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2025年?月?日生野鉱山道「姫路・飾磨~生野」(1)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック生野鉱山道F-Googleマイマップ生野鉱山道Fwww.google.com生野鉱山(現・朝来市)と飾磨港(現・姫路市)を結ぶ道路。鉱山関連物資の輸送のために旧但馬街道(生野街道)を、生野鉱山に招聘されていたフランス人技師ジャン=フランソワ・コワニェ提案により工部省鉱山寮が整備した道。起点「銀の馬車道飾磨津物揚場跡」(姫路市飾磨区宮)(しかまつものあげ
嘗ての"かもめ"専用機が秋の但馬路を駆け抜けます播但線青倉-竹田ハサ掛けを額縁に播但線生野-新井スタイルの良いC57が生野峠を駆け下ります播但線生野-新井紅葉が進む真名谷播但線生野-長谷まだまだ砂利道が当たり前のそんな時代でした播但線和田山-竹田最後まで御覧戴いてありがとうございました
今日は一枚1977年4月23日播但線のフィルムから山の中を行く普通列車の写真をDD5432生野越え・上り普通列車播但線、長谷~生野1977.4.23本当は、石炭の煙でも撮りたかったところですが...DD54が記録出来ていて良かったと自己満足。C54ほどでは無いが、少数・短命派のDD54。この「54」と言う形式に魅力を感じてましたが、C54・ED54・EF54は本でしか見た事が無い。年齢的問題と勝手に納得をした自身です。おしまい
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。生野11時53分着竹田から生野まで16.3kmしかないのに、30分もかかりました。通常、列車は通常進行方向に向かって左側のホームを使用しますが、生野駅では勾配の関係で右側のホームを利用する特殊な構造になっています。これから生野銀山に行きますが、休日のバスは1日2本しかありません。生野駅西口12時20分発のバスに乗車します。バスが入ってきました。筆者のみの貸切運行でした。生野銀山1
播但線の上り列車は生野峠に向けて一方的な上り勾配で、和田山を出たC57は給気運転されているために何処で撮っても煙は100%保証されていました。普通列車として日本で一番たくさん撮影されたと言われた636レをフルパワーで牽くC57137播但線青倉-新井1972年3月和田山の街から円山川河畔に出て来たC57は既に加減弁全開!播但線和田山-竹田1972年3月パワー全開のまま円山川に沿って城下町“竹田”に入って行きます。播但線和田山-竹田1972年3月
播但線のC57の事を取り上げた鉄道雑誌などで「C57貨物の692レにはDD54補機は付かない」という記事を目にしますが、私にはそんな実感はありません。お昼過ぎに生野峠を登ってくる692レのC57貨物は、その日の荷物の量によって新井からDD54の補機を付けるかを決めていたように感じます。DD54補機の運用は新井-寺前間となっていましたが、寺前を13時半ごろに出て来る695レC57下り貨物の量によっては、692レで本務機のC57と一緒に新井から生野峠を登ったDD54は生野駅で解結されることもあ
峠を越えた播但線のC57下り列車は生野駅を出発すると駅の発車以外ほとんど煙は期待できません。そこで姫路を8時半ごろに出て、終着の和田山に10時30分に着くC57牽引の631レは発車時の煙を期待して、撮影のし易い生野駅や青倉駅でC57の発車を撮るのが私の一つのパターンでした。撮影日:1972年2月27日単線の青倉駅を発車する生野駅は構内の外れから下り勾配が始まりまるのですが、生野駅を出る631レのC57はよく煙を吐いてくれました。左端に近所のおばさんがC57に気にも留めず
1972年春のダイヤ改正で姫路第一機関区のC11は姿を消し、播但線を走るC57列車も2往復だけになってしまいました。豊岡区に最後まで残ったC57は93・95・113・128・156の5両です。幸いなことに1往復のC57貨物列車が撮影可能な時間帯に設定されていて、悪評高かった生野峠のDD54補機は春の改正以来、C57貨物の前補機に付く率は低くなったように感じました。これは当時DLの両数に限りがあり補機仕業に割り当てる余裕がなかったからかもしれないと勝手に思っています。播但線に残されたC
はまかぜ6号。キハ189系H2編成。この度のGWはてっきり増結は無いものと思ってたのですが見事な6連編成で乗車率1割も満たないお客様を運んでましたはまかぜ4号。キハ189系H?編成。田植え前の代掻きが終わっためっちゃ濁った田んぼの脇を華麗に通り過ぎて行く韋駄天!思わずファインダーの中でカッコいいって言ってたwwはまかぜ3号。キハ189系H?編成。山の緑が実に美しくまさしく「山笑う」の言葉がピッタリな情景の中をゆくキハ189形。はまかぜ3号。
