生麦事件関係史跡、十月二日探訪:「生麦」と聞けば、まず「生麦、生米、生卵」の早口言葉を思い浮かべる人が多いであろうが、日本史、取り分け、近現代史に興味のある人ならば、「生麦事件」に思いが至るであろう。文久二年八月二十一日(西暦1862年9月14日)、江戸を発して本国薩摩に向かう島津久光の行列四百名余りは、生麦村を通過中。その際、当時開港していた横浜から乗馬をしにきていた四人のイギリス人が行列を横切った時、警護の薩摩藩士が内一名を殺害、二名に重傷を負わせる。事件は外交問題、そして、翌年のイギリス艦