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南無阿弥陀仏のお話をする気力が心身ともに挫けてしまったとき、阿弥陀さまがご縁の篤い方をどこからともなくふっとお引き合わせくださるようです。自死を考えるほど思いつめたり、数カ月寝たきりになったりしましたけれど、何となくいまは息災でいられ有り難いです。
投稿を耳で聞いていらっしゃる方もおいでです。だから、なるべく佳き言葉を選び分かり易い表現を心がけることを意識しております。丁寧な言葉を使うのはもちろん、人生の目的に向かい心が明るくなる言葉を選び書いています。どんな方もいまここで信心を賜り救われます。
名号という大宇宙の真理の宝物を賜ったので、全てのものが満ち満ちて、私は常に安寧満足の中にいます。その無限の豊かさの中で欲しいものを選んで、今生を楽しんでおります。こんな世界が既にあったのですね。不思議でしかありません。誰でもいまここできづけます。
讃題つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(註釈版135頁)(中略)今日はリクエストを受けて、讃題の御心を物語風にお話しします。では始めさせていただきます☆阿弥陀さまただいま戻りました。ご無沙汰しております。あ~ご無沙汰も何もありませんね。ほんの少しの間でございました。〇お帰りなさい。地球はどんな様子でありましたか。☆それは・・・・・・〇かなりの苦労があったと見えますね。☆地球に行く前に阿弥陀さまが
真理との邂逅を済ませ、なおかつ、こころが慶び、いい気分でいられようにしていけば、そういう人生を送れます。まだできていない人は、いまここでそうなったら、私が言っていることが本当だと分かります。特に佳きこころ持ちでいることを常に忘れないことが肝要です。
この冬から春にかけてほとんど寝たきり状態だったことから多くを学びました。特に有り難いのは、生死を超え、真理と共に生き、死後は往生成仏が決定した身なので常に全てが満ち満ちて、何の心配も要らない安寧満足の状態であること。このことを常に思い出せば大丈夫です。
面倒な人たちには自分からは絶対関わらないと決めました。その人たちと一緒にいても心が嬉しくない、慶ばないのは真理から遠いからでしょう。人は皆、同じような感覚を持った人といるのが仕合せです。波長が合わない人といると心身を病むのでお暇することにしています。
生死を離れ真理と共に生きる身に救われていないのに、名利、趣味その他の雑多で煩わされ、時間を割く生き方の人も学んでいるのでしょう。でも、何だかなぁって感じます。せっかくいまここで迷いを抜けるチャンスがあるのに、逃すのは宝の山から何も持たないで出るようなものです。
Hタイムラグって南無阿弥陀仏が阿弥陀様の声に聞こえるFそうなんですね。Hタイムラグってこのこと?Fどうなんでしょう。いまは煩悩が抜けませんけど、死んで往生極楽の身になることだと思っています。南無阿弥陀佛をその様に聞ける方は素晴らしいです。H後生の一大事をきいていたらF大宇宙の全部のお宝が詰まっていますから。南無阿弥陀佛には。蓮如上人もおっしゃいます。一念のきづきの時からずっと南無阿弥陀佛の名号と御一緒させていただいております。私を救うという本願力の込められた名号と。H南
2023年6月19日0:20(月)F夜分遅く失礼いたします。法務員をされているお寺の住職さんや前住職さんも一緒にT理事長のお話にお誘いされたら如何でしょうか。そのとき、信心を賜ったことをお話しされてもと。帰りにお祝いのお食事をされるのは素敵ですね。ふと思いました。ではまたお休みなさい。2:16H法務員さんは法務がなければ前住さまは脳幹梗塞でリハビリ中です面会についても住職さまがすごく前住さまの体調をきにされてますので手紙を書いておわたしします。住職さまによんでいただき、渡すかは
19:29(土)H法然さまは還相の菩薩さまだから本願疑惑心がなかったんですね19:59(土)Fどうでしょうか。信心決定される前は疑情を持っていらっしゃり、それが抜けなかったことを親鸞聖人は正信偈に法然聖人のことを書かれているのかもしれません。信後に自身が過去にどんなことをしてきた分かると言われます。親鸞聖人は初めてだったようです。20:52(土)F一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故この御文の仏願に順ずるというのは疑いなく信じるとい
