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前回ブログからまたまた間が空いてしまいました今回は大変残念なお知らせですジャミラ逝く昨年、正式譲渡となったジャミラ君4月に治療の甲斐なく亡くなってしまいました2月に『おっさん』が正式譲渡になったお家にお邪魔したときは元気だったのですがそれから肺炎で入院することに一度は退院して様子見だったのですが、膿がたまってしまい以降、里親様からの連絡です病名膿肺原因はほかの猫からの傷や肺炎菌を保有していたか等かかってしまったら麻酔をして肺の周りに溜まった膿を取り除くこと
👶今日の登場人物おっ君(4歳)ハナビ(2歳)もらお(旦那/配達職人)みゃーこ(私/お笑い担当)ばぁばフサヨ(ボケ担当)そして新キャラ「チロ」(!?)✍産後つわりvsもらお語録夫・もらおは、当時まだ20代後半。27だったかな…。仕事は「配達職人」なのに、会社から月3回しか休みがないという謎ブラックシフトにぶち当たり、常にイライラモードMAX期間でした。さすがにもうこの会社を辞めて他の配送業に勤めることに。新しい先は確実に「2人で配送」するようで、負担がぐっと減ったよう
4月1日りんは空の別宅へ向かいました🍀空を見上げて送ってくださった皆様ありがとうございました✨それにしても⋯⋯天気悪すぎないか?😶💧未練⋯⋯⋯無いとは思う!3月30日りんは自分で逝く日を決めたんだと思う…苦しそうだった⋯ずっと苦しそうだった⋯とうちゃん、かぁちゃんの『決断』の日も迫っている日も近いのは分かっていた…りんチャンはとうちゃん、かぁちゃんに『辛い決断』をしなくていいように自分で雨の隙間…桜満開の青空の綺麗な日を選んで逝ったんだね…朝病院から電話が
苦しそうだった⋯⋯口呼吸だった⋯⋯今日3/29は撫でてあげられ無かった⋯⋯声かけさえ出来なかった⋯酸素室の扉、開けられなかったから⋯⋯久しぶりに寒くってみんなヒーターの風のあたるあったかマットの上でまったり~~~ここにどうしてりんチャン居ないの?💧頑張れ‼️りんチャン‼️
新しくもらいうける、うにの写真を、ほんの数人に見せた。4人に見せたとしよう。そのうちの3人が、こう言ったのだ。「違う猫だということはわかっているのだけれど、マチちゃんが見える。」と。マチと似ているという意味ではない。うにの中にマチが透けて見えてるという感覚でいいだろう。マチ↓うに↓↑これが知り合いや友人にみせた「うに」で、マチは遺影にしている写真。違う猫だとわかっているのに、マチちゃんが見える、という意見が数名分あったことを、今更ながらに思い出したのだ。それらの方々は、長
動画が全然投稿出来んくなってるけん動画をスクショしました↓たっとくんが気になってやって来たみみりん♡たっとが2階から降りて来た瞬間びっくりしてシャーーみみりんたっとが気になるんかとおもいきやおもちゃが欲しかっただけみたいなわみんにゃで、わらわらたっちゃんを見に来たなぁ☆たまみの威嚇はおもしろい!!ヴーーーゴッ🐽!って鼻を鳴らすたびだんごの時もそうだったけどこんな仔初めて見たわよ!笑っ3秒のゴッ!って動画は不適切動画で投稿出来ないってよ最近よくこれが表示されるけど
先週は、母ごともあってバタバタで更新出来ずで、、写真を見返すも、前回の投薬問題の続きはなんだっけ?って思う始末投薬に苦戦しつつもうひとつの問題がありトイレです。たっとくん、派手にかき回し固まったのもバラバラにする整腸剤でうんちも形になったものの緩いには変わりなく細かく取ったけど途中で断念…全捨てすることにこんなことを毎回出来んしペットシートを敷いて砂少なめ作戦で!!うんちは、見てる時にしてくれたらすかさずティシュを敷いて汚されることなく💩撤去が出来るからええけど
前回、著作権がなんたらの警告が出てアップ出来なかった、唸るたっとの動画のリベンジ現在たっとくんは唸ることなくなったのよお利口さんですたっとくんは。ですさて、投薬問題の続きです。6月6日朝ステロイドもちゅーるびーに入れてしまってどれが、抗生剤かステロイドか分からんなったけん諦めて捨てた昼間に妹が来て、ステロイドは飲ませてくれた!ステロイドは苦くないみたいですんなり飲ませてくれたわよ買って来てもらった物錠剤ドロッパー投薬補助おやつってあるのね!赤字は半額なので正規
