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「スカイ・ハイ‼️~翔る円谷英二~」【シーズン2】最終回⑳マタンゴと円谷プロダクション誕生昭和三十八年の夏。私(田中友幸)は、これまでにない新しい恐怖の形を追い求めていた。ゴジラに代表される巨大怪獣映画は、すでに東宝の大切な稼ぎ頭となっていたが、私はそれとは異なる「観客の背筋を凍らせる夏の怪談映画」の新機軸を打ち出したいと考えていたのだ。私が主宰する企画創作サロンには、当時のSF界を牽引する尖鋭的な作家たちが顔を揃えていた。私は彼らに、夏向けの怪奇企画という重いお題
「スカイ・ハイ‼️~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑲無責任若大将対ゴジラ昭和37年7月、東宝砧撮影所は、眠ることを忘れた「不夜城」だった。イヤ、忘れた、のではない。眠りを棄てさせられた、無制限試合のスタジアムだった。一歩ゲートをくぐれば、そこは二十四時間、常に誰かが叫び、誰かが走り、焦げ付いた照明の匂いと熱気が渦巻く巨大な夢の工場。邦画の黄金期を牽引する人間たちのプライドが、最高潮の火花を散らす場所でもあった。この時期の東宝には、時代を動かす三つの巨大な地殻変動が同時に起きていた
「スカイ・ハイ‼️~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑱【登場人物】木村武:東宝の専属脚本家。竹内均:東京大学理学部助教授(当時)。若き天才地球物理学者。1.東大研究室の門を叩く「失礼します!東宝の脚本を担当しております、木村と申します!」本郷の東京大学理学部。古めかしい研究室のドアを勢いよく開けたのは、脚本家の木村武であった。丘美丈二郎の小説『地球大改造』を原作とした一大SF映画。そのシナリオ執筆という重責を担った木村は、机上の空論ではない「本物の科学」を求めて、当時、気鋭の俊
今回を含め、あと4回で当シリーズ(シーズン2)は、おしまいになります。一気に書き抜いて、8月一杯、投稿はおやすみいたします。9月から、「我が師・岡本喜八サイドストーリー」をスタートいたします。【シーズン2】残りの予定⑰職人監督・福田純誕生〜【電送人間】⑱木村武と東大・竹内均博士〜【妖星ゴラス】⑲無責任若大将対ゴジラ〜【キングコング対ゴジラ】【ニッポン無責任時代】【日本一の若大将】⑳シーズン2最終回・円谷プロダクション誕生~【マタンゴ】【海底軍艦】「スカイ・ハイ‼️~翔る円谷
「スカイ・ハイ‼️~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑯「田中さん、これは……!」本多猪四郎が、手渡された興行成績の速報シートを見つめたまま絶句した。夕刻のプロデューサー個室。デスクの上の灰皿には、何本もの吸い殻が山をなしている。その主である私(田中友幸)の顔には、安堵と確信の笑みが浮かんでいた。「イノさん、ホントにありがとう、大ヒットだ。公開初日から映画館の外まで長蛇の列だよ。前作の『ゴジラ』や『地球防衛軍』とはまた違う、大人の観客層が詰めかけているんだね」「おお、それは良かった!液体人間
「スカイ・ハイ!‼️~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑮湿った「叙情」をブチ抜き、乾いたアメリカのリズムに貼り替える。昭和33年の東宝砧撮影所は、まさにその歴史的転換点(パラダイム・シフト)の真っ只中にあった。東宝社史の中にも、そこの記述を敢えて避けようとする黒歴史がある。撮影所を根底から揺るがした「石原慎太郎監督・ボイコット事件」だ。👍️『若い獣』演出中の石原慎太郎映画の素人である石原慎太郎に、会社フロント(本社)あろうことか原作・脚本・監督の三役すべてを任せて『若い獣』という拳闘ドラマ
『スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~』【シーズン2】⑭時計の針は少し巻き戻る。昭和30年(1955年)春の東宝・砧撮影所は、前年の『ゴジラ』の熱狂冷めやらぬまま、怒涛の続編『ゴジラの逆襲』の制作に追われ、戦場のような騒ぎになっていた。あの「ヘンリー大川事件」でスパイ相手に八面六臂の大活躍を見せ、映画の成功を陰で支えた円谷英二の長男・一(はじめ)君は、この現場にもいた。父親の右腕として、連日泥まみれになりながら、大阪城のミニチュアセットに火薬を仕掛け、カメラを回し続けていた。しかし、4月の公開が迫
「スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑬脚本・関沢新一登場‼️「おい、演出辞めて脚本一本で食っていくんだって?正気か、関沢!」「ああ、正気や。与えられた本をなぞるだけをもって良しとするは、男児の生きる道にあらず也や。俺の書いた文字が、銀幕で巨大な怪獣やロケットになって暴れ回るんや、ごっつぅオモロイでぇ」昭和30年代初頭。大手チェーンの配給をサポートする独立プロで曲がりなりにも監督への道を着実に歩んでいたのに……だ。華やかな肩書を自ら捨て、一本の万年筆だけを武器にフリーの脚本家
「スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑫👍️パースペクタ・ステレオフォニック・サウンド(=多元磁気立体音響)「おい、三縄さん!音の動きが完全にズレてるじゃないか。UFOが画面の右から左へ横切るんだから、音もそれに合わせて綺麗に流れていかなきゃ意味がない。これじゃ特撮のスピード感が台無しだよ!」東宝のダビングルームに、円谷英二の怒声が鋭く響き渡った。普段は温厚な英二が、ここまで感情を露わにすることは珍しい。それほど、今回の『地球防衛軍』に懸ける想いは並大抵のものではなかった。東
「スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑪それは、新作SF特撮映画の企画が本格的に動き出した矢先のことだった。本社から私(田中友幸)のもとに、突然、実に厄介なお達しが届いた。「新東宝から古巣の東宝に移籍してきた藤田進に、大役をあててやってくれ」要請を聞いた瞬間、私は思わず頭を抱えた。藤田進といえば、あの黒澤明のデビュー作『姿三四郎』(1943年)で主役を張り、戦前・戦中を支えた東宝の大看板だ。存在感と威厳は文句なしに圧倒的。けれども、しかし、だ。……正直に言って、芝居はお世辞にも
「スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑩木村武との間で「宇宙モノ」という次なる未踏の領域へのGOサインを出した直後のことである。私のプロデューサー室のドアをトントンと叩き、円谷英二がふらりと姿を現した。その目は、まるでたっぷり詰まったオモチャ箱をひっくり返す直前の少年のように、爛々とした輝きを放っていた。「トモユキさん、ちょっといいかね」応接ソファに腰を下ろすなり、円谷は身を乗り出してきた。「今取りかかってる次の木村くんのなんだがね、コマツザキのあの空想科学イラストの世界を、特
「スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~」【シーズン2】⑨「木村よ、なぁ頼む。ラドンを2体出す件はこれで進める。だが、これ以上の細部へのこだわりは、この際諦めてくれ!」私は半ば涙声で、木村武に頭を下げていた。プロデューサーとしての限界だった。しかし、ただ引き下がってもらうわけにはいかない。私は一計を案じ、彼に破格の条件を提示した。「その代わりと言ってはなんだが……貴様の本当にやりたい企画があるなら、期限は一切設けない。好きなだけ時間をかけて執筆してくれ。必ず私が東宝で映画化してみせるから」それは
『スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~』【シーズン2】⑦昭和の劈頭。関西大学の眩しい青空の下、ともに演劇の未来を熱く、青臭く語り合った仲だった……私田中友幸と、木村武。しかし、激動という言葉すら生ぬるい狂気の時代は、同じ夢を見ていた二人の運命を、残酷なほど真っ二つに引き裂いていった。木村の歩んだ道は、まさに血と泥に塗れた茨の道だった。満州事変を皮切りに日本が破滅的戦争へ陥って行くその時代、彼はその群を抜いて過激かつ先鋭的な思想から、2度も治安維持法に引っ掛かり、特別高等警察(現在の検察庁)に逮捕・
『スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~』【シーズン2】⑥👍️木村武(後に改名して、馬淵薫)映画は「第7芸術」などともてはやされることもある。だが私は、映画ほど「算盤(そろばん)勘定」と裏表の芸術はないと思っている。どれほど高尚な理念があろうと、客が入らねば会社は傾く。上限のある予算と限られた日数の範囲内で、監督やシナリオライターに最大限の佳い仕事をさせ、最高の成果を絞り出すことこそがプロデューサーの腕の見せ所なのだ。この点、会社を大いに儲けさせてくれたのは渡辺邦男やマキノ雅弘、成瀬巳喜男とい
