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スタートから書きますと、職場に妻が迎えに来てスタート。いつもは長坂ICから乗るところを、垂水ICで乗り、淡路ICで即下り。東海岸、R28を南下。いつも行ってる「久留麻」交差点で右折し東浦平成病院のそばにあるブランジェリーフルールでパン購入。そのあとR28に戻り、またまた南下。早めに案内板が出るので分かりにくいのですが淡路市「大谷」交差点を左折。生穂新島の中にあるタカムラコーヒーに寄り、コーヒー飲みながらホッコリタイム。12時出発で、R28を洲本温泉の入り口まで南下。「
日本の遺構100選巡り62ヶ所目は由良要塞跡ですよぉ東京の自宅から高松の実家まで永年勤続休暇を活用した5日間の旅。。フィナーレ迎える地は由良要塞跡大阪湾防衛を目的として大日本帝国陸軍により築かれた要塞も現世では長閑な展望スポットへ友ヶ島もすぐ目の前っ第一から第五砲台跡まで見学可で駐車場からすぐ行けるのが第四砲台跡ビジュアルそのものは勿論のこと長年の月日を経て朽ちた姿がよりノスタルジー感じさせる逸品続いては階段登った先の第五砲台跡結論から言えば
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)433城目は白巣城ですよぉ~八木城登城を以て本州ともお別れし明石海峡大橋を渡りまして相棒と向かうは淡路島続100名城での洲本城址以来7年5ヶ月ぶりの訪島ですな近年数多のパヤパヤスポットが建ちSNSで話題スポットも増えてますケドそんなトコには目もくれず向かいますのは島の中央部に位置し害獣ゲートで強固に守られる至極マイナーな山城跡白巣城跡でございますわよヴェゼルでギリ登れる山道の先に意外にも10
いらっしゃいましぽっけの今ここ日記でございますラピュタっぽいでしょ?弾丸一人旅をしてきました思い立ったのは4日前目的地は和歌山県の友ヶ島の予定で船の運航を考慮して近々の晴れた日だった調べているうちに目的地は深山第一砲台跡となる1人で無人島というのが体力的にもメンタル的にも心ともなかった今回うろうろした範囲出発は5時半目標の6時若干車の流れが悪くなることはあれど渋滞にはならず2時間経過したあたりで休憩海側へ渡ると展望室がありました海側のコンビニでサンドイッチ買って
*「淡路島紀行」シリーズの過去記事は以下に(Followthelinksbelowforpreviousarticlesinthisseries):『淡路島紀行(1)明石大橋を渡って淡路島へ』四月十三日夜、横浜から夜行のバスで小生は一路神戸へ。翌十四日早朝に神戸に到着すると、バスセンターに向かい、淡路島の洲本行のバスに乗った。バスは本州と淡路島を結…ameblo.jp『淡路島紀行(2)成ヶ島』四月十四日、神戸から都市間バスで淡路島の洲本に到着した小生は、路線バスで南
まとめ少しだけ寄ってみたまだ、他にも砲台跡が残ってるので再訪問です。
まいど孤高のソロキャンパーSEASON5マーリ♂です(-。-)y-゜゜゜2.15谷川東オートキャンプ場『ソロキャンLV35場レビュー』まいど孤高のソロキャンパーSEASON5マーリ♂です(-。-)y-゜゜゜わたくしの孤高のソロキャンパーは1年間で近畿二府四県の良さげなキャンプ場…ameblo.jpソロキャンの帰り由良要塞の一つに寄ってみた由良要塞(ゆらようさい)は大日本帝国陸軍の要塞の一つ大阪湾防衛の目的で紀伊半島
**************\テーマ別に読む/・名刺の部屋・推す部屋・旅の部屋ほかテーマ一覧**************⚠文中の不自然な半角スペースは音声入力をしているためです気にせずに読み進めてねm(__)m予定通り2月22〜24日車中泊で淡路島を一周してきました22日の夕方出発して23日の早朝淡路島入りGoogleマップで訪問予定地をどんどん入力していくとこんな感じどういう順序で回るかいろいろシミュレーションした結果なりゆき任せに結果とし
以前からの「大川峠」コースへウオーキングに行くたびに、気になっている事があったそれは、自転車道「大川峠道」にある、深山砲台の背面防御を任務とした、由良要塞の戦争遺跡「大川山堡塁跡」に、いつ行こうかと言う思いを今日、リュックを背負って、新規開拓に行ってきた現地出発は「8:45」である。さて、出発してすぐに見た温度は「3℃」という冷え込みの上に強風という過酷な環境での船出となったが、陽光があるのでまだ気分的にはましである深山公園の駐車場は美しく綺麗で広く、まだ車は少なかった
[由良要塞/加太](明治期)田倉崎堡塁③火薬庫・左翼観測所和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)田倉崎堡塁起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月29日備砲:28cm榴弾砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門標高:107m任務:前方一帯の海面を射撃し以て地ノ瀬戸に対する敵艦の動作を妨害し
