ブログ記事15件
おはようございます(´・ω・`)昨日、金運を求めて(笑)遠出してきました最寄りの場所から辿りますJRきのくに線御坊駅から県道185号を南へ走り、2つ目の信号を右(西、道幅狭いです)に曲がって道なりに行くと左側に宝神社(前に御坊保健所)があります⛩️宝神社『境内由緒書』『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より祭神(主祭神)若一王子命、天照皇大神、保食神(副祀神)金刀比羅大神、猿田彦大神境内社金刀比羅神社、七福神宝えびす神社境外社猿田彦神社(由緒書による。公式サイトには
中山道まつりから中3日王子権現さま創建七百年祭✨王子神社の本社神輿&町会神輿渡御木遣り仲間の兄さんたちが町会の世話役なので久しぶりにお邪魔しました(^-^)v記念すべき周年神輿を担がせて頂いて感無量です🙇猛暑日も中3日も何のそのソイヤ、サーソイヤ、サーいつもの歳であれば兄さんたちが町会神輿の木遣りを上げるのですが今年は本社神輿の先導に江戸消防記念会の方々がお見えでしたので傍で聴かせて頂きました🙇十条仲一町会
こんにちはpoohままです。空の写真を撮ってる人がいました。最近空きれいだから撮る人多いのかな?今日もここで女の方が撮影中。同じとこで私もとってみました。私には特別な形見えませんでした。さて今回は約四十年ぶりに参拝した神社です。子供の頃鬼ごっこして遊んでた記憶があります。大きな楠がもっとあったんだけど今は境内は駐車場になっています。王子神社道路の向こう側は王子動物園です。拝殿の後方は横尾忠則現代美術館狛犬さんくっきりとしたお顔立ち昭和8年のお生ま
清水神社主祭神大己貴命祭神顕宗天皇(23代)仁賢天皇(24代)両天皇を配祀する創建明暦2年(1656年)別名王子権現宮例祭10月17日由緒はよく分かっておらず、古くよりこの地に帝釈天が祀られており、江戸時代に入った明暦2(1656)年に明石王子村の王子権現を勧請し帝釈天も合祀し、村の守り神としたとされます。そのため春日造りの本殿が2つ並ぶ、明石では珍しい配置となっています。境内には10の境内社があり、その中の庚申さんは古くよりイボ取りにご
渋沢とゆかりのあった音無橋と渡り北区役所前へ区役所❓王子駅前ロータリー近く「北とぴあ」が区役所だと思っていたその区役所前に鎮座されるのが王子神社(旧称王子権現)、この辺り「王子」という地名の由来だそうです。-王子神社-(ojijinja.tokyo.jp)手水舎と社務所の間に、石神井川(滝野川)から上がってくる石段があり王子駅への近道結構境内通り抜ける人はいるな王子神社の創建年月日は平安時代、源義家が奥州征伐(前九年の役)のおり、この地で金輪仏頂を修法、
通りの名前にもなっている紀州神社は元亨年間に紀州熊野の鈴木重尚が豊島清光に諮り伊太木曽神社を王子村(王子権現の境内)に勧請したのがはじまりとされる。その後王子村と豊島村の水争いに巻込まれたりお告げなどにより遷座をしこの位置に落着いている。鳥居水盤狛犬社殿御祭神:五十猛命・大弥津姫命・柧津姫命(三柱)本殿境内社水盤三峯神社・金比羅神社水神社江戸絵図(紀州明神社)
王子権現と親しまれている王子神社は源義家が奥州征伐(前九年の役)のおり金輪仏頂(仏頂尊)を修法また凱旋の日に甲冑を奉納した事で有名で文保から元弘の頃豊島氏が熊野新宮浜王子より若一王子宮を勧請し奉斎した江戸時代には飛鳥山のサクラと供に江戸名所になり明治には東京十社にも選ばれた大鳥居手水舎狛犬本殿御祭神:五柱伊邪那岐命・伊邪那美命天照大御神・速玉之男命・事解之男命江戸名所図境内社:關神社御祭神:醍醐天皇の第四皇子蝉丸公(小倉百人一首出知られる)關神社は髪の
その親水公園の横に階段があります。その階段を昇って行くと、王子神社に出ます。かつては王子権現と呼ばれていました。御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱。有名な神様ばかり。創建は詳らかではないものの、少なくとも700年の歴史はあるようです。結構大きな鳥居ですね。東京十社めぐりの立て看板がありました。東京十
先日、本宮山城跡に行ったが、その近くに高野宮(別名、内神社)という由緒ある神社があるので、ポケモンGOをするがてらに行ってみた。これは、いつも立ち寄る秋鹿なぎさ公園道の駅。艫田神社。ともたじんじゃと読む。秋鹿の道の駅近くにある神社。結構、小さい。森清神社。もりきよじんじゃと読む。広域農道沿いにある神社。誰が管理してるんだろうという感じ。広域農道からまた北側に入ると、高野宮がある。宍道湖が見えるところに建てられたのね。見晴らしがいいから、ここにす
午前中、近所のパン屋で揚げたてのカレーパンや苺サンドを食べる。そして仮面ライダージオウ、リュウソウジャーを観た後は、手早く掃除して神保町へ。今日はらくごカフェで宝井琴調先生の独演会。「祐天吉松飛鳥山親子の出会い」と「団蔵と淀五郎」。胸にグッとくる渋さと楽しさが共存する。前座時代の家元の思い出(五代目馬琴と仲が悪かったのだそう)をお話くださった。前講は田辺凌天さんの「猿飛佐助」でした。この後、寒さしのぎに水道橋駅前の晩杯屋でモツ煮やら鰤刺しなどと焼酎お湯割
王子神社御朱印石碑鳥居参道由緒本殿
3月3日今日は東京都内の御朱印巡りです。東京駅から京浜東北線で、王子駅から徒歩5分のところにある王子神社に行きました。王子神社別称王子権現御祭神王子大神(伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命な五柱)東京都北区王子本町一丁目1-12参拝料志納社号標鳥居手水舎御由緒拝殿黒塗りの美しい権現造りの社殿です。社殿は戦争で焼けてしまい、昭
王子は飛鳥山公園を初めとした桜の名所で、音無親水公園から板橋方面への川沿いの桜も見事。その公園脇から王子神社境内へつながる階段が味わい深いです。春には何度も来ているのに、この階段には気づきませんでした。なんと入口に門があり、これは神社の鳥居みたいなもんでしょうか?そして、上がって行くとVの字に折返し、上の方は蛇行していて、それぞれに風景が変わります。途中に大銀杏の木があり、きっと秋には紅葉が美しいに違いありません。また訪れようと思います。北区王子本町1-12018.01.14
徳川家康公は1591年、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。そんなこともあってか池波正太郎先生の作品にはチョイチョイと当社が登場する。社殿の立派さは今に引き継がれている。正面大鳥居手水舎立派な社殿御朱印
<鬼子母神から王子権現へ(2)>鬼子母神から王子権現までは、乗りでがあるけど都電一本でいける。わたしは、バスは大の苦手だが都電には長く乗ってもぜんぜん平気なのだ。ずいぶん新型車が多いようで冷房もよく効いていて快適である。発車するたびに「チン!チン!」とけたたましく鉦の音がする。その音が気にならなくなったころに、王子駅前に到着した。腹が減ったので、鬼子母神の近くのコンビニで買ったパンをバッグから取り出し、誰もいなくなったベンチで食べた。鬼子母神駅のベンチで食べようと思ったら計っ