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東覚寺をお参りした後、すぐ近くに神社があることに気付きました。田端八幡神社です。東覚寺は田端八幡神社の旧別当寺だったそうで、赤紙仁王は以前は田端八幡神社の前にあったそうです。富士塚がありました。まあま長い階段があります。無人の神社ですが、セルフ形式の御朱印が用意されていました。状態が良くないので色も印影も悪いのですが…これはこれで良い思い出になりました!『【御朱印】東京都千代田区「柳森神社」』神田明神の前の三河屋さんで甘酒を頂き、身体を温め
祭り備忘録2025.8.16-17田端八幡神社新町二丁目自治会宵宮、本社渡御、町会渡御
映画終了後、映画館とは田端駅を挟んで反対側に鎮座されています…「田端八幡神社」参拝田端八幡神社www.tokyo-jinjacho.or.jp二の鳥居参拝ベイビーを抱っこされていますね😊こちらは鞠❓️そしてこちらでは…御朱印セルフサービス❗️❗️❗️神社によってはあると聞いたことはありますが、まさかこちらで体験する事になるとは…この不器用なわたくしが💦💦💦何とか押しました。全てお参りして、同じ由来の「上田端八幡神社」に移動しました。東京神社さんぽ大全Amazon(
『自己紹介です。』春水(しゅんすい)と申します。修験僧侶であり、行者、療術師です。行者歴は10年以上。療術師歴は20年以上になります。数年前に、修験道の総本山にて得度させていた…ameblo.jp『金峰山寺東京別院で、役行者さまの感謝法要でした。』『自己紹介です。』春水(しゅんすい)と申します。修験僧侶であり、行者、療術師です。行者歴は10年以上。療術師歴は20年以上になります。数年前に、修験道の総本山…ameblo.jp急に、八幡様のお札をお祀りする運びになり、近くの八幡宮を巡拝することに
1月29日の御朱印巡りの続きです。与楽寺に行った後『2025.1.29①北区宝珠山与楽寺(御府内56)』1月29日の御朱印巡りについて書かせていただきます。この日は田端の神社仏閣を巡ってきました。まず最初は御府内八十八ヶ所の第56番札所・与楽寺に行ってきました。…ameblo.jpそこから歩いて田端八幡神社に行ってきました【御祭神】・品陀別命(応神天皇)【御由緒】文治5年(1189年)、源頼朝がこの地の豪族豊島氏と共に奥州の藤原一族を平定し、その帰路に駐留した証として
田端八幡神社⛩️📍東京都北区田端2-7-2源頼朝によって創建された神社さくら🌸が綺麗だったので立ち寄り参拝鳥居社務所はあるようだが、無人のようです朱印はスタンプが置かれておりセルフで押印
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は東京都北区田端の『田端八幡神社』です。最寄駅はJR山手線/京浜東北線『田端』。駅から徒歩5分参道の入口には鳥居ではなく1本の門柱が立っています。門柱から一の鳥居に至る参道脇には神輿庫が並んでいます。参道脇の神輿庫は私が知る限りでは珍しい光景です。一
田端八幡神社の隣に、赤紙仁王像(石造金剛力士立像)寛永18年(1641年)に宗海という僧侶が江戸市中に流行していた疫病を鎮めるために造立されたと伝えられ身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば病気が回復すると信じられているそうですもともとは八幡神社の社前にありましたが明治の神仏分離により、別当寺であった東覚寺の境内に移されたそうですそして、東覚寺真言宗豊山派寺院東覚寺は、白龍山寿命院と号します東覚寺は、延徳3年(1491年)源雅和尚が神田筋違に創建され
12月に田端駅にて山手線を下車駅前には、田端文士村記念館この辺りに芥川龍之介、菊池寛、小杉放庵、板谷波山など小説家や作家(=文士)が集まり住むようになり互いに影響しあいながら文化活動を行っていたそうですその歴史を記念し、功績や素顔を紹介する施設だそうです田端駅前通り(都道458号)を動坂下方面へ下る途中・・・赤紙仁王通りへ右折すると田端八幡神社の大きな社号標が参道は奥の境内へと続いている田端八幡神社は、北区田端にある八幡神社文治5年(1189年)源頼朝がこの地の
2024年1月1日元旦お雑煮をいただき、初詣に行ってきました
数年ぶり?にインフルエンザの注射打ったら腕が上がらない💪✨keiichiです(^^;なわけで。田端八幡神社から坂道を登って左へ降りた辺り。『耳の生えた狛犬?深緑の田端八幡神社。』赤紙仁王尊の隣の参道をゆく。一の鳥居の手前に石橋が埋まってる⁉️これ、昭和初期の河川改修工事で暗渠(あんきょ)となった谷田川に架かっていたものをこちらに移設し…ameblo.jpこんもりとした森に🌳鳥居⛩出現‼️工事車両は気にしないでね(^^;またまた八幡神社⁉️意外に長い参道。右手は地続きに砂地の公
2023.8.19-20
8月に入るとお祭り後半戦8/11〜15深川八幡祭り8/18〜20田端八幡8/26地元の納涼大会9/3音羽今宮神社9/10筑土八幡神社9/16,17白山神社9/23,24地元本郷櫻木神社今年の櫻木神社は、本社神輿を出します。(ホントは去年だったけどコロナで延期)熱い夏になるぜ!
