ブログ記事18件
古来、中華で国を揺るがすような民衆による反乱は、その多くに宗教が絡んでいた。近年では方臘(ほうろう)の乱がそうだ。他にも三国の世を招いた、黄巾(こうきん)の乱。これらの時代は天災や苛政により、多くの民が失業し、貧困に喘いでいた。その苦しむ民の心に付け込むように、新興宗教が隆盛し、多くの信者の獲得に成功した。こうしてみると民というものは、梁山泊の志のように力を結集して国を打倒しようとするより、信仰によって救いを求めることを選ぶ生き物なのかもしれない。「その点についてはだけは、ここの三人の意
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆2024年2月4日の立春までもう少し。去年から引き続いての目標のひとつに<四君子を描く>があります。「四君子(しくんし)」とは?***東洋の画題の一つで,竹,梅,蘭,菊の四つをいう。その姿が高潔で君子の趣があるところからきたもので,個々には中国の宋代から描かれたが,〈四君子〉の呼称は明の陳継儒の《梅蘭竹菊四譜》に始まる。調度や衣料の意匠としても好まれる。*百科事典マイペディアより***春=蘭、夏=竹、秋=菊、冬=梅と季節を代表
李師師(りしし)の死を知った自分は、かつて感じたことのない、言い知れぬ喪失感に苛(さいな)まれた。乳母であり教育係であった李師師。母を知らない自分にとっては、おそらく母に対して抱くであろう情を、李師師に対して持っていたのかもしれない。李師師が何故毒を呷(あお)って死ななければならなかったのか、その理由をどれだけ考えても理解はできなかった。ただ青(せい)蓮寺(れんじ)という組織の名だけが、脳裏にこびりついていた。李(り)富(ふ)と李師師、青蓮寺。皇太子の自分が青蓮寺の事を嗅ぎ
ご訪問ありがとうございますザクロは漢字で「柘榴」と書き(ザクロの)花は梅雨入り前のこの季節に咲きます「紅一点」という言葉がありますがこれは多くの男性の中に女性が一人いる様子で草原に咲く紅い一輪の花を女性に例えた言葉です女性が多数の男性の中で目立つ存在である事を表現する際にも用いられますまた、多くのものの中で唯一異彩を放っているものという意味もありますこの紅一点は中国の詩人、王安石(おうあんせき)の詩「詠柘榴」の一節「万緑叢中紅一点」(ばんりょくそうちゅうこういってん)
東大名誉教授、竹内均(ひとし)氏の心に響く言葉より…ウィン・ウェンガーという人は「頭脳がよくなる!』(知的生きかた文庫)という本の中で、「ことばがなくては、われわれは四次元の世界に生きることはできない」とし、「概して、ことばの数が増えるほど、知覚できるものの数も増え、知能もより高度に働くようになる」と言っている。そして、「読むということは、われわれが最も怠りがちな言語体験である」と警告している。目で見、耳で聞くという作業は、学習には欠かせない作業だ。視聴覚に
今日の暗記は「自ら遣る(王安石)」。『戸を閉ざして愁いを推さんと欲するも愁いは終に肯えて去らず底事ぞ春風の来れば愁いを留むるも愁いは住まらず』自ら愁いを消そうとしても無理なのに、春風がそれをする。「留(とど)むる」と「住(とど)まらず」。2つの漢詩を訳者が同音にしたのかな。ーーーー2022.8月の暗記記録1日目:夜雨北に寄す(李商隠)2日目:楽遊原(李商隠)3日目:隠者を尋ねて遇わず(賈島)4日目:西亭の春望(賈至)5日目:西亭の春望(吟神訳)6日目:楼に登りて水を
