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イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!奈良地区(地図内の細い赤線囲み)東西400m、南北300mほどのごく小さな地区。良く見ると、「奈良公会堂」は囲みの外です。どうも、本来の奈良地区はもっと広かったようです。なので、奈良地区がある児島地区で検索すると、児島で検索した地区吉野川の中島である善入寺島の西南地区、蜂須賀公が差支えがあると言った秘羽女神社(八幡神社)、日和女地区を含む地域が児島地区には入りました。そして、
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!倭迹迹日百襲姫命が好きだと言った百相村、現在の仏生山にある讃岐松平家の菩提寺横の平清盛の命で改修された平池から朝日をのぞむ安徳天皇の荼毘の場所祖谷の川松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。石つぶてなどは投げないでください。悪しからずご了承ください。【日光】「あらたふと青葉若葉の日の光」(あ
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!塚原の行基堂(さぬき市)行基苑近くの静御前らの墓静御前の薬師庵(静薬師庵)母磯禅師とともに讃岐に帰り、毎日祈りの日々だったと。静薬師庵横の鍛冶池静御前がなくなって7日後に侍女が入水松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。石つぶてなどは投げ
行く先々でトラブルを起こす厳貢生。広州から高要へ移動で雇った船の船賃を踏み倒す。弟の厳監生が亡くなり、次いで子供を天然痘で亡くし、悲嘆に暮れる趙氏に対し、親族が推薦する自分の五男ではなく、ちょうど周学堂(周進)の娘と結婚して家庭を持った、自分の次男を後嗣にしようとし、怒った趙氏は、高要県の湯知県に訴えを起こす。さてその結果はどうなるのでしょうか。『儒林外史』第六回の始まりです。-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・郷紳(厳貢生)は病いを發し船家(船員たち)
厳貢生が近隣の人などに不当な仕打ちを行ったため二件の訴訟を起こされ、省城へ逃げて行ってしまったため、弟の厳監生は妻のふたりの兄にお願いし、ふたりは相手と和解して訴訟を取り下げさせることに成功します。厳監生は正妻の王氏が病いでもう余命が長くなく、世継ぎを生んでいなかったので、王氏のふたりの兄により、男の子を生んだ妾の趙氏を正妻に立てることで、親類縁者の同意を取り付けます。ところが、厳監生も病いに侵され、最期の時が近づきます。『儒林外史』第五回をお読みください。-・-・-・-・-・-・-・-
私のブログの正式な名称は『咲くやこの花のキラキラパラダイス』であり、運営者は『花姉(はなあねorはなねえ)』である。この『咲くやこの花』はいったいどこから出て来たのか、昨日は拙宅ブログに書きました。今日はブログの日『今日はブログの日。』ブログを始めたきっかけ。#ブログを始めたきっかけ『#ブログを始めたきっかけ』きっかけ、何やったやろ~っ。一流芸能人=アメブロみたいな感じで、憧れてい…ameblo.jp難波津(なにわづ)。難波津|Googleの生成AIによ
#なにはづにさくやこのはな……★☆なにはづにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはな:王仁:歌意:難波津に、この花が咲いたよ。冬のあいだはじっと寒さに耐えていたけれど、今はもう春になったから、ほら、また咲いたよ、この花が━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#古今和歌集序より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~なにはづにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはなあれっ?同じやん!みなさん、お元気?そうね。この歌はね、古今和歌集
さきにみた長尾菅原神社から奈良への帰途なんか寄ることになった藤阪菅原神社と王仁博士のお墓地図見たら、長尾→王仁さん→藤阪と思うやろでもちゃうのよ気づいたら藤阪にいたのですよ~藤阪菅原神社枚方市藤阪天神町1-1長尾と同じでここも梅ちゃんが敷地の右は線路階段を降りて、線路下を潜り抜けたら手水屋が残ってる元はここまで境内また地下
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com「超古代史の検証」のあとがきに面白い事が書かれていました、「節分①節分の鬼は王仁(おに)と書き、徳のある王を意味し、節分は日本古来の土着の神である国津神(くにつかみ)を封印する儀式である。また、鬼(