赤紙仁王尊の隣の参道をゆく。一の鳥居の手前に石橋が埋まってる⁉️これ、昭和初期の河川改修工事で暗渠(あんきょ)となった谷田川に架かっていたものをこちらに移設したらしい。東覚寺の庭だと思うけど緑がめっちゃ綺麗〜✨二の鳥居⛩参道はここで二手に分かれている。まずは正面の急坂を登る。新橋の愛宕神社ほどキツくはない境内右手の手前側に年季の入った手水舎が水は出なかった残念〜(><)田端八幡神社。たばたはちまんじんじゃ耳の生えた?狛犬どん。狛犬どん②子どもは股下に(^^
田端をお散歩しました😄田端小学校🏫田端文士村この辺りもいわゆる文士村田端小学校の前にある【のらくろ】のマンホール北区には北区にゆかりのある、こういうマンホールが幾つかあるみたいです。日枝神社⛩️板谷波山住居跡田端文士村にはこういうのが幾つかあります。赤紙仁王これが赤紙仁王です。田端八幡神社⛩️『田端をお散歩〖2〗』田端をお散歩しました😄サンドイッチハウスジョーカー🍞朝6時でしたが開いていたのでお邪魔しました😄味噌カツサンドパストラミビーフサンドを購入✨味噌カツサ…
上田端八幡神社より、田端八幡神社に移動し参拝しました。各町内の神輿庫末社の三峰神社稲荷社富士浅間神社拝殿田端八幡神社由緒鎌倉時代初期の文治5年、源頼朝が奥州藤原氏を討伐、その帰路に当地の豪族豊島氏らとともに当地に立ち寄った。その際、駐留した証として、鎌倉八幡宮を勧請、旧田端村の鎮守とした。これが当社の創始である。創建の由緒は上田端八幡神社と同じ。御祭神は品陀和気命。室町時代には豊島氏を滅ぼした太田道灌が当地に出城を築城したことから、城山八幡と呼ばれた。
おはようございます。雨が降ってますねぇ2022年10月8日この日は姉ちゃんの誕生日御朱印もらいに行こうってことで御朱印巡り東京メトロ24時間券を使います。長くなりますがお付き合いくださいね日暮里の諏訪神社から田畑八幡神社にやってきました社号標と参道の入り口鳥居参道途中の石段に稲荷社石段は意外と急なんですよー手水舎拝殿狛犬御朱印は社務所の前にスタンプが置いてありました。参拝のみしました。
今夜は新月ですね11月のどどーっとやって来ている世の中の変化の波を受け入れながら、余裕がある時は気になる神社を参拝して、のんびり過ごしています。新月や満月の前にデトックス症状的なことが起こる方もいらっしゃるかもしれませんね。デトックスは体調だったり、物事だったり色々とありますが具体的には書きません笑もしかして本人の生活習慣だったり、思い癖や行動で起こっている事があるのに、よく内観せず蓋をしてデトックスだと思い込み、チャンスを逃す方もいらっしゃるのを見かけます。物事は良い事もそうでない事
こんばんは昨日まで暖かかったのに、今日は急に冷え込んで、さらに冷たい雨も・・・春らしいといえば春らしいですね前回のブログで桜の話をしましたが、早速見つけたのでUPします先日、母の病院の付き添いで田端に行った際に、近くの神社にお詣りしました『田端八幡神社』鳥居越しに・・・チラリ色の濃いめな桜でした青空にもピンクがくっきり映えてる動画でもどうぞ〜何気に、動画を載せるの初めてかも笑今回は御朱印帳を持参していなかったので、また次の機会にそしてそして、その帰りに実家が焼肉屋さんの友