19:53(金)Hありがとうほんとうありがとう私を動かすちからに喜んで撒かせます南無阿弥陀仏Fおまかせは大切ですね。何よりも早くお母さま、前住職様にご報告して、阿弥陀さまの本願力の生き証人だと信知していただいてください。Hさんの尊い仏縁は本当に有り難いことでした。20:53(金)Hうまれてきてつらかったいまはありがたいみんなに出会ってほしいF本当に長い間求められましたね。その経験が布教で生かせますよう念じます。早くに簡単に信心を賜るとTさんのようにろくなことになら
ここからFacebook06月14日07:27Facebookで友達になっています9:05(水)Fはじめましてアメブロでメッセージをいただいた方でしょうか。もし、そうならお返事くださいHはいそうですよろしくお願いします。少し長くなると思いますのでテキストでお送りしますお互いに通話したり、オンラインのステータスやメッセージの既読状況を確認したりできるようになりました。Fはい、了解いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。重ねてお伺いいたします。どういう御縁でアメブ
アメブロより深いご縁のある方々(06月12日20:08)毎日、種々の御縁を求めています。その場限りのことがほとんどです。自から電話、SNS、メールなどで連絡することは稀です。この方なら心が通じ合えるかもと予感がした時のみ、後に直接ご連絡します。知り合えた方々の願いが叶い、お浄土でまた再会できたら嬉しいですコメントH06月14日07:27はじめまして私はあなたが避けたいタイプの人間ですしかし真理に遇れた方だということはわかりますもとめて8年前に南無阿弥陀仏は仏様の勅命でまかせろ
心身を柔らかくして素直に真理の世界があることにきづけばいまここで邂逅できるんですけど。何だか小難しい理論を振り回したり、権威やお金儲けの種にしたりする人が多くて遠回りをさせられますね。
真理の世界があることを教えてくれる方があり、実際、真理の世界にいま生きている人がいることを知った人は仕合わせです。次は自分がその体験ができると分かるからです。きっと自分も体験出来ます。私がお話しした人たちが口々に言われたことです。
真摯に真理を求め切った方とお話して、私はただ真理とのお取り次ぎをしていただけで、むしろ、その方から多くを教えられたときづきました。一息切れたら、また長い迷いを繰り返すかどうかの瀬戸際での真剣な遣り取りの中でのお言葉は全部が大切なことでした。有難いです。
いきなり、さあこれが真理だと差し出しても、迷い、生死を繰り返す凡夫はそのまま受取れません。だから肉体を持ち苦悩の娑婆世界で迷いから抜ける術を学んでいるのです。方便だとしても真理に導くための様々な御縁は有難いです。方便がなければ真理と出合えませんでした。
人間であれば今生に生を受けるご縁となった親に心身共に一番お世話になります。また真理の道を説き導いてくださった方があり、今生で真理との邂逅ができたなら、その方も別の意味で尊いです。真理は無私よりずっと常に私たちを見護り迷いを抜けて生死を超える仏の身に救われることを念じつつけてくださっています。そういう存在があることを教え導いてくださった方があるなら、どんなにか仕合わせでしょう。教えだけを聞き求める訳にもいかないので、親、家族、友人、職場の方々など周りの方々がおいでになったので信心を賜ることが
小さなことから大きなことまで何かを成就したとき自分の手柄だと自惚れるのが私たち人間の悲しい性です。本来ならそれを成し遂げるのを助けて導いてくれた人、家族や友人など傍にいて身の回りのことをしてくれ、話を聞いてくれ、寄り添ってくれた人たちに感謝して御礼の気持を述べるのが先です。おかげさまでこのような願いが叶いましたと伝えたらきっと慶ばれるはずです。こんなことを教えてくれるのは親です。親が生きている内にいろいろ尋ねて、足りないところを教えてもらった方がいいです。そうでないと自分が自分がと我身の精
