ブログ記事296件
風が強い日が多かったようで、散歩にはあまり行かなかったみたい感染者数も減ってきて気が抜けてきたようで、私は映画を見に行ったこのころ、本を書きながらも見続けて止めることができなかったのが、「銀魂」アニメの方ね。多分、風のせいにして散歩に行かなかっただけだと思う・・・今、思えば・・・ですが・・・さらに、この映画でとんでもない事実が発覚したのです。私、ほとんどの映画のセリフやストリーは覚えていたんですよしかし、「銀魂」は、全く覚えることが出来てなかった更年期障害でバ
去年の2月は、1ヶ月遅れの新年会してまし東京まで出てました。あれ以来、東京には行ってないです・・・新しく架け替えた常盤橋にも、新しくなった将門の首塚にも行きたいけどなぁ~さて、今年の2月は福島沖で震度6強の地震がありました。コロナ禍での震災は懸念されていたものの何も手を付けていなかったのは、事実ではなかったかと思います。また、東北新幹線の10日ほど停電で止まったり、余震が続いていた。そんな中、急に「そう言えば、去年、目から鱗のまよまよ先生の講座を受けておきながら何も
年が明けた早々から感染者数は右肩上がり2日には、東京都が緊急事態宣言を一都三県とともに国に要請末っ子の成人式が中止となり、写真、着付けどうしよう・・・なんて、悩む間もなく同居家族が感染当然、全てキャンセルですよ。そんなことよりも、心配が募りおかしくなるか?とも思いましたが、本人が言うには「味がしないし臭いもない」とのことでしたが、発熱もなく軽症ですみ味覚臭覚の後遺症は残ったようですが、取りあえずの一安心。ちなみに・・・録画されていたガキ使を観ながら会食していた
去年の12月は、更年期に入ってることに気がつかず、急に腸の調子がおかしくなったり、頑張っても朝が起きれない、中途覚醒、体重の数字は変わらないけど体形が変わってきた緊張すると汗をかく等々、考えてみたら更年期障害だったのに、健康優良児しか取り柄がない私には、自分の人格を否定された気持ちになり「病気かもしれない」「死ぬかもしれない」と恐れを抱き、なんとか、現実を見ないように頑張っていました。しかし、恐れって「まだ来ない未来の出来事」に対しての本物の感情と交流分析では言われてお
散歩しまくりの私。何がしたいのだかわからないけれど、いつもと変わらぬ神社仏閣を回り続け昔の人が通ったであるろう道を妄想しながら歩く今は舗装されている道だけど、当時は凸凹した道だったんだろうなぁ~そんな道を鎌倉から歩いてくるってすごくない?近くても川名でしょう?あぁ~偉い人は馬に乗ってるから大丈夫なのかな?ここで、いろいろな時代の人が住んでいたんだよね(遺跡が発掘された現在の舗装道路あり)縄文時代からの遺跡も出たって、何かに書いてあったまだ、湿地帯で水田を作って
少しづつ前向きになってきたような気がしてましたが、ここまで来るのに熱中症が2回健康優良児しか取り柄がなかった私は、体の自信がなくなっていきました。追い打ちをかけるように、太った・・・だって、行ったことのないお店のお弁当が、モールに売られるようになって美味しくておいしくて・・・ローストビーフ丼とかとか・・・本当にヤバい・・・妊娠中ぐらい太ったやっぱり、食べてるだけで生きてる意味がわからない・・・電気を使って環境破壊して、お弁当のプラスチックでも環境破壊もう、どうしたらいいの
暑くて、暑くて・・・どうしてよいかもわからないほど、暑い毎年、近くのモールにPCを持って作業をしていたのですが、今年は出来ない&やることがない・・・さらに、老眼も進んでしまいメガネをかけないと小さい文字も見えない今までの私と違い出来ないことが増えて、やっぱり、ガラクタの私・・・どうしたら、良いのかわからないまま過ぎていく日々そんな時に思い立ちました。8月に入ると、ほぼ、毎日お布団が干せました。私、実はお布団を干すのが、元々、好きなのです。そこで、仕事に行って休みの日にしか
緊急事態宣言が解除されたと言え、不安ばかり募る見えない感染症。でも、どこか「大丈夫じゃない?」と甘い気持ちも残っていました。三浦半島から異臭がして1ヵ月たち、大きな地震が来ていないことに、ホッとしながらも、50年に1度と言われる線状降水帯によって、熊本の球磨川が氾濫して、多くの人が被害にあった感染症も自然災害も怖い自分が何をして良いのかわからない研修の仕事は、さらにキャンセルが増えるとうとう、外に出ることが出来なくなってしまった・・・何もしないで1日を過ごすことに罪悪感を感
