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1,鹿鳴館時代の終焉昨日、5月4日は武子さんの誕生日だったのですが、ちょっと間に合わなかったので。明治20年4月……仮装舞踏会事件を境として鹿鳴館と井上馨に大バッシングが吹き荒れます。それは、不平等条約の改正へも波及します。馨の条約改正案は「取らんと欲せば、必ず報いる所なかるべからず」が基本方針。関税率の引き上げと、一部治外法権の回復と引き換えに、外国人には土地所有権、営業権、内地雑居権、そして外国人判事の任用を認める……というものでした。実は明治20年4月には諸外国とは基
1,鹿鳴館の仮装舞踏会事件朝ドラの鹿鳴館時代は多分、、、終わったらしい。捨松ちゃんはまだ出るのか?さて、鹿鳴館最大の汚点となったのは「仮装舞踏会事件」です。以前、このブログで「明治女性内閣」をいうのをやったのですが(中途半端で止まってますが)、その戸田極子回で取り上げてあります。明治女性内閣⑦明治女性内閣誕生明治20年4月20日に仮装舞踏会「ファンシー・ボール」が開催。ぶっちゃけますと、ただの淫らな無礼講です。実はイギリス公使が開いたのですが、これが伊藤総
1,鹿鳴館の実際の評価は?朝ドラの鹿鳴館時代は終わったのか……?さて、一方で明治の鹿鳴館時代でありますが。よく、鹿鳴館といえば「評判は著しく悪かった」「外国人から馬鹿にされただけ」とか言われます。「八重の桜」でも勝海舟が「猿のダンスと笑われた鹿鳴館」という場面がありました。実際のところどうだったのか……?これはフランス人画家・ジョルジュ・ビゴーの描いた風刺画です。鹿鳴館の舞踏会に出かける夫婦が鏡の前にいますが、映っているのは猿……左上には「名磨行」とあります。これは「
1,鹿鳴館の夜会捨松「すつれいします。大山捨松でごぜえます」武子「あら、大山夫人」捨松「鹿鳴館のメインキャストさ加えで頂いてありがとなし」武子「こちらこそ歓迎いたしますわ。では、お仲間の皆様をご紹介しましょう。陸奥夫人と伊藤夫人、戸田夫人ですわ」捨松「うう……こっだらとごろで踊るだめにわたすは大学で勉強したんでねえ。男のダンスの相手どが、酒の相手どが」武子「……腹に落とし込めないなら会津でもアメリアでも帰っていいぞ」捨松「ええ……だけんじょお」武子「最初に言っておく。たとえ私
1,捨松の帰路明治16年9月鹿鳴館開館2月前亮子「それって誰の身上書ですか?」武子「益田孝さん推薦の子だな。ほら、例のアメリカ帰りの」亮子「ああ、岩倉使節団の」武子「経歴は申し分ない。英語、ドイツ語、フランス語がしゃべれる若手というのも魅力的だ。だが、日本語力が少々ね」亮子「なら、不採用ですか?」武子「しかし、何分にも鹿鳴館は兵力が不足している。戦の前だ。兵は多い方がいい」亮子「殺伐とした社交場ですね」武子「馨さんにも是非にと頼まれている。まったく!男は都合が悪いと全
なにやら138年ぶりに鹿鳴館の時代が来たらしくて。『猫絵の姫君ー戊辰太平記』(郁朋社)フランス革命の女戦士マリアンヌのように幕末維新を駆け抜けた新田義貞の末裔・武子姫。やがて鹿鳴館の華になる―――。新田義貞の末裔である岩松家(新田岩松家)に生まれた、のちに元勲・井上馨の妻となる岩松武子(井上武子)の物語です。明治9年から2年間、馨と共にアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどを巡り、帰国後は「鹿鳴館外交」の担い手となりました。武家の姫としてサムライの時代の終焉
BSにて1991年に放送された「太平記」の再放送がはじまりました。前回が2020年だったかな?けっこう早い再放送です。足利尊氏が主人公ですが、平和を愛する、優柔不断な好青年とした画期的?なドラマです。登子と藤夜叉のどちらかで3週に渡って迷い、出した結論が「正室と側室にしよう!」は大河ドラマ史に残ります。悩む意味ないじゃんかと。さて、1話と言えばまず萩原健一の新田義貞。序盤で降板してしまったので貴重なシーンです。このドラマでは「策謀家の義貞」という、従来のイメージを変える描き方が試み
