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最近、胡桃にハマっている玄子(げんし)です。孔明先生と胡桃に面識があったことが、民話伝説で判明興味があったらご覧くだされ〜!南征した時のお話ですが、この地にまつわる民話伝説ってかなり多いです。特に、孔明先生のご聖誕を今でも祝っているって感動です数日前の先日。旧暦の4月14日は諸葛村説による孔明先生の生誕日でしたが私は孔明先生を敬慕する孟獲が主催(しそうな)の日を採用しています。理由は、孔明先生ご自身が直接関わった地なので。道教文化でも、諸葛村説ではなく孟獲説を支持
名言と格言の違いってすぐに説明できますか?私はできませんなので今日は名言と格言の違いをハッキリさせちゃいましょう!とりあえず、違いはこれ!名言:物事の本質をうまく捉えた言葉格言:全ての人への戒め、教訓となる言葉玄徳殿と孔明先生と言えば水魚の交わり。孤之有孔明,猶魚之有水也(私(玄徳殿)にとっての孔明は、魚にとっての水のような存在だ)これは、孔明先生を特別待遇していることにイラ立つ関羽殿、張飛殿に対して言ったので名言です。学問嫌いだし、詩作や文学
今日は、伊泉(いずみ)先生のタロット講座で学んだことに、三国志をオリジナルブレンドしてお届け。ブレンドコーヒーの試飲に立ち寄る気持ちで気軽にお付き合いくだされ〜。伊泉先生のタロットカードの解釈には、日本でよく使われている正位置とか逆位置はありません。悪いカードとか、良いカードなんてものもありません。恋愛での意味、とか対人関係での意味なんてものもありません。伊泉先生に学んだことを自分なりの解釈で伝えることは「オッケーです」と言っていたので、伊泉先生の講座の内容そのままではなく
初めて中国語で書いた手紙の相手は孔明先生だった玄子(げんし)です。明日のスーパームーンでの皆既月食は1997年の9月以来、24年ぶりだそうですが、私が孔明先生に手紙を書いたのも、まさにその時でした。当時は皆既月食とか知らなかったし、それ以前に成都へ留学した月だったので日々の暮らしに精一杯でそれどころじゃありませんでした😅挨拶程度しか中国語ができない状態だった当時。「中国語で手紙を書く」という宿題が出されました。相手は、親でも友達でも誰でもOK。私は中国語で想いを伝
夢の中で、すっごく明るい声で「冥土の土産、何がいい?」と聞かれて起きた玄子(げんし)です。冥土の土産って、一方的に犯人に聞かされるものなのでは?と思いつつ・・・これはきっと、冥土と三国志文化を調べろってことですね、と勝手に解釈。じゃないと、ホラーな発想が止まらない^^;そしたら!後漢書に人は死んだらと泰山へ帰る!と認識されている当時の人たちの冥界への説明がありました。泰山の近くには二つの小さな山があって、一つは梁父山、もう一つは蒿里山。梁父山には魂が、蒿里山に
2週間前の倉頡さんの御生誕日から始めた倉頡入力法。最初は意味不明でしたが、アプリでコツコツと練習問題をやってなんとか、かんとか。考えるよりも練習問題をこなしながら覚えた方が私には合っているみたいです。倉頡入力で一番、苦戦するだろうと思っていたのはキーボードの位置でした。今更、新たに覚えるとか出来るのか、私?と不安になるほど。が!去年ネットで学んだ「場所法」という記憶術が、今になってやっと意味をなしたのか、場所が固定されているキーボードが相手だったので、わずか数分で覚えられて良か
今日は朝から雨の琴曜日。こんな日は、古琴を聴いて心を落ち着けるのもまた一興♪古琴を知ったのは、成都で三國演義のドラマをみていた時。当時、中国の伝統楽器を学ぶのが留学生の間でブームになっていて「私も中国の楽器、学びたいな〜」と思っていました。二胡が一番手軽に学べる楽器でしたが、聞く分にはとても素敵だけど弾くとなると、、、魂にドカンとは来ませんでした。そんな時に!孔明先生が周瑜殿の前で弾いていたのが古琴だったのです。周瑜殿も古琴を聴いて、色々と覚ります。こ、これじ
孔明先生の偉大な脳細胞を活性化したかも知れない!?中国で密かなブームと噂の文玩クルミ記事を書いた後も気になって色々調べたら・・・文玩クルミを孔明先生が育てたかどうかは分かりませんが、クルミは三国時代からあったという民話伝説、仕入れました!しかも!孔明先生と関係のあるお話!!!近いうちにご紹介します。普段の生活の、何気ない身近なものさえ孔明先生とのご縁ありでも、このご縁もただ呆然と待っていてはやってきません。とりあえず必要なのは中国語、ですが私が中国語を学んだ理由は「あ