前日に酸素濃度は少しづつ下げてほぼ外と同じなので、帰って様子見でも良いと言われたけど、前回のこともあるけんやはり不安…元気でごはんも食べて体重も増えて動きまくって写真が撮れぬー6月5日水曜日無事に退院となりました~※。.:*:・'°☆喜びの中にドキドキの入院費…12日間で、12万円とちょっとゆおまんを超えた!!夏のボーナスも超えた!!!たっとくんです笑っ帰宅すると、熱い眼差しを送るたまみ&あきらたまみさんの視線は、ちょうど1年前のたびたんごを保護した時のことを思
今日は、マチの誕生日だ。15歳になるはずだった。たった15年も生きられなかっただなんて…。リンパ腫で平均余命500日と宣告されても、わたしは全然あきらめなかった。死なせるものか!と必死になった。自分には必須だった睡眠薬を断ち、4時間半ごとにマチに、少量ずつウェットのご飯を与える。その暮らしを、1年10か月続けた。幸い、薬が効いて、吐き下しが激減した時、「部分寛解、と言っていいでしょう」とドクターに言われた。そのとき、会計を待ちながら、わたしは声を立てずに泣いた。かといって
片付けがものすごく苦手なので(いわゆるグレーゾーン)夫に手伝ってもらうのだが、うちの夫、出来る人で頼れる人で手早いのだけれど、モラハラ・パワハラ夫なのである。わたしの住まいなのに、わたしの部屋なのに、容赦なく全て引き出してひっくり返して、プライバシーも何もあったもんじゃない。自分の物と人のものの区別がつかない人で、わたしの大事なペンや、用途別にしているハサミなどを勝手にめちゃくちゃに使う。耐えられない。モラハラ・パワハラもひどく、耐え切れなくて別居になった。ほぼ毎日会うけれ
新しくハチワレ君を迎えるにあたって、すぐにでもお届けできますといってくださっているのに、わたしは二週間、お時間を頂戴した。マチの酸素室をレンタルした時、可哀想だから大きいサイズを借りたのだ。それを入れるために、部屋の中がぐちゃぐちゃになった。マチに死なれてしまい、夫は即日酸素室は返却に行ったが、わたしは何も手に付かず、酸素室のあった場所に資材が山積みになって行くだけで、何も片付けられずにいた。マチのトイレ。最後、使えなくなってたけれど、ご飯スペース。わたしのベッドサイド
わたしは、自分では積極的に猫を探さなかった。一度だけ、めちゃ可愛い子猫を写真で見て、問い合わせしてみて、手厳しく門前払いされた。猫を沢山飼っている、花束をくれた友人と、もう一人、だいぶ年下で、犬も猫も飼っている友人がいるのだけれど、その彼女と二人だけに、猫がいたらよろしくね、と頼んであった。マチのことが愛おしすぎて、マチが使っていたものを割られたりしたら、激昂してしまうのではないかと、自分がまだ怖かった。仕事も、やりたいことがいっぱいあって、ここまでやったら、片付けに入ろう
マチの後を追いたいくらいにギリギリのところに来てしまい、オーバードーズを繰り返しながら眠る。動けるようになって、仕事を再開した時。んん?と思い出した。起きた時に、わたしの脳に直接、メッセージが来たのだった。「天に上がりました。」たったそれだけの短いフレーズ。天に上がった…って?誰…。マチ?マチなの?マチ、やっと天国に行けたって言ってるの?マチはあまり人間語を話さない子だったので、マチかどうかわからない。声で聞こえたのではなく、脳に直接「言葉」が届いたので、マチのあの
たらい回しされたのち、正式に、うつ病であると診断されてから、もう20年も経過した。その苦しみが病気由来だったとわかった時、わたしはホッとした。この苦しみが「基準」なのではないとわかれば、薬を飲んでカウンセリングも受けて、治せるかと思った。20年経って、その間に何度か病院を変わった。やっとやっと信頼できるドクターを紹介してもらえて、薬もかなり微調整を続けて、どうにか生きていられるようになった。それでも、治ることはない。一生薬を飲んで付き合っていくだけだ。今回の墜落は激しい
