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生沢徹。言わずと知れた、式場壮吉駆るポルシェとの死闘で知られていますよね。その時はスカイラインに乗っていたものの、以後ポルシェの魅力に傾倒するわけですが、一時トヨタと手を組んだことがありました。1983年のWECinJAPAN。颯爽と登場したのはトムスの…ではなくチームイクザワの83C。ただ、練習走行中に燃料系ラインから出火して全焼してしまいました。こうやって見ると燃えたのはカウルが中心で、モノコックは大丈夫そう?みたい…ということで、現存している兄弟車の童夢RC83iがこのモノコ
大相撲の夏場所は、大の里が綱取りに挑んでいますね。序盤からの取りこぼし無しで勝ち進み、単独首位を守っています。このままの調子を千秋楽まで維持し、八角理事長の願い通り、秋のロンドン場所で、東西両横綱揃っての土俵入りを実現して欲しいものですwwwさて、GWに訪れた「おもちゃと人形自動車博物館」は、個人の方が蒐集したコレクションを展示する施設です。いわゆる絵画や彫刻などの美術品では、事業で成功したオーナー経営者が、会社の資産として収集し公開していますね。こちらの美術館は、横田正弘さんとい
VANレーシングメイト艶消しタイプ8.5cmお譲りします。昭和当時ものではなく復刻版ですので耐候性よく色褪せしにくいタイプです。お店ディスプレイ品の為、新品に近いusedですけど基本新品同様です。ノスタルジーな旧車に似合います。旧車イヴェントに最適ですね。磁石なので塗装を傷めません。盗難の恐れもありますから定期的に剥がされた方が良いです。業務用マグネットの為走行中に外れることはありません。僕も旧車に貼り付けていて確認済みです。メルカリ出品中ですが、Amebaブログ、facebookか
ホビーフォーラム2024ツボな展示、くるま村さんの展示はいつも心に刺さるモノがあります。たまにコラボをさせて貰ったりするのですが、私の30度バンク研究所もくるま村さん無しには存在しなかったでしょう。特に古の日本のレースに拘った展示の濃さは見習うところが多いですねえ。今年のハイライトは押してるシリーズ第二弾。第3回日本グランプリでプリンスワークスのチームプレーで瀧進太郎の最新鋭ポルシェ906を性能的に劣るプリンスR380で巧みに抑え込むドライビングを披露した生沢徹がミッショントラブルでストッ
1981年の鈴鹿1000kmやらル・マンを走った、伊太利屋withTETSUのポルシェ935K3。ル・マンではプランケンホーン/シュトメレン/生沢徹組でしたっけね。この時のドライバー、ロルフ・シュトメレンはシュニッツァーセリカターボ(青い頃)に乗って、ドイツDRMを戦ってましたね。いま見ると、リアウイングの横幅がグループ5ではルーフの幅までだと規定されているので、ずいぶん小っこく見えますな。一応リアフェンダー後端に可変フラップが付いているので、これで補佐できます。何度みても美しいのは
家電屋でひとり大騒ぎ(^_^;)し、式場さんのポルシェやぁ(ToT)日本グランプリから60年、まさか440円で発売されようとは(ToT)今の子供達が「カッコいい!」と思ってくれるといいな(^_^;)この瞬間から、日本メーカーの永遠の仮想敵になりました。かつて、生沢さんに、少ないけど奇跡的につながったツテを頼って、一度だけお会い出来た時に、この時の事、聞く勇気がありませんでした。
スタート前のチーム・イクザワ(生沢徹監督)のトムス86C。ドライバーはケネス・アチソン/マイケル・ロー組。前年まではキヤノンカラーだったこのチームが、装いも新たにダンロップカラーでサーキットに登場。1986年序盤戦は旧式の85Cで走り、開幕戦でいきなり表彰台を獲得したのちに後半戦ではハイウイング仕様の86Cへと改められました。そして翌1987年にはワープゾーン85Cやアドバン85Cを走らせていたオートビューレックが、カラーリングはそのままでスポンサーを追加し「BA-TSUダンロップ86