東京アラート!都庁が赤いライトで照らされた。不謹慎ながら・・・カッコよかった。でも、ここは、東京ではない・・・そんな当たり前のことを自覚し始めた頃でした。もっとも、この頃の私は1番体調が悪く胃腸が世の中についていかない胃腸が悪い=コロナとも言われたそうそう、今ではどうなってしまったのかわからないけれど、三浦半島で異臭騒ぎも起きていた。当然、都内の仕事は変わらず中止のままもう、いくつ中止になったかわからない。そして、給付金が入ったけど、やっぱり不安だから使えなかった。
交流分析2級講座も密かに始まったけれど、対面講座なので集団ではなく一対一での講座になった。嫌ではないけれど、受講している人の気持ちはどうなのだろうか?ここ・・・異様に悩みました。さらに、入門講座のお申し込みもあり、この事態をプラスに捉えて行動を起こす人の多さにもびっくり!そんなこんなで、緊急事態宣言が解除されました。新しい生活様式人との距離をとるそーしゃるでぃすたんすそして、忘れてはならない「マスク」そうそう、こんな時だったのでクロネコさんで宅配ロッカーなる物にもチャレンジ
4月に入るとちらほらに「緊急事態宣言」という言葉が見え隠れするようになった。4月7日プラセンタを打ちに病院に行き、体全体が凝っていたのでマッサージに行った。その時に「明日から閉館がきまりました」と言われた。そう、緊急事態宣言が発出されたからです。気持ちとして「引きこもりの大義名分ができた」とも正直に思った。しかし、世の中は違ったようでR134は県外ナンバーで大渋滞となり、鎌倉市のR134の市営駐車場を閉めた結果、藤沢に集まったようだった。4月7日には全国に緊急事態宣言が
2月の末から、「トイレットペーパーが中国からの輸入だから入ってこなくなる」と噂が飛び交いました。そこらじゅうのトイレットペーパーがなくなりました。オイルショックや3.11の時と同じです。が、ここは私が最大に尊敬している先生が、コロナよりはるか昔に「トイレットペーパーと女性用の商品はストックしておいた方が良い。関東で地震があったら、なくなってしまうよ。ストックしておきなさい」と、おっしゃっていたのを、真面目に受けて、常に18ロール×6パックをいつも常備しておりました。この先生に
更年期障害を起こしている状態で、プラセンタ治療を受けながら、今までかつてない、体調不良に戸惑い悩みながらも、対面講座は続きました。私の自慢は「健康優良児」しかなかった私にとっては、このまま、死ぬのではないだろうか?と、思うほど自分の体に自信がなくて、人と会うことも緊張の連続でとても、ストレスを感じてました。そんな中、3月に行われる私にとっての大きくて大事なイベントの打ち合わせが入ったのですが、周囲の助けもあったので、何事もなく打ち合わせをこなすことができましたが、私の中では
1月中に、体調が悪い中、それでも新しい事業を計画していました。高齢者や子育て世代のお手伝いやご相談なのどを出来る業務を考えていました。今となれば、強引に進めればリモートで家族と会える高齢者に喜んでもらえたかもしれない。また、不幸にしてコロナに感染した方のお買い物代行などができたかもしれない。しかし、そこまで進めることができずにのんびり構えていました。その間に、世界は変わってきていました。2月に都内での日本交流分析協会の准教授・教授研修があり、都内に出ました。まさかのここから
言語が出来てくると親が子供に具体的なしつけを始めます。例えば先ほどの玄関では靴を脱ぐやご飯を食べる前には「いただきます」を言うやお風呂に入る前にはトイレに行くことなど、しつけと言われる範囲のことを言語で伝えていきます。その中で少し強く言語で受け止めやすいものというものがあります。それが大人になっても人生の岐路となった時にそれさえしていればいいのだという判断でち人生の岐路を決めてしまう時があります。当然ながら親には悪気は全くなく、良かれと思い伝えてることも多くあります。また
