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シロ(雌・13歳)ちゃんの最後の夜は一睡もせずに付き添ってあげました。2月7日・・・0時を過ぎた頃から寝返りの回数が増えて身の置き場のない様子。ケージから自力で出て私にだっこしてストーブの前で撫でてあげる。午前1時頃から息が荒くなりはじめました。2時頃に嘔吐があり、4時頃には全身痙攣。ケージに噛みついたり、仰向けになり私を見つめながら天を歩くように空を蹴るように痙攣が続きました。手を入れたら絶対に噛みつかれるので見守ることしかできなかったです…無力な自分!唯々涙が吹き出る。痙
きびちゃんは頑張りましたてんかん猫のきびちゃんは、1月19日の午後、🌈虹の橋を渡りました。きびにもう一度だけ楽になったよという顔をして欲しくて、みなさまからのご支援をお願いして、究極の治療として輸血をお願いして、やっていただきました。輸血の後、2日ほどは、食欲が出て、食べていたそうです。そのままの回復を見込んで退院日も決めてありましたが、退院予定の前日にてんかん発作が起きて、抗てんかん薬フェノバール注射をしても、完全に治らず、ずっと痙攣が小刻みに続いてるとの連絡を受けて、お迎えに行きまし
※亡くなるときの描写があります。苦手な方はお引き返し下さい。マチが死んで二週間が経つ。ペットが亡くなるとよく「虹の橋を渡りました」とか、「お星さまになりました」と、ふわり柔らかい(ゆめフワ系?)表現で報告する方が圧倒的に多い。わたしは、そういう表現は自分では使うことはないと想像していた。死とは、もっと凄惨で壮絶なものだからだ。虹の橋なんか渡ってくれなくていい。ましてやお星さまになんかなって欲しくない。化け猫になっていいからここにとどまって欲しい。マチが命の危機にさらされるずっと
続きです。翌日の朝一に火葬屋さんへ電話してみました。住所と猫の体重を訊かれ、合計料金を教えてくれたのと当日空いている時間があったためお願いしました。午後に実家に来ていただき説明を受けたあと火葬車内で火葬しました。火葬時間は1時間強ぐらいでした。少し冷ましたあと家族で説明を受けながら骨を骨壺へ納めます。我が家の場合は計2時間半かかりました。ペットの体重など条件によって変わるのだと思います。骨壺のサイズやそれを入れる袋など選べました。料金は地域や条件により変わると思いますが、我が
先日、実家の猫が旅立ちました。少し前のことなので私は落ち着いてきています。旅立つ前日は具合が悪くずっと横になっている猫を何時間も手で撫でてあげて、猫はかなり辛いはずなのに小さくゴロゴロと喜び、ずっとしっぽを振って生きてるよ〜と合図をしてくれていました。大病していたわけではなく急だったので少し前まで元気で痩せたわけでもなく傍から見ればただ横になっているだけにも見えます。でも冷たい床を選んで横になり目が虚ろなのでもうあまり長くはないことがわかりました。心臓もかすか、体もあまり温かくありません
ネコ好きさんは閲覧注意!!うちのネコの備忘録記事です15年前の7月の夏の日キミたちは家族になったねキミは小さくて怖がりでいつもお兄ちゃんの後をついてまわりミャーミャー鳴いてた。桃たろうと金たろうの兄弟おしゃべりが大好きで話かけるといつも応えてくれて撫でると喜んで楽しそうに喋ってたねお尻の上をポンポンされるのが好きでもっともっとポンポンして!とお尻を向けて何度も何度も要求してきたでも私がすぐに飽きてやめちゃうから
去年の今日は猫用酸素室が届いて設置した日碇谷圭子『◆酸素室がうちに届きました』今朝、まだベッドの中にいた7時半に電話が!もしかしてレオに何か、、、、と思って出たら休診日なのに朝早く見に行って下さった先生から現状の報告でした。昨日よりは少…ameblo.jpレオが具合が悪くて入院して数日経って自宅に酸素室が届いて、具合がまあまあよかったら退院させることになっていた。なので翌日31日に退院の予定だった。入ってみるよねーコエレ😆モーターの音がうるさいので長いホースを使って酸素室はリ
8月8日午後9時、ロシアンブルーの雑種の猫さん(享年11歳)が天国へ旅立ちました。死因は腎不全、膵臓の数値も悪化し、おそらく多臓器不全状態だったのかと。8日、ちょうど仕事帰りに急いで実家まで様子を見に行って、まだ大丈夫そうだな、なんとかもってくれと思いました。その後、家に帰宅した直後の出来事です。このとき私は10日に手術を控えていたので、心配させまいと実家の両親は亡くなったことを黙っていました。亡くなったことを知らないままでしたが、8日の夜はなかなか寝れず、自然と涙が流れ暗闇で
