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今日は大仏の日思い出すのは推しの君の言ってた大仏様これ霊園にあるオブジェ?のようなもの歴史には無関係なので………https://ameblo.jp/69207080/entry-12774603702.html『なんちゃって聖地巡礼✤牛久大仏と味噌ラーメン』舞台初日の翌日は舞台の休演日お仲間さんの希望の牛久大仏まで私はうーん何年ぶりかな迷いようもないのに入り口を見落とした?少しだけ遠回りしたけどついたのが…ameblo.jp#中川大志#歌妖曲#歌妖曲〜中川大志之
老子道徳経第65章猫訳猫レベルの達人は賢くなろうとはせず、愚か者でいる。人生の労苦はその小賢しさから起こるものであり、賢くあろうとする事は自分を苦しめる諸悪の根源と言える。オツムで何とかしてやろうということがなければ幸福だ。ここが肝であり、いつでもこのままであれば猫レベルの達人だ。このレベルは深く万物の源につながっている。そこに調和がある。古えの善く道をなす者は、もって民を明らかにするに非ず、もってまさにこれを愚かにせんとす。民の治め難きは、その智の多き
1年半前に仕事をリタイアした私の場合推しごとは大志ごと=お仕事はたい仕事はい……お粗末仕事とはいえ利益はあるはずないむしろ出費がだけどそれが生きがいで明日への活力え?大げさ?わかってもらえる人もいるはず中川大志くんを応援しています⬆これ…ブログのテーマです昨日はエアコン掃除夏頑張ったから綺麗にして冬も頑張ってもらわなきゃ(うちはもう灯油は買っていないのです……色々とまあ)エアコンの下には💿の棚があるのてすがこの機会に整理し直すことにしました持っている💿はメルカリ
8月のTRUSTのイベントに続いて、今日も柏のスーパーオートバックスに行ってきました。今回はR's(アールズ)のスイスポ&アルトフェアです。スイスポ&アルトと言いつつ、ジムニーのデモカーも来てました。静岡からお疲れ様です。15㍉のワイドトレッドスペーサーを購入しました。とりあえずリヤにブッ込もうと思います。タイヤ出ちゃうかな?どうかな?もし出ちゃうようなら、それこそ8月に見たTRUSTの片側7㍉のオーバーフェンダーが必要になりますな。他にアールズとモンスタースポーツのステッ
中庸と詩経(13)予明徳を懐う、聲と色を以て大とせず詩に云わく、予明徳を懐(おも)う、聲と色を以て大とせずと。子曰わく、聲と色を以て民を化するに於けるは末なりと。仮名中庸第三十三章85頁4行目伊與田先生の解釈詩経(大雅皇矣篇)に、「予は明徳を懐うのみで、特に声を大に色をはげしくすることはない」とある。孔子は「声と色とをもって民を感化するのは末だ」と言っておられるが同じことをいうのである。「詩に云わく、予明徳を懐う、聲と色を以て大とせずと」・・・この詩は、「詩
今世では、出産・子育てをしていません。(じゃあ前世でしたのか?と聞かれても、分からないけれども😅)でも、子育てってたぶん、こういうことが大事なんだろうなぁ。というようなことが、本に書いてありました。図書館から借りてきた本。この中に書いてあった、「道の働きの性質」に、「玄徳(げんとく)」というキーワードがあって。その説明が、なんだかいいなぁ〜と感じたのです。以下、本からの抜粋。【玄徳】・生み出しても、所有しない。・働きかけても、見返りを求めない。・成長させても、支配しない。
うちの玄徳(きゃおちゃん)です
飯田市街地にあるラーメン屋『元徳』で醤油ラーメン。味噌も良かったですが一番人気の醤油に。アツアツでコクがある汁。チャーシューは特に美味しかったです。人口当たりの焼肉店(53軒)の数が日本一との事で焼肉をビールと共にいただいても良かったんですが、昨晩は飲み食い(色々とご馳走になり)したので今晩は控え目に。大盛りにして900円。
とりとめもなく書くことになりそうですお付き合いくださいませなるべく長くならないようにしますが……🍛カレーの話🍛❶似てるけどまっいいんじゃない?コントと音楽✖コットンクラブのコラボメニュー柄本時生さん監修のカレー2回いただきましたあとのメニューは全部1回です大志くんのパスタも初日他のメニューも制覇しもう一度食べたかったのがカレー私の好みのお味でしたこれを最初に見た時から既視感がありそれはすぐにわかりましたこちらはセブンイレブンで販売されているもの数ヶ月前のカ
玄徳は・・・食客は天下いたる処にいる・・・のたぐい。主は好んで客を養い、客は卑下なく大家に蟠踞して、共に天下を談じ、後日を期するところあらんとする。――そうした風潮は、当時の社会の慣わしで、べつに異とするほどのことではなかった。三千の兵、数十の将、〈二名の兄弟、そのほか妻子眷族まで連れていても、国を失って、他国の庇護のもとに養われれば、これもまた「大なる食客」であった。いま荊州にある玄徳は、そうした境遇であった。けれど、食客もただ徒食してはいない。国も遊ばせてはおかない。江夏の