Tシャツの着脱は無意識で身につけたことですが、意識で言語で伝えられる事で今では当たり前のようにやっていることもあります。例えば玄関では靴を脱ぐだとこんなことって当たり前のようにやっていて何の疑問も感じなかったりします。もう少し細かく言うとその靴の履き方一つとっても右足から入れますか左足から入れますか?改めて聞かれると答えられない事も多くあります。このように幼い頃からの癖というものは行動に現れています。同時に実は心の中にも幼い頃から当たり前と思って身についてきたもので、
さて交流分析では無意識に作られる人生の設計図を脚本と言い方をします。脚本というのは誰しもが持っているもので、消して持っていないなんてことはあり得ないものです。そして人生の主人公は自分自身であるという言葉がありますが、この言葉を聞いて当然って思う方もいれば、自分が主人公なんてとんでもないと思ってしまう方もいらっしゃいます。もし私の人生という物語の主人公が自分でないとするならば誰のものなんでしょうか?当然無意識のうちに人生の設計図を作っていますから自分のものと思う方の方が多いかと
私たちは幼児から無意識のうちに人生の設計図を作りそれを実感するように知らず知らずのうちにその方向への人生の進路を取っていると交流分析では考えられています.。この人生の進路をどうやって決めていくのかそれは小さい頃の親や養育者との関わり合いであったり、また、それまで培ってきた経験などが大きく影響しています。しかしまずは基本的に幼児期に身についた無意識のうちに人生設計図を作るということを考えていきたいと思います。具体的に言うと例えばですけれども皆さんはTシャツをどのよ
前回までは時間の構造化についてだいたいた説明をさせていただきました、この中で私がお伝えしたいと言いますが私が時間の構造化を学び日常生活の中で大いに役に立った件に関してお伝えしたいと思います。自分自身もそうなんですが人の話を聞いて理解をするまでの時間がとても時間がかかるのでそのことについて考えている時間というのは自分自身の世界に入っている閉鎖引きこもりの時間の方が多いんですねしかし考えてる時間があまりにも長すぎまして他の方から見ればあもうこの人が理解できているんだろうなという判断となりま
最後の時間の構造化となりますが親交親密の時間ですお互いの信頼と理解があり受け入れられる心と心の壁がなくなります。できればお互い様の時間お互いが認めあって自分のペースでお互い楽しくゆっくり過ごせる時間そしてここからが大事なのですが一番欲しい方のストロークを得ることができる時間でもあるんです。その中にはお互いがOK-OKも足りないところもあるかもしれないけど,OK-OKなんだよお互いの存在そのものが大事なんだよ。まず大事な心遣いそれも自然に出てくる心遣いからこの時間を構造化してい
活動仕事までお話を進めましたがここまでもそれなりにストロークの交換があります。ところがここからお話しする時間の構造化は心理ゲームと言われる時間となります。今までお話ししたことの中で言ってしっかり押さえていただきたいなと思うのは閉鎖引きこもりは自分の世界の中で自分が自分に対しストロークを与える時間です。そして儀式儀礼は人と最低限のストローク交換をする時間です。雑談気晴らしに関しましては、儀式儀礼よりは濃いめのストローク交換となりますその次の活動仕事になりますと目的を一致した仲間と共に行
世の中残念なことに結果の出ない雑談気晴らしだけで一日を過ごすまたは1年間を過ごすというのは非常に難しいものですそのために活動仕事という時間もございます。この活動仕事という時間は前に説明いたしましたAを使った結果を出す時間となります。つまり仕事というのは必ず何かしらの結果が出るものです。会社においての仕事の結果というのもありますが、例えば専業主婦の方が家事をしている時間もお一人で行っていたとしてもそれは家族がいるだから家族のために家族が円滑に生活できるように行うことですので一人で家事
さて儀式儀礼のお話はさせていただきました。人はさらにストローク存在認知を求めるためにも時間を構造化する欲求を持っています。そのために儀式儀礼の建前だけのやり取りだけではなく次の段階に進みたいストロークをもう少し交換していきたいと欲するのは人として普通のことだと思います。そこで出てくるのが近年見直されている雑談気晴らしという時間になります。雑談気晴らしと聞くと生産性のない無駄な時間と考えるかもしれませんがここでやりとりされるストロークには大きな情報が含まれてたりもします。例え