『スカイ・ハイ!~翔る円谷英二~』【シーズン2】⑤ラドン2体登場に変更したいと譲らない木村武の筆が何とか撮影に追いつくまでの間、当時のスタジオ内の風景をいくつか紹介しよう。撮影所敷地内最奥にある円谷組の特撮ステージには、自分の撮影時間が空くと、まるで磁石に引き寄せられるかのように必ず見学にやってくる風変わりな男がいた。『空の大怪獣ラドン』のときにも、髷を結ったままの着物姿で、次の出番で呼ばれるまでの短い間を、特撮ステージに精密に配置された博多の街のジオラマを飽きずに眺めていた。👍️『蜘蛛
『スカイ・ハイ!!~翔る円谷英二~』【シーズン2】③👍️小松﨑茂「田中さん、妙なお客さんが表であなたを呼んでますよ」撮影所の若い進行係が、怪訝そうな顔で私の部屋に飛び込んできた。怪訝になるのも無理はなかった。案内されて応接室へ向かうと、そこにいたのは、時代錯誤なほど立派な高下駄を履き、お世辞にも端正とは言えない独特の風体を模した大男だったからだ。「あなたがゴジラのプロデューサー田中友幸さんかね」男は挨拶もそこそこに、名刺の代わりに、懐から数枚の分厚い画用紙を差し出してきた。それを見た
『スカイ・ハイ!!~翔る円谷英二~』【シーズン2】②数日後、東宝撮影所の一室で2回目の企画会議が開かれていた。「おいおい、木村のやつ、また遅れてるのか?」文芸部のスタッフが時計を見ながらため息をつく。プロットは大絶賛されたものの、いかんせん木村武は筆がとびきり遅い。綿密すぎる事前調査を行い、途上でわずかでも不明なことがあると徹底して調べを尽くさないと1行も前に進めない。それが彼の性分だった。ガラリと扉が開いたのは、開始時刻をとうに過ぎた頃だった。現れた木村は、両手に大きな泥染めの風呂敷包み
『スカイ・ハイ!!〜翔る円谷英二〜』【シーズン2】昭和31年(1956年)初夏、多摩川に程近い世田谷区砧村。東宝撮影所の一角にある特殊効果撮影担当・円谷組の準備室は、異様な熱気に包まれていた。『ゴジラ』の世界的ヒット、続くハリウッド版ブローアップ『怪獣王ゴジラ』凱旋、そして『獣人雪男』『ゴジラの逆襲』と、特撮路線は次々と東宝の懐を潤し、今や会社の看板ジャンルへと成長していた。「次は、空だ‼️」私(田中友幸)のふとした思いつきだった。円谷英二の“ワザ”をメインに据えた次回作制作の催促が、
こどもの頃、夢中になった本は?▼本日限定!ブログスタンプ幼少期に読んだ「エルマーの冒険」が好きでしたね…📚️「国際子どもの本の日」日付けはデンマーク🇩🇰の童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの誕生日から「週刊誌の日」1922年(大正11年)「週刊朝日」と「サンデー毎日」が同時に発刊されました。「五百円札発行記念日」1951年(昭和26年)日本銀行より五百円札が発行されました。肖像は政治家の岩倉具視、裏面は富士山でした。五百円札は1985年(昭和60年)まで製造されまし
【エピソード1・最終話】咆哮のフィナーレ〜偽りの残響そして新しき橋昭和29年10月末。有楽町東宝本社内の試写室には、マスコミを交えた映画関係者で人混みとなり、寄せる期待への熱気は目前に迫った冬の到来を吹き飛ばしていた。ついに完成した映画『ゴジラ』の初号試写会。場内が暗転し、伊福部昭の地響きのようさな旋律が鳴り響いた瞬間、そこに座っていたハリウッドのバイヤーたちは総毛立ち、椅子から転げ落ちんばかりに驚愕した。タイトル冒頭ゴジラの咆哮が轟き、かつてハリウッドの誰もが耳にしたことのない圧
『スカイ・ハイ‼️〜翔る円谷英二〜』【12】鋼鉄の沈黙〜偽りの設計図と「G」の胎動第8ステージ。その隅で、ヘンリー大川は息を潜めていた。通訳としてスタッフの信頼を得ている彼は、誰もいない昼休憩の隙を突き、渡辺明の机に置かれた「G」の内部構造図をライカの隠しカメラで収めていた。そこには驚くべき秘密が記されていた。大川:「……オール・ハイドロリック(全油圧駆動)のリモコン式だ?アンビリーバボー!」ヘンリーは目を剥いた。図面には、巨大な怪獣の全身に張り巡らされた複雑な油圧シ
『スカイ・ハイ‼️〜翔る円谷英二〜』【11】鋼鉄の沈黙〜砂漠の鷲と密偵☝️ゴジラ(1954)、初登場シーン☝️左:円谷英二、右:本多猪四郎(1954年ゴジラ撮影時)「G作品」は、正式に【ゴジラ】と命名された。巷間、ゴリラとクジラの合成語であると実しやかに伝えられるが、円谷英二、本多猪四郎の遺した文字にも、また私(田中友幸)の記憶にもそのようなご都合的な話ではなかった。あくまで、森岩雄副社長の【G】を起点に、撮影所文芸担当の若い連中(=企画・脚本家の卵たち)が語義と
