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日本駆け込み寺代表玄秀盛様の生き様に感銘を受け、当団体トラブル相談センター代表岸本和幸はその志を胸に、その姿勢を手本とし、弱者救済のため、困難を抱える人々の力となれるよう、力強く活動を続けてまいります。
立正佼成会と真如苑が友好なら、佼成出版社も同じかなあ(´-`).。oOひどいことしてきた人たちだな。現在進行形か(´・ω・`)目を覆うよ。玄秀盛の自伝の内容とか。
REIJI無敵道~新章~楠本哲玄秀盛(監修)少年画報社ヤングキングコミックス全4巻1巻発行日2010/8/23新宿歌舞伎町で弱者救済の看板を掲げて、主に暴力と脅しと気合で解決してきた堂本零時のあとを継ぐかのごとく、樫野怜士が活躍する。しかし、薄汚い大人たちにいいようにされ、風俗に沈んだ未成年の女子を救い出すつもりが、逆に自殺に追いやってしまう。歌舞伎町にはヤクザとはまた異なる「護人会」なる組織があり、裏で牛耳っているのだ。一筋縄ではいかない。腕っぷしは強い怜士だが、自
交渉人堂本零時楠本哲玄秀盛(監修)少年画報社ヤングキングコミックス全8巻1巻発行日2007/7/1ヤクザの親分が額に銃をつきつけられ、あげく小指を1本落として、ようやく、ケリのついた件。具体的にその中身は語られないが、組どうしのイザコザを堂本零時が解決したらしい。しかし、傘下の組の組長は納得いってない。部下3人の小さな組だが、「交渉人という名の素人に極道が舐められてたまるか」という思いである。指を落とされた親分は、「おまえは奴の恐ろしさを知らない」だの「絶対に敵にまわしてはいけ
記事に書かないとよくなかったのかと思われそうなので(笑)取り急ぎご報告わたしは本からはいったから大阿闍梨酒井雄哉の遺言師弟珍問答/玄秀盛【1000円以上送料無料】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}大阿闍梨酒井雄哉の遺言師弟珍問答Amazon(アマゾン)いきなりお逢いしたのではなく玄さんについての下情報があったのでいや~玄さん!ほんとヤクザみたい(笑)と笑ってしまいましたがいきなりお逢いするとヤクザとみまごうド迫力と圧を感じる
来週日本駆け込み寺公益社団法人日本駆け込み寺:誰もがSOSを言える社会へ日本駆け込み寺(にっぽんかけこみでら)は、東京都新宿区歌舞伎町にある公益社団法人です。性別・年齢、国・宗教や被害者・加害者を問わず、DV・家庭内暴力・ひきこもり・虐待・多重債務・ストーカー・自殺など、警察や弁護士、家族にも言いにくい様々な問題を抱えた人々の悩みごとの相談やサポートをしています。nippon-kakekomidera.jpの酒井大阿闍梨から得度をうけたお弟子さんでもある玄さんにお逢いするので
これはもうほんと実感表面的な表現と実体って案外、真逆で(モチロン例外もあり表面的にやさしげで清らかだけどそれを裏切らないで実体も同じもの=本物もあるけどけどそれはすごーく珍しく少ないwアピールと実体の不一致がまかり通ってたのがこれまでの時代だったんだよね遠い目( ̄- ̄))わたしなんかものの見事に(笑)表面的なアピールをいつも信じてしまいあとになってあれっ?!( ̄▽ ̄;)なんかおかしいぞ?言ってたことと違う現実がwここにひろがってるんだけど?
