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ヤマトタケル松竹座スーパー歌舞伎ヤマトタケル|大阪松竹座|歌舞伎美人松竹が運営する歌舞伎公式サイト。歌舞伎の公演情報、ニュース、俳優インタビューなどをお届けします。こちらはスーパー歌舞伎ヤマトタケル|大阪松竹座に関するページです。www.kabuki-bito.jp↑明日申込する予定。のはずが、今日だった明日は一般発売、今日が歌舞伎会の会員申込日。夕方気がついで、慌てて申込。まあ、丁度8列中央が空いてたのでOK🙆♀️妹も行くので、怒られるところだった市川團子ちゃん、一度見
2か月続いたロングラン公演のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が無事に千穐楽を迎えたようだ。2月に隼人、3月に團子を観た。私の中でハッキリした事は「猿翁は本当に居なくなってしまったのだな」と。「四代目猿之助のヤマトタケルを観る事も、もう叶わないのだな」と。そして「澤瀉屋は猿之助を待っていない。猿之助もまた、戻る事は無い。」と言う事だ。私はもうヤマトタケルを生の舞台で観ることは無いだろう。私の中の壮大な「ヤマトタケル」は追悼番組のノーカット版が有る。それを大切にしようと強く思
昨年、猿翁(三代目猿之助)が亡くなって初めての、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を見に行きました。2月、3月連続で、2月は猿翁の孫、市川團子(20歳)と、人気の隼人(30歳)のダブルキャスト、3月は團子のソロ主役。初演(1986)のときの、大胆・華麗な猿翁の思い出も、次の代の四代猿之助のときの思い出も、そして猿翁、中車(息子)、團子(孫)が襲名したときの思い出も、そして今回猿之助(猿翁の甥)不在になったために実現したこのキャストの思い出もすべてが、私の中で波紋のようにまじりあい、そこ
2月のヤマトタケル。隼人のヤマトタケルは、勇者だけれど、どこか寂しさを感じました。久しぶりに見た「ヤマトタケル」、蝦夷の討伐場面はなくて第三幕はこんなに寂しいものだったんだと。伊吹山での山神征伐で負った傷のために、大和の国を目前にして命が尽きるタケルの姿がとても痛々しかった…。夢の中でも父の帝は、タケルの問いに答えてはくれない。隼人タケルは、タケヒコ(福之助)やヘタルベ(歌之助)や家来たちに、自分の想いを語る姿が悲痛…切なく悲しい話はやっとラストの宙乗りで浄化される感じがしました。隼人タケルは
第一部「旅噂岡崎猫」平成28年の巡業「獨道中五十三次」の巳之助を見ていなくて残念。十三役の早替わりでさぞや力を蓄えて、この一幕では物足りないかも。前半の老婆からの身軽なスマートな化け猫ぶりが見事。この芝居も二世猿翁=三代猿之助の財産。😢行燈に継ぎさした魚油をペチャペチャと舐める猫の仕掛が面白く。また在所女おくらのやゑ亮の大活躍、でも筋書には写真は載らない、載せてほしかった。何しろ不思議な雰囲気のある一幕でした。「今昔饗宴千本桜」超歌舞伎poweredbyNTTとあるように、NTTの技
10月31日猿翁さん四十九日。猿翁さん、段四郎さんに会えたかな。びっくりしてるかな。猿翁さんが病に倒れ舞台から消えて20年。猿翁さんは旅立たれた。このタイミングで。。。皆の心の引っ掛かり…。「私の事はもう、気にするな。」天から皆の心を動かして下さい。猿之助さんの心の縛りを解いて、一門皆の心の霧を晴らして、それぞれの思いと自由を。
今日は墓参り。母の命日22日は歌舞伎座だからね。母の供養なら歌舞伎座が1番。本堂にお参りの時、猿翁さんの事も思いながら手を合わせる。お母さん、猿翁さんがそちらに行きますよ。もう、そちらの世界の方が賑やかで、前の歌舞伎座状態だね。夕方のニュースで、猿翁さんの葬儀が親族だけで行われたそうだ。一門も参列出来た模様。四代目は猿翁さんとちゃんとお別れ出来たのだろうか。猿翁さんは荼毘に付された。あの肉体が、もう存在していないのかと思うと、淋しさがこみ上げてくる。三代目猿之助の舞台
偉業を達成していても、人間性が疑われたら、それは消される。偉業を達成していなくとも、人間性が誠実であれば、死んでからでもその人の話がでてほっこりさせられる。性被害、自分がやったことで、偉業は消される人もいれば、離婚してからしばらくたった妻に「ありがとう」と感謝を告げる夫。あなたは偉業を達成できました。でも、どちらの人生で終わりたいですか?
