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敗戦により海南島での鉄鉱山開発事業から撤退したのは、日窒海南興業だけでなく、田独鉄山事業を展開してきた石原産業も同じでした。石原産業も日窒と同じ新興財閥で、日窒起業者である野口遵は敗戦時すでに亡くなっていましたが、石原産業起業者の石原広一郎はまだ健在でした。しかし彼は、連合国側からA級戦犯(戦争指導)容疑をかけられ、一時巣鴨の拘置所に留置されました。戦前・戦中の彼の言動は、戦争指導・推進者としての責任を問われる質のものだったということです。辛うじて起訴は免れ、公職追放解除後、石原産
前回の続きです。父の会社のボイラーが、何故海南島に送られたのか。この謎を解く作業は、そう簡単なことではありませんでした。前に記した通り、海軍が海南島占領作戦を開始したのは1939年2月14日(今ならバレンタインデー)でした。海南島に侵攻した目的は、さらなる日本軍南下(北部仏印・南部仏印へ)の橋頭保とすることに加え、田独、石碌という二つの鉄鉱山を開発して鉄鉱石を日本の八幡製鉄所に送り、日本の製鉄能力を画期的にアップして、戦争遂行に備えることでした。日本軍部としては、緊急を要す
前回の続きです。「供出」について調べていたとき、父の会社(精練業)の商売道具であるボイラーが供出させられ、海南島にある国策会社・海南原鉄に送られたという記事を業界史の本(『京練』)でみつけた私は、海南島について調べ始めました。海南島は、中国の南にある大きな島で、いまは単独で海南(ハイナン)省という省になっています。省都は海口(ハイコウ)という都市です。↓海南島の位置。wikipediaより。緯度でいうと台湾より南で、真西はベトナムの北部になります。