今日の日経平均株価は-83円の33338円でした。持ち株は前日比-15000円です。商船三井が100円以上も上げていてプラ転したので売りました。(+9500)ずーっとマイナスだったから買値を超えて良かった~懲りずに下がったらまた買いたいです!そして今日の安値を逃したけど住友商事を買いました。株以外の話ここのところ仕事が忙しい旦那ですが月曜日に珍しく休みになったので道の駅に行って来ました今年の4月にオープンした茨城県にある道の駅常総ですうちの旦那、道の駅めぐりが好きで
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い、続々、落伍してしまう。「あっ?父上、どうなされたのですか」遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら駒を寄せた。「兄さん!大変だっ、待ってくれい」ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。袁譚、袁煕の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引返してきた。全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。老齢な袁紹は、日夜、数百
諸葛孔明先生への情熱だけで奇跡を起こし続けて32年の玄子(げんし)です。相手から思ったような反応がないと無礼で非常識な人って決めつけてしまいませんか?いいね返しとか、フォローとか、年賀状とか。「なんで返してくれないのよ」ってイラつく前に!そんな時こそ自分の人間力を深めるチャンスです!!人間力と器を深めるヒントはこちら!玄徳公に学ぶ「徳」先方の都合を考えずにこちらが勝手に押し掛けているだけではないか。留守だからといってなんの連絡もない
諸葛孔明先生への情熱だけで奇跡を起こし続けて32年諸葛流文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。今日は旧暦の3月23日。三国時代、蜀漢王朝初代皇帝劉玄徳公の御生誕日ですってことで!玄徳公のお名前を文霊(あやだま)想作させていただきました!名前に魅る劉備玄徳公とは?玄徳公は何よりも心を大事にし心で感じ得たものを徳に出来る人。喜怒哀楽の情を顔に出さない分だけ慎ましく下積み時代から変わらず奥深い品徳を常備。また無為
最近、地上波で「三国志~趙雲伝~」を視聴しております。中国ドラマ「三国志~趙雲伝~」|中国・アジアドラマ|BS無料放送ならBS12(トゥエルビ)「三国志」の面白さにラブ史劇の要素をプラス。女性も楽しめる美しき三国志!www.twellv.co.jpリンク先はBS12をお借りしました。でね、主役の趙雲は置いといて呂布のビジュアルなんですけど一見、見た目はマトモに見えるのに頭部の赤いポンポンがね気になってしょうがないのです。なんか、動くたびにビョン♪ビョン♪するから余計
人間の徳の中のひとつ外には見えないけれども内にあり大きな働きを持っているという玄それが玄徳「玄」とは黒いという意味で「玄人・くろうと」という言葉があります玄人と素人はどこが違うか。知識がすぐれていても必ずしも玄人とはいえず長い間仕事をしている間に、仕事の本当のコツということが身をもって示すことができるそのコツにあたるものが「玄」と言われるそうです内にあり外には現れていないけれどある徳玄徳日々精進されている人がもっていらっしゃるにですね素晴らしい言葉ですね
今回は……鎌倉殿発信というグループ作ったのは義時でグループ名もしかり実は平六……義村はメンバーに入っていないのですなぜなら「めんどくせーそこで決まった必要なことだけ直接ラインしてくれ」と義時の手間は増えますが昔からのよしみでやれやれ……と思いながらも言う通りにしています頼家が生まれてくる前の御家人が御所に集められたあそこの場面です翌朝………皆義経のことは全てお見通しだけど余計なことを語らずに流したようですもちろん途中からは話を作っていますここでつけ加えます吾
『どうする家康』は恋愛ドラマなのかぁ!いえいえそんなはずはないけどこれは病室で見ている私がたまにふっと目を離したり眠りに落ちていたり(昨夜はなかったけど)ちょっと看護士さんと話していたりじっくり見られたところが極上のエモーショナルなシーンだったというとこで私が見てたままをざっくり書くとだから違いがあったらスミマセン今川氏真は瀬名のことが好きだったけど政略結婚で糸と一緒になる糸は幼少時の怪我が元で足が不自由結婚しても氏真に愛されることもなく触れられたこともない家康軍は武田信
娑婆(しゃば)とは、この世。俗世間。刑務所などにいる人が、外の自由な世界を指していう語。極主夫道の見すぎ??どこかできいた間が悪いまさにそうだなと思ってしまったここ数日今日から入院のため前々から準備以前も書いたマンション片付けを終わらせ沖縄からの娘たちの帰省があり今週は入院準備しながら家の掃除や片付けを進めていこうとしていましたそのはずだった髪も染めておかなきゃ……と15日に予約伸びてくる白髪をね……、ところが……13日月曜あたりから風邪の症状が出てなんと14日