今、中国で密かなブームと噂の文玩核桃ってご存知ですか?一説では、漢の時代から始まり、唐の時代に流行り清王朝の宮殿に仕える琴師が今のブームの火付け役とされる文玩クルミ。漢の時代ってことは!三国志の時代をガッツリ網羅孔明先生も古琴を弾く前に、クルミを手中で弾(はじ)いていたかも♪ちなみにクルミを手の中で・・・揉む?(日本語に自信なし)中国語の動詞は盘。盘核桃って言い方をします。2019年の流行語になったとか。その2019年に蜀へ行った時、友達に「これ、大事に育てた
ネットさえあれば、世界中どこでも、何でも学べるから留学は不要!とホリエモンは言っていたけど・・・そんな世の中、簡単じゃね〜わ〜って思い知らせてくれるのが奥深き中国文化!!!なななんと!!孔明先生が駆使していた奇門遁甲をネットで教えてくれる授業あり。しかも、講師は道士さん孔明先生が使っていた、まさにあれです、あれ!君も孔明先生のように奇門遁甲を駆使して人生を変えてみないか!?と煽ります激しく煽られました。うわ〜〜受けたい!今の私にとって、世界一受けたい授業かもしれ
難しい書物でも繰り返し、何遍も読めば意味が自然に解ってくる、という意味で使われるのは読書百遍意自ずから通ずるそれとも読書百遍義自ずから見(あらわ)るポイントとなるのは意か義か、どっちでしょう?正解はこちらをご覧あれ〜。私が何遍も読んだ書物は、三国志三國演義難しい内容でもないし、その意味を理解するために何遍も読んでいるわけではありません。何遍も気付いたら読んでいた系っていうか、面白過ぎて、何遍も何冊も読まずにはいられない!!本当に大好きだと、自然と何度も何
先日、鉢付き700円で購入した鸢尾花/鳶尾花アヤメ!日本の漢字では菖蒲なので、菖蒲(しょうぶ)と区別がつきにくい花。アヤメって漢字、作ってあげればいいのに!!アヤメや、菖蒲、杜若に詳しい人からすると「全然違いますから!!」ってことでもその判断基準さえ解らないと、、、、、杜若(燕子花・カキツバタ)とアヤメ、何がどう違うのか分かりません。なんとなく違う気がするけど、気のせいのような気もする〜とその違いに自信が持てません。それでも生活に支障がないならともかく。大事な
昨日ご紹介した孔明先生の「癖」。話すのは苦手だけど、書くと何やら長くなってしまうので民話伝説が伝える孔明先生の癖は、孔明先生が好きな人だけ見てくれたら嬉しいなと思い諸葛丞相.comに長々と書いたのですがまさか!本当に読んでくれて、さらには!!!リブログして紹介までしていただけるとは!!!ロゴスさんありがとうございまする\(^^)/私の人生最大の野望は、あの世で孔明先生に謁見すること!!そのために日々、孔明先生が会ってくれるような人間になれるよう、孔明先生に私淑し
孔明先生には有名な「ついやってしまう癖」がありました。一つは考えるときに膝を抱える癖。そしてもう一つは、書くとちょっと長くなるので、孔明先生の癖が気になる方だけどうぞ孔明先生は「癖」の果てまで無駄がなかった!この癖を知ったら、一度は真似てみたくなります↑真似しました。今日も。気分だけでもってやつです。因みに私が自覚している癖は何でもかんでも、三国志に結びつけてしまう癖があるってこと。気になった食べ物や、花、その他、徒然なるものの由来を中国のサイトで調べると
まだ写真が存在しなかった時代の歴史上の人物の顔って、想像するしかありません。「これ、ありえないわ」って人物画が実は、一番本人の素顔に近かったらそれまでの想いは冷めるのでしょうか?というのも、これはある三国志英雄を描いたものですが、誰だと思いますか?え?これで二十代?もしかしてお腹、出てる?と思えしか!ちなみに、同じ人物を、他の人が描いたのはこちら。膝を抱えて考え込む癖のある人といえば?そう!!!実はどちらも孔明先生だったのです!!しかも!!!まだ三顧の礼を受
突然ですが、孔明先生のイメージってどんな感じですか?私にとって孔明先生のイメージってこんな感じです。天下三分の計を実現し、歴史を動かしたその偉大な才智を司る頭には綸巾(guanjin)と呼ばれる、黒い絹糸の紐のついた頭巾を。采配を振るったり、古琴の音色を奏でたり、書画を表現したその手には羽毛扇が。故に、孔明先生といえば頭巾と羽毛扇がトレードマーク。この孔明先生のイメージは三國演義の著者・羅貫中の創作・・・ではありませぬ。このブログでは三国志文化を仕入れるお得意先とし