2024年6月24日大安の月曜日昨日は、自分と妻の要らない服や履けないズボン(自分)の整理と処分を行い、箪笥やクローゼットがガラガラになりました。整理は、勢いと家族全員の協力が必要。これ、自分ひとりだと2日でも終わらない。判断出来ないから。妻が判断、娘が梱包、自分が出し入れと廃棄へ搬送。今度は一階の在宅勤務部屋がまだ汚いのでそれもやりたい。そのほか、自分の無線室(収納で部屋ではない)の中が紙の山なので、それもやらないと・・・・因みに無線はアンネナやケーブルもとっ
本屋さんで見つけたアシェットの国産名車コレクション1/24シリーズ。シリーズも終盤に来たのでしょうか?金型を償却する為に色違いやラリー仕様などが出て来ました。こうなると私も黙ってられなくなって来ました。今回は1964年に鈴鹿サーキットで行われた第二回日本グランプリで生沢選手の手で一周だけですがレーシングカーのポルシェ904の前を走ってスカイライン伝説を作ったスカイラインGT、後のスカイラインGTBです。この時代のレーシングカーは外観はほとんどノーマルなのでバリエーションとして作りやすいですね
少し前になりますが日産自動車横浜工場で開かれたオートモデラーの集いin横浜に展示参加させていただきました。自動車模型としては日本ではマイナーとなってしまった1/43サイズでこれもなかなかマイナーないにしえの日本の自動車レースをテーマとした展示を同好の作家さんと共同で合計20台並べて来ました。特に一緒に並べていただいたモデルは超絶な内容で雑誌などにも多数紹介されたモノなので色々な方々が見に来られて盛況でありました。私もここ7年位でリリースした初期の富士グランチャンシリーズのクルマを中心に展示
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目が完成しました。1964年第2回日本グランプリ自動車レースGT-IIクラス決勝3位ドライバー生沢徹サイドモールをステンレス線に置き換えて製作しましたが、ボディの塗り直しをしなくてはならない事態に陥った事から、塗膜が厚くなってしまい境目が綺麗に仕上がらなかった事が反省点です。色々とトラブルがありましたが何とか完成させる事が出来ました。ご覧頂きありがとうございました😊
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓残す作業は後少し。先ずはシャーシに金属シャフトを差し込みタイヤを取り付けました。取付けはシャフトもタイヤ(ホイール)も瞬着流し込んでガッチリと固定。心配していた4輪接地も大丈夫そうです。シャーシとの連結に必要なダボはフロント加工時に切り取ってしまいましたので、代わりにフロントタイヤハウスの上にプラ板を積層し高さ調整。ここにGクリアーを塗ってボディにベタ貼りします。そしてボディとシャーシを結合。接着剤が落ち着
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。完成が近づいて来ましたが、パブリカ•バンを始めてしまった関係で足踏み状態。。。先ずはインパネにステアリングコラムと、スポーク部分をシルバーで筆塗りしたステアリングを接着。ヘッドライトリムもシルバーで筆塗り。レンズの飛散防止テープはデカールではなく半ツヤ黒をこれも筆塗りです。次にボディにウィンドウパーツ、インパネ、ルームミラー、内張をGクリアーで接着しました。説明書では内張はシャーシに接
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。ボディの研ぎ出しも終わり残りの工程も少なくなりましたが中々進みません。とりあえず研ぎ出しで出てしまったエッジ部のタッチアップを済ませ、ついでにフューエルキャップとドアノブ、サイドマーカーをシルバーで筆塗りしておきました。そして内張にモールドされてるハンドル類もシルバーに。実車は恐らく黒かと思いますがここは模型映えを優先しました。ステアリングのスポークヘッドライトリム、ウィンカーもシルバー
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。今日は半年毎の検診だったため仕事はお休みしました。朝イチで病院へ行き受付。午前中一杯の覚悟はしてましたが予想に反して9:00前に終了🙌🙌🙌帰りにホームセンターと100均に寄って昼前に帰宅。昼食べてモ活です。土曜日に吹いたクリアーも良い感じになりましたので研ぎ出しました。研いだと言ってもツルツルのテカテカにツヤを出す研ぎ出しではなく、柚子肌や粒状に飛んだクリアーを除去するのが目的。♯15