2020/4/4(土)「緊急事態宣言」発出以前の話播但道/船津IC近くのコンビニでへ、待ち合わせ時刻より早めに到着。ここまで来るだけで汗をかいたのでリュックをハンドルに載せて天日干し。久しぶりにアイスコーヒーを買ったらフタが、ストロー無しでも飲めるタイプに変わっていた。この日は職場の同僚と、紅白のチャリでライドソロ活動が続いていたので、ワイワイ話ながら走るのは久しぶり。先月、通りがかった時はシートが被っていた馬車。シートが
2020/4/4(土)今日も、でハードワーク今回は職場の同僚と、2人で生野峠越えへ・・・播但道/船津ICのコンビニで集合。R312をメインに北上。目的地は、道の駅あさご※1Lap=5kmだったけど・・・急遽、が見頃の多々良木ダムも追加たたらぎ湖マラソン大会(※)で名前は聞くけど、参戦したことが無く、今回初めて行った。〔※今年の大会(6/7)は、中止決定〕いつもの単独と違って、2人でのライド。生野
カメラを向けた山際の向こうに煙が見えた時の緊張感は半端なく、微かにドラフトが聞こえて来る頃に興奮は頂点に達するのです。ピントは良いか?露出は良いか?ファインダーを覗き最後の確認カーブを曲がって来た!少し震える手でレリーズを握りしめる。フイルムを巻き上げ一枚また一枚とシャッターを切る少しの不安もう成るようにしかならない急に降り出した雪で辺りは雪化粧を始め、雪で視界も少し悪くなっていたのに気づいたのはC57が通り過ぎた後からでした。峠を登るC57は歩くくらい
稲架掛けの田圃が広がる生野峠に636レを牽くDD54のエキゾーストノートが響きます。播但線新井-生野1974年10月このカーブを曲がると生野トンネルに突入します。多量の排煙が問題になっていたDD54ですが、この頃のDD54を見る限り排気ガスはそんなに気になる量ではなさそうです。まして蒸気機関車の排煙に比べると乗客はあのモウモウたる盛大な煙から解放され快適な旅を続けられたことでしょう。最後まで御覧戴いてありがとうございました。
(トリミング有り)224D。キハ402007。またまた、うみやまむすび号が竹田城跡号に就かずに播但線の通常運用に就いたので前回はアウトカーブからの撮影やったから今回はインカーブから撮影してきた\(^o^)/1枚目が狙いの切り位置でいい具合撮れたがワイパーの位置が残念だったのでワイパーの位置が良いやつをトリミングww227D。こちらはケツウチで雨雲のかかった生野峠をキハ40とキハ41が力を合わせて登ってゆきます。
雷鳴を聞きながら熊をはじめ蛇や蜂に怯えながら非電化区間の撮影を満喫♪♪
1972年6月梅雨のある日播但線新井-生野雨が降る生野峠をC57が単機で貨物を牽き登ってきました。何度も何度も空転を起こし、その度ドラフト音は消え、そして再びゆっくりと動き出す様はどんな映画よりドラマチックでした。生野駅空転を繰り返した為によほど火床が荒れていたのでしょう。ブローを利かせ罐圧を上げ、発車時刻が過ぎても未だ火床整理が行われています。発車合図のブザーが鳴っても汽笛を吹鳴しただけで貨物列車は動かなかったので駅長さんが様子を見にやって来ました
231D。キハ412001号機。適当に登った所から俯瞰できる場所を発見♪♪って雪降ってるのに適当に山登るとか馬鹿としか言いようがない……w白に染まった山里を行くタラコ色は非常に良いアクセントになるから撮影してて楽しい♪♪1233D。キハ402046号機。渓谷の橋梁を渡ってゆくキハ40♪風情が有って情緒が感じられる♪♪235D。キハ412001号機。若干ピンが甘いのかな?ちらついていた雪の影響を受けたよう…ちょっともったいない1枚にな
1D。キハ189系H1編成。まずは定番のお立ち台で力強く雪の生野峠を登って行く「はまかぜ」号♪♪小雪が散らつく中峠を駆け上がってくる6連の気動車は迫力が有って毎回シビれる(*^_^*)9089D。はまかぜ89号。キハ189H?編成。年末の臨時便であるはまかぜ89号通過直前まで当列車の存在に気づいてなくてあわてて往年の名撮影地で後ろの山を入れて1枚。181時代は栄えた場所もいまでは笹や木が生えて撮影にはむかない場所に……。3D。
9646D。9647D。キハ402007号機。秋も終盤に差しかかりドライブがてら生野峠の紅葉を撮影してきました♪♪よくよく考えると天空の城竹田城跡号を撮影するなら竹田城跡を背景に撮影した方がよかったのかなと詰めの甘さを後悔wただ色づいた山の中を行く観光列車の旅も情緒が有って良いものです。
3D。キハ189系H?編成。周囲を山に囲まれ靄が晴れないなかをキハ189が生野峠に挑む。4D。キハ189系H?編成。緑を増した谷間をステンレスの車両が太陽に照らされてゆく。