[由良要塞/加太](明治期)田倉崎堡塁②28H砲座和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)田倉崎堡塁起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月29日備砲:28cm榴弾砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門標高:107m任務:前方一帯の海面を射撃し以て地ノ瀬戸に対する敵艦の動作を妨害し、兼ねて
[由良要塞/加太](明治期)田倉崎堡塁①右翼観測所和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)田倉崎堡塁起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月29日備砲:28cm榴弾砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門標高:107m任務:前方一帯の海面を射撃し以て地ノ瀬戸に対する敵艦の動作を妨害し、兼ねて
[由良要塞/加太](明治期)加太砲台③観測所など和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)加太砲台起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月27日備砲:斯式30口径27cm加農砲×4門(4座4門)標高:50m任務:地ノ瀬戸を射撃し以て地ノ瀬戸を通過せんとするを妨害す。除籍:終戦まで存続出典
[由良要塞/加太](明治期)加太砲台②砲座など和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)加太砲台起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月27日備砲:斯式30口径27cm加農砲×4門(4座4門)標高:50m任務:地ノ瀬戸を射撃し以て地ノ瀬戸を通過せんとするを妨害す。除籍:終戦まで存続出典:
[由良要塞/加太](明治期)加太砲台①周辺施設和歌山県和歌山市加太1907-2(青少年国際交流センター/旧・少年自然の家)※後日、写真入れ替え予定深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)加太砲台起工:明治35年12月1日竣工:明治37年2月27日備砲:斯式30口径27cm加農砲×4門(4座4門)標高:50m任務:地ノ瀬戸を射撃し以て地ノ瀬戸を通過せんとするを妨害す。除籍:終戦まで存続出典:
[由良要塞/加太](明治期)佐瀬川堡塁③速射野砲砲台和歌山県和歌山市西庄深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)佐瀬川堡塁起工:明治36年5月7日竣工:明治37年5月18日備砲:9cm加農砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門(1座4門)、機銃×4挺標高:9K→139.6m、速射野砲→152.5m任務:和歌山西北の地を射撃し、以て佐瀬川付近に於ける防禦陣地の拠点となる除籍:大正3年備砲撤去→昭
[由良要塞/加太](明治期)佐瀬川堡塁②弾薬庫/兵舎和歌山県和歌山市西庄深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)佐瀬川堡塁起工:明治36年5月7日竣工:明治37年5月18日備砲:9cm加農砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門(1座4門)、機銃×4挺標高:9K→139.6m、速射野砲→152.5m任務:和歌山西北の地を射撃し、以て佐瀬川付近に於ける防禦陣地の拠点となる除籍:大正3年備砲撤去→昭
[由良要塞/加太](明治期)佐瀬川堡塁①9K砲台和歌山県和歌山市西庄深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)佐瀬川堡塁起工:明治36年5月7日竣工:明治37年5月18日備砲:9cm加農砲×6門(3座6門)、31式速射野砲×4門(1座4門)、機銃×4挺標高:9K→139.6m、速射野砲→152.5m任務:和歌山西北の地を射撃し、以て佐瀬川付近に於ける防禦陣地の拠点となる除籍:大正3年備砲撤去→昭和7
[由良要塞/加太](明治期)大川山堡塁和歌山県和歌山市大川深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)大川山堡塁起工:明治29年5月24日竣工:明治30年11月30日備砲:9cm加農砲×2門(1座2門)、機銃×4標高:152.6メートル目的:陸正面に対し深山村付近の堡塁砲台及び軍用建築物を直接に掩護す除籍:昭和7年3月全部除籍出典:「現代本邦築城史」第二部第四巻由良要塞築城史(陸軍築城部)
[呉鎮守府/由良魚雷隊]水雷発射場②陸側の発射室隧道など和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)(呉鎮守府)由良水雷隊(水雷発射場)起工:明治35年頃竣工:明治37年6月1日*出典:アジア歴史資料センター(C05110169500)海軍「第33号由良水雷隊兵舎仮設同発動機室及ひ電燈室仮設同士官室及ひ附属物仮設位置図」出典:近代築城遺跡研究会「