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。デカールもしっかりと定着した感じですのでクリアー吹きます。リキッド塗ったとは言えデカールが古い事に変わりありません。特にデカールが縮んでシワシワになるのが怖いので溶剤分の少ない濃いクリアーを吹きたく、手っ取り早く缶スプレーを吹く事に。コタツの中でスプレー缶を温めている内に、ホコリなどの最終チェック。ありゃ!ホコリどころではありません!赤ラインの吹き漏れ処理をすっかり忘れてました!しかもデカ
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。週末モデラーの私ですが、今日の夕飯は外食だった為20:00には帰宅。早々に風呂に入り21:00には何もする事が無くなりました。寝るには早いのでデカール貼りました。メーターとボディにも古いデカールなので予めリキッドを塗っていたデカール。ぬるま湯に浸す事約15分。何とか台紙から剥がれてくれましたが、やはり糊は薄く自力では密着してくれそうもありませんねぇ。。デカール貼る箇所にマークセッター
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。初歩的なミスにより再塗装となってしまった54B。外は多少の風がありますが冬の群馬では当たり前。良い天気で空気もカラカラに乾燥してますので朝から再塗装実行です。何だか、付着した無数の点々が中々隠ぺい出来ず、結局3度塗り重ねました。。。まぁ薄めに希釈して吹いたので厚ぼったくはなってません。普段なら自然乾燥で1週間(週末モデラーのため)放置しますが、冬場はコタツと言う名の乾燥ブースがありますので
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。週末モデラーの私なので中々進みません。しかも昨日は仕事でした。。。棚卸しが近い事から休日出勤でモ活ならず。本日少しだけ進めました。ボディの塗装を終え、サイドに貼ったステンレス線の処理も仕上がった事から、デカールを貼ります。とは言え、うん10年前のデカールですから使えるのか?まぁ、最悪はゼッケンとGT-IIのデカールだけでも貼れれば良いのですが。デカール表面を見る限り信じられない位に綺麗!
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。今日は月に一度、施設に居るお袋を病院に連れて行く日。休日ですがいつも通りに起床して出掛ける前にボディのサフ吹きました。そして昼頃に帰宅。丁度良い感じてサフも乾いていましたので、サイドに貼ったステンレス線の箇所のサフを除去し、ステンレス線を露出させておきました。サフですので爪と爪楊枝で簡単綺麗に剥がせます。因みに、画像では白っぽく見えますがグレーサフです。サフのカスが出ましたので綺麗に洗浄
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓S54Bの続きです。今日は1日フリー!なので本腰入れて作ります。風も無く良い天気ですのでウッドデッキで作業します。前回、ホイールの加工も進みましたので仮組みすべくタイヤを加工しました。使うのはコレです。『小型簡易旋盤❗️』10年程前まではスロットカーに熱くなってました。私が思うところ、スロットカーを速く、安定させて走らせる重要な条件のひとつとして「タイヤ」が挙げられます。私がや…ameblo.jp旋盤なん
大ちゃんさん主催の「旧車祭り2」に参加させて頂いています。とりあえず1台目はコレ↓正月休みも本日で終了です。。。年末年始は大掃除や正月の買い物、初詣に出掛けたり酒呑んだりと、中々モ活している間がありませんが、少しだけ時間が取れましたのでお触り程度ですが進めました。先ずは車高の塩梅を見ようと仮組みしたかったのですが、キットに付属されてるホイールを見て愕然。。と、しませんwこのシリーズはこんなもんでしょう。でも流石にレーシングにはちょっと使えませんねぇ....。今日の仮組みは諦めてホイ
