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『奮発震動の象あり』松野浩二松野浩二は山口大学・工学部のOBで、日立金属の社長・会長を務められた方で、現在は山口大学の特別顧問をしている。本の内容は『長州五傑』のことも含めて、『松下村塾』の教育についていろいと書いてある。明治維新の起爆剤となった長州藩ではあるが、『松下村塾』ぬきには語れないのは周知のことである。この中で特に着目したいのは『玉木文之進』である。杉百合之助の次男として生まれた松陰は幼名を大次郎といい、毛利藩の軍学師範の叔父大助が早くに亡くなったので、養子として、その吉田家の跡
城下町を離れ東のエリアの松陰神社へやって来ましたさすが観光の街なので周遊バスやレンタルサイクルを利用されている方も多いのですが駐車場に困らない萩の街は車派の私にとってはたいへん助かります明治維新近代日本の原動力になった世界遺産の松下村塾ようやく来たかった夢が叶った松陰神社その左隣には松陰門下生たちの霊を祀った松門(しょうもん)神社もありました境内を出て久坂玄瑞高杉晋作入江九一とともに松下村塾四天王のひとり吉田稔麿(としまろ)誕生地
ブログアップがなかなか間に合わず延び延びになっていましたが・・・12月に参拝に寄った港区赤坂にある乃木神社です。■GalaxyS23Ultra2.2mmf/2.2SS:1/30秒ISO500私が金曜日に通っている場所から徒歩で10分くらいの同じ赤坂通りに面しています。参拝に寄ったのは、今回初めてです。■GalaxyS23Ultra2.2mmf/2.2SS:1/30秒ISO500赤坂通りから見
〇明治神宮崇敬会編昭和37年刊明治天皇50年の式年に近侍の当時生存者の記録。◎出席者園池公致侍従職出仕坊城俊良侍従職出仕平松時賢侍従職出仕岡崎泰光侍従職出仕久世章業侍従職出仕山川三千子女官甘露寺方房侍従職出仕受長の弟ここでは甘露寺と表記します。穂僕英子女官山口節子女官甘露寺受長侍従職出仕方房の兄ここでは明治神宮宮司在職中により、宮司と表記します。●甘露寺三十八段の階段を
対話検索型人工知能のbingchat、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、入交昭一郎(いりまじりしょういちろう)さんです。入交さんはホンダ時代に、F1を始め様々な業績を上げました。惜しくも社長にはなりませんでしたが、全く毛色の変わったゲーム業界で、セガの社長になりました。現在は若者の起業の助言指導などの活躍をしておられます。第2の話題は、住友銀行(当時)元頭取の、磯田一郎さんです。「若い時には自分に投資、壮年過ぎたらたくわえを」、この警句は今も
記事書くのサボっとるうちに下書きしてたん消えてもた😭お腹膨れたんで予約しとったレンタバイク屋さんまでてくてく。今にも降りそうやけど、今日だけはもってくれよぉ🙏駅の観光案内所でもろたイラストマップ持って、先ずは松陰神社ヘレッツらゴー🛵💨途中に反射炉跡が在るん。ちょっと寄っていこう。思て、足着いたん。ほんならバランス崩してアクセル開けてもた😫ガードレールに突っ込んでもた😭どんくさい❗️滝川クリステルしてしもた😭スクーターめんでまうのは予定外やから予算オーバーやあ😩フットガードと
~世界遺産見学~『松下村塾』吉田松陰の叔父・玉木文之進が私塾を開いたのが始まりで、1857年(安政4年)に松陰が引き継いだ。奇兵隊を結成し倒幕に奔走した高杉晋作、攘夷派リーダ的存在の久坂玄瑞、初代内閣総理大臣になった伊藤博文など明治維新の原動力となる多くの逸材を育てた歴史的にも重要な場所。建物は幕末当時に建てられたものが現存。移築などはしておらず当時から現在の位置にあり1890年(明治23年)に塾生らが塾舎の保存を提案して寄付金を募り補修を行った。2015年に「明治日本
