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江戸時代後期に建てられた勝山藩の藩校で、移築されてはいるが神明神社の境内に講堂が現存している。また、勝山市荒土町には演舞寮も移築現存している。
【問題】土間を備え渡櫓で天守に連結された、大洲城に現存する櫓は次のうちどれか?【選択肢】烽火櫓祈念櫓不浄櫓台所櫓【正解】台所櫓【解説】大洲城(愛媛県大洲市)台所櫓は、同城に現存する櫓の一つである。その名の通り、一階に土間を持ち排煙用の格子窓を持つなど、台所の機能を具備している。
現在でも保存されているタンク車本日紹介するのは,TOMIXで先日発売されたタンク車「タキ29300前期型・古河機械金属タイプ」です.以前発売された小坂のタキ29300の派生製品ですが,一緒に使われていたようです.このタンク車は足尾駅で現在でも保存されているということもあり,1両だけ持っておくのも良いと思います.このような感じで使われていたのでしょう.
ご訪問、ありがとうございます❤️昨日のわたくしは【お家びと】🏡朝のうちに外用事を済ませかくだけ汗をかいて💦シャワーでスッキリ🚿後はエアコンの中で過ごしました一昨日の写真です🤳。梅雨花《アジサイ》は連日の暑さで、日中は悲鳴をあげています。朝のうちはまだ元気です。アジサイを見ると毎年思い出す【懐かしい物】👇(画像はサイトからの引用です・笑子供の頃に流行っていた物っ❗️水泳帽にお花がいっぱい付いていた事、覚えてらっしゃる方…いらっしゃいませんか(笑)⁉️驚く事に、こちら商品として現存
原初舞踏の最上和子さんが先日、「稽古場の軸と倫理」についてXに以下の投稿をされていた!===稽古場にはその稽古場の軸と倫理がある。それが稽古場生の共通の身体性になるのではないかと思う。職業も年齢もバラバラであるにもかかわらず。私の目標は「高貴なる野蛮」だ。みんなで気高く野蛮になろう。高い霊性を持とう。人類の歴史に脈々と続く高い霊性の峰に連なりたい。誰にも明け渡さない高い誇りを持ち、失われることなく深淵なる秘蹟を実現していこう。(最上和子20255/31)===稽
カワサキZ1って国内にどのくらい残っているのだろう?と気になって調べてみたのですがわかりませんでした。なんとか調べられないかなとネットサーフィンしていたらフェルミ推定という手法を見つけました。フェルミ推定とは、実際に調査することが難しいような捉えどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することである。くだらない?推定ですがこのフェルミ推定に基づいてZ1の現存台数を考察したいと思います。まず前提条件として、1.Z1の生産台数カワサキZ1シリーズは1972
【問題】≪難問≫三重県に唯一現存する城郭建造物は、次のうちどの城に残るか?【選択肢】松坂城鳥羽城亀山城松ヶ島城【正解】亀山城【解説】亀山城(三重県亀山市)の多聞櫓は、三重県内で唯一現存する中核的な城郭建築物である。平成の大修理により、平成25年(2013)江戸時代後期の姿に復原された。
兵庫県三田市に住む同期親友に会いに行く旅今年は車では無く、新幹線移動にしました途中名古屋で下車現役時代、岐阜には5年間も住んでいたのにここには来たことが無かった初訪問でしたが楽しかった本物を見て俄然作る気になりましたプラモですが・・・(笑)岐阜各務原航空宇宙博物館撮影:2024年11月25日
【日本最後の桃源郷】公的に現存する遊郭の内部を公開します!-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
昨日からの「城門」シリーズ『全国の「城門」を巡る』の立ち上げに当たり、既投稿でブログ上段の『メニューバー』の『全国の「櫓門」を巡る』をリニューアルしました。投稿後、新たに復元された「櫓門」の写真を撮り、追加・修正しましたのでご覧ください。追加・修正したのは、「上山城渡櫓門」「金沢城鼠多門」「福井城山里口御門」「竹中氏陣屋櫓門」「高松城御桜門」「鹿児島城御楼門」の6基です。現存46基+復元・復興・模擬84基=合計130基を掲載していますが、投稿を進めているうちに若干の
皆さん、こんにちは♪今日は、東海道線横浜〜戸塚間で、見かけた、謎の京王バスのお話を。戸塚にあるいすゞの工場に、昨年末に、引退したはずの京王バスカラーの初代エルガハイブリッド(QSG-LV234L3)が居るのです。恐らく、バッテリーの交換をして、地方譲渡か、もしかすると、まだ初期のハイブリッドならではの、バッテリー消耗具合をいすゞが、モニター的に、解析するために、買い取ったのか、分かりませんが、このあとどうなるのか、気になります。車両は、引退時
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります美浜町和田鎮座の御崎神社から町道を東へ行き、途中の分岐を左(東)に行くと右側に旧雷神社石灯籠があります⛩️雷神社『境内由緒書』『和歌山県神社庁公式サイト(御崎神社の項より)』『紀伊続風土記』より旧日高郡小池荘和田浦に鎮座し、江戸時代後期の境内は10町20間(約1.1キロメートル)。『紀伊続風土記』に「御埼社の攝社にて本社の艮五町にあり、祀神詳ならす。雷除の神と稱して雷除の守符を出す。古は神田七段ありしといふ。境内に遠
【問題】田中城(静岡県藤枝市)の下屋敷跡に移築され現存する同城の建物とは、次のうちどれか?【選択肢】本丸櫓大手櫓門小天守二の丸御殿【正解】本丸櫓【解説】田中城(静岡県藤枝市)下屋敷跡は平成に入ってから発掘調査、復元整備が進められ、その際に元は本丸に所在した櫓など、複数の現存建物が移築された。
走るカタナを所有できる喜び。エンジンの吹け、クラッチの適度な(笑)軽さ、レーンチェンジの軽快さ・素直さ。今、現存するカタナには、欠けていることが多いと聞く。これ、走っているからなんだろうな…?一ヶ月放置、三ヶ月放置、半年放置、一年放置。もし、一年放置したら、誰かに譲るからさ、チャンと走ってもらってよ。約束する。よく整備されてしっかり走るのは、ユニコーンジャパンのカタナくらいでしょ?
