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上野界隈といえば、とんかつ屋さんが花盛りです。今回は、老舗「蓬萊屋」さんです。こちらのとんかつもまた独自のスタイルで、美味しいし、食べやすい!今回もごちそうさまでした~!【たけ平今日の一曲】~藤原義江「鉾をおさめて」~「蓬萊屋」さんは、昭和3年に店を構えたそうです。それまでは屋台営業でした。この年のヒット曲が、今日の一曲です。歌った藤原義江さんといえば、やはり、浅草オペラ!浅草オペラ全盛の大正半ば。田谷力三さんと藤原義江さんは、
3月30日が命日・忌日の有名人・著名人1582年(天正10年3月7日)51歳没(斬首刑)武田信廉さん戦国武将武田信虎の子1842年86歳没(?)エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランさん画家1925年64歳没(?)ルドルフ・シュタイナーさん思想家、哲学者人智学を創唱1944年89歳没(?)チャールズ・バーノン・ボーイズさん物理学者万有引力定数Gの高精度測定1950年満77歳没(?)レオン・ブルムさんフランス首相フランス人民戦線内閣の首班197
現在、新宿末廣亭、真打昇進披露興行に出演中です。同じく出演されているのが、漫才のすず風金魚先生。毎回、真打披露興行にご出演の際は、頭の上に新真打の飾り付けを乗っけて高座へ!新真打、まめ平師匠を乗っけています!(笑)ホンキートンク弾先生、たま平さんの姿も見える楽屋で1枚!私が真打になるときも、金魚先生の頭の飾り付け、やっていただきました。新真打にとって嬉しい1コマです!先生、ありがとうございます。【たけ平今日の一曲】~田谷力三「恋
昨日は、歌唄い・川口京子さんの司会をつとめました。童謡・唱歌などを中心に歌唱されるお馴染みの川口京子さんです。川口さんは自らを歌手とは言わず、「歌唄い」とおっしゃっています。ピアノ演奏は、長谷川芙佐子さんです。この3人での公演は、4年ぶり!今回は、大塚のくすのきの郷にて開催されました。第1部が私の落語。第2部が川口さんと長谷川さんによる、童謡の世界。そして、第3部が、「ああ、懐かしの流行歌」と題しまして、私が司会で懐かしい昭和歌謡の数々を歌って
昨日のオペラ・ファンタスティカ、スッペ特集を思いのほか多くの方が聴いて下さったようで、本当に有難うございました。私自身は、夕方5時まで放送を聴き、録音をとったままMETライブビューイングの《ドン・ジョヴァンニ》に出かけました。こちらも素晴らしかった!それで、帰宅して録音を確認しました。そして今朝、テレビを付けたら、不思議な番組が勝手に録画されていました。昔懐かしい『花王名人劇場』。日曜日の夜9時からでしたでしょうか?この放送では、「お年寄りの名人を紹介」ということで、司会案内役には、当
朝から。ギターの音取りと譜面書き。22日に向けての準備。一口クッキー、今日は「ピーナッツクリーム」で。最近お気に入り甘塩っぱさが堪りません。「美味しいよ〜」プリン。カサ・デ・オリーバのママさんからいただいた「プリン」祖師ヶ谷大蔵・プリンで検索すると、「プリン屋ほほえみキッチン」さんでいいのかなしっとりとした舌触りが、美味しゅうございました。「ママさんに聞いてみよう」海藻と毛髪。色々説があって、効き目の方は定かではないのだけれど、これって昔から言われて
〇吉屋信子著「私の見た人」昭和54年朝日新聞社刊〇吉屋信子1896-1973新潟市生まれ。父は内務省の役人で地方官吏を勤めていたようです。吉屋信子は小学校前に新潟市で過ごしたようです。先日NHKの番組で日米開戦時の海軍報道班の平出英夫大佐を取り上げた番組で本書の引用があり、ネットで取り寄せて読んでみました。〇三浦環1884-1946声楽家。蝶々夫人の役で欧米のオペラ界から評価された。上野音楽学校、滝廉太郎の門下。●歌劇「お蝶夫人」で世界のプリマドンナとなった三浦環が帰国し
https://youtu.be/ScdppMEv0Xk恋は優し野辺の花よ田谷力三coveredby東亜樹14歳『東亜樹のページ』入会案内や予定などホームページをご覧ください。公式ホームページhttps://www.azuma-aki.com/後援会入会案内東亜樹は後援会員様のご支援で活動させて頂いてますhttps://www.azuma-aki.com/fun-clubお問い合わせhttps://www.azuma-ak...youtu.be
【♪音楽小旅】(91)田谷力三(恋はやさし野辺の花よ)***気まぐれ(120)の妹編です。この日はJR嵯峨野線(山陰線)の花園駅で降りて、バスで映画村に行きました。花園駅からは歩いても10分ちょっとで着くし、嵐電の太秦広隆寺駅からだと5分なのだけど、なんだかバス小旅したい気分だったのね♪村の中にはここにもそこにもお侍さんがいて、カメラを向けるとポーズを取ってくれます(1~2枚目)。そして、じゃ~ん!「刀を持ってみますか?」、「え?いいんですか?」、で、おバカ写真をゲ