下娘のかつてのラーメン屋バイト仲間で定時制高校に通いながら働いてた子が親から虐待を受けていて寝てる間に殴られたりするからあんまり家に帰らなくなってる子がいてヨーク話を聴いてみると親が児童相談所にいけといったから本人が相談に行ったらしいのですが(親に行けと言われるとはあんまり聴かんなとビックリ)本人の素行がよろしくないからか受付不可になったようでこれはもういよいよ酒井大阿闍梨のお弟子で歌舞伎町で二十年近く活動なさってる日本駆け込み寺公益社団法
酒井大阿闍梨のお弟子さんだったかたでお坊さんにはならなかったけどなんていうんだっけ?得土というやつだwそれは酒井さんに勧められ受けておられ在家のままなのたけど新宿歌舞伎町で駆け込み寺のようなものを始められたというお坊さんとはまったく違った形だけど酒井さんから引き継いだ灯火をオリジナルで生きておらるかた。大阿闍梨酒井雄哉の遺言師弟珍問答Amazon(アマゾン)この動画のインタビューに生まれ変わってもまたこの人生をやりたいとか(記憶は曖昧
❖得度して何か変わりますか?『お前だけは特別な「特」度なんや。お前は、孫悟空や。ワシは、お前の頭に輪っかをはめたんや。見えへんけどな。まあ、いずれ分かる』阿闍梨様から「あいつは得度せえへんかな?と言われていますよ」とお付きの人に言われたとき、「トクド?」と聞き直した。「なんで俺が?」と平静を装って聞き返すと、「あいつはいつもダンビラ(刀)出して歩いているようなもんやから、鞘に収めることを覚えなあかん、って阿闍梨様が気にされてました」"お山"から帰って、調べた。「得度とは、僧籍に入ること」
❖なんで俺を先達にしたんですか?『何も知らんヤツだからや。無知なるがゆえの愚行がええんや。知ってら遠慮する。知ってることが邪魔になる。なんでも知ることがええのと違うぞ』慈覚大師の足跡を訪ねる東北巡礼に俺も随行することを伝えると、阿闍梨さんから「先達(せんだち)で歩け」と指名を受けた。先達は、唯一、阿闍梨の前を歩く者のこと。二十メートルほど前を歩いて、常に安全を確保する役目、後ろを振り返らず、二メートルを超す長い杖の鈴の音を背中で聞きながら、付かず離れずの距離を保てないといけない。各地のお
❖「時間がいちばん大事なものじゃないですか?」『「時は人を待たず」や。自慢したいええ思い出も、逆に思い返すのも嫌な過去かてあるやろうけど、それはそのときに必要やったんや。時間は大事やけど、そこまでも囚われてるんやなあ。不自由な生き方やなあ』会社経営しながら思うんやけど、経営資源は「人、モノ、金、情報」って言いますやんか。でも俺が思うかな、人間にとっては、「時間」がいちばん大事なものじゃないですか?ずっと考えてきたことを、阿闍梨さんの部屋で二人のときにぶつけてみた。それは、俺の哲学やった。確
❖なぜ答えを教えないですか?『お前が得心したら、それが今の答えや。人と自分を比べたり、いろいろある答えを比べたり、そうするから間違う。お前が自分で納得したことが答えや。答えは一つじゃない。足がしっかり着地してると、答えがいろいろ変化できる』なんか阿闍梨さんの答えがよう分からんのです。ちゃんと言われてへん気がするんやけど、なぜ答えを教えないんですか?『そうかあ?ワシの言うことが分からんか?』と逆に尋ねてきた。はい、難しくはないんやけど、分からんっていうか、、、、『どういうこっちゃ?』阿
❖答えは、右ですか?左ですか?『ワシがどうのこうのじゃない。右でも左でも、やるのはお前自身なんやからな。だったら自分で決めて、どんどん行け。そうしたら、お前自身がお前のことを知る』俺はだいたい、第一印象が悪い。印象が悪いと知りつつ、初めからそう見える振る舞いをするときがある。「阿闍梨さん、相手が思う第一印象なんて気にしないでしょう?」半ば同意を求める質問をした。『第一印象?そんなもん気にするかいな。お前、気にするんか?』いや、まったく。相手が誰であれ、このまま前面押し出しですわ『でも、