こんばんは(*・ω・)ノおはようございます(*・ω・)ノこんにちは(*・ω・)ノ1周まわってこんばんは(*・ω・)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指導に取り組んでいる進学塾MAXの塾長小林浩之です(`・ω・´)ゞさて、『星空教室!?』こんばんは(*・ω・)ノおはようございます(*・ω・)ノこんにちは(*・ω・)ノ1周まわってこんばんは(*・ω・)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指…ameblo.jp昨日の記事で、23日は月と金星が、24日には月と火
今夜も令和哲学カフェを視聴しました。令和哲学カフェ#647☕️令和哲学カフェのご案内☕️令和哲学カフェ今ここスッキリBeyondEverything時代のパラダイムが大きく変化しています。新型コロナウィルス感染拡大、そしてAIの台頭。今までの当たり前や常識が大きく揺さぶられ、「哲学」や「軸」がなければ、環境に左右され、変化に対応するだけで精一杯になってしまいます...www.youtube.com遅くなってしまったので、なるべく手短にまとめます。水曜日は、日露戦争の時代を取り上げてい
こんばんは(*・ω・)ノおはようございます(*・ω・)ノこんにちは(*・ω・)ノ1周まわってこんばんは(*・ω・)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指導に取り組んでいる進学塾MAXの塾長小林浩之です(`・ω・´)ゞこの土日の公立高校入試直前対策講座で現中3生の最後の授業を終え、一抹の寂しさを感じながら迎えた今日の朝。午前中は自宅の掃除をしたり、読書をしたりで、昼過ぎに紀の川サイクリングロードを出撃🚴食いしん坊さん、堂々の登場です💕お昼ごはん💛だらけているそ~
おはようございます。2021年9月24日(金)今日はみどりの窓口記念日、清掃の日、畳の日、歯科技工士記念日、南洲忌です。http://s.webry.info/sp/isshokenmeihajimekun.at.webry.info/201501/article_268.html※みどりの窓口記念日1965(昭和40)年のこの日、国鉄(現在のJR)の全国約150の駅に、コンピュータを使った指定券発売窓口「みどりの窓口」が設置された。*今日の名言(1)一日勉学を怠れば国家(藩)の
乃木神社の摂社として、正松神社と赤坂王子神社があります。正松神社は、松下村塾開祖の玉木文之進と吉田松陰を祀っています。乃木大将は、玉木と松陰に薫陶せられていたそうです。赤坂王子稲荷神社は、王子稲荷神社から勧請したそうです。御朱印は、二つの神社一緒のものでした。正松神社は、士規七則が書かれています。王子稲荷神社には、鳥居がかかれています。御朱印は、乃木神社のものと、この2社のものをまとめて授与するかたちでした。また、境内には、乃木大将のことを学べる宝物館があります。神社の隣には
今日、「希望フェスHawaii」というオンラインイベントで、池川明先生と対談させていただきました。胎内記憶、そして、胎教を中心にお話をさせていただいたのですが、そのなかで、吉田松陰の叔父で、松下村塾を創った玉木文之進が、既に胎教が大切だと説いているという話をしました。その時は手元に文献がなかったので、引っ張り出して調べてみました。出典は、『吉田松陰』(山岡荘八著)…父・眞の蔵書より。彼(文之進)は人間を「四つの生長期」にわけて教育すべきものと考えていた。こ
乃木神社の境内社正松神社さんです。御由緒乃木家と玉木家は親戚筋で、乃木大将の実弟正誼(まさよし)さんは、玉木文之進さんの養子になっています。もうちょっとつづきます。
『司馬遼太郎ー講演録』ー④🔯松陰は弟子を自分と同等としたお母さんは松陰の教育に口を出すことが出来ませんでした。教育を担当したのは叔父の玉木文之進(たまきぶんのしん)という人で、大変に厳しい教育でした。孔子や孟子を教えたのですが、ほとんど命懸けの教育です。「公に、一点の私情もなしに奉公する人間にする」というのが教育方針でしょうか。寅次郎が読書中、蠅が飛んできて、思わず顔を掻いたりすると、それだけで文之進は寅次郎を死ぬほど殴りました。聖賢の思想を読むのは「公」であり、顔を掻くのは「私」で
