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大日本帝国は、欧米の植民地であったアジアを解放する為に戦った陸軍主体の「大東亜戦争」とは別に、海軍主体の「太平洋戦争」でアメリカと戦いました。終戦間際まで、日本は「大東亜戦争」では負けてはいなかったようですが、「太平洋戦争」はアメリカの謀略も有り、当初は勝ち進んでいたのですが「計画通り」に敗戦濃厚となり、「新たな残虐な爆弾(原子爆弾)」の投下による民間人の犠牲を終わらせるために「終戦の詔勅(玉音放送)」が下り、「ポツダム宣言」を受諾して終戦を迎えました。アメリカによる戦争犯罪を正当化す
4月に入ると同時に2幕の立ち稽古に入ったミュージカル「この世界の片隅に」明日の荒通しに向けて急ピッチで進んでおります💨今日はラジオの前で玉音放送を聞くシーンのお稽古をしました。去年末に出演したミュージカル「東京ローズ」でも玉音放送に耳を集中させるシーンがあったのですが、あの時はアメリカ国籍の立場だったからね。今回は日本国民。おんなじ玉音放送なのに感じることは全然違って、心がバリバリっと音を立てました。でも、1幕の荒通し同様、2幕もまだ付いてないシーンあり😅明日まず残りのシーンをお稽
新発田市へ~『城下町新発田☆彡』今年の桜は早かったですね桜の名所新発田城3月下旬はまだでしたね日本百名城新発田城お城と桜、良いですね~新発田城址公園の隣に気になる場所がありましたhttp…ameblo.jp昨年のやり残しを白壁兵舎広報史料館https://www.mod.go.jp/pco/niigata/HP/sirakabe.html自衛隊の前身となる旧陸軍新潟県の郷土部隊である、歩兵第16聯隊、第116聯隊にまつわる資料が展示されています外にはヘリコプター🚁近
令和哲学者Noh先生と5人の侍によって開催されている第894回令和哲学カフェ。テーマ「文化、文明とは」AI時代における人間の尊厳の危機。自分の考えで考えたい、核個人時代を生きる心の時代。心人間がつくる組織化、勢力化、文化、文明とは。月曜日は私、川名哲人火曜日は森貴司さん水曜日は安田真理さん木曜日は松室佳惠(sherry)さん金曜日は長岡美妃さん昨日は長岡さんから、義の文化、文明についてプレゼンテーションが行われました。玉音放送の草案を
昨夜は令和哲学カフェを視聴しました。令和哲学カフェ#894☕️令和哲学カフェのご案内☕️令和哲学カフェ今ここスッキリBeyondEverything時代のパラダイムが大きく変化しています。新型コロナウィルス感染拡大、そしてAIの台頭。今までの当たり前や常識が大きく揺さぶられ、「哲学」や「軸」がなければ、環境に左右され、変化に対応するだけで精一杯になってしまいます...www.youtube.com今回は玉音放送を取り上げました。途中までの参加だったので感想だけ。玉音放送の内容は以前
【孤高の国母貞明皇后】先日来、『知られざる「昭和天皇の母」孤高の国母貞明皇后』(川瀬弘至著、産経新聞出版)を読んでいる。以下は、一部抜粋。この間、悲壮な決意の昭和天皇が、どうしても会っておきたかった人がいる。13日、宮相の石渡荘太郎に言った。「16日に大宮御所へ行きたい」事態は切迫しており、石渡は延期を願ったが、昭和天皇は重ねて言った。「私の身はどうなるか判らない、だからこれが最後と思つて一度お目にかかつておきたい・・・・・・」そし
中野さんの本は一冊読んだことがあったけれど詳しくは知らない方。もう亡くなっているが、横浜にお住まいだった文筆家だ。その一冊が、飛び出して行方不明になった愛犬を探す‘ハラスのいた日々’で、そのやさしい目線とやわらかな文章に魅せられていた。ときおりその名を目にする人だったこともあり、二冊目はいつか読まねば、と思っていた。書名からなんとなく想像がついていたが、やっぱり‘おみやげ’として戦場で日本将兵から取り上げられた日章旗についてだった。ただ、専門家でもない中野さんがわざわざ本まで書くことに
ひとつ前の当ブログで、アソー太郎の発言に対し何の抗議のアクションも起こさなかったカミカワ陽子は結局「女性は黙っていればいい」「男に従っていればいい」という地点から動こうとしなかったのだと書きました。カミカワのこういう姿勢は、社会や職場で理不尽な立場に置かれ苦しんでいる女性たちを失望させたと思います。また、戦後になってやっと「女性参政権」を得るまで闘ってきた女性たちに対しても裏切りだと思います。彼女たちが「女性が政治に参加する」という当たり前の権利を手にするために苦難の活動をしたのに、いまだに「
世界を動かした名演説池上彰パトリック・ハーラン著名演説と、言われる文章が載ってます。ウィストン・チャーチル、ケネディ大統領、レーガン大統領や、キング牧師他、多数の方の演説の全文です。池上彰さんは、言うまでもなくパトリック・ハーランさんは、良くテレビに出るパックンです。そして、私が読みたいって思ったのが、昭和天皇の玉音放送の全文です。でも、これは、前に紹介した、日本のいちばん長い日を、読んでるから、こそ、読んでみたい、と、思ったわけで、あの作品が私に、影響