[呉鎮守府/由良魚雷隊]水雷発射場②陸側の発射室隧道など和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)(呉鎮守府)由良水雷隊(水雷発射場)起工:明治35年頃竣工:明治37年6月1日*海軍の諸施設群域石垣の内側(軍道を海に向かって左側)機械室、発電機室、水雷格納庫があったようだ。出典:アジア歴史資料センター(C05110169500)海軍「第33号
[呉鎮守府/由良魚雷隊]水雷発射場①桟橋と諸施設和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)(呉鎮守府)由良水雷隊(水雷発射場)起工:明治35年頃竣工:明治37年6月1日出典:アジア歴史資料センター(C05110169500)海軍「第33号由良水雷隊兵舎仮設同発動機室及ひ電燈室仮設同士官室及ひ附属物仮設位置図」出典:近代築城遺跡研究会「由良要塞1~大
[由良要塞/加太](明治期)男良谷(おらだに)砲台和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)男良谷砲台(深山第3砲台)起工:明治35年11月5日竣工:明治37年8月8日備砲:24cm加農砲×4門(予定)→斯加式30口径12cm速射加農砲(設置/明治38年頃)標高:14.1メートル目的:地ノ瀬戸を射撃し以て敵の艦艇の同瀬戸に対する戦艦の動作を妨害す→変更「男良
[由良要塞/加太](明治)深山第2砲台和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)*写真入れ替え予定あり深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)深山演習砲台着工・竣工:不明(明治32〜36年頃)備砲:28cm榴弾砲(明治43年時点で砲床のみ完成?/大正10年に深山第1砲台から4門移設→昭和4〜5年頃撤去)→24cm加農砲(4座4門/昭和4〜5年頃設置)付属:観測所×2(昭和4〜5年頃撤去)→武式or応
[由良要塞/加太](明治期)深山第2砲台和歌山県和歌山市深山483(休暇村紀州加太)*写真入れ替え予定あり深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)深山第2砲台起工:明治25年1月18日竣工:明治26年10月31日備砲:28cm榴弾砲×6門(3座6門)、15cm臼砲×4門(2座4門)標高:28H→105m、15M→106m目的:前方一帯の海面を射撃し以て地ノ瀬戸に対する敵艦の動作を防害す除籍:深山
[由良要塞/加太](明治期)深山第1砲台②15Mと右翼観測所和歌山県和歌山市深山*写真入れ替え予定あり深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)深山第1砲台起工:明治25年7月10日竣工:明治30年9月30日備砲:28cm榴弾砲×6(3座6門)、15cm臼砲×4門(2座4門)標高:28H→116m、15M→130m目的:友ヶ島・沖ノ島東南の海面を射撃し、以て地ノ瀬戸に対する戦艦の動作を防害す除籍:
[由良要塞/加太](明治期)深山第1砲台①28Hと左翼観測所和歌山県和歌山市深山*写真入れ替え予定あり深山方面の砲台群(深山方面防禦の目的は友島方面防禦と相侍て地の瀬戸を扼し且陸方面に封し深山地方を確保するにあり)深山第1砲台起工:明治25年7月10日竣工:明治30年9月30日備砲:28cm榴弾砲×6(3座6門)、15cm臼砲×4門(2座4門)標高:28H→116m、15M→130m目的:友ヶ島・沖ノ島東南の海面を射撃し、以て地ノ瀬戸に対する戦艦の動作を防害す除籍:
[由良要塞](由良/淡路)小佐毘弾薬本庫②清涼火薬庫?兵庫県洲本市由良町佐毘出典:国土地理院1947/04/12(昭22)USA-M203-17より抜粋出典:国土地理院1970/06/02(昭45)MKK707X-C9-14より抜粋小佐毘弾薬本庫の図出典:近代築城遺跡研究会「由良要塞I~紀淡海峡の近代築城遺跡~」P.136清涼火薬庫新設の件出典:アジア歴史資料センター(C03022603600)陸軍省「清涼火薬庫新設の件」大正12年*火薬庫からさら
[由良要塞](由良/淡路)小佐毘弾薬本庫①火薬庫兵庫県洲本市由良町佐毘由良(淡路島)方面出典:「現代本邦築城史」第二部第四巻由良要塞築城史(陸軍築城部)(赤は廃止/青は終戦時現役/黒は設置予定)出典:国土地理院1947/04/12(昭22)USA-M203-17より抜粋出典:国土地理院1970/06/02(昭45)MKK707X-C9-14より抜粋小佐毘弾薬本庫の図出典:近代築城遺跡研究会「由良要塞I~紀淡海峡の近代築城遺跡~」P.136、加筆
[由良要塞](由良/淡路)由良演習砲台兵庫県洲本市由良町佐毘由良(淡路島)方面出典:「現代本邦築城史」第二部第四巻由良要塞築城史(陸軍築城部)(赤は廃止/青は終戦時現役/黒は設置予定)*由良演習砲台起工:不明竣工:明治28年6月頃(以後、増改築)砲床:20ヶ所、9センチ加農砲用×2ヶ所観測所:2ヶ所出典:アジア歴史資料センター(C02030746300)陸軍省大日記「演習砲台備砲工事及其の構築に係る取扱方の件」(上記3枚とも)出典:国土地理院1947/