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最近は12時から13時はめちゃ混みの新新京。今日はかろうじてカウンター席が空いていた。田中小実昌帽のリーダー?は最近は中東系のカタチのエスニックな帽子。すっかり顔見知りだから生野菜の上にタマゴサンドの中身をサービス?俺について来い!
・街の大きな書店で『吸血鬼飼育法完全版』と一緒に購入する。・田中小実昌の作品を読むのは初めてである。坪内祐三のエッセイや(田中の義理の兄の)野見山暁治のエッセイで田中の名前だけは知っていた。・場末の酒場で語られる噂話と与太話からにじみ出る人々の哀歓を捉えるのがとても上手いと思う。・表題作「密室殺人ありがとう」、「カリブ海第二戦線」、「板敷川の湯宿」、「北波止場(ノース・ピア)の死体」、「ドラム缶の死体」が良い。・「板敷川の湯宿」は怪談である。・新聞記事の抜粋と語り手の回想と所見
寒くなったからモールウォーキングした本屋さんで田中小実昌の本を見掛けました。「ひるは映画館、よるは酒」というタイトルですが今年発売されたものです。文庫本で990円には驚きますが私が東京の映画館に通っていた頃学生時代の1970年代後半コミマサロードショーの章があります。映画と映画館の思い出話・・新宿三越裏の昭和館はやくざ映画三本立で当時500円昭和館地下は400円「網走番外地」シリーズをよく観ました。嵐寛、大原麗子親子がよく登場退職後、友人と近くの天麩羅屋さんで一杯
噺家・五街道雲助師匠が、人間国宝。柳家小さん・桂米朝・柳家小三治につづき、落語界では四人め。雲助師匠の高座は聴いたことがない。だから、非礼ないいかたになるが、人間国宝認定には驚いた。人間国宝に認定されたくて、水面下で運動していた噺家のうわさは何人か知っていたが、雲助さんはノーマークでした。墨田区本所生まれ(ご近所に生まれたのが楽太郎のほうの圓楽さん)、明大中退とは藝人としての素性がいい。師匠は、十代目金原亭馬生さん。古今亭志ん生の長男で、弟が志ん朝。雲助師匠は浅草猿之助横丁の居酒
今日は6月9日、[ロックの日]である。ロック…………私は近頃の日本の若手のロックバンドはわが息子からの情報などによってけっこう知っているが、洋楽、外国の若手のロックバンドについてはまったく知らない。これって、ものすごく不思議だと思う。少なくとも、私が高校生、大学生、20代だった頃は、ロックといえばもう絶対的に外国のロックバンドだった‼️……………………さて、ロックの日の6月9日からちょうど1ヶ月前、朝日新聞、鷲田清一の「折々のことば」は、小説家
【追悼、浅草駒太夫さん】③☆『浅草駒太夫お別れ会』本日、駒太夫さんのお別れ会@浅草・喫茶『ベル』に参加させていただきまして、故人を偲びました。店内には、天才アラーキーこと写真家・荒木経惟(あらきのぶよし)さんの作品をはじめ、著名人(俳優・小沢昭一さんや作家・井上ひさしさん他)と駒太夫さんの写真が並び、故人の人気の高さを改めて知り驚きました。お別れ会は、30日まで。※1960年代~1970年代に一世を風靡したストリッパー・浅草駒太夫さんが令和5年5月22日にお亡くなりました(享年82)
今日いただいたチラシはこちら宇治市源氏物語ミュージアム令和5年度事業案内練馬区立石神井公園ふるさと文化館企画展「田中小実昌-物語を超えた作家-」アニメプロジェクトin大泉2023WHITEgraph010[講談社]楽天市場1,760円