こんにちは一昨日の夜、長男の中学校時代の同級生のお母さん方とディナー兼お話をしてきました。こんな時しかアルコールは戴かないのですが、美味しかったです。昨日は仕事帰り、成人式会場の近くで、振袖のお嬢さん方を何人も見かけました着物の柄、髪型ともに洋装ぽいですよね〜今どきだなあと思いました。そして、35年前の自分の成人式も思い出しました18歳の時、勤労学生だったので、3年ローンで振袖買ったのですよ。成人式の時、写真館のお爺さんに「見事な柄じゃ」と、私でなく着物を褒めていただき嬉しか
本日は大きな国難を乗り越えた天皇の祭日が重なっています。★第十代崇神天皇は、纒向時代の天皇で三世紀に活躍したといわれています。奈良県桜井市には纒向遺跡がありますが、ここは崇神天皇が遷都された磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)の近くであり、その規模の大きいことからいかにこの時代から繁栄されたかを物語っており、崇神天皇の御事績とも当てはまっています。古事記では「所知初国之御真木天皇(はつくにしらししみまきすめらみこと)」日本書紀では「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とあり、ま
このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。リンクを貼はらせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)さて、去る一昨々年さきおととしの12月8日(火)の「大東亜戦争が始まった日(令和2年)」のブログの上段に、「(前略)去る昨年の12月8日(日)の『大東亜戦争が始まった日』のブログの上段に、『(前略)去る昨年の12月8日(土)の
次の予想は12月1日(金)だそうです。プレーヤーが多すぎるらしいので、予想通りになるかどうかは何とも言えないですね。にしても、凄い名称ですねえ*******************12月1日の夜明けが近づくにつれて、空気は期待に満ちています。EBS玉音極楽放送が生放送され、世界に大きな変化が起こることを告げます。December1stEBS:ExposingPoliticalSatanists,RevealingRothschildRockefeller
いつも見ていただきありがとうございます。私は昔〇〇警察の知人がいました。この方から聞いた話を今まで書いてきたのですがこれからは私が解読できなかったものを番外編としてお伝えしようと思います。どうぞ宜しくお願いします。テレビやラジオの電波ってどこから出てるか知ってるかい❓️山の上にですよね。うん。山の上でないところもあるんだけどね。送信所って言うんだ。終戦のときの玉音放送では遠くまで電波が飛んでいたな。ところであそこは立ち入り禁止だから
…【85】昭和天皇の大礼。昭和天皇の名は裕仁(ヒロヒト)。大正天皇の死去に伴い、第124代の皇位を継承した。皇太子時代にイギリスなど欧州各国を外遊、見聞を広めた。昭和20年8月、ラジオで玉音放送を行い、国民に終戦を宣言。翌年には天皇の「人間宣言」を行った。
日本の切腹は、腹を斬り裂いて内臓を引っ張り出す。魂ははらわたにあると考えていた古来の日本人の世界観ならではだろう。己のはらわたを、引きずり出して、天に恥じる事の無い事を証明する行為…玉音放送を直立不動で聞いていた「O」は、負けたのは我々では無い!天皇陛下だ!と呟いた…隣で、それを聞いた「Y」は、陛下はよくぞ負けられた!日本は必ず復活すると返した。すると、「O」は、それは良い事を聞いた、これで安心だと言って、腹を斬った…その後、軍医が駆けつけた時には、まだ息があり、腹からは臓物が飛び出
待たせたな!ヤマタクスゼイアンです!スネークの声の人・大塚明夫さん9月20日から百害あって一利なしの人体実験毒チンが開始されてしまいましたね。打つ人も凄いなぁと思うけど、SNSやブログを通じてまだ止めようと頑張っている人々の熱意も本当に凄いなぁと思います。私には真似できません。もう人間に対してそこまでの愛情を持てないよ…。そうはいかんざき!!※この方、まだ御存命??最近全然見ないよね?いやね。私もちょっと前まではこれくらい(↑)の熱量をもって人々を説得して回っていたんで
昔、太平洋戦争終戦前夜まで”日本は負けるはずがない!”と思っていた国民は多数いた。今、”国推奨のワクチンが悪い筈はない!”と思っている国民は多い。玉音放送や最高裁判所判決や総理大臣記者会見で「コロナワクチンは弊害があった」と報じられるまで待つのでしょうか?https://t.co/7I8M9cutSx—勤務医団の本音(@JPN_Doctors)September8,2023
・・・その前で伯父たちと玉音放送を聞いた。なにをいってるのか判らなかった一緒にいた大人たちも”終戦だ”とは言わず、”武装解除だ、武装解除だ”。立川談志:著立川談志自伝狂気ありて、より。第一章「負けず嫌いで皮肉なガキだった」よりこの後の部分で談志師匠は「敗戦を終戦と言った大人のごまかし。「敗戦」という言葉を使うようになったのはずっとあとになってからで、その頃は「終戦」と言っていた。」とある。戦争参与者、戦争推進の側でいた大人たちのバツの悪さが伝わってくるが、談志少年の口から