ホビーフォーラムの展示の中にはもはや達人級の作品がいっぱい有るのですが、もしかして小人って本当にいるのか?と錯覚しそうな1/43スケールのフルディテール作品があります。お友達のくるま村さんの展示の中のGRDが3台。黄色いGRD-S72はあちこちで大反響を呼んでおりますが、1973年のヨーロッパF2を戦ったチームニッポンの2台のGRD273であります。風戸裕と生沢徹が乗ったGRDですが、昨年生沢車は展示されてこれも大反響。昨年の作品は現在生沢コレクションで生沢徹選手のもとに有ると聞いております
タグ・ホイヤーカレラチーム・イクザワbyバンフォード日本のモータースポーツのレジェンド、生沢徹が率いる生沢チームがロゴに使い続けた赤白カラーを基調とした腕時計が登場。限定100本、替えベルトと栄光ある歴史を象徴したポルシェのミニチュアモデルカーが付属。
未開封でコレクションに加わった、ポリトーイのポルシェ904カレラです。ポリトーイのパッケージ内のベルトを外すと元には戻せなくなりました。ポルシェが356ベースではレースに勝てないと新たに作られたレーシングスポーツカーです。日本グランプリで優勝しスカイラインとバトルをしたことでも有名なクルマです。ミニカーは当時ものは意外と少なくて小さなバイキングと、43ではポリトーイだけです。1970年代にってカドーからモデル化されました。こちらには銀と白がありプロポーションも断然よいのですがホワイトメタルなの
こんにちは、MP935Tです。本日はこちら!チョロQHGポルシェ906(カレラ6)日本のモータースポーツ史には欠かすことのできない906特に1966-7年の日本グランプリにおいて生沢徹らが駆った3台の906は認知が高いですねしかしカラーリングや外観の違いも割と多く、このゼッケン98は~~~どれがモデルなんでしょうかね。。。。(わからなかった)コインホルダーシールを見る限りは1967年の第4回日本GP扱いみたいですチェッカーフラッグのイラストがちょっと古いテイストな
ホビーフォーラム2022のツボな展示、つくづく日本人は手先が器用だと思う様な超絶なマイスターの展示が見られます。この作者は生沢徹が乗ったレーシングカーを中心に制作をされているのですが、1/43というスケールの中で何でこんな工作が出来るのかがもはや理解不能なレベルであります。前回は生沢徹が1972年の富士グランチャン第二戦に出場したGRDS72を内部再現をした超絶な作品が皆を驚かせましたが、今回は同じく生沢徹が1973年のヨーロッパF2に出場したGRD273です。メカ部分が露出してしかも足
これもくるま村さんの得意なジャンルでしょう。私もコレには大きく影響を受けています。1960年代のメーカー同士の激突で盛り上がり、あまりに過熱して死亡事故も続出して遂には1970年は中止となった日本グランプリの代わりに盛り上がったのは1971年にスタートした富士グランチャンピオンシリーズでした。プライベーターが中心のシリーズでスポーツプロトタイプのマシンのレースでした。このシリーズの盛り上がりにより、日本のプライベートレーシングチームが育てられたと言っても過言では無いでしょう。そんな初期のグ
毎回ホビーフォーラムで見逃せ無いのがくるま村の皆様の展示であります。まさに私のドツボ。私がキットをリリースするのはこの方々に影響されたからと言って過言ではありません。これまでも富士の旧ピットや30度バンクのジオラマで興奮させていただきました。今回は何と船橋サーキット。さすがの私も船橋サーキットはまだ幼稚園にも行っていない年齢だったので実際に見た事は無いのですが、コースとグリーンの境目に埋められたタイヤがいかにも船橋サーキット。現代ではあり得ないシーンでしょう。あまりに有名なCCCレース
ヴィンテージ・クラブ素晴らしき仲間たち。今を遡る半世紀近く前、遊び心にたけた20歳そこそこの青年たち。クルマが好きで、ファッションにうるさく、新しくてカッコいいことには片っ端から挑戦する。それは、かつてのVAN創設者石津謙介もそうだった。僕は後にVAN石津先生の功績から多くを学んだと思う。当時、1960年代初め頃といえば、僕が生まれた頃です。第一回、日本グランプリはリアルタイムではない。モータースポーツ草分け的、先駆者なる武勇伝は伝説となって後から知ったものだ。ヴィンテージ・クラブが発足された