王仁王仁-Wikipediaja.m.wikipedia.org日本に漢字を伝えてくれた「王仁博士」「王仁博士(わにはかせ)」枚方の民話第3話『王仁博士(わにはかせ)』|枚方南支部WP枚方に伝承される「日本の漢字のはじまり・・・」のお話2015年10月1日<クリックすると拡大する画像もあります。www.shoai.ne.jp韓国から甲良町へ、取材が来られました韓国から甲良町へ、取材に来られました!|マイ広報紙去る令和5年6月19日(月)、韓国インターネット新聞社
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第27回文字古事記の伝承では、応神天皇の時代に百済から王仁(わに)という学者が日本に論語と千字文をもたらしたとなっていて、王仁こそが日本の文字の始まりだとされています。応神天皇も王仁も存在が怪しくはっきりしないのですが、王仁を音読みにすれば、オウジンですから、同一人物で、応神天皇が百済人で日本に文字の文明をもたらした可能性もあります。仏教も暦も文字も百済経由で日本にやって来ており、百済人がもたらしたとされており、古代豪族の多くも渡来
金屋子神社◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~10「1日1記事」、「限定14日間」の12日目。敬神活動の再開ができていないのでもう少しだけ延長するかもしれません。文字量の多い記事ばかりが続き恐縮しますが、お付き合い頂けますとさいわいです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事1…金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)2…金屋子神の信仰圏3…「金屋子神」八幡神説(前編)4…「金屋子神」八幡神説(中編1)5…「金屋子神」八幡神
上野に、行きました。東京国立博物館の、『国宝』展。日時指定で、その時間に早く、公園を散歩しました。まずは、西郷隆盛像。黄色に染まった、いちょう。そのいちょうを背景にして。木々の、その葉が色づいて。色彩にあふれた世界に。桜の季節もいいのですが、紅葉、黄葉の季節も。そして、上野寛永寺の、清水観音堂。松の、この『輪』が、昔から。王仁天海僧正毛髪塔。雨です。しかし、かなり多くの人びとが、訪れて。海外からの人たちの姿も多く。奥に見えるのが、東京国立博物館。
ニーハオ!R-pandaです。中国から日本帰国中。7月23日(土)先月の【Vitality】ウォーキングイベント参加の為、選んだのが、枚方市にある百済からの渡来人王仁(わに)博士のお墓と王仁公園のコース。先ずは、、、【伝王仁墓】アクセス方法は、、、JR学研都市線【藤阪駅】と【長尾駅】の間くらいにあり、長尾駅から(約800m)徒歩約11分。藤阪駅から(約1.4km)約20分。後で行く【王仁公園】は藤阪駅寄りだが、【伝王仁墓】は
今日は百人一首の日なのですね。百人一首といえば、かるた取りです。幼少の頃は、家族でやったものです。因みに百人一首の中で僕の一番好きな歌はコレです。[902]ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ~紀友則・古今和歌集2-84競技かるたでは0番目(最初の歌の前)に読まれる歌があることをご存知の方も多いと思います。序歌と呼ばれるもので、多くの場合、この歌が読まれます。[971]難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花~王仁博士・古今和歌集(
『書道技法講座3和漢朗詠集粘葉本』(大石隆子編/二玄社)より選句、習字な尓はつ尓さくやこの者那ふゆこも利いま盤ゝるへとさくやこ能者那王仁難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花PlumblossomsareinbloominNaniwazu.Afterwinter,springisfinallyhere.Plumblossomsareinbloom.作者の王仁(わに)氏は、朝鮮から渡来した学者で、大和文字の形成に多大に貢献した
応援よろしくお願いいたします。お問い合わせ(平日08:00~17:00)大起証券㈱Tel:06-6300-5757(代表)谷本憲彦商品アナリスト・東京商品取引所認定(貴金属、石油、ゴム、農産物、オプション)、証券一種外務員難波八阪神社に続き、通勤途中にある「大仁八阪神社」のご案内。八阪神社大阪市北区大淀中に鎮座する神社。通称、大仁八阪神社。最寄り駅は福島、あみだ池筋沿いに鎮座しています。元々百済から渡来した「王仁(わに)」が住んだことから、この
☆伝王仁墓(わにはか)河内国交野郡大阪府枚方市藤阪東町2-2223(P無し、近隣停め置き不可)古墳時代、応神天皇の御宇に関してに百済から渡来したとされる学問の祖。紀は「王仁」、記は「王邇吉師(ワニキシ)」という表記。歴史の授業では「論語」「千字文」をもたらしたと教えられる人物。時代背景などほとんど蔑ろに、ただ「王仁(ワニ)…応神天皇…百済…論語…千字文…」と呪文のように丸暗記していたことを鮮明に思い出します。Wikiなどでは王仁の来歴、真偽などが詳細に語られており、こちらの記