ご訪問ありがとうございますザクロは漢字では「石榴」または「柘榴」と書きます原産地はペルシャで中国を経て日本に渡来しました長崎県には、おくにち料理の1つに「石榴なます」というのがありますまた「紅一点」(こういってん)とは大勢の男性のなかに女性が1人いる様子を表し草原に咲く紅い一輪の花を女性に例えた言葉ですこの紅一点は中国の詩人、王安石(おうあんせき)が詠んだ詩「詠柘榴」の一節からきています「広い緑の草原に紅い花が咲いている景色はこれだけで人の心を動かす」という内容です
庭の柘榴が熟した今年も焼酎(いいちこ)に漬けたしばらくすると焼酎が紅く染まる紅一点は(むさくるしい?)男たちの中に女性が一人だけいる場合に使われるが、元は「万緑叢中紅一点」の中の言葉で、王安石の柘榴を詠んだ詩の一句とされている。つまり、紅は柘榴の花のことのようだ。しかし、調べてみると、王安石の現在残っている詩のなかにそういう詩は見あたらないとのこと。王安石の詩の中に「濃緑万枝紅一点」という句はあるらしいが、手元の詩集には見つからない。柘榴を詠んだ詩は失われてし
出口治明著■『世界史の10人』から見えること世界史とか、ちらっとでもそちら方面に、つまり学校の勉強とかに傾いた話になると、とにかく丸暗記するしかなかったあの暗い勉学の日々がど~んと甦ってくるのは私だけ?だからこの本も(なにしろ結構な厚さがあるし)読まずに返却しようかなと思っていましたが、ふとページを開いてみると、あらら、案外イケるのです、これが!なにがって?1つはスケールの大きさ。例えば、昔「ゲルマン民族の大移動」って言ってたでしょ?今では「諸部族の大移動
おはようございます。日本美術を中心に研究している、美術評論家のトリです(『黄泉瓜新聞』(仮名)日曜版の下手な画家特集、あれ何とかなりませんか?)。だしぬけに恐縮だが、京都国立博物館で「京(みやこ)の国宝」展が開催されている(自分では行っていません)。120点の展示品のうち、72点が国宝らしい。見た瞬間、打ちのめされるような作品に出会うことは難しい。たとえそれが「国宝」であったとしても、そんな出会いは僥倖である。しかし数年前、京都国立博物館で開かれた「長谷川等伯展」において、文字通
夏の風物詩という言葉が妥当かどうかわからないが、蝉の鳴き声で目が覚めることがよくある。うるさい、といえばそれまでであるが、短い命を精一杯表現しているかのように思える。そして夏のおとずれ知らせてくれる。そんな蝉の違った喩え方やストリーを中国の古典から学ぶこともある。煎茶稽古で、掛けられていたお軸からー今夜(先日)のお軸は、蝉が一匹。漢文漢詩的には、蝉はこの時期によく登場する題材の一つである。中国では秋蝉(しゅうせん)といわれ、騒がしい比喩として使われ、また地中から出てきたセミは復活の象徴
明日で五月も終わりますね。あっという間に五月が過ぎてしまいます。今日は初夏を詠んだ漢詩をご紹介します。初夏即事王安石石梁茅屋有彎碕流水濺濺度両陂晴日暖風生麦気緑陰幽草勝花時初夏即事王安石石梁(せきりょう)茅屋(ぼうおく)彎碕(わんき)有り。流水、濺濺(せんせん)として両陂(りょうは)を度(わた)る。晴日、暖風麦気を生ず。緑陰、幽草、花の時に勝れり。初夏の風景を見て即席で作った詩王安石石の小さな橋、かやぶきの粗末な家、彎曲した岸辺流れる水は、さ
今にも降り出しそうな空が広がり重々しい。しかしまださほど暑くもないせいか、視界の先には青葉が繁って心地良い。その一端に柘榴の木を見つけた。まだ蕾ながら、万緑の中のオレンジ色の花は遠目であってもよく目立つ。時を得たかのように、「紅一点」とは、北宋の人、王安石の「詠柘榴詩」中の「万緑叢中紅一点」の句が由来と、つい先日知ったばかりだ。男性の中にただ一人いる女性という狭義だけでなく、多数の
