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昨日(12/28)は、芦屋神社を参拝しました社殿には来年2026年の干支が飾られていました。モダンチックなお馬さんのデザインが新鮮で、素敵ですねみんながそれぞれ持っている長所や個性を生かし、守り、助け合い、創造的に、力を合わせて進んでゆけば、きっと、すべてウマく行く。じっと馬の絵を見ていると、私の中に、上に書いたようなイメージが伝わってきました
翠邑日誌Suiyu’sDiary榎本翠邑元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、元全国書道師範連盟会員、元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。東京生まれ榎本翠邑の百人一首5猿丸太夫11月百人一首5番猿丸太夫奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しきお
たんたん短歌281「声」(1)山鳩の鳴くといえども果てしなく寂しと歌う声ならなくに
百人一首を順番に楽しんでいるこのシリーズ、今日は第5番——で、まず名前を見て笑ってしまった。猿丸大夫(さるまるだいゆう)」。なんやこの芸人みたいな名前。落語家?ピン芸人?「どうも〜猿丸大夫です!秋、詠んでますぅ〜!」とか言いそう(笑)でもね、名前はツッコミどころ満載やけど、この人(?)の詠んだ歌は、しっとりと美しいのです。📖百人一首・第5番(猿丸大夫)奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき「人里離れた山奥で、紅葉を踏み分けて鹿が鳴いて
どーも、castom98です。今回ご紹介いたしますのは、2023年11月に訪問した岐阜県美濃市に鎮座まします、滝神社です!現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。やって来ました滝神社。とんでもない山奥の神社なのですが、当日はそこそこ参拝者がおられました。それでは、参拝させていただきます!な、何じゃこの石段は?!Σ(゚д゚lll)ガーン数百段はありそうな長大な石段。こ、これは誤算だったわ・・・(汗愚痴っても始まら
■蒼天に坐す!?神に捧ぐ!庵の紅葉葉いつもの散策の道に色づく木々が。旅路に道真公は、神様に捧げる幣の準備が無いので、紅葉を代わりにと。木々の紅葉(こうよう)を見ると、その和歌を思い出します。♪このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまにby菅家(菅原道真)『古今和歌集』→〔私訳〕神様!幣の代わりに紅葉の枝を。百人一首には紅葉の和歌が五首。大切な方に見せたいので散らないで!と紅葉に頼む和歌。藤原忠平公の和歌。♪小倉山峯の紅葉葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ
けっこう前の写真です。10年以上前になるかな。前回の石巻の猿麻呂の話からの~~『【石巻】日光の神々の本家は石巻北村?』『太平記下野国日光開闢記』に記される一説に、「昔、佐宇の中将という勇士がおり、毎日鷹狩りをしていた。時の帝より東国へ流される。馬に跨り鷹を連れて獲物を採りに…ameblo.jp戦場ヶ原~の、戦いで、男体山についた弓が上手な猿麻呂が石巻(旭山)からよばれて応戦し勝利したという話。これは、大噴火を起した土のムカデと水の大蛇→沼地、大地ができたと五行説
にかほ市象潟町にある古刹「蚶満寺」。庫裏で拝観料を支払い、本堂脇から「史跡庭園」に入ります。小舟をつなぎ止めていた「舟つなぎの石」。200年ほど前まではここが海岸だったという名残です。かつての象潟は、松島のように九十九島を浮かべる風光明媚な景勝地だったそうです。1804(文化元)年の大地震で隆起して干潟に変わり、今は陸地となっています。「西行法師の歌桜」。「象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟」という和歌を詠んだとされます。