わたしはおそらくは生まれついての発達障害があり、人よりも長けたところもあるけれども、出来ないことや苦手なことがものすごく多かった。生きづらかった。生まれつきのうつ病だったとも思う。幸せであると感じた経験がなく、家も保育園も学校も辛く、親は優しくなく、味方は一人もおらず、常に孤独だった。この家を自分の家と思ったことなく大人になって、逃げるように結婚した。結婚でもしないとあの家から逃げられなかった。でもそんな結婚は失敗で、9年耐えたが離婚した。母子家庭を15年頑張って、あ
マチは夢にすら出て来ない。この部屋に帰って来た気配もない。猫を亡くした人は、部屋に気配を感じたり足に毛皮を感じたりすると言うのに、わたしは何も感じない。音もしない。決して鈍感なほうではないし、少しだけど霊的に感じる力もあるのに、マチが帰って来ないのだ。何故なのかもわからない。毎日お水を替え、毎日花の世話をしている。マチが死んだ日から、一日も花を絶やしたことはない。長いまま買ってきて、最初はシュッと生けて、毎日茎をカットしたり、枝分かれを切ったりしながら、もちろん水も変えて
マチを失った時、あまりの苦しみに、自分はこれに耐えることは出来ないと思った。わたしの脳も、そう考えたらしく、マチが死んだ夜、一晩中傍にいて撫でていようと決めてたのに、気絶してしまっていた。わたしは精神疾患患者だが、自分が気絶することに、なかなか気が付かなかった。あれ?なんで寝てるんだろう?とか、ええ?眠いわけがないはずなのに気が遠くなる…とか。恥ずかしい話、失禁している。寝ていて尿意を感じたら、いくら睡眠薬で寝ていても目が覚めるので、明らかな違いがそこにある。ひどいス
マチが死んだのが土曜日の午後の診察時間。16時半くらいだっただろう。綺麗にしてもらってキャリーバッグに戻され、それを抱えて車で帰宅した。大きめの箱にマチを入れて、ありったけの保冷剤を詰め込んだ。茫然としているわたしを置いて夫はドライアイスが売ってないか探しに行った。見つからなかったようで、この写真の花を枕花にと買って来てくれた。店を閉めているそのガラス戸を叩いて、どうにか買えたと言っていた。マチが使っていた酸素室の上にまだ置いてある写真。夫はすぐに大きな酸素室を解体し車に積んだ。
年が明けた。何の感慨もなく。午後に起きて座っていたら、自分の脳がユラユラした。気持ちが悪くて、あれ?具合悪いのかな?と部屋を見回した。動くような家具がないのでわからないが、カーテンレールに掛けたストールが嫌に揺れていた。地震だ…長い…横揺れ…。テレビを見られるようにしていなかったので、「X(旧twitter)」で確認。日本海側の地震だ。大きい。テレビに掛けられていた撮影用の帯やストールをどかして、リモコンを探し当ててNHKに合わせる。津波が来るとアナウンサーが叫んでいる
先月お母さまを亡くされたお嫁ちゃん。息子とLINEで話したが「だいぶ元気になったよ。」と言う。いやいや…そんなわけはないのだ。忙しさで紛れてるだけであって、毎年一緒にお正月を過ごしたことを思い出すに決まってるし、思い出したら「なんでいないの、なんで死んじゃったの」になるに決まってるんだよ。息子にはそのことを説明して、しっかり寄り添うように伝えた。わたしだって、猫だけれど、たった一人の相棒を失ったのだ。普段、スーパーで買う、切り落としのマグロには反応しないマチは、大みそかに夫
マチはたった14歳半で死んでしまった。20歳を迎えられる猫が増えている中では、あまりにも若い。いや、これが18歳だったとしても悲しみはもちろんあるが、まだ14歳なのに、という気持ちは大きい。マチは、有名な保護主さんのところにいた子猫で、見た目も可愛かったが、とにかく人懐っこくて性格が良くて、募集をしたら半日で30人を超える申し込みが殺到し、締め切られたという経緯のある「伝説の子猫」だった。名前は考えてあったけれど、仮名で付けられたちょっと変わった名前が、あまりにもこの子にピッタ
記事が書けなかったのは、バカみたいに必死に仕事をしているか、号泣していたかの二択。もう今年も終わりを迎えようとしている。一年前、まさかマチを失うだなんて想像すらしていなかった。リンパ腫を患っていても、一病息災で、20歳を迎えてもらうつもりだった。生きててくれると勝手に思っていた。死ぬことなんて考えたこともなかった。ずっと一緒、毎日一緒ねと、毎日話しかけて、毎日たくさんのお話をした。肺炎になった時も治せると思っていた。死ぬと思わなかった。三か月近くが経過して、泣かない