時として大勢の中にいるにもかかわらず一人の時間を過ごして過ごし周囲との関わりを心の中だけで壁を作るまたは自分の殻に閉じこもるのは閉鎖引きこもりの時間でしたしかし人はいつまでもその自分は自分と向き合う時間または自分が自分を見つめる時間の中にいられるわけではありません。そこで少しは人との関わりを増やしていく時間つまり傷つかない範囲でのストローク交換をする時間に移行していきます。閉鎖引きこもりからの脱却とも言われている時間は儀式儀礼と言いますこの景色綺麗というのは単純に日常生活の挨拶形
時として大勢の中にいるにもかかわらず、周囲との接触ができるにもかかわらず避ける時間があります。例えば、会議の最中や研修を受けている最中や井戸端会議の最中に、その話題と関係ないことを自分の心の中だけで考えていることがありませんか?その場にいるのだけど、心ここにあらずと言った時間と考えて良いかと思います。そんな時は、何が理由でもなく「人からのポジティブもネガティブなストロークを受け取らない」時間を過ごしています。自分の殻に閉じこもり、人がいる空間からひと時脱出して自分の心を自分でメンテナ
人には平等に24時間が与えられていますが、使い方によっては長い時間をかけても虚しさを感じる人も短時間でも幸せを感じるかは、その人の心一つでもあります。日々を1人で送っていても幸せを感じることが出来る人と、人との交流を多く重ね幸せを感じる人がいます。どちらの時間の使い方に正解も不正解もありません。人には「時間を構造化」をしたい、欲求を持っています。だからこそ、1人でも大勢でも自分が構造化した時間は満足できるものとなります。当然ながら、自由気ままにならない時もあると思います。
ブルーインパルスが医療従事者の応援で、東京の空を飛んだニュースが流れました。戦闘機を見て、慌てて隠れる訳ではなく感激したり写真を撮ったりする国に生まれたことには、感謝しか感じません。が、悲しいニュースも流れて感染者の増加や北九州では、第2波が来たことも流れました。まだ、正しく遅れながらの新しい生活様式に柔軟に対応が出来ないと難しいですね。柔軟に対応する心の機能は、AC(アダプテンドチャイルド)なんですね。だからと言って、たまにはお外に出ないと、いろいろと不具合が出てくるので、
第1波の解除が始まったとたんに、北九州では、第2波の入り口が始まりました。様々な方のお声を聞かせて頂き感じることがあります。・テレワークが出来るのであれば、満員電車に乗る意味がわからない・仕事内容によるけれど会社に出勤するのは必要な時だけで良いのではないのか?・生活リズムが戻せるか不安・突然、休みになって、突然、業務開始と言っても気持ちがついていかない・ストレスが溜まってる人間関係に飛び込むのが怖い・オンラインが苦手な上司が尊敬できない・国の対策を会社が従業員を守るため
藤沢って、面白い街です。仲良すぎて怖い街でもあるかもしれませんが、私は、面白いの一言です❣️様々な地域でテイクアウトが始まり、藤沢にもテイクアウトの波がやってきました。そこから、藤沢はテイクアウトでは物足らず、給食に出すはずのコッペパンを作っている、ロワール光月堂と味の古久屋がタッグを組んで、コッペパンチャレンジを始めた❣️コッペパンに餃子やシュウマイ、チャーハンまで挟んで販売❣️さらに、他のお店も参戦を始めて様々な物を挟み出しました。そこから、江ノ島タクシーのテクタクも
自粛が始まり、藤沢の名店ビルに掲げられた垂れ幕。そんな中、給食に出すはずのコッペパンを使った、コッペパンチャレンジが始まった。味の古久屋から始まり、餃子、シュウマイ、チャーハンが挟まった、コッペパンが売られてました。ちょっと恨み節ですが、食パンに、餃子とシュウマイを挟み食べるのが好きだったのですが、「品が悪い」と言われたことがあります。今であれば「品って何?」と言い返せますが、当時は、まだ、若かったので言い返せず、悔しい思いをしました。さて、元々が引きこもりの私なので、