おはようございます。もうそれしか取り柄がないんじゃないの?というくらいの、超イケメンのトリです(いないいな~い、アラン・ドロン)。さまざまな異論はあるものの、美人や美男子が得であるという事実は動かしがたい。少なくとも、「人は見た目が9割」という説に、真っ向から異を唱えることは難しい。何故なら、外から見えるのは容姿(もしくは広義の外見)だけだからである。こう言うと、中には反発して「いや、人間顔じゃない。中身が大事だ。内面を見てくれ」という人もいるだろう。しかし、それは実に「それ
気が向いた時、好きな漢詩を徒然に紹介今夜のように冷え込む春の夜の詩夜直王安石金炉香盡漏聲残剪剪軽風陣陣寒春色悩人眠不得月移花影上欄干[書き下し]金炉香尽きて漏声残す翦翦(せんせん)たる軽風陣陣寒し春色人を悩まして眠り得ず月は花影を移して欄干に上らしむ[現代語訳]金の香炉の香は燃え尽き、水時計の音も弱弱しくなってきた。そよ風が吹いては止み吹いては止みして、肌寒い。春が近いことを感じ悩ましくて眠れない。月がいつしか西の空に移って行き、今まで庭にあった
春分もすぎ、桜は満開、春もたけなわです。そこで、春の夜の素晴らしさを詠んだ漢詩の古典を二つ、ご紹介したいと思います。どちらも月が登場するので、ここで取り上げる基準を満たしているかと(^^主に、Web漢文大系に従います。一つは「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」で有名な蘇軾の「春夜」です。蘇軾:春夜-Web漢文大系(kanbun.info)有名なのはその一節だけで、全体はあまり知られていないと思うので、ここで取り上げる価値はあるでしょう。
(北宋・遼・金・南宋)(アカデミア世界史浜島書店)モンゴル高原では9世紀ウイグル滅亡後、契丹族(きったんぞく)の遼(916~1125)が支配し遼の西南部にはタングート族の西夏(1038〜1227)が成立した。中国本土では唐末の混乱の時代(五代十国時代)を統一した北宋(960〜1127)が成立した(上地図4)。北宋を建国した太祖趙匡胤(ちょうきょういん)は軍人(節度使・藩鎮)の勢力を抑えて武断政治から文治政治(文治主義)に転換した。文治主義政策は皇帝が科挙により官吏を登用
暖冬で、梅の開花が例年より早いですね。良い香りがそこはかとなく漂い、春の訪れを感じます。梅は、多くの漢詩に詠われています。「漢詩花ごよみ」(渡部英喜氏著)には、北宋の詩人・王安石の七言絶句が挙げられています。夜直金炉香尽漏声残剪剪軽風陣陣寒春色悩人眠不得月移花影上欄干《書き下し文》夜直金炉香尽きて漏声残す剪剪たる軽風陣陣寒し春色人を悩まして眠り得ず月移りて花影欄干に上る《通釈》金の香炉の香尽きて水時計の滴る響きかすかなりうすら寒くそよぐ風切れ切れに
こんばんは。瓏蓮です。あっという間に今年もあと1日。今年一年も、本当に色々な事がありました。皆様にとっては、どんな一年だったでしょうか。私は、お陰さまでとても充実した一年になったように感じています。大人になると、新しい事を経験する機会が想像以上に少なくなりますが、今年はそんな新しい出来事への挑戦や経験に満ちた一年となりました。新しい年は『庚子』。偶然にも新たな事をスタートするのに相応しい年と言われているそうです。という訳で、引き続き来たる年も多くの事にチ