初めて読者の前に姿を現し、劉備と出会った張飛が、『三国志演義』ではこのように描写されています。劉焉が兵士を募集する通達を送ったとき、玄徳はすでに28歳であった。その召集の通達を見た劉備は、長いため息をついていた。すると一人の男が厳しい声で『国のために働かないのに、なぜこんなに長くため息をつくのか』と大声で言い出した」「玄徳が振り返ると、その人は、体長8尺で、頭が小さく、目が大きい。力強く、凛とした姿である。巨大な雷鳴のような、疾走する馬のような迫力のある声だった」多くの読者は、張飛
山はところどころ紅葉して、郊外の水や道には、翻々、枯葉が舞っていた。赤兎馬はよく肥えていた。秋はまさに更けている。「……はて。呼ぶものは誰か?」関羽は、駒をとめた。「……おおういっ」という声――。秋風のあいだに。「さては!追手の勢」関羽は、かねて期したることと、あわてもせず、すぐ二夫人の車のそばへ行った。「扈従の人々。おのおのは御車をおして先へ落ちよ。関羽一人はここにあって路傍の妨げを取り除いたうえ、悠々と、後から参れば――」と、二夫人を愕かさぬように、わざとこ
時刻ごとに見廻りにくる巡邏の一隊であろう。明け方、まだ白い残月がある頃、いつものように府城、官衙の辻々をめぐって、やがて大きな溝渠に沿い、内院の前までかかってくると、ふいに巡邏のひとりが大声でいった。「ひどく早いなあ。もう内院の門が開いとるが」すると、ほかの一名がまた、「はて。今朝はまた、いやにくまなく箒目立てて、きれいに掃ききよめてあるじゃないか」「いぶかしいぞ」「なにが」「奥の中門も開いている。番小屋には誰もいない。どこにもまるで人気がない」つかつか門内へ入
祝盃また大杯を辞せず、かさねて、やや陶然となった関羽は、やがて、その巨躯をゆらゆら運んで退出して来た。大酔はしていたが、帰るとすぐ、彼は、二夫人の内院へ伺候して、「ただ今、汝南より凱旋いたしてござる。留守中なんのお恙もなくいらせられましたか」と、久しぶり拝顔して、四方山ばなしなどし始めた。すると甘夫人は、「将軍、妾の待ちわびていたのは、そのような世間ばなしではありません。戦いの途次、なんぞわが夫玄徳の便りでも聞かなんだか。お行方を知る手がかりでも耳にしなかったか……」と、
郭図、審配の二大将は、憤々と、袁紹の前に告げていた。「怪しからん沙汰です。このたび文醜を討ったのもやはり玄徳の義弟関羽だということですぞ」「それは、まったくか」「こんどは漢寿亭侯雲長関羽としるした小旗を負って、戦場へ出たそうですから、事実でしょう」「玄徳を呼べ。いつぞやは巧言をならべおったが、今日はゆるさん」度かさなる味方の損害に、気の腐っていた折でもある。袁紹は、やがて面前に玄徳を見ると、嫌味たッぷり詰問した。「大耳君、弁解の余地もあるまい。袁紹は何も言わん。ただ君の首を要求する
関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の鋳工に封侯の印を鋳させた。それが出来上ると、彼は張遼を使いとして、特に、関羽の手許へ持たせてやった。「……これを、それがしに賜わるのですか」関羽は一応、恩誼を謝したが、受けるともなく、印面の文を見ていた。『寿亭侯之印』と、ある。すなわち寿亭侯に封ずという辞令である。「お返しいたそう。
「いったい、わが顔良ほどな豪傑を、たやすく討ち取った敵とは、何者だろう。よも凡者であるまい」と、袁紹は、安からぬ顔色で周囲の者へたずねた。沮授が答えて、「おそらくそれは、玄徳の義弟の関羽という者でしょう。関羽のほかには、そうやすやすと、顔良を斬るような勇士はありません」と、いった。しかし、袁紹は、「そんなはずはあるまい。いま玄徳は、一身をこの袁紹に頼んで、ここへも従軍しておるのに」と、疑って信じなかったが、念のため、前線から敗走してきた一兵を呼んで、「顔良を討ったのは、
いま、曹操のまわりは、甲鎧燦爛たる諸将のすがたに埋められていた。なにか、布陣図のようなものを囲んで謀議に鳩首しているところだった。「ただ今、羽将軍が着陣されました」うしろのほうで、兵卒の一名が高く告げた。「なに、関羽が見えたか」よほどうれしかったとみえる。曹操は諸将を打捨てて、自身、大股に迎えに出て行った。関羽はいま営外に着いて、赤兎馬をつないでいた。曹操の出迎えに恐縮して、「召しのお使いをうけたので、すぐ拝領のこれに乗って、快足を試してきました」馬の鞍を叩きな
曹操は政治にたいしても、人一倍の情熱をもって当った。許都を中心とする新文化は著しく勃興している。自己の指導ひとつで、庶民生活の様態があらたまってきたり、産業、農事の改革から、目にみえて、一般の福利が増進されてきたりするのを見ると、「政治こそ、人間の仕事のうちで、最高の理想を行いうる大事業だ」と信じて、年とるほど、政治に抱く興味と情熱は深くなっていた。この頃――ようやくそのほうも一段落して、身に小閑を得ると、彼はふと思い出して、「そうだ――時に例の関羽は、都へ来てから、なに