先日、稀有な体験をしまして。一日で「群馬→栃木→茨城→栃木→埼玉→群馬→埼玉→茨城→埼玉→群馬」と県境を跨ぎました。素晴らしいです、北関東の王になった気がします……道に迷ってうろうろしていただけという説もあります。いや、いきなり板倉町に入っていてびっくりしまして。そんな1日の最後に到着したのが……埼玉県行田市の忍書房様ですついに!忍書房様を訪問させていただきました。作者は拙著をお取り扱いいただいた書店様は、近隣県なら可能な限り訪問させていただいております。忍書房
さて、来週からBSの再放送は「太平記」です。5年くらい前に再放送されましたが、個人的には思い出深いドラマなので楽しみですね。その前に「八重の桜」についてまだ語ることはあったかな……捨松「この『京都守護職始末』を英語、フランス語、ドイツ語さ訳して各国大使さ配れば……」武子「なにをやってるのかな、捨松ちゃん」最終回にて登場の『京都守護職始末』です。山川浩の名で明治44年に出版されていますが、実際の作者は健次郎と言われています。作中では川崎尚之助、山川兄弟が書き継いでいます
今日は新選組の日だそうで。で、新選組ネタを。新選組は元々、清川八郎が将軍徳川家茂警護のために、江戸で浪士を募って組織した隊です。上洛後、清川は浪士組を尊王攘夷組織にしようと画策。のちに分裂して片方は江戸へ戻り、京都へ残った近藤勇、土方歳三、芹沢鴨などが結成したのが壬生浪士組。文久3年(1863)の3月13日、浪士組は京都守護職である会津藩主・松平容保の預かりとなりました。のちに名を新選組と改めることになります。『猫絵の姫君』では岩松家の家臣たちがこの浪士組に加わっ
今週は新島襄が退場ですが。先週の八重の桜の再放送を見ていて……明治21年1月。執事「閣下、お見えになりました」伊藤「やあ、よく来てくれましたなぁ……って」武子「なんだ、まだ総理の椅子に座っているのか?」綾子「梅子さんは謝罪行脚で大変そうだけど……」伊藤「4月(明治21年4月)には辞任しますので!ところで、今日はなんだったおふたり揃って。呼んだのは大隈さんだった気が」武子「不満だと?ロシア大使と三日三晩踊った甲斐なく、誰かさんのせいで鹿鳴館が潰れてな。数年の苦労が水
昨日のことですが3月2日は北畠顕家の誕生日でした。近年、某有名漫画の影響もあり知名度がアップしていますが、昔から南朝の貴公子として人気が高い顕家卿。かなり前のことになりますが、福島県伊達市の霊山に行ったことがあります。こちらは、顕家が陸奥守時代の後半に居城にした場所です。夏の緑がとても美しいところです。紅葉は東北一とも評判だそうです。霊山霊山神社ここのまま終われば穏やかですがね。この霊山神社は明治14年に創建。公家の久我家出身の北畠通城男爵が宮司と
八重の桜の鹿鳴館の場面を見ていた思ったこと……伊藤「美しい女子じゃ、その上若い。大山さんもやりおるな」武子「……私がトイレに行っている間に、何を絶対権力者のような態度で椅子にふんぞり返っているんだ?」伊藤「あ……いえ、それはもう!椅子を温めておいたっす」武子「なんの草履の逸話だ!伊藤くんの尻のあったところに私に座れと?」伊藤「誰か新しい椅子を!ところで、聞多は?」武子「鹿鳴館の建設費用について大成建設と協議している。私は音響と照明の確認をしないと。はい、はい!みんないつまでも
入稿準備進行中ですが……NHKBSにて大河ドラマ「八重の桜」が再放送中です。もう終盤ですが第43回「鹿鳴館の華」が放送されまして。会津出身の大山捨松のお当番回。で、鹿鳴館が出てきます。帰国して「日本語を忘れてすまって、さすけなくない」状態の捨松さんが、大山巌に一目ぼれされて、開館10日前(明治16年10月18日)の鹿鳴館で挙式する話ですが(正確には晩餐会らしいですが)武子「鹿鳴館のロッカーにお菓子を飛ばして配るとか」(陸奥)亮子「早口の四角四面の武家言葉で会話するとかは
本日は1月27日。明治2年に箱館に「蝦夷共和国」が発足した日です(旧暦では明治元年12月15日)旧江戸幕府軍勢力による「事実上の政権」であり、呼称は蝦夷共和国、箱館政権、北海道共和国など様々。入札によって代表者が決められ、総裁には榎本武揚が選ばれました。副総裁に松平太郎。そして陸軍奉行並に土方歳三。また、幕府の軍事顧問団であったフランス軍人ジュール・ブリュネ大尉も参加しています。各国が局外中立だったのは、ブリュネの力が大きかったと言われています。当初は海軍力で優位に立っていたも