統合人間学会第15回大会2024年2月4日(日)15:30~16:30於)同志社大学今出川キャンパス寧静館4階46号教室立命館大学大学院博士後期課藤井美恵子「見えない世界に踏み込むケア-真宗カウンセリングによる宗教的アプローチ」はじめに現代社会に暮らす人々に何らかの生きづらさがあるとき、それを解決もしくは軽減するためのケアを求める。目に見える不足に対する金品の給付、医療、更生のケア(可視的物質的分化的)の不備を補うケアがある。その一
不幸は現存するが、何も、一人一人だけのものではない。一部の不幸は、本当に宇宙に響き渡り、染まり、浸透し、根付く。そんなことであれば、自他共の、と言う他ない。皆の幸せが望みなら。自他共の、不幸の打破、解消、終焉を目指さなければ、永遠に春はやって来ない。
こんにちは😊今回は昨年11月に内部公開された、大阪城の大手口多聞櫓と千貫櫓の様子をまとめておきます。因みに大手口多聞櫓と千貫櫓は大阪城にある5つの現存櫓の内の2つです。インスタでもポストしていますが、紹介しきれなかった写真なども追加しています😊↓大手口多聞櫓の正面↓隣の千貫櫓①大手口多聞櫓門を潜ります。桝形の中はこんな感じ桝形の奥、大門の上に跨ぐ渡櫓と右側に接続する続櫓によって構成されています。当初の建物は1783年の落雷⚡️で全焼したそうで、現在のものは1848年に再建
【問題】笠間城(茨城県笠間市)の櫓で、現在真浄寺に移築されて現存する櫓は、次のうちどれか?【選択肢】帝釈天櫓庚子小櫓八幡台櫓東水汲櫓【正解】八幡台櫓【解説】笠間城の建物として、八幡台にあった櫓が同じ笠間市内の真浄寺に移築され現存する。木造二層瓦葺きの櫓で、現在、茨城県の文化財に指定されている。
【問題】【日本城郭検定2級】火薬やその原料の硝石などを入れておくための蔵を焔硝蔵と呼ぶが、現存する城はどれか。【選択肢】大阪城江戸城姫路城名古屋城【正解】大阪城【解説】徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管した。
皆様、こんにちは。設計課の佐々木が建築家特集第4弾の投稿をします。過去に白井晟一、アントニン・レーモンド、丹下健三の建築についてブログを投稿しましたが今回は菊竹清訓の建築についてです。菊竹清訓(きくたけきよのり)はメタボリズム建築において黒川紀章(くろかわきしょう)と並ぶ代表格の建築家です。メタボリズムとは「新陳代謝」の事で、高度経済成長期に都市に人口が集中し都市が成長していきます。建築もそれに呼応して成長が可能な建築、フレキシブルに変更が可能な建築を創造する建築運動の思想の元に造ら
【問題】神戸城(三重県鈴鹿市)の櫓は、ある寺の鐘楼として現存するが、それは次のうちどこか?【選択肢】法林寺本立寺蓮花寺随念寺【正解】蓮花寺【解説】神戸城の二の丸太鼓櫓は、明治8年(1875)頃に解体され、城から南東へ2kmほど離れた蓮花寺に移築された。現在は、同寺の鐘楼として現存している。
観よう観ようとしていたけれど、最近まで忘れてて……Leminoで見つけましたアメリカ、オーストラリアの合作、2018年、ほぼ1時間40分の長くも短くもないですか。銃の開発によって膨大な富を築き上げたウィンチェスター一族の女性で、娘と夫に先立たれたサラ(ヘレン・ミレン)は、銃で死んだ人々の怨霊から身を守るため24時間365日、とりつかれたように屋敷の増改築を繰り返していた。狂気にとらわれたサラを診察しに屋敷を訪れた精神科医のエリック(ジェイソン・クラーク)は、ある部屋に違和感を抱く。SA
最上稲荷を後にして、この旅最後の山城備中松山城に向かいます。この城の歴史は古く、13世紀中ごろに当時の地頭秋葉三郎重信によって築かれた山城を、江戸時代に小堀氏が整備し、その後水谷氏が大改修した近世城郭です。小規模ながら日本の山城に現存する唯一の天守で貴重な存在。気象条件が合えば雲海に浮かぶ天守としても有名なところ。本格的山城で、存在感大の石垣が目を引きます。備中高梁市に近づくとループ橋の中心に桜並木がお花見で賑わっていました