こんばんは。タイトルの通り、本日15時頃愛猫のやまと。が亡くなりました8歳でした。昨夜は旦那さんと2人でやまと。を交互に膝に乗せて寝かせてあげました。(夜中は猫部屋であずき。ちゃんと寝てもらった)朝、ひょっとしたらもう亡くなってるかも…と思いながら猫部屋へ行ったら、やまと。は動かなくてジッとしていたけど生きていましたまた旦那さんと2人でやまと。にちょびっとお水を含ませてあげて口周りを拭いてリビングに移動させました。猫ベッドに寝かせていたんだけど、たまーに自分で動いてベッドから出たり
2021年11月17日18:42僕ちんは天国へと旅立ちましたこの日は午前中、昨日噛まれた場所が痛痒くなり皮膚科をあわてて受診しました破傷風予防接種の注射と抗生物質を処方された左手薬指の傷・・・私は独身・・きっとぼくちんが、ママ左手の薬指に結婚指輪はめないならぼくが指輪のかわりに、しるしをつけてあげるよってことだったのかなそう思っておこう今まで一度も噛まれたことないそんな穏やかな性格の子だったから・・・・ぼくちんは心臓が強い子だったがりがりの身体になっ
全く立ち直れてないけどいけの最後を綴る2021.9.25真夜中2時半すぎ白血病キャリアなのに藪獣医が口内炎治療に持続ステロイドを打ち直ぐ犬達のかかりつけ医に診てもらった時には多臓器不全、貧血、黄疸、脱水もって一週間の余命本人の生命力にかけるしかなく臆病で寂しがりのいけづきの為に万が一を考えて入院治療はせずに自宅で過ごすことを選択結果論だけど初めにあの獣医に診せなければもっと生きていたかもしれないと思うと悔しくて亡くなる前日からカテーテル給餌も全て嘔吐
多臓器不全になった愛猫の臨終の経過を淡々と列挙。愛猫は痙攣の数がとても多かったらしい。【1日目】5時00分頃粗相をする。久しぶりのおしっこ(2~3日ぶり)。よろよろしつつ自分で歩ける。6時15分最初の痙攣。・よだれが多く出るようになる・しっぽが膨らむ・背後を気にするようになる・ヒゲが急激に動く・首を反らすように動かすこれが私の愛猫の痙攣の前兆だった。初めて見る痙攣に、私はびっくりして愛猫を抑えてしまったが、抑えないほうが良いらしいらしい(悪化することもあると
私はどちらかというと動物が苦手子どもの頃、家で犬を飼っていたが猫は初めて息子が黒猫欲しいって言っていたので探していたところ友人の家に迷い込んできた野良の黒猫を飼うことになった猫にはまってしまったのは私の方犬より世話がかからないしバタバタしない気まぐれな性格も私に似ていてかわいい食欲旺盛で子豚のようになっていたチョコが食べなくなった動物病院で点滴をしてもらったが食欲はもどらず(肝臓が悪いとのこと)ちゅーるを口元につけて無理やりなめさせると吐いて
皆様こんにちは。少しご無沙汰しておりました。実は、11月3日の夕方に私の一番の相棒であった、にゅるがお空に旅立ちました。昨日火葬をし、少し落ち着きましたがまだ、私の中には、海のように涙が喉元までたまっていて気を抜くとわっとあふれ出します。にゅるがちいさな段ボール箱に入って家から出ていくのを、みんな静かに見守っていました。いつもなら段ボールなら何でも確認したくて仕方ないのに、誰一人箱に入らず眠るにゅるの優しいお顔を
クロさんに会えなくなって半月が過ぎた😢最後に会えた日の夜にたくさん、撫でて「明日は食べて元気になってね!」と話かけた🍀その日は1日、何も口にしなかった数日前から、食べる量が減っていたのでウェットタイプにしたり、工夫をして少しずつ食べてくれていたので暑さのせいで一時的なものだと考えていたそれが、ご飯の時間には姿を見せてくれても、丸1日食べず…明日は食べてね!と言ってしまったから😢次の日、ご近所に聞いても💦床下や茂みを探しても💦まさか?と思い、元の飼い主さんに確認しても💦
今から4年ほど前に庭に現れたとっても強そうな猫・・・窓を開け・・・おいでっと言うと縁台に、ぽんっと乗ったので頭や顎を撫でると、しっぽを立てスリスリしてくる何時か迄は、人に飼われていたのであろうとても、人懐こい部屋猫が居るので直ぐに餌を与えお腹が空いていたのかよく食べた食べ終わると縁台で毛づくろいをした後に何処かに去っていった・・・翌朝・・・その猫が、又やって来た縁台に乗り、昨日と同じに餌をやり、食べ終わると
良い人は早くに亡くなってしまい、悪人程長生きするよく言われる迷信的事だうちには猫が2匹いた今いる猫の片方と性格が少し似ているが、やっぱりそれぞれに性格や個性がある前居た猫は2匹とも看取った家族が大好きで、ワガママも我慢し、可愛らしく甘えてくる猫ちゃん達だった爪で引っかかれた事も噛み付かれた事も1度も無い3匹の目も開かない子猫をひらってきて、1匹だけ貰い手があり、2匹は育てることとなった1匹は小さく、可愛らしい顔で妹的1匹はお姉さん❗️といった感じで綺麗な顔立ちだったお姉さん