うちで食べるお米は宇治田原の猿丸神社の駐車場横で売られてるお米を買いに行ってます農薬を最初の1回だけしか使ってないお米『1回だけ』それが謳い文句になるってことは普通に売られてるお米はどんだけ農薬が使われてるのか怖くなる^^;うちから宇治田原まで近くはないけど猿丸神社にお参りするのも楽しみなんです一ノ鳥居をくぐると両側に鬱蒼と木の生える参道も好き階段を登ると夫婦猿本殿狛猿さんもお正月仕様猿丸神社は瘤取りの神様猿丸太夫さまが祀られ癌封じのご利益があり
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その22超古代からの人類の歴史を語る「語部」(かたりべ)であった「稗田阿礼」(ひえだのあれ)とは「女八咫烏」であり、その祖は「天鈿女命」(アメノウズメ)である。「天鈿女命」と「猿田彦」の末裔は「猿女氏」(さるめうじ)を名乗ったが、”猿”というのが記号だと考えると、「柿本人麻呂は猿丸太夫」という伝説には関連があるのではないだろうか。そして、猿丸太夫の出自についても、「弓削道鏡」とする説、また民間伝承では下野国の二荒山神社の神職小野氏の祖である「小野猿丸」とす
芦屋神社にお参りしました。御祭神は、天穂日命アマホヒノミコト。素戔嗚命スサノオノミコトが姉の天照大御神アマテラスオオミカミ恋しと高天原に行ったときに、高天原を奪いに来たのかと思った天照大御神に、私は邪心はありませんと、ウケイ誓約をした時に誕生されたのが、天穂日神命です。天照大御神の勾玉から生まれた男の神様です。葦原中津国(今の日本国)を当時治めていた大国主命オオクニヌシノミコトから、国を譲るように説得するお役目を仰せつかった天穂日命は、大国主命に惹かれ、また、この葦原中津国を気に入られ、住み
11月7日【奥山に】奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき猿丸太夫古今集ーーーーー人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しい#和歌#奥山に#猿丸太夫
9月25日お彼岸の最終日にお墓参りに行く途中、猿丸神社に参拝しました。7年前に参拝して以来、2度目の訪問です。例によって地図で示すとこんなところ・・・猿丸神社の御祭神は、百人一首で有名な猿丸太夫です。その歌人が、どう言う訳か瘤や出来物などの腫物の病気を治す霊験があるとして信仰されて来たのです。表参道の石段に自然石の夫婦猿像がありました。夫婦円満のご利益は謳っていないようだけど、ほのぼのとした石像です。社殿の前には、狛犬ならぬ狛猿が鎮
9月25日京都府宇治田原町にある猿丸神社に参拝しました。三重県在住(多分?!)のブロガーさんが参拝された記事を見て、久しぶりに訪問しました。御祭神は猿丸大神、あの百人一首の猿丸太夫さんです。7年ほど前、近くの日帰り温泉に行く途中にたまたま寄って参拝したので、癌封じのご利益があることは知っていました。しかし、当時の自分は癌とは無縁だと思っていました。神社は、駐車場から100mほど進んだところ・・・表参道の石段です。途中に自然石の夫婦猿像があり
猿丸太夫百人一首猿丸太夫猿丸は、去る麻呂、何から去りたいのか奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき歌のの意味は詠み手は、人里離れた山奥の紅葉を踏み分け入り、鹿の声を聞き、秋のさびしさを感じたそもそも、何故、人里離れた山奥で彷徨っているのかこの歌は、掛詞尽くしであるしかも、類義語だらけだおくやまにもみぢふみわけなくしかの悔やま揉み身分け失くしこゑきくときぞあきはかなしく乞え口説き飽き儚し「悔やま」
鶴崎踊保存会創設99周年大会に行った!2023年8月19日に、鶴崎公園グランドから半世紀ぶりに国道197号線を歩行者天国として、開催された、本場鶴崎踊り大会の撮影に行きました。最小の機材を手押し台車に乗せ歩いて行きました。初めて事なので、手探りで場所を、選定?メーンカメラを設置したまま、サブカメラを、一脚に取り付け囃子方のメーンステージに行くと、囃子方、笛の名手に遭遇しご挨拶!カメラ(猿渡さん?)やテレビ局の方の間に、ちゃっかり割り込んで、開会式を撮影、あとでカット編集するつもりが、無編