❖金儲けは悪いことですか?『いや、使い方の問題や。金自体には綺麗も汚いもない。稼ぐときよりも、使うときに綺麗か汚いかが出てしまう。使うというのは何を買ったかではない。価値を何倍にも高めた使い方をしないとダメや』金儲けは悪いことですか?当時の俺にとって金がすべてだった。世間が「守銭奴!」とののしり、「金の亡者!」と唾を吐いてたも、痛くもかゆくもなかった。「持ってるもんが勝ち」という信念だった。そやけど、阿闍梨さんといろいろ話をしてると、あまり価値のあることと思えんようになっていった。かとい
❖有名人を惹きつけるコツはなんですか?『お前には「有名」って見えるか?ここはな、仏の世界やから、魂は皆一緒や。だから、ジャガイモが並んでるのと同じや。お前は下界を引きずって見てるんや』「どっちが偉いんですか?」俺の阿闍梨さんへの質問は、初っ端から飛び抜けてアホ丸出しだった。阿闍梨さんに会ったのは平成元年十月二十七日、「阿闍梨様に会いに行きませんか?」と知人のご婦人二人に誘われて、運転手を買って出たときだった。そこに、小さなおじさんがおった。お手伝いの人かな?そう思ったら、「阿闍梨さま〜」と
❖なんで、きついのに歩くんですか?『歩きたいからや。それ以外の理由はない。すぐに擦り切れてしまうと分かっていながら、このわらじを作ってくれはるひとの気持ちも足に感じて歩いてることが分らんやろ?』阿闍梨さんは、巡礼で歩くとき、わらじを履いていた。あるとき、「そのわらじ、もらえへんかなあ?」と、お願いしてみた。『なんでや?』と阿闍梨さんだって、みんな、阿闍梨さんのわらじを自分の体にくっつけて、痛いとこ治るとか、病気が癒されるとか言うてますやんか。お守りみたいなもんなんでしょ?『アホか!』
❖人が信じ合うって、ほんまかなあ?『そう思うから、それはそれでええ。でも、今はまずワシを信じろ!それができんかったら、何も身に付かん!』宗教には、いろんな宗派がある。どんな宗教だって、年月を経ればいろんな解釈が生まれて、現実に合わせて独立者が出てくるのは分かる。会社から独立するヤツもおるし、のれん分けで自分の店を出すヤツもおるんやから。でも、キリスト教から分派しても最終的にはイエスに帰依することは変わりないのに、仏教は「お釈迦さん、お釈迦さん」と言いながら、その宗派の開祖に帰依する。なんで
❖『観』と『見』はどう違うんですか?『コップをあるがままに見たら、長方形とか丸とか、決めつけることはできんということや。お前、目で「見た」やろ?心眼で「観る」でないとダメや。選り好みしたり、善悪を判断したらならん』得度しても仏門に入ったわけでない俺に、阿闍梨さんは「般若心経くらい言えるようになっとけ!」と言った。その言い付けは守って、ちょっとずつ唱えられるようになっていった。あるとき、ふと気になった。(なんで、般若心経の最初の文字は「観」なんやろ?「見」とはどう違うんやろ?)機会を見つけて
❖『空』ってなんですか?『「無」っていうのは何もないことや。「空」っていうのは、あるけれど掴めへん。ソラは、いつも同じように見えてる。明るくも暗くもなる。そういう変化をするものやけど、ソラはソラでしかない。そのことを「空くう」って言うねん』さっきお経に「色即是空」って書いてありますやん?「無」とか「空ソラ」ってお寺さんでは言うてますやん?「空」ってなんですか?お経を唱えたあと、阿闍梨さんに尋ねた。『ソラ?ハハ、そら「クウ」のことやな』あれは「クウ」って読むんですか?『普通はな。でも確
❖生きる意味ってなんですの?『生きる意味とかは関係ない。価値が問題や。人間の生きる価値は「行い」や。奪って生きてる自分が与える生き方に変わったら、心の不安がなくなって、安寧がやってくる』何から、そうなったのか経緯は思い出せんけれど、「生きる意味」について阿闍梨さんに質問したことがあった。「生きる意味ってなんですの?人間が生きるって、どういうことなんやろ?それ以前に、『人間』って、どういうものなんやろ?『人間』って言える基準が何かあるんやろか?『人の間』って書きますよね?でも、人の間のことな