八重「すつれいすますが」綾子「あら……捨松さんかと思ったら新島八重防衛相(文字にすると分からないわね)。日本私立大学連盟の会合って今月だったかしら?」八重「わたすは同志社がらは慇懃に阻害されてっから」綾子「同志社の方々もクリスチャンなのに困ったわね。私学助成金カットして、廃校に追い込もうかしら」八重「物騒なごど平然で言ってるしぃ。そったらことよりも武子さんは?」綾子「ちょっとイギリスまで日英同盟の交渉に行っていて。何か御用?」八重「近ぐぅ青森の八甲田山で雪中行軍が実施されんけんじょ。
武子「さて、それでは外相としてイギリスに行って来ようかな」馨「日英同盟の締結ですか。あれはですね……」武子「分かっている。重要な同盟だがこれを締結すれば日露開戦は避けられない。そういう同盟だ」馨「さすが武子さんですね。僕は日露協商の可能性を最後まで捨てるべきではないと思います。俊輔も同意見です」武子「伊藤君って真面目な話をすることもあったのか」馨「俊輔をただの女好きだと思っていませんか?」武子「船の上でいろいろ考えよう。馨さんはどっちに局面が転んでもいいように、山縣有朋、桂太郎
明けまして的ではないのですが、今年は午年です。つまり群馬の年です。ぐんまちゃんの年でもあります。思いっきり季節外ですが。今年の主役つまり馬です。智本作品で馬といいますと……武子「より速く、より力強く、より遠くへと駆けるべし!」じゃじゃ馬姫……もとい武子さん。10月以降、なんだか妙に出番多いな。まあ、近作では武子、岩松俊純、土方歳三の3人しか馬に乗っていないかも。実は「馬」に関する逸話がやたらとあります。逸話なので真偽不明のものもかなりある
馨「なんだか禍々しい気を発した馬車が帰って行きましたが」武子「ちょっと公家のおひいさまが暇つぶしに来ていただけだ。でも、よく考えてみれば、内閣のどっかに入れておけば伊藤君が協力的にはなりそうだな」馨「俊輔はあれが心的トラウマになったようですが?」武子「なら、少しは女遊びを控えるんだな。よし、極子を内閣総理大臣秘書官にしよう。ウメちゃんも背筋に芯が通るかも知れない」馨「心を串刺しにされませんか?」高市内閣は年内は継続しているようで。なので、こちらの内閣もまだ継続しています
極子「ここが外相官邸?って、ふつーに井上家じゃん」武子「お前は……なんか用事か!」極子「作者がオチが思いつくまで引っ張ることになって。だったら、あたしの出番がいるかなーって」武子「生憎と不倫担当相を置く予定はないぞ。音楽も繁子ちゃんがいるので間に合っている」極子「ほら、今はロシアとかイギリスとか国際状況が不安定だし。ウメちゃんみたいなエリート留学生に打開できる局面じゃないかなって。打たれ弱いみたいだし」綾子「一理はあるけれど?」極子「こういう場合、首班は家柄のよいあたしが適任じゃない
さて、なんだか2回目になった鹿鳴館の話題。そんなある日、鹿鳴館に現れたのが大隈重信夫人・綾子。ですが、その姿をみた多くの人があ然としました。鹿鳴館のTPOをもちろん洋装です。ですが、日ごろから「洋装嫌い」で通っていた綾子は和服で現れました。これを出迎えたのが鹿鳴館の女主人・井上武子です。実は……これより2年前。政府内で伊藤博文と大隈重信が対立。これを外務卿・井上馨が伊藤を支持したので、孤立した大隈が政府を去る事態となりました。以来、井上と大隈は対立状態にあり。その妻同士が洋装と和
本日は11月28日です。旧暦天保6年(1835)11月28日は井上馨の生誕の日です。そして、明治16年のこの日に鹿鳴館が開館しました。実は新暦の1850年(嘉永3年)11月28日は大隈綾子の誕生日でもあります。武子にとって夫と親友の誕生日が微妙に一致していたりします。……本当ならこの日まで明治女性内閣を終わりにしたかったのですが、オチが思いつかなくて。鹿鳴館は国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として計画されました。おそらく、武子と馨がアメリカ、ヨーロッパに行った明治