動画は、ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2です。フレデリック・ショパンが1847年に作曲したピアノ独奏のためのワルツで、生前に出版された最後の作品の一つである。主題にマズルカが採用されるなど、ショパンの作曲技術の集大成といえる。78歳のオバアのドライブです。ここは城陽市にある雨乞い地蔵です。宇治平等院から鴻巣山運動公園前を通って、車で20分ほどでたどり着きます。南城陽中学校から国道24号線の方向。JR踏切を越えて、観音堂と呼ばれる地区にあります。常楽寺の管轄です。この雨乞い地蔵の向こう側に、
四人目の「小野の小町」の存在が分かってしまったので、解釈が劇的に変わってしまったのが「深草の少将」の存在です。私はこれまでは、三代目の小町の小野吉子の旦那で、仁明天皇が深草に埋葬された事を象徴して深草の少将というキャラが生まれたものと思っていましたが、火のない所に煙は立たぬの言葉通りキッチリ根拠が見つかってしまいました。深草の少将の邸宅跡に建てられた「欣浄寺(ごんじょうじ)」に関わる伝承として落合直文の『ことばの泉』に、「深草の少将、名は義宣、山城国深草に住す、時に小野庄に小町といへ
猿丸太夫とは、小野小町と同様に誰なのかが特定出来ていないにもかかわらず、三十六歌仙に選ばれるなど、知名度は随一の人物です。小説では井沢元彦氏の「猿丸幻視行」(これは面白い小説です。)などが知られていますが、ですが私の知る限り猿丸太夫の謎を解いている本などは知りません。私は先祖に「小野猿麻呂」がいるので、実は避けては通れない難問でしたから、ポチポチとは情報を集めていましたが、柳田国男の先行研究からおよその筋道が見えたので、今回はその謎を解いてみようと思います。(100点ではなく、
こんばんは!晩ごはんの後、お母さんが「菜園の近くで鹿の鳴き声を聞いた!今夜、キャベツを食べられてしまうかも!取ってきた方がいい」と!で、真っ暗な中懐中電灯を持ってお父さんが取りに行って来た!一つは庭に置いてあるって!虫が食ってるけどこれくらいは…食わせてやろう!が、鹿はダメ!だって、キャベツの頭、真ん中をガブッとかじるんだぜ!俺が食べる所がなくなるんだ!大好物のキャベツは渡せん!気を悪くするなよ!分けっこできるならしたいけど…二つしかない
政府も推奨してくれたので(皮肉?)、旅行支援を利用して京都のお墓参りツアーに行って来ました。先ずは「猿丸神社」です。駐車場に停めてテクテクと鳥居の方へと歩きますと、程なく猿丸神社に到着しました。狛犬代わりの三番叟の猿が神使として神社を守っています。早朝だったのてすが、宮司さんが居られて詳しく話を聞けたので、聞いたお話を総合した感想を書きたいと思います。私は猿丸太夫とは「柿本猿(人麻呂)」と「小野猿麻呂(小野小町の祖父)」と猿丸氏の祖が関係していると思っていましたが、それを裏
1日が終わるのがメチャクチャ早いあれしてこれして~なんてやっていたらあっという間に夕方になってしまう。。夜は夜で布団に入ったら・・すぐに朝充実しているのかまぁ、しているっちゃしているのだろうけれどって考えると中2の夏は長かったなぁ~たった3ヶ月ぐらいに一生分の思い出が詰まっている様な、そんな夏だったなって歳をとったら皆ゞなのかも知れませんね今を楽しく生きようこんばんわ味醂です{あつ💦別に悩み事が有るとかじゃないのでwさて、この日も行動し始めたのが遅かったの
宮奥林道を八王子峠から八幡町側へ下って行くと、いきなり左側に新宮神社の標柱が目に飛び込んできた。宮奥林道のもう一方の起点であり終点である。広い駐車場があったが1台の車も見当たらなかった。折角なので神社の参拝と散策をすることに。神社内は森閑とした雰囲気で迎えてくれた。赤いモミジが印象的。高賀山を囲む高賀六社の一社。神社入り口の石垣一面にユキノシタが咲いていた。大きな石の上にも鳥居杉の巨木が林立する。岐阜県指定天然記念物「新宮神社社叢」の標石があ