スーパーの総菜コーナーでコロッケ売ってるトコ、この曲流してほしいね~(*^▽^*)おまけ2年前の今頃、こんな記事書いてたなぁ・・・。コロナの「第1波」で、GW・・・(親戚&知り合いン家、買い物以外)ドコも行けんかったわぁ・・・(ノД`)シクシク…でも今やったら、2年前の新規感染者数の倍以上(1日・・・万単位)出てるにも関わらず彼方此方出かけてる俺(^^;
コロッケに入っていて欲しい具材は?愛情❤️🔥冗談は顔だけにしてじゃがいもとうきび(コーン)が入っていたら嬉しいですhttps://youtu.be/7OUlduFcG3U田谷力三『コロッケー(コロッケの唄)』益田太郎冠者』作詞が益田太郎冠者のこの歌は、1917年(大正6年)に帝国劇場で上演された笑劇「ドッチャダンネ」という芝居の劇中歌として作曲されたということです。田谷力三と「ばんくガールズ」による「コロッケー」コロッケの唄(作曲者不明)です。*********
あなたはゼリー派?プリン派?どちらですか?はい、プリンです。そう言えば数十年プリンアラモードは食べた記憶がありませんネ(-д-`)。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう早速、スーパーマーケットでプリンアラモードを買いました。180円ぐらいプリンの下にはカステライチゴジャムに梨?キウイにクリームと甘く美味しかったです。甘いものを食べると元気になりますね。今、思い出しました(・ε・*)昔、オペラ歌手の田谷力三
高輪にあるハンガリー料理屋、「パプリカドットフ」さんに行きましたハンガリー人の方がオーナーシェフをしているハンガリー料理屋さんは、日本でこのお店だけだそうです!店内はの家具や雑貨は、ハンガリーから直接購入しているものだそうで、とても可愛いお店ですハンガリー料理、初体験グヤッシュスープは、絶対に食べてほしいと言われました。ハンガリーを代表するスープだそうですメイン料理やデザートもとても美味しかったですハンガリー料理の味付けは、
はいからさんに登場する実在の人物原信子さんは名前だけしか聞いたことがないんですが田谷力三さんって私が子供の頃はまだご存命で、思い出のメロディーとかで、歌声も聞いた覚えがあります祖母が好きだったみたいです覚えているのが、もうお歳もあったと思うんですがボーイソプラノみたいな柔らかい細い声で優しそうにニコニコしていらっしゃる。舞台を観ていて、若い頃はこんなだったのかなと楽しんで見ていましたが今日、お家でCDを整理していてもしかしたら………母の持っていたCDを亡くなったあと、私が
母は、東京・日本橋浜町で生まれました。大正2年10月生まれ👶関東大震災が大正12年9月1日ですから、母は10歳になるホンのちょっと前だったことになります。母からは耳にタコができるほと、聞かされました。アノ日親とはぐれてしまった事。知らないオジサンにずっとくっついて歩いた事。知らないオジサンは「〇〇ちゃんのおかあさんいませんかぁ!〇〇ちゃんのおとうさんいませんかぁ!〇〇ちゃんを知ってるひといませんかぁ!」と叫びながら、母の手を引いて歩き回ってくれたそうです。10
スマホのアラームがび~って鳴って予定を知らせてくれます。ああ今日は歯医者さんだ。とかイオンで歌のイベントだよ~ってスケジュールを読み取ってリマインダー機能忘れ防止でいいです。オリンピック観戦日ってスマホが表示してきてました。競技観戦の抽選に3つほど当たっていましたのでこの眼で見たかったなあと思う。一生に一度だものね。来年もきっと無理だろうな~世界がこれじゃ今となっては半ばどうでもいいやって思いますね。東京オリンピック2020もそろそろ閉
恋はやさし野辺の花よ♪19世紀オーストリアの作曲家フランツ・フォン・スッペ(FranzvonSuppé/1819-1895)が1879年に作曲したオペレッタ「ボッカチオBoccaccio」の劇中歌大正時代にブームとなった浅草オペラで誕生した日本独自の内容の歌謡曲で、現在も様々なアーティストがカバーしているオペラをやっていたばあ様が時々鼻歌で歌っていた歌何の歌か全然知らなかったけど好きな歌の1つガーッと好きになって、ガーッと冷める恋もあるでも、それとゎ違う清らかで恥じらい
新生活様式という国の要請に日々疑問を持ちながら生活をしております。いずれにしても特効薬が待ちのぞれますね。盧舎那仏浅草オペラ田谷力三さんで有名なこの歌。最大のヒット曲「恋はやさし野辺の花よ」は戦前戦後を通じ日本人に歌い継がれている。今回はテノールで。<耳コピ歌唱です>