熱し易く冷め易い私は、好奇心が冷める前にとりあえずやってみないと、永遠にやらない派。なので。脳に余裕はなかったけど、好奇心に後押しされて思い立ったら吉日!!倉頡様の生誕日だった昨日から倉頡入力法を始めましたとりあえず、こんな感じ。何のことやらでも気になる!香港の古琴友達に倉頡入力法って本当に存在しているのか確認したら「自分、思いっきり倉頡派です!」とのこと。やっぱり香港では倉頡入力、健在拼音と比べて何が良いのか訊いたら「脳を介さなくても手書き感覚で話す速度で
今日は母の日。旧暦では3月28日。漢字の生みの母・倉頡(cangjie・そうけつ)の御生誕日でもあるのです!!!とはいえ!お恥ずかしい話ですが、私は今日、道教のwechatメルマガで初めてその存在を知りました※倉頡様の画像はことごとく拝借しています。倉頡様(道教では神様として崇められています)はウィキペディアで日本語で紹介されているくらい、漢字の始祖であることは常識だったのです。それを今日知るとは・・・は、恥ずかしい(;´Д`)漢字大好きなくせに、孔明先生の文
今日は龍の日!とのことですが、なんで???って思ったので調べたら辰からの龍でした。カレンダーにちっちゃく日付ごとに記載されている十二支の辰だったんですね!辰を龍って漢字にすると神秘さ120%くらい増量される気がするのは私だけでしょうか?私が一番好きな龍の写真はこれ!道士さんが撮った写真を許可を得て拝借したものです。空を駆ける龍そのものな感じでお気に入りです。因みに、臥龍の号をもつ孔明先生。文化教養も高く、琴棋書画に精通していました。絵画では特に、龍の絵を好んで描いてい
一つの「正しいこと」だけが全てではありません。例えば、正しい日本語では歴史上の人物に敬称を付けないそうです。呼び捨てが正しいそうです。って正解を知った時、変なのぉ〜、とりあえず私は無理です。って思いました。中国留学時は、周りがみんな三国志英雄を姓名の呼び捨てをしていて、字では分かってくれる人は恩師や道士さん以外では、あまりいませんでした。成都武侯祠で働く人も呼び捨て。やだなと思いながらも、彼らに伝わらなければ意味がないので、仕方がなく私も現地の呼び方に従い、心の中
三国志の三国とは、魏、呉、蜀の三国のこと。今回はそれぞれの国の君主の涙に迫ります。魏の基盤を築いたのは曹操閣下。孔明先生に「孫子の生まれ変わりレベルですごい人」と言わしめた曹操閣下。現代では、好きな三国志の英雄に敵対する人物を蔑み粗探しをして、推しを崇める人が多いですが当時は、英雄は英雄を識る!(非戦闘時は)敵だからとか、個人的な感情を切り離して、それぞれの才能を素直に認めていた英雄たち。だからこそ、関羽殿と曹操閣下のような涙なしには見られない人間ドラマが生まれるのも三国志の
今日は立夏!古代中国では、皇帝が文武百官を引き連れて都の南方の郊外へ出向き「夏」を迎えるために大々的な式典が執り行っていました。というのも「夏」って漢字には「大」という意味もあり。春に蒔いた種が大きく成長し、秋に豊作になるよう祈祷。孔明先生の出師表で有名な「危急存亡の秋(とき)」時ではなく、秋と書くのは秋は収穫の時期で最も重要な時期だから。古代中国の夏を迎える儀式では、み〜んな朱色の礼服や装飾品を纏(まと)っていたそうです。人だけじゃなく、馬や旗も。馬具も旗も全
今日は旧暦3月23日。三国志でお馴染み!蜀の皇帝となった劉玄徳公の御生誕日にございまする〜御生誕記念に今回は、玄徳公の名前に込められた文霊にその魅力を感じませう!劉(姓):普遍、広く行き渡ること備(名):備える次に。字である玄と徳をそれぞれ紐解きたいところですが!玄徳、で一つの言葉になっています。玄徳(字):奥深い人徳。気取りや堅苦しさのない自然な人柄なんかもう、、、玄徳公が語源なんじゃないの?ってくらい、そのまんま!!!文霊を紐解いて終わり、ではなく。
人ではなく、特定の国や場所に対して一目惚れってしたこと、ありますか?中国の友達がSNSで旅行日記を次々と投稿している今日この頃。その中で恩師が書いた一文が素敵だなって思いました。一发不可收地爱上了广东这片神奇的土地一发不可收:誰にも止めることはできないくらい、自分ではコントロールできないくらい、ものすっごい勢いで広東という神秘的な地を愛した、惹かれたとのこと。広東が恩師の「魂にドカン」と来たってことですね相手が人以外でも一目惚れってありますよね。ありませんか?