信心の話をした方が、ご自身の状態についてを書いてくださったものを投稿します。(Fは私です)まず以前の体験をにぎり放したくないという気持ちと現状がわからないと前に進めない。少しの疑いがあればおかしいとおもい自分ではわからないので聞いてもらいたいと連絡をしました。Fこれを信心の沙汰と言います。おそらく真宗カウンセリングとも最初の聖人一流章を読むところで後半不可思議の願力として・・・・になにかひっかかるものがあり正直にいいました。Fお聖教をこう読んだら、こう解釈したら救われた境地になれ
2022年成人後もなお、毒親、幼少時の兄弟姉妹の確執に不平不満を訴える人たちに言いたい。胎児を護り乳を与えオムツを替えてくれたのは誰か。その恩返しは済んだか。彼らにかけた迷惑は回収したか。記憶を一つ一つ書き出してみたらよい。それでも文句が言えるのか?「ただ愁嘆の声のみぞ聞く」(善導大師)娑婆世界は念いがほぼ叶わない処です。全て夢幻の世界でもあるので、所有物を持ってもなくても有無同然です。そんな場所だから、二度と生まれ変わらない、生死輪廻を超える世界を目指すようになるのです。2021年
昨日、御縁の深い方が今の心境をメールで書いておくって下さったのでお返事いたしました。(Fが私のお返事です)お返事を差し上げた後、チャットよりも対話がいいと言うことでしたので、メッセンジャーお話ししました。ご本人の許可を得られたので、投稿いたします。「お寺ではないが本堂のある家にうまれした。僧侶としては4代目になります。保育園児の時、母より人間はいつか死ぬときかされて、悲しくなって泣いて、なら努力しても無駄になる、なんで生まれてきたのか、生まれてこない方がよかったんだと思う。死への恐怖はあ
これは、疑い、迷いの境界、地平でしか考えられず、感じるられないという意味です。夢から覚め現実からあれは夢だったときづきます。夢の中ではそれが夢だと分からないのと同様です。狐に化かされ馬の糞尿をご馳走だと飲食する笑い話の中に私たちはいます。
「当流の安心のおもむきといふは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、ただもろもろの雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきこと、さらに疑あるべからず。」蓮如上人『御文章』「毎月両度」より一部引用私たちが生死を超えられないのは煩悩で造る多大な罪障ではなく真理を疑う心です。全身が疑いの塊、迷いなので、それを取り除くことは不可能です。取り除く以前に疑い、迷いはほんの些細なものであるという自惚れが分からず
腐った脳みそを攪拌しても出のは迷い。畑から出ている石が小さいと思い掘っていくと畑全体が石だった(似たものが氷山の一角)。疑い、迷いはすぐ消え簡単に除去できないので真理そのものにまかせるしかない。
2021年厳しい気候の狩猟民族が温暖で穏やかなアジアやアフリカの農耕民族を、まるで赤ん坊の手をひねるように摑まえて、奴隷にしてきた歴史をゆめゆめ忘れてはなりません。近世にキリスト教を追放し、鎖国したのは日本人が奴隷になることを避けるためだったという説があります。遺伝子注射を2回したら顔オムツが外せると思っている人はいませんか?利権と支配の旨味を知り尽くしている人たちがそんなに簡単に楽しみを手放すでしょうか?いのちを賭してまでマスクを外すために打ちますか?よくよく思案してください!近視眼的に
金輪際助かる縁も手掛かりもないと自惚れが消え、信じることも念じることもできない疑い通しの我が身だと知らされたとき別の地平が開けます。生き死にを繰り返す迷いから抜け、もう二度と迷いの世界に生まれない生死を超える身になると決意させられたらそうなります。
真理との邂逅ができずいまここで救われないのは疑いの心があるからです。疑う心が全てなくなり、救われるのではありません。信じる心は初めからないのです。畑の小石を掘っていったら畑全部が大きな石だったようなものです。信じる心、念じる心が皆無なので救われません。
正統派の浄土真宗の教学や例え話を駆使してお話したのは何年ぶりでしょうか。遠い過去のように感じられます。先に往生されたHさんにお話したのが最後だった気がします。ずっと開店休業状態が続きリアルタイムで話をすることもなく、毎日の投稿と論文を書いていました。今日は久々に気分が佳い日でした。佳きことの連鎖が続くことを念じて止みません。