1945年8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾の聖断が下り、閣議で戦争終結を決定し全閣僚が署名しました。これを受け外務大臣はポツダム宣言を無条件で受諾することをスイス政府を通じて連合国に通知します。翌日正午に玉音放送が流れ、全国民に終戦を通知しました。連合国軍は即座に戦闘行為を停止。一国を除いては。ソ連はこの時を待ってましたとばかり急いで侵攻を開始します。あわよくば北海道まで侵攻し、北海
このところの当ブログで、『女優の証言一九四五年八月十五日』(悲劇喜劇編集部/ハヤカワ文庫NF)を取り上げています。昭和20年8月15日、「敗戦」が知らされた日に何をしていたか、どんな思いだったかを綴った53人の新劇女優さんたちの証言集で、まさに「玉音放送」を流したそのとき、NHKにいた山本安英さん、七尾伶子さんのエピソードを紹介しました。このお二人のように既に「女優」となっていた人だけでなく、その当時はごく普通の少女だった方の証言も載っています。その中でもいちばん過酷な印象を残すのが、南風
1945年8月15日は終戦記念日である。この日の正午、ラジオで昭和天皇がポツダム宣言受諾と日本が降伏した旨を国民に告げた。いわゆる「玉音放送」である。日本の近代史上、最も重要な日はこの日だったと言って過言ではないであろう。その日の東京の最高気温は32.3度。快晴に恵まれた真夏の正午。空襲で破壊された街のどこかから遠く蝉の声が響いている。そんな風景の中、日本の降伏は国民に伝えられたのである。この場面が鮮烈なのは、敗戦という悲しむべき事実が明るい陽光に照らされた夏の正午に伝えられたというそのコント
ひとつ前の当ブログで、53人の新劇女優が「8月15日の敗戦」をどのように迎えたのかを綴った『女優の証言一九四五年八月十五日』(悲劇喜劇編集部/ハヤカワ文庫NF)を取り上げました。その中で、「玉音放送」を流したNHK放送局にいた山本安英さんのエピソードを紹介しました。今月14日に放送された『アナウンサーたちの戦争』や『日本のいちばん長い日』(1967岡本喜八監督)にも描かれた、青年将校が局に乱入したとき、そのリアルタイムにいらしたのです。もうお一人、「その日」にNHKにいらした女優さんの文
ひとつ前の当ブログで、広島市教育委員会が長年、小学生の平和教育で用いられてきた『はだしのゲン』(中沢啓治さん作)を教材から外す決定をしたことに納得できないと書きました。委員会があげている「理由」のも納得できませんし、強く抗議します。このところの当ブログで繰り返し書いているように、戦争を体験された人の「声」に耳を傾ける機会が少なくなっている今こそ、そのような方々が残された本や映画で「知ること」が貴重だと思うのです。僕は毎年「終戦記念日」のあたりになると、一冊の文庫本を引っ張り出して読んでいます
それぞれの国にとって8月15日は色んな意味がありますね。私的には8月15日は【ポツダム宣言】受け入れた日であり、【玉音放送が流れた日】まだまだ戦闘は続いていたところもあったと聞いています。【玉音放送】を聞いた後に特攻した兵士もいれば、戦闘停止/武装解除を知らぬまま戦い続けてた兵士もいたと聞く、正式に日本が降伏した日=降伏文書に調印した日をご存じか?サンフランシスコ平和条約の発効の日をご存じか?お盆と終戦日が重なっているからかあまり実感が無いと思われる。
最近はTVの視聴時間が極端に減っているのでよく知りませんが、夏になると放送で流されていた「玉音放送」。その現代語訳にリンクを張ったツイートにリンクを張りました。「大東亜共栄圏を謳っていながら各言語の訳文すら作らず、大半の日本人にも理解できない文語で出したのが『玉音放送』のむしろ本質でしょうよ。」理由を理解させない、詳しく説明しないけれど、戦争を終わらせる(敗北する)ことだけ通知するってことでしょうか。2023年8月16日付瀬川深SegawaShin(@tegaw
1945年8月11日、日本政府はポツダム宣言を受諾する旨スイス経由で連合国軍に通知。その回答が13日に寄せられ、14日の御前会議で昭和天皇の御聖断により宣言受諾が決定されました。日本政府は15日正午に昭和天皇自らがラジオ放送を行うことにより、宣言の受諾と降伏決定を国内外に通告。これを受け連合国軍総司令部のマッカーサー元帥は、早速日本政府及び大本営に代表団をマニラへの派遣を要請。移動に使用する航空機
終戦記念日を三日過ぎましたが、それにちなむ話題で、まだ書いていなかったことがありますので、遅ればせながら追加します。昭和天皇の終戦の詔書の中に、つぎの一節があるのは、多くの方がご記憶でしょう。帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五內爲ニ裂ク。且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ。惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ、時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