王安石先生のお話しである。昨日もちょっと書いたが、王安石といえば王安石新法である。それは、人民のためだけと言ってよい思想をもとにした聖域なき構造改革で、それまで賄賂やマージンを貪っていた高級官僚たちは上りを削られ、挙って反対派に回るという、所謂朋党の争いが巻き起こった。王安石という人は、後世の評判も悪いのだが、とにかく民衆を大事にしようとしていた。「一民の生天下に重し」(収塩)とは、王安石を象徴するキャッチフレーズである。王安石は中央官僚にありがちな自己中心主義を排し、とにかく弱いもの
どうも、チケットの取れない講談師、神田トリ之丞です(今なら偶然全席空いています)。以下、昨日の続きです。漢の元帝のとき、匈奴へ嫁いだ王昭君のお話しは、その後さまざまな文学作品のテーマとして、繰り返し描かれることになる。司馬遷の『史記』は武帝の時代で終わっているので、無論のことそこに王昭君の逸話は語られていないが、司馬遷ならどう書いただろうと思うと想像の翼が広がる。その、漢の時代からざっと千年後、11世紀半ば北宋の時代に王安石という人物がいる。神宗皇帝の時、それまでの行財政を徹底的に
紅一点と言えば男ばかりの中に女性がひとりだけいることを表す。では、その逆はどう言うのか。疑問に思って調べてみたところ、結論としてはそういう表現は無かった。ただ、俗に黒一点とか白一点、あるいは緑一点などと言うことはあるそうだ。紅一点は「万緑叢中紅一点動人春色不須多」という北宋の王安石の詩の中の詩句に由来するらしい。が、手許の王安石詩集やいくつかの漢詩のアンソロジーを繙いてみたが、残念ながら見当たらない。詩全体を見られないので何とも言えないが、「一面の緑が茂る中で紅の花が一輪だけ咲
はい。こんにちは。今日は北宋について話します。☆北宋の建国と政治形態唐の滅亡した後、中国は五代十国時代になりました。その覇者となったのが趙匡胤です。趙匡胤は960年に北宋を建国して太祖と名乗りました。都は開封(汴州)です。政治形態は文治政治を採用しました。文治政治を行うことで唐の滅亡の原因にもなった節度使の権力は弱まりました。また皇帝の親衛軍(禁軍)の強化や殿試(皇帝がみずから行う科挙の最終試験)を導入しました。2代皇帝の太宗は北漢を倒して中国を統一しました。☆対外政策北宋
我らが塾ライバルがあるのは、埼玉県北本市の北本駅西口近く。近年駅前を整備して、小洒落た外観になりました。まあ、使いやすくなったかと問われるとビミョーなのですが、歩行者にとっては歩きやすくはなったのかもしれません。で、そこに植えられた街路樹に花が咲きました。トチノキだそうです。万緑叢中紅一点、動人春色不須多(王安石)紅一点の語源だそうですが、「緑の中にあって、人を動かす春の景色の花の紅は(石榴の花の)ひとつあれば良い」という歌だそう。う〜ん、そうすると男性一人なら緑一点というべきなのか?
世界史の勉強をしてると、起こった出来事を中心に歴史を見ることが多いが、人物を中心に歴史を見ると視点が変わって面白いなぁ、お感じる一冊。王安石の章では、「儒教には性善説・性悪説という考え方があります。賢い人は道を踏み外しかけても自力で立ち直れるため、性善説で対処する。けれど、いわゆる「飲む・打つ・買う」など悪の道に染まりやすい凡人は、性悪説を前提に教育して更生させなければならない。性善・性悪で考え方が対立しているのではなく、賢人向け、凡人向けで棲み分けているにすぎま
○立春に関する詩を続けている。今回案内するのは、王安石の『次韻沖卿除日立春』詩である。【原文】次韻沖卿除日立春王安石猶殘一日臘並見兩年春物以終為始人從故得新迎陽朝翦彩守歳夜傾銀恩賜隨嘉節無功只自塵【書き下し文】沖卿の除日立春に次韻す王安石猶ほ一日の臘の殘るがごとく、並び見る、兩年の春。物は終りを以て