私が歌舞伎にハマるきっかけとなったスーパー歌舞伎の創始者である大好きだったとてもとても大好きだった猿翁さんが亡くなられました何かを壊して新しい物を生み出すには基本をきっちりと学んでからでなければいけないと熱く熱く語ってらしたお姿や舞台での晴れやかなお姿が目に浮かびます弁慶では大きな器でお酒を飲み干す場面があるのですが飲む前にお酒をフーッと吹いてから飲み始めますその時にふっとお酒の香りを嗅いだようなそんな香りまで感じさせる舞台でした宙乗りを始めた時は喜熨斗(きの
ともてつぱぱ。のハンドルネームで風景・鉄分をTwitter(ともてつぱぱ。)で開設してます。見てね!葉月中旬に突入~!令和5年9月16日(土曜日)先負(丁丑)旧暦8/2月齢1.1国際オゾン層保護デー・ハイビジョンの日・マッチの日・日本中央競馬会発足記念日、競馬の日土曜日明日からまた営業!臨時営業!無事故・無違反・安全運転・運行を目指しおはょ(*゚ー゚)こんにちは〜(○´∀`)ノポ
今日は、夜の部。二世中村吉右衛門三回忌追善。①菅原伝授手習鑑(車引)②連獅子③一本刀土俵入こう並べてみると、何ともベタな演目だか、やはり此処には歌舞伎の真髄とも言える名場面の愉しみがちりばめられている。「車引」では、又五郎親子、「連獅子」では、菊之助と丑之助親子、「一本刀土俵入」では、幸四郎と、この一門の芸は引き継がれてきたことを感じた。「連獅子」丑之助君は、まだ8歳しっかり極っていた。「一本刀」の幸四郎は、頼りない相撲取りと颯爽とした渡世人の落差もまた魅力的だったし、雀右衛門さん
七月千秋楽も行ってしまった!午前の部は一回レビューしましたが、猿之助丈の代役として市川中車(香川照之)さんが、いきなりの主役で長丁場をつとめ、ダブル宙乗りもやってしまうという大奮闘演目「菊宴月白浪」でした。鶴屋南北原作、猿翁(先代猿之助・中車さんの父)が大胆にアレンジし、「忠臣蔵」だけでない、いろいろな歌舞伎からのせりふをパロディで散りばめた、グランドオペラのような派手なお芝居です。『ドラマの凄さに感無量————涙の応援』中車(香川照之)さんの初・宙乗り見てきました。猿之助丈の
中車(香川照之)さんの初・宙乗り見てきました。猿之助丈の逮捕のため、今月の昼の部の長編「菊宴月白浪」は、(従兄)市川中車さんが代わって主役になりました。——————————————(ニュース記事)最大の見せ場となる両宙乗りは舞台から飛び去っていく通常の宙乗りだけでなく、劇場上空から舞台へと再び舞い降りてくるという〝ダブル宙乗り〟の大技。大凧(だこ)に乗って花道の上空へと舞い上がった中車は万感の表情を浮かべながら約8メートルの高さを飛んで3階席の奥へ姿を消した。その後、反対側の3階席奥か
朝のラジオ「山内惠介の歌の道標」で、6月21日発売の新装盤から「修羅の舟」初オンエア🙌聴き終わると、シュ〰ラシュシュシュシュラシュシュシュとサビの部分が、脳内リフレイン歌詞は重いが、サビが軽快でなんか楽しい今の時代の演歌って感じこのテンポ、なんか落ち着くし、惠介演歌の声にシビれた舟盤/修羅の舟山内惠介|こころ万華鏡(舟盤)|ビクターエンタテインメントビクターエンタテインメント公式サイト。山内惠介「こころ万華鏡(舟盤)」の作品情報をご覧いただけます。www.jvcmu
夕方、いきなり陽がさしてきましたが、それとともに驚愕ニュースも!————————————————————「市川團子「死んではならぬ!」猿之助の代役公演に万雷の拍手明治座昼の部再開2023年5月20日14時38分スポーツ報知#芸能18日に自宅で両親と共に倒れているのが発見された市川猿之助が出演していた東京・明治座の「市川猿之助奮闘歌舞伎公演)(28日千秋楽)の昼の部「不死鳥よ波濤を越えて」が20日再開され、猿之助が演じていた主人公の平知盛を俳優・香川照之こと市川中車の長男・