❖『一日一生』ってどういうことですか『人は毎日、生まれ変わっとる。だから、良きにつけ、悪しきにつけ、すべて今日で終わりや。今日が始まったときに、今日ですべてが終わる気持ちで日々生きろ。朝起きれば、それが新しい誕生や』阿闍梨さんは、よく「一日一生」という言葉を口にしていたし、求められて色紙に書いたりもしていた。今では、俺の座右の銘にもなっているこの「一日一生」も、かっての俺には縁遠い言葉でしかなかった。いつも言うてる「一日一生」ってどういうことですか?『人は毎日、生まれ変わっとる。朝お気
❖なんでいろんな人に会うんですか?『人は会わんと分からん。見たら、人が分かる。いっぺん上に登って見てみい。慈愛っちゅう眼(まなこ)で見てみい。来る日も来る日も待ち続けて一週間咲く。これを何十年とか百年とか、一本の木がつづけてるんや』阿闍梨さんは、俺みたいな人間とも会うし、裏社会の親分が来れば会うし、ローマ法王とも会う。忙(せわ)しいなあ、と思ってた。なんで、そんなにいろんな人に会うんですか?別に儲け話をするわけでもないのに、しょっちゅう人と会って話をしてる。なんの得になるんやろ?相手も、
❖なんで仏像に手を合わせるんですか?『守ってもらわんとアカンことが人間にはたくさんあるからや。手を合わせて仏像を見るっていうんは、その目に向かって念を入れるってことや。みんなが念を入れてきたその目に自分も念を入れるから仏像の目は光を放つ。念っていうのは、字のごとく、「今の心」や』阿闍梨さん、お堂に不動明王が十いくつも並んどるけど、なんで不動明王だけ置いてあるんですか?阿闍梨さん、なんでそれぞれ色が違うんですか?阿闍梨さん、言うたら悪いけど、木を彫っただけのもんですやんか。何百年か前に有名
❖信仰心ってなんですか?『先祖代々のお墓とか供養しているところに育まれていくものや。「生きている」ではなく、「生かされてる」と思えば信仰の背骨になる。信仰という背骨は、生きていくことで血となり肉となる』そもそも、信仰とか信仰心っていうものが俺にはよう分からんかった。神仏に手を合わせる、という形は知っている。いろんなお経があることも知ってる。でも、信仰とか信仰心と呼ばれているその『心』がどんなことをいうのかは分からん。分からんから、余計に気になっていた。東北巡礼の頃、オウム真理教のさまさま
❖千日回峰行をやったら何が分かりますか?『そんなもんは何もない。大事なのは、やった後や!修行っちゅうのは、自分との闘いや。修行を終わってからがほんまの「行」や。どこまで空っぽにできるか、無心になれるかが仏の修行』『阿闍梨さんは、なんで二回も千日回峰行をやったんですか?』そう尋ねたのは、慈覚大師の巡礼中(慈覚大師の生誕地である栃木県岩舟まちから青森県の恐山まで一六〇〇キロを歩いた巡礼)に泊まった宿でくつろいでいたとき。一度の満行でも難しいと言われるのに、阿闍梨さんは五十四歳で一度目、六十歳で
❖欲って、持ったらあかんのですか?『欲は必要や。欲がなかったら生きていかれんのやから。問題は、欲のかけ方や。仏の世界には「利他行」いうて、他人のためにかける欲がある。結局は、人の役に立つ生き方が自分を生かすんや。どうや?物欲で心が満たされたか?』"下界"で商売してるときには聞かん言葉を、"お山"へくると耳にする。その一つが『欲』。俺の仕事ではわざわざ取り出して言わんでも当たり前やんか、と思うてることが、なんやえらく重いことのように感じてしまうのは、なぜなんやろ?そんな気持ちもあって、阿闍梨
❖命ってなんですか?『命は、つくられへんのやで。お前に関係なく勝手に動いてくれてるものや。自然に止まるまで止めるな。止まるまで待ったら、「寿命」っちゅうもんや。命は、人のために使うもんや。皆、意味があって生きてる。命に無駄はない』阿闍梨さんに『命は、つくられへんのやで』と唐突に言われたことがある。唐突のように思ったのは俺の勘違いで、実はその前から俺自身が『不惜身命』ってどういうこっちゃろなあ?そもそも、命ってなんやのん?と問うこともなくつぶやいていたから、それらが一言に結実して