映画館は今は(中略)各地にないし名画座や単館もなくなってきた。よく皆んながいくのはシネコン施設だろう。でも、家のテレビで見たほうが楽なもので。そんな風に現代じゃ考えてしまう。わざわざ食べづらい弁当を持ち込んで映画なんて…今はお弁当の持ち込みすらできないよ。(田中開「祖父田中小実昌のこと」ちくま文庫)
レイモンド・チャンドラー原作の「ロング・グッドバイ」のフィリップ・マーロウ(中略)はエリオット・グールドだった。ボガードが極め付みたいに言われていたが、グールドのようにノッポでのろーっとして、いつも、低い声でぶつくさうなっているみたいなマーロウもいい。(田中小実昌「昼は映画館、よるは酒」ちくま文庫)
ヨゼフ・ロートの「聖なる酔っぱらいの伝説」という短篇の主人公は、セーヌ川の橋の下に住むホームレスだ。もともとは炭坑夫なのだが、トラブルがあっていまは橋の下暮らし。ある日、身なりのよい紳士が川沿いの舗道の階段から降りてきて、主人公に、理由なく、200フラン与えようとする。にんげんだれしもプライドがあるからゆえないオアシはもらいたくない。だから一度は拒否する。が、紳士は面妖なことをいう。「私もあんたとおなじように宿無しだ。それにこのお金は私のものではない。聖女テレーズがくださったものだ。返
ガス・ストーブも、ぼくが寝ころんで本を読むところにむいたままで、むきをかえる手間がはぶける。もっとも、そんなモノグサだから、本を読むのにも、あきてくるのか。酒を飲みだすまでには、まだ二時間はある。いい本、おもしろい本はたくさんあるのだが、とにかく根気がない。(田中小実昌「正月もかわらず」中公文庫)
小説家の故・田中小実昌さん。お見掛けしただけですけどね、銀座で。松屋前をぼーっと一人で歩いていました。白くて小さな帽子(?)に、オフホワイトのスモック姿。小脇にスケッチブックを抱えていました。周りは気がついてはいるんだけど、空洞が出来ていました。前の楳図かずおさんといい、今回の田中さんといい、嗚呼!何でわたしが見掛ける有名人は、こんなのかしら?わたし全く知らなかったんですよね、田中小実昌さんを。けど、その2ケ月ぐらい前から数回、テレビで見てたんです。だから(あっ)と思って、、
田中小実昌の短編ミステリが文庫化されていて懐かしくなった。コミさんの愛称で多くの短編小説や随筆を遺したが、海外ミステリの翻訳者としても多くのファンを擁していた。特にカーター・ブラウンやA.A.フェアなどのソフト・ボイルド系、ユーモア系の作品に独特の翻訳センスを発揮した。田中小実昌:幻の女(2021)ちくま文庫密室殺人ありがとう(2021)ちくま文庫その特徴は濡れた坂道をずるずる滑り落ちるような特異な比喩にある。「雨もつめたかった。へんにからみつくような雨だ。おもい雨だ。それ
前の晩夜更かしをしてしまいました…。Sさんと一緒の出張でくっついて行けばいいだけだからと…油断してしまいました。原因は…いつもの「西東三鬼全句集」に加えて「田中小実昌ベスト・エッセイ」。とまぁ、そんな翌朝の我が家のカメさん飼育スペース“亀鳴苑”の様子です。甲羅干しクィーンの柚子。ボクが通ったくらいではびくともしません。はるも割と動じません。こんなポーズで甲羅干しをしています。別角度から撮影した写真がこちら。手足がかなりムチムチしています
神戸港のいちばんにぎやかな大桟橋、中突堤には、ちいさな飲食店などがならんでたが(もうなくなったかな)そのなかのちいさな喫茶店に、コーヒ、という看板がでていた。関西弁では、コーヒーは、コーヒになるもんなあ。冷コ(アイス・コーヒー)という言葉も関西からはじまった。(田中小実昌「コーヒー」中公文庫の
新宿の街はひろい。新宿二丁目あたりまであるいていくと、かなりの距離がある。バーやスナックの数も、かぞえきれないくらいおおい。しかし、したしい友だちが新宿のどこかで飲んでいると、いつも、ひょっこりあう。これもふしぎなことた。(田中小実昌「風景のなかの昭和」中公文庫)
