本の地方貨幣は大半が幕府の力が衰え、各藩を押さえきれなくなった幕末に製造されていますが甲州金はその逆で、戦国時代に武田信玄が考案し江戸時代以前から流通していたもの(古いものは古甲州金と呼ばれ区別されます)が江戸時代に入っても特
考古学というと、たいていの方のイメージはインディアナ・ジョーンズや吉村作治氏のイメージになるでしょうか。失われ、埋もれた古代文明を発掘する。そうしたイメージのため、考古学とは古代史だけのものと思っている方が多いのではないかと思います。しかし考古学とは【遺跡・遺構・遺物を考察することにより過去の人類の文化を研究する学問】、ざっくり言うと、「もの」によって過去を研究する学問のこと。「史」という文字が「フミ」とも読み、「文」に通じるとおり、歴史とは、もともと「過去に起こったことを書き留めた記
『第9回恵林寺講座』*「慶長期甲州金の諸相―於曽御蔵入勘定史料の分析から―」数野雅彦甲府市教育委員会*武田二十四将シリーズ第二弾「御一門衆(二)―武田義信・勝頼を中心として―」海老沼真治山梨県立博物館【日時】平成30年3月25日(日)午後1:30~【場所】恵林寺本堂【資料代】1,000円(入館料込み)【座席数】100名(要申し込
【Q13006】「一、腹から声を出す」から「八、物語の世界に浸る」までの全八章からなる、歌舞伎の『白浪五人男』、宮沢賢治の『風の又三郎』、落語の『寿限無』など暗誦に適した名文・名句を集め2002年に日本語ブームを巻き起こした、明治大学文学部教授・齋藤孝の著書は何?【声に出して読みたい日本語】【Q13007】赤塚不二夫のアシスタントを長年務め『おそ松くん』『天才バカボン』などの作画に協力し、赤塚不二夫の葬儀ではタモリらと共に弔辞を読んだ漫画家で、代表作に1979年から『ビッグコミックオリジナル
名古屋市東区にある徳川美術館で開催中の天下人の城展追加情報です。この展示会に行きたい人、もしくは行こうとしている人は次の3つをチェックしておいてください。(1)前期と後期(2)気になる本(3)セットにしやすい施設では順番に説明しますね。【前期と後期】今回の展示会には、前期と後期があります。期間によって展示内容が一部変わります。・前期7月15(土)~8月15(火)・後期8月16(水)~9月10(日)参考までに大坂真田丸図は主に前期ですし、桶狭間合戦で信長が手に入れた義元の愛刀・
勉強会で講師の先生に本物を見せてもらいました。甲州金の表碁石金といわれたものです。表はツルッとしてます。碁石金裏でも、裏はぷくぷくというか気泡ほっくなってます。これで一両だそうで10kgあるそうです。写真を見せて貰ったのですが形状はさまざまなんですよ定まらないというか。。。でも、重さはみんな同じだそうです。不思議ですねぇ重さは統一されてるから金貨か??でも、形状は揃ってないからただの金の固まりか??ほぼ純金だそうです。純金