今日は旧暦3月21日。弘法大師空海の命日です。一昨日、弘法大師ゆかりのお寺へ行ったら今日のための準備をしていました。仏教のことはよく分からないけど平安時代に密教を深く理解するため、文字や言葉では伝えられないものを師から学ぶべく自費で中国に留学した弘法大師。1000年以上前に中国語を話せて、文化も理解していて更にはサンスクリット語まで・・・。そんな弘法大師に対して「ずっと待っていました」国籍に関係なく、惜しみなく自分の受け継いだ全てを託した弘法大師の師匠・恵果。
机上で議論するよりも、卓上カレンダーを三国志にしている玄子(げんし)です。5月の三国志卓上カレンダーはこちら!張飛殿が長坂坡で大暴れしたあのシーンです。大軍を相手に怯むことなく単身、立ち向かえる豪胆さ、最強です!張飛殿に関しては、力自慢の豪傑にして酒豪!ってイメージしかなかったのですがこう見えて(失礼😅)見かけによらず繊細だねと言われるタイプです実は、絵画や書の才能に秀でていたというから、人は見た目やイメージで判断しちゃダメですね!張飛殿が書いたと言われる
諸葛孔明先生を始めとする三国志の英雄達に人生と命を救われた玄子(げんし)です。故に我思う。大切なのは三国志の英雄達の人生を議論することではなく彼らの人生、存在、生き方に何を感じ、どんな風に自分の人生に活かしているのか?私は三国演義を読んで、三國演義原作のドラマを見て、1800年の時空距離がぶっ飛んだことにより生き続ける決断を下しました。13年で自発的に人生を終わらせたかった私に生きる希望を与えてくれたのが三国志の英雄達。なので、三國演義の間違い探しをして鬼の首をとる行
勝つことがわかっていて、戦に勝った人は英雄とは呼ばれません。どうなるか分からないけど、ハッピーエンドになるとは限らないけど命懸けで戦う人が英雄です。なので、たまに議論される「三国志の史実ではミスばかり」とか「英雄とは言えない」的な敬意の欠片もない上から目線的なもの、私は嫌いです。いや、大嫌いです。なのでそういった類のものは見ないようにしています。史実追及が嫌いなのではなく、名誉毀損で訴えたくなるくらい英雄達を蔑ますような言葉が耐えられないので。とりあえず、、
魂ドカンの好きなことへの情熱を語っている時って本当の自分になるのでしょうか?或いは、その時だけ限定で違う自分になるのでしょうか?私はずっと、話すのが苦手だし、話てもつまらない人間だと思っていました。自分自身を。想いを声に変換する作業ほど緊張するものはないわってくらい、話すのは不向きだと思っていました。実家でたまに三国志愛を熱く語り始めると、飼い犬が毎回欠かさず「いつもは無口なのに急にどうした?狂犬病なんじゃないの?この人?」って勢いで吠え責めてくるしよくよく考えたら、三国志
伝えたいことの本質が分かってもらえず心を閉ざしたくなることってありませんか?「はぁあ?うっせぇわ!」って言えたらいいけど、後々のことまで考えると面倒だから感情を抑えるために言葉と心を閉ざす悪循環。価値観の合わない人の言動に人生の貴重な時間を費やさないためにも!イヤな思いをした、だけで終わらせるのではなく「イヤだな」って感じた相手の言動を戒めにして自分がされてイヤなことは他の人にしない。伝えたいことが伝わらないことに心を痛めたら、伝え方が大事なのはわかるけど、それと同