ショックな出来事です澤瀉屋の存続を願います私は猿翁先代の猿之助さんのファンです私が若い頃です数年続けて年末の吉例顔見世興行に歌舞伎好きの父親のお供で見に行きました演目のひとつに黒岩がありましたずーっと中腰で真っ赤な舌を出しおどろおどろしくも軽快にそして美しい踊りには驚きました途中で沸き起こる喝采とにかく感動したものでしたジャニーズのダンスよりも凄いのではって思ってます團子さんがいますねこの先澤瀉屋が良くなるよう願ってます。
新三国志、初心者の私。ついて行けるかね?と心配してましたが、あっという間の2時間半でした。その昔、やはりNHKの人形劇で三国志やっていたよねーと思い出しましたが、話の記憶は全くありません。なのに主題歌だけは覚えている⁉️調べてみたら、細野晴臣でした。YMOには東風という名曲がありますが、あの主題歌も細野晴臣らしいテクノで何か彼方な感じが印象的でした。今回の「新・三国志」は、初演時の加藤和彦氏(個人的には意外でした)の増大なオーケストラ(それもロシアの?)のもの。開演前に歌舞伎座の富士山の緞帳
12月は、第一部のみの観劇。3階1列10番ゴールド会員でいるのもあと僅か。4時間以上かかるものを2時間に短縮。それでも、御殿はたっぷり時間を取った。政岡猿之助八汐巳之助千松市川右近栄御前中車笑也、笑三郎の沖の井、松島。まず、中車の栄御前に違和感がまったくない。山名さまの奥方になっている。猿之助は、本役と言っても良い出来。猿翁とは、この辺が違っている。海老蔵、幸四郎が伊達の十役を演じているが、猿翁に一番近かったのが海老蔵で、違和感な
京都芸術大学開学30周年記念春秋座開場20周年記念の舞踊公演。9/2~9/5伯父である猿翁が、梅原猛とともに関わって育てた春秋座において、猿之助の舞踊公演おもだか十種から春秋三番叟(弟子たち)連獅子(猿之助、鷹之資)京都まではちょっと行けないが、猿之助が、先代のあとをしっかり継いでいることがわかって嬉しい。
今日は8月23日。1991年8月23日、まさに29年前の今日、旧国立競技場に於きまして「第3回世界陸上競技選手権東京大会」が開催されました。そしてその開会式のセレモニーに私たちおもだかや一門が演者として参加させて頂きました。開会式の演出はもちろん猿翁旦那、振り付けは右團次さんのお父様、飛鳥峯王先生。音楽は坂本龍一さん作曲の「大地と精霊の伝説」と云うモチーフで埼玉栄高校の学生さんたち3000人と一緒に彩を添えました。お能からは観世栄夫さん狂言からは大蔵流狂言師の山本東次郎
朝にも書きましたが、ここんとこ本当に暑い日がつづきますね~(笑)東京も37℃を越えました。今年一番の暑さです。ふと思い立って、昼過ぎにいつもはクーラーをかけた和室に置いてあります温度計を風通しの良いダイニングに持って行ってみました。和室では、28℃を示していた温度計も、しばらくすると33.8℃。その後もう一度見た時には34℃。そして、34.5℃外の温度よりはマシかも知れませんが、本当に大変な暑さです。お茶を大量に消費してしまいますので、作っても作っても冷やすのに間に合
昨日の夜、11時からNHK・Eテレでの「にっぽんの芸能」で、中村隼人さん中村橋之助さん片岡千之助さん中村莟玉さんの「四人越後獅子」中村鷹之資さんと千之助さんの「三社祭」の舞踊を放送しておりました。昨年、一昨年の京都南座顔見世歌舞伎の舞台中継でしたでしょうか?4人の若手の方のリモート・インタビューから始まり「四人越後獅子」「三社祭」ともにゆっくり見せて頂きました。「越後獅子」は本来は一人もしくは二人くらいで踊るのが常ですが、四人とは珍しいですね。「四人越後獅子
間もなく土用の丑の日ですから昨日から色んなテレビ番組やCMでもうなぎのテーマが多くなんかうなぎに追い回されておりましてうなぎが頭から離れません(笑)逃げ鰻に執拗に追い回されてます。「すっかりうなぎ脳になってるな」と云われましたが、なんやそれ???いえ、なんやと云いながらもちょっと納得してしまいました。ということで、今日のブログうなぎ続きのお話です(笑)歌舞伎の世界には初日と千穐楽の他中日と云うのがございます。もっとも皆さんももう、先刻ご承知でしょうが、