バカみたいに、死に物狂いで仕事をして、バカみたいに資材を買い集めて、それを開封もせず、分類も出来ず部屋がどんどんひどい有り様になっている。こんなことで猫なんか飼えないよ?と夫に言われてしまった。それはわかる、わかる、でもね、仕事でもしていないと、わたしは自分を支えていられない。自分の価値もわからないし、泣き暮らすのもしたくないし、かといって有効な気分転換も持ってない。苦しいのだ。辛いのだ。あの日、病院に連れ出さなかったとしたら。土曜日だったから、翌日は日曜日で、病院は休み
マチが死んだのは9月30日。ちょうど二ヶ月が経過した。まだたった二ヶ月なのか!という気持ちである。歳を取りたいわけではないが、楽になるには時間だけが薬なので、まだ二ヶ月か…という感じなのである。昨日、リウマチの診察日だった。マチが肺炎で入院しているとき、ステロイドが効くとわかって、退院の目途が立ったのに、わたしが緊急で入院してしまい、八日間も迎えに行けなかった。リウマチで通っている総合病院に救急搬送されたので、完全絶食で、薬も飲めないわたしを心配して、病室に来てくれたドクタ
前回の記事。それが、実は最も書きたい、最も深い後悔の部分である。それを書けるようになるまで、ずいぶん遠回りした。息子たちが来ることになったせいで、マチを死なせたと思っている。そんなこと、絶対に誰にも言えない。息子を愛してるし、お嫁ちゃんのことも大好きだ。でも、お孫ちゃんについて、わたしはあまり興味がない。マチの方が断然可愛い。そういう「ばあば」なのだ。先日、お嫁ちゃんのお母さまが亡くなられた。わたしよりかなりお年が上だったが、まだ70代前半だ。今どき早すぎる死である。息
マチが肺炎を悪化させた原因が、わたしにあると思えてならない。そのことが自分を苦しめ続けている。抗がん剤治療をしていたのだから、肺炎などを発症しやすいとか、体力が落ちていたから、たまたまだとか、そういう運命だったのだとか、これがマチの寿命だったのだとか、いろいろ言ってもらっても、どうしてもぬぐえない疑問がある。これを書くまでにずいぶん遠回りした。わたしは今の夫とは再婚である。母子家庭を15年頑張って、どうにも生きて行けない体になってしまって、その時求婚されていたうち、最も早く
11月17日が、マチの四十九日だった。わたしはとくには仏教徒ではないが、日本は大体、仏教徒っぽく暮らしている。お葬式となるとまるきり仏教だ。マチの初七日のときには夫にお経をあげてもらった。その少し前に、マチが死んだときに大きな黄色い花束を贈ってくれた友人と会った。会うなり、「これ、マチちゃんに!」と、小さい花束を渡された。三輪の、けれどもものすごくグレードの高そうな花。白い丸みを帯びたラナンキュラスと、黄色にオレンジの縁取りがあるカラーと、オレンジでフリルのあるチューリップ
四十九日を経て、心情は緩やかに楽になっていくのかと想像していた。全然だった。胸の真ん中にあった真っ黒な塊こそ、なくなったものの、どうしたって後悔ばかりが渦巻いて、なんであの時望みをかなえてやらなかったんだろう、なんであの時こうしてあげなかったんだろう、とぐるぐる、ぐるぐると、後悔ばかりが渦巻く。まさか死ぬとは思っていなかったのだ。少なくとも、こんな突然に、こんなあっけなく、死んでしまうとは思っていなかったのだ。家に酸素室をレンタルして、そこでしか暮らせなくて、そんな生活が
マチが死んで、初七日を迎えてから、SNSでマチの死を報告した。SNS経由で仕事をしているので、遠慮されるのが嫌だったのと、自分の感情のコントロールが効かないからだ。マチは、死んですぐに、あ、ママはダメになる、とわかったのだろう、透明な招き猫をやってくれて、死んだ日から、かっきり14日間、毎日売れ続けた。新しい知らないお客さまが8割。そんなことってある?売れっ子でもないのに。マチは、わたしが壊れてしまわないように仕事を与えてくれたのだ。わたしは丁寧に発送作業を続けた。猫を見