大本史料集成3第2部第二次事件関係第2章裁判所資料第2節地裁公判速記録(出口王仁三郎)●争点十二段返しの歌裁判長中野与之助に対する治安維持法違反、並に不敬事実の証拠品の一号証ですが、此処に十二段返しの歌がありますが……。王仁見せて貰ひました。裁判長王仁三郎が作つたのですか。王仁私は知らぬです、初めて見たのですもの、大本に時々色々のものが出て来て拵へる者があるのです。それで、「大本には秘密があるやろ」とか何とか言うて、それに書く者
道明寺天満宮を後に、道明寺に向かう。見るからに瀟洒な感じの門。説明書きを読むと、なる程と思った。尼寺だったんだ。後で紹介する野中寺などのゴツゴツした印象と違うわけだ。寺の中の建物もあまり高くなく線が非常に優しい。庭を歩いていても女性らしい心使いを感じる。道明寺の仏さんは、ここが尼寺という目で見るせいか、とても優しい感じの仏さんが庭にあった。道明寺を後にして、允恭天皇陵を見るも、参拝出来る場所なく、木が茂る小山になっているだけであった。ここを後にして、王仁氏の枝氏族の氏寺である葛井寺に向か
【結果発表&レースレポート(後半)🏁】《スーパー耐久・富士24時間レース》総合優勝を目指してNSX-GT3で参戦したCARGUY(カーガイ)Racingですが、残念ながら4位入賞という結果でした🏁悪天候のため予選が中止となり、6番グリッドからスタートしたCARGUYRacingのNSX-GT3は、スタート直後から良いペースを保ち、強豪チームのマクラーレンと激しいトップ争いを繰り広げ、12時間が経過した時点でトップに立ちました。「このままトラブル無く行けば勝てる・・
大蛇退治(昭和二八・三・十三日神示)天理の神さん地に墜ちていつか地上は地理(塵)の山金光神さんお出ましで地上人類金光教教は教でも狂いの教じや金の光に目がくらみ眩んだ眼で見るときにや総てのものが皆狂うフルベユラユラフルベユラ黒住教が出た時にや苦労(黒黒)のその果ては住家を失い仮り住い日本列島「おのころじま」よどこへ行く祖先の築いたこの島を他人手「ひとで」に渡してなるものかこりやかなわんと大本が飛び出す飛び出す大本教フルベユラユラフルベユラ神理教と出た教は
[日本語版]目次刊行辞((社)王仁博士顕彰協会長全錫洪)祝刊辞靈岩郡守金逸太靈岩郡議会議長柳浩鎭序章王仁研究の現況と課題ⅠはじめにⅡ王仁研究の経過と現況Ⅲ王仁研究の課題Ⅳ結びに代えて――王仁研究の現代的意義第1章王仁のふるさと靈岩Ⅰ栄山江と靈岩Ⅱ韓半島西南海沿岸の中心邑落Ⅲ栄山江流域の古墳と日本の古墳Ⅳ栄山江流域の昔の津と浦Ⅴ鳩林と聖基洞の由来Ⅵ王仁の鳩林伝説と国内記録Ⅶ靈岩の王仁遺跡地の開発第2
尖閣、人権…もっと中国を刺激しようViewpoint時代劇の侍の対決ではないが、相手が「お主手強(てごわ)いな」と思えば侮れない。その上で協力すべき所は大いに協力する。そんな日中関係を望...「金は30歳までに使え」黒沢年雄が語る森繁久彌からの教えニフティニュース映画史・時代劇研究家の春日太一氏による週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の黒沢年雄が若手時代に森繁久彌からの教え...『鬼滅の刃』は何位?「実写化してほしくないアニメ」ランキング。エヴァは4
上野恩賜公園・・・通称、上野公園。東京都台東区にある都立公園。もともとは東叡山寛永寺の境内であったが、戊辰戦争にて焼失、その跡地に開設された日本最初の公園の一つ。1873年(明治6年)宮内省管理の公園となり、1924年(大正13)昭和天皇御成婚記念として東京市に下賜、一般に開放されて上野恩賜公園と命名。8月20日(木)の上野公園散策の続きです。前回、西郷さんの銅像の後ろ(北側)に、彰義隊のお墓があることを紹介しましたが・・・そこから更に北に行ったところに天海
○阿直史は「あちきのふみびと」と読む。【「直」の字を書いているから、濁音かも知れない。ここでは単に阿知吉師の名によって、「知」を清音に読んでいる。また史は、淡海公の名を「不比等」と書いているから、「み」を省いて「ふひと」とも読めるだろう。】「阿直」は姓である。祖の名によっているだろう。書紀にも「阿直岐は阿直岐史の始祖である」と見え、天武の巻に「十二年冬十二月、阿直史に姓を与えて連とした」、新撰姓氏録に「安勅(あじき)連は、百済国の魯王の子孫である」、続日本後紀三に、「阿直
南無仏太子像(上半身部:奈良国立博物館)教科書日本史では、仏教は百済から西暦538年に伝えられたとされています。小学生だったころ、「仏教伝来ゴミ屋さん」の語呂合わせで覚えたものでした。調べると538年説は、奈良時代中葉の天平十九年(747)までに成立していたことが分かっている『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』に「戊午十二月度來百濟國聖明王時太子像并灌佛之器一具及説佛起書卷一筐度」とあることに依っています。百済の聖明王のとき太子像と仏具一式、経典などが渡来したというのです。「
たまにウォーキングして、風景印に描かれているのに未だ見てないものを訪ねるシリーズ今回は9年前に訪れた此花郵便局の風景印に描かれている伝法大橋と大阪此花区の区碑。伝法大橋淀川の一番下流にある、歩いて渡れる橋(だと思う)。左が神戸と大阪を結ぶ国道43号、伝法大橋。2018年の台風で橋上でトラックがたくさん横転した。右は阪神電車なんば線。水面スレスレやね。手前の護岸工事がじゃま…此花郵便局<風景印>サクラを外枠に、伝法大橋・王仁の歌碑・区名の由来を記した区碑を描く王仁の歌碑