今回から北区の村の鎮守さま巡りを始めました(^○^)最初にご紹介する田端八幡神社さまは、文治5年(1189)に源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されと伝えられています(^<^)江戸時代には田端村の鎮守だったそうで、ご祭神は品陀和気命さまで、境内には稲荷社、富士浅間社、三峰社のお社が階段の途中に祀られていました(^g^)拝殿は一段高い所にあって参道の階段を登ってのお参りになりました(^g^)境内の銀杏は、黄色く紅葉した葉が散っていて朝早く行けば絨毯のような雰囲気
34田端八幡女坂北区田端2丁目階段標識無し長さ20m田端八幡神社内ここまでは田端八幡男坂と一緒です。この鳥居を抜けて右側の緩やかな階段を上る階段の先に緑色の鳥居は田端富士塚青い鳥居の前を通り抜けて三峰社でしょうか?のそばも通り抜けこちらの赤い鳥居は稲荷社狐さんがたくさんいました。また階段を上がりますやっと階段の上からです。先ほどの青い鳥居の田端富士塚に戻ります。高さ2m、石の階段を上ると奥宮もあります。
33田端八幡男坂北区田端2丁目標識無し長さ25m階段結構長い参道鳥居の先に男坂(階段)坂の下から男坂の上から田端八幡神社ここへは谷中七福神めぐりで隣の東覚寺の福禄寿を目当てに来た時に長い参道の先になにがあるんだろうと来たことがあります。
源頼朝が奥州藤原氏討伐からの凱旋途中この地に駐留したとき鶴岡八幡宮から応神天皇(品陀別命)の勧請を受けここに創建された。お隣の東覚寺は江戸時代ここの別当寺一ノ鳥居と神橋二ノ鳥居創建:文治5年(1189年)手水舎狛犬本殿(拝殿)御祭神:品陀別命こちらは富士浅間社・三峰社他江戸名所図
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今日は王子スタート。飛鳥山の公園は家族連れ、子供たちで大賑わいでした(南口から出たので遠回りになってしまった。。)王子から歩くこと30分ほどで、滝野川八幡神社に到着。御朱印をいただきました。こちらは以前、赤羽から王子、西ヶ原を巡った時に最終目的地として目指していた神社でした。残念ながらその時は思いのほか疲れて断念したのでそれ以来ずっと気になっていました。やっとお参りできましたね今日は新嘗祭の御朱印も、3日間限定でやっていました。ま
田端八幡神社へやって来ました。田端八幡神社は、赤紙仁王で知られる東覚寺に隣接しています。東覚寺の建造物が新しいのは、2008年の道路拡張工事で現在地に移転した為です。細長い参道の奥に見える鳥居と、夏空の下の神社の森。この景色だけでも胸が高鳴ります。神社って、街の隠れ家のような感じです。子どもの頃に大事にしていた秘密基地のような感覚。一の鳥居の手前には、暗渠化される前に谷田川に架かっていた橋が埋め込まれています。これはいいアイデアですね。二の鳥居までの参道右手には神輿庫(
”赤紙仁王尊”の脇を進むと「田端八幡神社」です(もとは、赤紙仁王尊が八幡神社の別当寺」。文治5年(1189)奥州を平定して帰還途中の頼朝が、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して創建したと言われています。参道は、結構長いです。参道の右には、神輿庫がずらりとならんでいます。ご本殿です。摂社の「富士浅間社」です。富士塚が整備されています。(青竹:NO.2483)