1979年(昭和54年)2月に猿翁旦那は新しい試みをされました。梅田コマ劇場での『不死鳥よ波濤を越えて(平家物語)』これはコマ・グランド歌舞伎としてスーパー歌舞伎の前身のようなもの。平知盛が壇ノ浦で討ち死にをせず、大陸へ渡り金の国の客分となり日本に帰って弔い合戦を起こそうと致しますが志半ばで息絶え不死鳥となって日本へ帰ると云う『ヤマトタケル』のようなお話(笑)この作品の大ヒットによってここから計4回、梅田コマ劇場で実験的なグランド歌舞伎が上演されておりました。今日のお話は
ようやく、テレビの世界も少しずつ変化しだし、新しく収録の始まったドラマも出始めてまいりました。楽しみにしていたドラマの放映延期がつづきましたが、その分、昔の名作をいくつか特別編としての再放送もあり、そこそこ楽しんで居ります。『逃げるは恥だが役に立つ』は、毎週リアルタイムで楽しみに見ているもののひとつです。そんな中、新聞のテレビ欄で見逃しそうになりながらもなんとか録画できたドラマがあります。『アキラとあきら』3年前にWOWOWで放送されたのですが・・・我が家では、WOW
昨日も書きました三代目猿之助(猿翁旦那)四十八撰。この中には入っていないのですが、わりと多く上演されました演目に『一条大蔵譚』がございます。これは『鬼一法眼三略巻』の四段目にあたります。通常は「桧垣」と「御殿」が多く上演されますが、猿翁旦那は好んでこの間に入る「曲舞」の上演も多かったです。平清盛の使いと称して訪れた播磨大掾広盛は、大蔵卿の様子と大蔵卿に嫁いだ常盤御前(義経の母)が謀反を起こさないかと様子を見に参りました。大蔵卿の家来八剣勘解由は主人から狂言舞の相
猿翁旦那が2010年(平成22年)に制定されたおもだかやのお家の芸として三代目猿之助四十八撰と称し、選びました演目が48種ございます。1通し狂言を復活させたもの、2古典歌舞伎を新しい演出で再構成したもの、3自身が得意とする舞踊劇、4スーパー歌舞伎と新作歌舞伎、この四項目に分類してそれぞれに18種・10種・10種・10種を撰しました。ここでは、その48種全部を上げる事は省略致しますがほとんどの演目が再演と再々演を繰り返し多く上演されている中たったひと月だけの公
先日の『新・三国志』の放送にあたりまして裏話を一つ・・・。『新・三国志』の大詰め近く、関羽(猿翁旦那)を失った蜀軍、劉備玄徳以下私たち兵士が関羽の弔い合戦に出陣して行く時、出陣の思いを乗せてダンスを踊ります。(私たちはウラでベルばらダンスと呼んでおりました・・・笑)これは以前藤山直美さんとご一緒しましたスーパー喜劇『かぐや姫』の時にも書かせて頂いたのですが、この出陣のダンスの振り付けをされたのが「前田清実」さんこの方、日本大学芸術学部演劇学科卒業後、ジャズダンスを
1999年(平成11年)は様々なお役をさせて頂いた年でした。1月は21世紀歌舞伎組全国巡業で『操三番叟』『鳴神』白雲坊『女伊達』でした。2月前半はお稽古で21~26日は猿翁旦那の国立劇場での春秋会『瞽長屋梅加賀鳶』私のお役は、茶屋娘おやま加賀鳶の妻恋音吉質店の手代太助講中伊兵衛赤門の手先、はじめから最後まで出ずっぱりでした(笑)そして同じ月27.28日の2日間は演目替わりで『大江山酒呑童子』の碓井靭負丞貞光と『廓文章』では若い者延次、豪華でしたね(笑)
先日は『加賀見山再岩藤』での私の岩藤の吹替えのお話を書かせて頂きました。前回のブログでも書かせて頂きましたが、岩藤や忠信の吹替えは横向きか、後ろを向いており正面向いた時の岩藤では骸骨のお面をかぶっておりました。岩藤同様もうひとつ数多くの吹替えをさせて頂いた狂言がございます。だいぶ以前のブログでも一度触れた事があるのですが・・・。通し狂言『奥州安達原』この中の三段目(袖萩祭文)での袖萩。猿翁旦那の初演時は1976年(昭和51年)3月の歌舞伎座でしたが、19