戦前に活躍した、浅草の喜劇役者だ。「こんな人、知ってる?」の書庫に書く以上、おじさんは当然知ってると思われるだろうが、あはははは、ぜんぜん知らない。それどころかずっと、「たかやろう」だと思っていた。正しい読み方を教えてくれたのは、故・色川武大さんだった。「たかやほがら」。ほがら。なんていい名前だろうと思った。先ほど、ネットで検索してみたが、全て「たかやあきら」となっている。し
今回は浅草オペラの大スター・田谷力三さんのレコードについてお話していきたいと思います。1966年浅草伝法院において田谷力三さんは1899年(明治32)東京神田の生まれです。1909年(明治42)に日本橋の三越で結成された三越少年音楽隊に入隊したのが、田谷さんの音楽生活の始まりになりました。田谷さんの簡単な経歴に関しては、拙著「あゝ浅草オペラ」(2016年えにし書房)をご覧いただきたいと思いますが、田谷さんが初めてレコードを録音したのは1920年(大正9)のこと。東京蓄音器株
今回は浅草オペラ系の男性歌手が歌った『カルメン』のレコードについて解説していきたいと思います。『カルメン』の物語は大正時代に広く、日本人に愛された作品です。新劇の舞台では松井須磨子が演じたことでも有名で、この『カルメン』の公演中に牛込にあった劇団の事務所で縊死をしたことも、どこか因縁めいており、当時の話題となりました。その他にも高木徳子が「カルメン物語」として改編した作品を上演したほか、翻訳された書籍もたくさん出版されています。日本でオペラ『カルメン』のほぼ完全版が上演されたのは
昭和12年の浅草・江川劇場での「女エノケンタケチとタカヤのレヴュウ」のパンフ。小柄な身体と独特のしゃがれ声から「女エノケン」と言われた武智豊子と、田谷力三の弟子で大きな口をトレードマークに「ガマグチ」と言われた高屋朗というアクの強い組合わせ。漫画チックな二人の風貌は似顔イラストにしやすかったのだろう。江川劇場での公演は長くは続かず、この後、武智は江東劇場、高屋は金龍館の座長となる。
手元にある浅草オペラ館の昭和7年の「ヤパン・モカル」のプログラムNo.9。この公演から浅草オペラ全盛期の大スターであった田谷力三が座長格で迎えられ、昭和11年までオペラ館で活躍することになる。他の顔触れは、プログラムNo.2の時とほとんど一緒だが、後年の黒澤映画などで活躍する藤原釜足が新たに加わっている。若手時代のシミキンや藤原釜足さんはどんな芝居をしていたのだろう。このプログラムのデザインも好きだな。
手元にある、大正7、8年の浅草・観音劇場での原信子一座の歌劇名曲絵葉書集。この一座には若き日の田谷力三やエノケンの師匠の柳田貞一なども参加しており、演目の場面ごとに「信子のボッカチオ」「田谷のコンテイノ」などと出演者名と役名の書かれたイラストの下に、一曲づつ楽譜が載っている。手元にあるのは、「南欧の詩人(ボッカチオ)」「靴直しクリスピノ」「マスコット(福の神)」などで、一つの演目ごとに4枚セットになっている。浅草オペラの貴重な資料と言えるだろう。南欧の詩人(ボッカチオ)の「フィアメッタの
手元にある、大正10年前後の浅草・金龍館での根岸歌劇団の公演プログラム。楽劇「ジプシイの娘」、喜歌劇「愛を誘ふ薬」、ミュジカルプレー「ノバ・ミリタリズモ」、歌劇「アイダ」。出演は田谷力三、清水金太郎、安藤文子、澤モリノ、木村時子、柳田貞一、町田金嶺、相良愛子、二村定一ら。「アイダ」におけるラダメスの独唱とアイダの独唱の歌詞も掲載されている。
手元にある、大正10年前後の大阪・芦邊劇場での東京根岸グランドオペラ大歌劇団の公演プログラム。浅草・金龍館をホームグラウンドとしていた根岸興行部による根岸歌劇団の大阪公演である。清水金太郎や田谷力三は参加せず、出演は柳田貞一、町田金嶺、杉寛、二村定一、相良愛子、高井ルビーなど。
手元にある、大正10年前後の浅草・金龍館での根岸歌劇団の公演プログラム。高木徳子原案、伊庭孝作の喜歌劇「女軍出征」とビゼー作曲の大歌劇「續カルメン」が同時上演されている。良い番組編成だな。出演は、清水金太郎、田谷力三、高田雅夫、柳田貞一、清水静子、原せい子、木村時子、町田金嶺、二村定一など。
手元にある、大正10年前後の浅草・金龍館での根岸歌劇団の公演パンフ。演目は、歌劇「アイダ(アイーダ)」ほか。出演はアイダ役の安藤文子のほか、清水金太郎、田谷力三、木村時子、澤モリノ、柳田貞一、町田金嶺、二村定一、中根龍太郎、相良愛子など。
手元にある、大正10年前後の浅草・金龍館での根岸歌劇団「NEGISHI'SOPERACOMPANY」の公演パンフ。演目は、喜歌劇「ボッカチオ」ほか。出演は、清水金太郎、清水静子、田谷力三、澤モリノ、柳田貞一、町田金嶺、二村定一、木村時子という超豪華メンバーが揃っている。