東京都港区乃木坂。いまは、アイドルグルーブの名前として知られ乃木坂46が祈願などを行っているので乃木坂ファンの聖地になっているとか。江戸時代は幽霊坂とも呼ばれていました。乃木坂と呼ばれるようになったのは1912年赤坂区議会で議決されたことによります。その由来となったのが乃木希典。乃木神社の御祭神です。参詣の当日は春の兆しの頃だけあり境内も穏やかな空気です乃木希典邸の遺構明治天皇大喪の当日、夫婦で殉死した。すでに世界的称賛を浴びていた乃木の忠誠心に
やっと着いた…と思いきやここからまだ少し歩くのですが…この坂が結構キツかった(笑)。やはり初めてで土地勘まったく無しなので少し迷いつつ、しかもそれぞれ「直ぐそこ」という距離でもなく微妙に歩く配置「これ全部近付けといてくれれば良かったのにな~(笑)。」確かに(笑)、この現代に異端の(少しだけ)狂った二人。松蔭先生も笑ってくれてるでしょう。先輩は終日動画撮影されてましたが、この吉田松陰巡り含め、雑誌で特集するのだそうです。道中でも「やっぱりこれだな。」と言ってて、本当にこのツアー提案して
歴史に多少興味あっても知らない人が多いと思われる玉木文之進…ここで問題です。Q・松下村塾を創始したのは吉田松陰である。A・玉木文之進これって知らない人が多数派と思いますが、創始したのは実は玉木文之進、よってここが正真正銘の松下村塾発祥地なのです。前回は弟の三回忌からの仕事前だったので、松下村塾だけでいっぱいいっぱいでしたが、今回はまだまだ、盛りだくさんとなったのです。松下村塾でここが近いのを知り、駐車場に居た清掃のおばちゃんにお聞きしたのですが、手を止めて丁寧に教えてくれました。「こ
初詣の「密」不安7割超混雑状況配信など検討真岡の大前神社調査9/2610:27新型肺炎-COVID19-お出かけ・イベントhttps://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/364279、下野新聞配信より真岡来年の初詣時の新型コロナウイルス感染症対策に役立てようと、真岡市東郷の大前(おおさき)神社は25日までに、一般の参拝者を対象としたアンケートを行った。回答者の7割超が「混雑による参拝者同士の距離」に不安を感じていることなどが分かった。茅の輪く
おはようございます。2020年9月24日(木)今日はみどりの窓口記念日、清掃の日、畳の日、歯科技工士記念日、南洲忌です。http://s.webry.info/sp/isshokenmeihajimekun.at.webry.info/201501/article_268.html※みどりの窓口記念日1965(昭和40)年のこの日、国鉄(現在のJR)の全国約150の駅に、コンピュータを使った指定券発売窓口「みどりの窓口」が設置された。*今日の名言(1)一日勉学を怠れば国家(藩)の
寅次郎の生涯「講演」兵学修行と課題の発見・・・其の二昔は職業は世襲ですから、松陰先生は、吉田家に養子に行ったことで、明倫館という藩の大学の教授として家学「家の学問」である山鹿流兵学を講ずるという先祖伝来の仕事を継いだのです。自ら選択したのではなく、自分の意思いかんにかかわらず、いわば江戸時代の身分制度の中に、その将来を拘束されてしまったわけです。そして山鹿流兵学の後継となった以上は、その家業を全うするよう修業しなければならないのです。寅次郎に山鹿流兵学を教えてくれたのは、叔
寅次郎の生涯「講演」杉家の家風・・・其の三さて、松陰先生も普通の子供ですから、幼児時代については、いうほどのことはありません。しかし四、五歳から七、八歳までの時期は、人の一生のうちで、最も大切な時期です。人間は「環境の所産」ともいうべき一面がありますが、それは、正にこの時期においてです。だから、よい親の間に生まれたかどうか、よい家庭に育ったかどうか、よい周囲の人々と、交わったかどうか、ということが、人間の一生涯に、深い関係をもつといってもよい。こういうことが、非常
寅次郎の生涯「講演」杉家の家風・・・其の一さて、松陰先生の生涯は、ある意味では単純な生涯です。天保元年「一八三〇」八月四日に生まれて、安政六年「一八五九」十月二十七日、徳川幕府の処刑をうけて亡くなられたので、その一生は二十九年二か月余りです。松陰先生は、山口県萩の郊外の松本村「萩市」に杉百合之助の次男として生まれました。杉家の長男は梅太郎「後に民治」次男が寅次郎、これは、天保元年は寅の年ですから寅次郎、これがこれから紹介する松陰先生です。その下が、千代、寿、文、安三郎