梅子「……大体、スティマツ(大山捨松)もシゲ(瓜生繁子)もひどいんです」武子「そうだな、うん」梅子「シゲなんて私が帰国したら「紹介するわ、フィアンセよ!」とか言い出して「結婚式は2週間後ね。ドレスはパリに特注したの」とかいうし」武子「ああ……益田孝(繁子の兄)さんからそんな話が来てたな」梅子「スティマツは怒っていて「私たちはふたりで清いオールドミス軍団になろうね」と約束したのに、1年くらいさっさと結婚するしぃ」武子「女友達あるあるだろう、それは」梅子「それで結婚式に行ったらこれからは
武子「で、内閣も高支持率でスタートしたけど、ウメちゃん総理がわざわざどうした?」綾子「朝ドラのタイトルみたいね」梅子「あの……実は総理を辞めようかな、と」武子「せっかくあの手この手で高支持率でスタートしている。それを急になんだ!」梅子「それは、その……」綾子「武子ちゃん、少しは話を聞いてあげたら?」武子「それもそうだ。よし、ちょうど組閣祝いに綾ちゃんの地元の権田村の牧野酒造から純米吟醸「大盃」が届いている。さあ、飲むがいい」綾子「あら、懐かしい。権田村ももう冬かしらね」武子「そう
綾子「あら、終わったんじゃないの、この企画」武子「まだ、なにかあったように気がして。何だっけ……そうそう、ひとり面白い子がいてね」綾子「どなた?」武子「瓜生繁子さん。彼女は専門が音楽でポストがない。なので、綾ちゃんとこで官房副長官にしようかなと」綾子「岩倉使節団と一緒に渡米した5人のおひとりね」武子「父上は佐渡の地侍だったが、幕臣に取り立てられた。箱館奉行所を経て、江戸の外国奉行の役人となる。この期間に外国奉行を務めたのが……」綾子「あら、小栗の父上様が奉行だった時に御役を務められた
馨「そういえば、前回の大山捨松さんでこんな逸話がありましたね。好きなものは1に児玉源太郎、2に妻の捨松さん、3にビーフステーキ」武子「そんなに肉を食べるから従兄弟の西郷隆盛殿のような体型に。捨松ちゃんがぼやいていたぞ。「夫はどんどん太り、私はどんどん痩せていく」とか」馨「まあ、所詮は大山君は二戦級の人物ですね」武子「ずいぶんはっきり断言するじゃないか?」馨「僕が俊輔(伊藤博文)、武子さん、料理のどれが一番好きかを問われれば、返事に窮することなどありませんよ。料理はただの趣味ですし、
馨「ところで、海軍大臣と陸軍大臣はどうするつもりです?」武子「そこは適任者がいないので、一本化して防衛大臣とした。長崎の貿易商の大浦慶さんとかいたのだが(明治17年没)」馨「また、強引なことを」武子「どうしても必要なら、岩松水軍というのがあったので私が兼任しても良いぞ。後醍醐天皇を隠岐から救い出したとかなんとか」馨「外相と海軍大臣が兼任だと絶大な権力ですが?」武子「というわけで、軍部大臣現役武官制(陸軍大臣、海軍大臣が現役軍人に限る)は廃止した。山縣(有朋)君に言っておいてくれ」
馨「だいたい、個性的なメンバー過ぎて閣議が喧嘩状態じゃないんですか?」武子「それがそうでもない。みんな、勝手に自分の主義主張をしゃべって帰っていく。人によって自慢話が長いのと、会津系は恨み事が多いのが玉に瑕だな」馨「進行だけで大変そうですが?」武子「それが、綾ちゃんの仕切りがなかなか上手で」馨「おや、意外ですね」武子「適度にプライベートな話題を交えつつ、笑顔で満遍なく話を振る。実はその場の受け答えで適当に流しているだけだが」馨「僕としては大隈くんが気の毒になってきました」武
武子「やれやれ、初閣議も無事に終わった。当時の閣議がどんなか知らないが」馨「お疲れ様ですが。で、閣議はどうでした」武子「いやいや、誰も彼も尖り倒していてな。流石に明治を生き抜いた面々だ。閣議後に我が家に殴り込みに来た黒田清隆くんの気持ちが少しわかった」馨「武子さんに抜き身突き付けた恨みを、僕は忘れていませんがね」アクセスがけっこうありまして。ただ、「誰だか知らない」という声もありまして、ちょっと新閣僚の面々のご紹介など。財務相鈴木よね嘉永5年(1852)生ま
本日10月28日は「群馬県民の日」です。上野国は江戸時代は前橋藩、高崎藩、沼田藩、館林藩、安中藩、小幡藩、伊勢崎藩、吉井藩、七日市藩などに11藩に分かれていました。武子「あと岩松家領下田島村120石とか」綾子「小栗家領の権田村375石とか」などもありました。この石高だとフットワークも軽く「近所で会える姫様」感があるかも知れません。明治3年(1870)10月28日「第1次群馬県」が成立。当時は群馬郡高崎に県庁が置かれたので、郡名から「群馬県」となりました。その後、一時は