2017年12月に書いてましたが、最後まで書ききれず保存していたブログです最後の方を書き切ったので公開しますこのブログに書いているのは「今日の枕」でアップしている方の猫ちゃんです本名チビ女の子なのでチビ子、太ってからはブタちゃん、ブーブ、ブブと呼んでいましたここからが記事です↓↓↓大分前、1年前の続きです当分泣いて暮らしました思い出すと泣ける写真も動画も中々見れず、思い出話で笑おうとしても涙を我慢するのが難しい日が続きました数日間、気配が有りました水を飲む音、ご飯
本日、15:00に愛猫の三四郎の葬儀を終えました。17歳(84歳)でした。みなさんからしたら、急に、と感じるのかもしれませんが、病院へ通いだしてからのこの2ヶ月は、神様からのギフトタイムだったと思います。三四郎が倒れてからは、奇跡的に回復はしましたが、肉体のダメージは感じていました。だから、本当によく頑張ってくれました。最後は自宅で安らかに眠りました。みんなで見送ることができました。骨を拾い上げたら少しは気がおさまりました。たまたまなほちゃんや、文香ちゃんがタイムリーにメ
昨日の夕方から、急に猫(たろう♂11歳)の具合が悪くなりました。去年6月に倒れて病院行ったら、ガン宣告され、数ヶ月しか生きないと言われていたから、年内生きるかなと思ってたら、年が明けたので、あれ?意外と行ける?と思ってたんだけど。以前の話猫が倒れました(*゚A゚)参照猫って、急に具合悪くなることが多いらしい。普段ものすごい大食漢の猫なのに、ゴハンを食べなくなり、呼んでも反応なし、撫でてもゴロゴロ言わない、毛繕いもしなくなり。先日、会社の人が
祖母がミーコちゃんと暮らし始めて3か月後の秋祭り、私を含む親戚たちが祖母宅に集まりました。そこで私たちが見たのは、見事なまでにミーコちゃん、いやNNNに洗脳されている祖母の変わり果てた姿でした。続きを読む
2019年8月25日pm22時頃17年生きた猫が生涯を閉じました。風呂場の脱衣所で。静かに息を引き取りました。最期は嘔吐しすぎて吐血してました。最期の最期、吐血嘔吐をしてから徐々に息が浅くなっていったと思われます。私は猫アレルギー、猫アレルギーだけどねこを飼いました。元々は目もあかない時に棄てられていて、命が消えそうなところを2匹保護。1匹を当時は広かった家で飼うことに。これは亡くなる前を忘れないために書くものです。8月に入ってからカリカリを食べなくなり、水しか飲まなくなっ
中谷志奈子です昨日23年一緒だったうちの長男「ちょび」が旅立ちました。在りし日のちょび穏やかにこんな風にいつも寝る子でした。14:26穏やかな最後でした。お客様に無理を言ってご予約をリスケして頂き、まだ体がほんのり暖かい間に帰り胸に抱くことが出来ました。M様、ご無理を言いました。ありがとうございます。この時期なので、なるべく早く荼毘にと考えて色々Googleで検索して凄いなぁと思ったのですが、移動式の火葬車が沢山あると言う事です。私の家の近くで
今年の春、長年いっしょに過ごしてきた最愛の猫たろうを失った。たろうは父を亡くしてから一人で暮らす私の傍らにそっと寄り添ってくれた。仕事から帰ると父と同じように待っていてくれた。こんな風に。「おかえり。おそかったな!」途中から兄が同居することになってからも私と兄のことを父と同じような目線で見つめ続けてくれた。そっと見守るように・・・。その日はほんとに突然にそして、静かに訪れた。朝、私が仕事に行くときにはいつものような様子だった。最近たま
いつもコメントやメッセージ、いいね!などありがとうございます(*^▽^*)はじめましての方はこちらもどうぞ→「家族紹介」今日の記事は昨日の記事「我が家にきたネコ達のお話④」の続きです↓ウメおばあちゃんの部屋のベランダ(1階)にはダンボールで作ったネコ用のお家を置いていました。つぶ母さんはよくそこで眠っていましたが、人の気配がすると警戒してこちらを見るのです。しかし、この時は近づいても顔を見せないのでまさか・・・と思いました。続き
1月4日広島に戻ってきました12月29日から行っていたから5泊・・・ゆっくりお正月を楽しんできました。この子は、ぽんたくん衰弱した捨て猫を、子猫の時に拾って帰り飼いはじめたらしい・・・どうして、ぽんたという名前にしたのか聞いたら「ぽんた!っち顔しとったと」だって今ではぷくぷくして見るからに、ぽんたって感じ明日、姿を公開しますね帰る前に食べた最後の朝ご飯とお味噌汁キューピーもしっかり連れて行ってました駅でお土産も、いっぱい買って帰りました1番上の辛子め