『スカイ・ハイ‼️〜翔る円谷英二〜』【10】聖域の職人たち〜「G」始動の朝昭和29年、雨上がりの成城・東宝砧撮影所。本多猪四郎は、ついに「G作品」の聖域へと足を踏み入れた。特撮大プールのある第8ステージ。そこには既に、円谷英二という巨星を囲む精鋭たちが、それぞれの戦場を整えていた。円谷:「……イノさん、よぅ来らったなし!」キャメラを支える荒木秀三郎の横でルーペを覗き込んでいた円谷英二が、短く声を上げた。その視線の先には、美術の渡辺明が心血を注いで作り上げた、精巧な銀座の街並み
『スカイ・ハイ‼️〜翔る円谷英二〜』【6】G作品(プロジェクト・ジー)低気圧の接近で、関東はこれから大いに荒れる予報が出ていた。急性盲腸炎の開腹手術を受けた円谷英二がいる大蔵総合病院に私はいた。「総合」とは言っても、小児科内科産科主体のひっそりとした佇まいの病院で、急患患者の受け入れなど戦後初めてだったらしく、彼のオペにはわざわざお隣の都立病院からドクターの応援を要請することになったと、妻のマサノから聞いた。面会謝絶の札がようやく外れ、開院前の時間帯であったため、病院の長い廊下
👆️上=東宝本社ビル(東京宝塚劇場)、下=日劇【5】全権委任(フルスロットル)日比谷の東宝本社ビル。斜向かいには、東洋の娯楽の城・日劇(にちげき)が聳え立つ。12階のフロアー全部を独占する副社長執務室。その重厚な扉を叩く私の胸は、不安と緊張で、はち切れんばかりだった。副社長、森岩雄。東宝の頭脳ともいえる彼が、わざわざ私を呼び出したのだ。私:「失礼いたします。田中です」応接室に入ると、森は厳しい表情を崩さぬまま、開口一番こう言った。森:「田中君、聞いたぞ。中北千枝子君との結婚
【3】紫煙の邂逅、光の再起昭和27年。スタジオ内は消防法の規制で全面禁煙となっている。そのため、撮影がひと区切りすると、喫煙所に向かってスタッフや俳優たちが滝のように雪崩込む。東宝大争議(ストライキ)、撮影所分裂後「新東宝」発足、レッド・パージを経て、公職追放の全面解除から復帰したばかりの円谷英二。かつての部下たちが温かく迎え入れてくれたのとは逆に、上層部の視線は冷ややかだった。操演、ミニチュアワーク、合成などを手掛ける「特殊効果担当」部所は、撮影所の中でも、最も陽の当たらない、不便な位置
【1】ズボラな天才昭和初め、帝都世田谷の外れに突如白亜の城が建った。昼夜灯りと人の波が絶えることのない、映画撮影所。砧(きぬた)村の田園地帯に、遠く立川八王子から、あるいは中野杉並からも夜空を照らす光源で「あそこが砧だ」と誰にも分かった。そのP.C.L撮影所(東宝砧スタジオ)の片隅には、いつも奇妙な空気が漂っていた。中心にいるのは、ボサボサ頭を掻きむしり、手垢にまみれた真空管を愛おしそうに撫でる男、円谷英二。本名は英一だが、みずから好んで耳触りの好い英二を名乗った。「……エイジさん、また
本日11月3日は『ゴジラ』の日なのですが、今回は『獣人雪男』を紹介します。『獣人雪男』は1955年8月14日公開の東宝作品。2025年は『獣人雪男』誕生70周年ですが、特別に何かある訳ではない様です………残念。1954年『ゴジラ』の大ヒットに続く怪獣映画として企画された『S作品』が『獣人雪男』の原点です。『ゴジラ』とは異なる独自の方向性の作品である一方で、製作/田中友幸監督/本多猪四郎特技監督/円谷英二原作/香山滋脚本/村田武雄主演/宝田明河内桃子………は『ゴジラ』と同じです。
「午前十時の映画祭14」にて『海底軍艦』が上映中です。(1月16日までグループBの劇場。1月17日よりグループAの劇場)『海底軍艦』は押川春浪が1900年(明治33年)に発表した小説『海島冒険奇譚海底軍艦』が原作。この小説を改変し現代(1963年=昭和38年)を舞台にして映画化されたのが、本多猪四郎監督作品『海底軍艦』です。※『海底軍艦』サントラ盤CDのジャケット東宝は当初、1964年正月映画(1963年12月末公開作品)として別の作品を予定していたものの、それが間に合わなくなった事
ノストラダムスの大予言/オリジナル・サウンド・トラック東宝レコードAT-10691974年公開。『日本沈没』(1973)に続く、東宝パニック大作第二弾。劇中の表現にクレームがついたりした為か、今だに未ソフト化。90年代の終わり頃には完全版の海賊版ビデオが出回る。(海外版はソフト化されている)監督は舛田利雄。特撮監督中野昭慶。音楽は冨田勲。主演は丹波哲郎。