僕は田中小実昌さんの翻訳が好きで、古本屋を回って彼が訳したミステリー本を買い集めている。(中略)小実昌さんの訳の素敵なところは、文章が気取っていないところだ。とてもわかりやすい文章で、話をどんどん先に進めていく。だからすらすら読める。(村上春樹「ブックガイド」「BRUTUS「読む。」編」マガジンハウス)
路地は(中略)おれまがって、もっとせまくなり、そのいきづまりにちいさな飲屋があった。店のなかもせまい。ところが、そのせまい店のなかに、大きなジュークボックスがあって、レコードが鳴っていた。あとでわかったことだけど、沖縄ではどこにいってもジュークボックスがある。(田中小実昌「海をさがして」集英社文庫)
田中小実昌氏はこの二年ほどの間、ギリシャに一か月、サンフランシスコに一か月滞在して気儘な日を過ごした。(中略)さぞ気軽な愉しい旅だったろうと思っていた。ところが意外にも五十歳を過ぎてそういうことをするとどこか無理がくるという話を聞いた。もちろん例外はあるが。(吉行淳之介「ヴェニス光と影」新潮文庫)
四条大橋の近くのお料理屋。店の後ろが桟敷になって鴨川(中略)の上につきでている。八月十六日が京名物の大文字焼きだけど、この桟敷からは見事に見えることだろう。この時は詩人の金子光晴先生と伏見の稲垣足穂先生をたずねた。おふたりともとびきり自由なおじいさんだった。(田中小実昌「鴨川の桟敷のハモ」中公文庫)
織り機を移動したついでに、年末でもあるし、少しずつ不用品を処分して部屋の片付け中。道具や材料のかさばる趣味を持つと大変ですね。糸も洋服と同じで、けっこう持ってるはずなのに、なぜか今使いたいものが無いという…好みのテイストが変わっていくせいもあるけど、どんどん買い足すのは金銭的にもスペース的にも無理なので、なるべくある物を使いつつ、服や本などの断捨離で収納スペースを増やそうと努力しています。そんな中、実家から文庫本が数十冊届きました。畳替えのために本棚を動かすから、置きっぱなしの本を引き取
言問橋を左にまがって吾妻橋へ。(中略)東京でもいちばん古いというビヤホール。隅田川をわたって浅草雷門。たくさんの人があるいてる。ところが、六区にいくと、人どおりもなくさみしいものだ。国際通りでバスをおり、親友のイマさんの店「かいば屋」で酎ハイをぎゅーとやろうか。(田中小実昌「バスが大好き」中公文庫)
ぼくたちは殿山泰司さんのことをトノさんとよんでたけど(中略)、新劇の大先輩でテレビの水戸黄門もやった東野英治郎さんは、「タイジ、とよびすてだよ」とトノさんがわらっていたのを、おもいだす。タイジとよばれるのが、うれしかったらしい。(田中小実昌「トノさん」幻戯書房)
●「ふるさと」とは転居が多い場合、「故郷はどこか?」と聞かれたとき返答に困る人も多いはずだ。自分もその一人である。生まれたところと育ったところが違う。それに、育ったところが幾つもある。たまたま、運よく?その全てが広島県だったので、「出身県は?」と聞かれたとき「広島県」と答えることが出来るが、「出身の町は?」と聞かれると、本当は困ってしまうのだが、説明が面倒なので、全国的に一番知られている「呉市」と答えることにしているだけである。実は、呉市に住んでいたのは、中学1年の2学期から大学卒業までの約
主人=石立が童話作家であるのでその編集委員役当時はドラマなどの役者仕事もしていたのである。ひろちゃんのmyPickAmazon(アマゾン)昭和の名作ライブラリー第50集気まぐれ天使Blu-ray20,300〜46,300円