今日は絶好の曇りの中(笑)、倉敷懐かしマーケットに行って来ました。レトロ物がメインの骨董市なのですが、普通の骨董市とは商品が違うので、面白かったりします。今日はコレ!猿の三番叟の硯です。多分え〜っと思う人が多いと思いますが、ちゃんと理由があるのです。最近分かったご先祖が「猿丸太夫(小野猿麻呂)」なので、ご先祖に因んで買ったのです。猿の三番叟と猿丸太夫とは関係もあるみたいですが、まだ勉強不足で知りません。小野猿麻呂は二代目小野小町である、小野吉子のおじーちゃんですから
おみくじにも驚いたのですがもう一つシンクロが本殿の隣にあった猿丸神社。初めて聞いた名前です。雨のせいか、暗くて少し入りずらい空気でしたがお参りさせていただいた。「猿」を「去る」「丸」を「ガン」と読み替え「ガンが去る」から病気平癒の神様。(芦屋神社HPより)猿丸太夫さんという歌人が祀られています。小倉百人一首奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しきを作った方。私が中学生の時百人一首大会が毎年あり全く取れな
みくるです『なぞりがき百人一首』をしました。なぞりがき百人一首(ユーキャンのおうち時間シリーズ)Amazon(アマゾン)802〜3,320円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る猿丸大夫さん(画像はWikipediaより)猿丸大夫は三十六歌仙の一人であるのに、出自も生没年も不明とのこと。柿本人麻呂と同一人物であるという説があることを面白く思いました。この歌から連想するのは花札の紅葉の札です。花札遊びが好きでしたが札の意味について考えたことはあ
おはようございます。庭の紫陽花が雨が降ると生き生きしています。さて、毎朝、今日は何の日だろうと、調べていますが、今日はびっくりでした。それは、6月13日は、6月12日の後日で、6月14日の前日です。と、いう記載でした。間違ってはいません。でも、クスッとしてしまいました。その後、これはとっても深いことかもしれないと思いました。ついつい、今日はとその日だけに目が行きますが、今日は昨日の次の日であり、また、明日へと続く1日なのです。昨日があるから今日がある、今日があるから明日があ
私は何度も「小野篁」の官暦を見ているはずなのですが、昨日やっと気づきました、承和九年六月にどうも「陸奥太守」になっているのです。wikipediaの「小野篁」に載っていたのですが、確認すると私の持つ「続日本後紀」には載っていませんでした、どうもほかの史料には載せられているらしく、さらに調べたら『文徳天皇実録』にある小野篁の薨伝の中に書かれてありました。疑問点は「太守」という言葉です、普通ならば陸奥守(むつのかみ)でいいのですが、わざわざ太守となっているのは少しオカシイのです、太
儂は小野篁である。今日は儂の物語を聞かせると聞きおよんでの、主人公であるこの篁がいなくては困ろうと思い、現世に現れてやったのじゃ。儂がまだ人間であった時は、儂のことを閻魔大王の冥官と呼ぶ者もあったようじゃが、それも仕方なかろう、なにせ「閻魔大王」を相手が名乗るのじゃから、人間である儂は確かめようがないのじゃからのう、とはいえ正しいとも間違いじゃとも言いようがないのじゃが、まあこれは儂の直系の子孫にしか分からぬ話かも知れんのう。では昔のことをボチボチと思い出しながら、少しずつ話して
京都府綴喜郡宇治田原町には「猿丸神社」があります。(猿丸神社の御朱印~猿丸大夫の正体はあの人!?~(京都府綴喜郡宇治田原町)|御朱印のじかん|週末ドロボーより引用)宇治田原町の観光サイトによると、「禅定寺峠のかたわら、本町と大津市曽束町との境界に鎮座し、祭神は、猿丸大夫です。猿丸大夫は三十六歌仙の一人として知られていますが、『古今和歌集』に詠み人知らずとして「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」として詠まれた歌が猿丸大夫の作といわれています。伝記に「住吉猿丸大夫