休みに入って、毎日ダラダラと過ごしているRieruです★しかし、今日は頭領方のお墓参り。でも、県内の感染者は増えてるし、正直外出は怖いな〜。…え?墓所は山奥にありますよね?イテテ(車で行くから…実家のお義母さんには簡単な挨拶をするぐらいですし…ほぼ安全☆)てか、自分たちがもし無症状感染者だったら、知らないうちに誰かにうつす可能性があるんですよね。気を付けて、気を付けて、先月、萩市にある『吉田松陰墓所』へま参りました。こちらには、明治維新百年記念事業として建てられた『吉田松陰先生』
吉田松陰先生は尊皇攘夷の思想家であり教育者です。先生の名は、教科書にも出ており、司馬遼太郎の小説『世に棲む人々』や大河ドラマ『花燃ゆ』でも主題になりましたので有名ですが、それらは先生の外形的・表層的な足跡を捉えただけであり、先生の思想の内奥に迫るものではありません。私は学者ではないので先生が、いつどこで何をしたと云った、外形上の知識には興味がありません。先生の思想、精神を明らかにし、これを継承することが肝心だと思っています。先生は文政13(1830)年、長州藩士杉百合之介の次男として、萩
2枚画像を追加したので再UPしました。昨日の続きです。今回は伏見乃木神社です。下図⑫の付近です。前回は左側の道を歩いてきました。⑬の所で南側は⑬から南に乃木神社鳥居が見えます。東京には乃木坂に乃木神社がありますが、ここは伏見乃木神社です。乃木神社が中央下にあります。乃木希典古写真です。明治天皇崩御の直後に後追い殉死した縁で、明治天皇陵の近所に乃木神社が出来ました。表門です。由緒書きです。乃木神社解説板です。明治天皇に殉死した
おはようございます(*^ー゜)ノこんにちは(*^ー゜)ノこんばんは(*^ー゜)ノ1周まわっておはようございます(*^ー゜)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指導に取り組んでいる進学塾MAXの塾長小林浩之です(^o^ゞここ最近は、消毒&除菌活動に加えて、MAX防衛軍司令長官を拝命し、攻め寄せる虫という戦闘機と戦い、防虫対策にも忙しい。どこでもベープ未来とアースジェットに加えて、昨日は、援軍、虫コナーズの出動を要請した(^_^ゞ各教室の入り口付近に2個ずつ配備した(v^ー°
こんばんは(*^ー゜)ノおはようございます(*^ー゜)ノこんにちは(*^ー゜)ノ1周まわってこんばんは(*^ー゜)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指導に取り組んでいる進学塾MAXの塾長小林浩之です(^o^ゞ真面目に消毒&除菌……と言いながら、昨夜は消毒も除菌もせずに帰ってきたヾ(@゜▽゜@)ノまだまだ不安材料はあるが、緊急事態宣言は解除されたし、安倍くんも「終息した」って言ったらしいし、和歌山県の感染者数も減少傾向にあるし、新規感染者も2週間くらい0だし、学校始まるし……
先の一月十一日、崇敬する乃木神社を参拝したら、日ごろお世話になっている文筆家の拳骨拓史先生にばったりお会いし、先生の新著『乃木希典』(明成社)を贈呈頂きました。拳骨先生は、中央乃木会の理事を務められ、昨年は、乃木神社で崎門学研究会主宰の講演会の講師も務めて頂きました。早速、御高著を拝読し、大きな感動に包まれながら読了いたしました。私も本著におけるのと同様に、乃木大将を敬愛を込めて「乃木さん」と呼ばせて頂きますが、乃木さんが偉いのは、①吉田松陰の叔父である玉木文之進に入門し、山鹿流兵
拝殿での参拝を終え、右隣にある道を進みます脇には君が代にも歌われるさざれ石さざれ石って、あちこちの神社で見かけますね進むとそこには境内社正松神社といいます乃木将軍が師事した叔父の玉木文之進(たまきぶんのしん)甥の吉田松陰(よしだしょういん)を御祭神として祀っていますなんとなんと・・・これはまた別の機会があれば話しますとりあえずご縁を感じて、丁重に参拝境内に戻り次は赤坂王子稲荷神社を参拝御由緒を読むと王子にある王子稲