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本当にきつかった。精神的にヤバかった。泣いて泣いて、頓服を飲んで眠って眠って。マチは15歳を迎えるはずだったのに。15歳どころか、19歳も20歳も迎えてくれると信じていたのに。もう永遠に14歳でストップし、写真も増えていくことがない。マチの匂いはもう嗅げない。マチを抱き上げることが出来ない。悲しくて悲しくて気が狂いそうだ。そんなに大切なら、どこにも出かけずにずっと一緒にいれば良かった。わたしは夫に誘われて旅行にも行ったし、帰省もしたし、マチを置いて映画館にも行ったし、一
例年、3月は最も体調が悪い。体調が、なのか、精神的になのか、どちらもなのでわかりにくいが、どうにも心が乱れて乱れて、どうすることもできない。頓服の使用量が増える。何かにつけて泣く。怒りも湧く。嫌なことを思い出してモヤモヤする。人にも会いたくないし、どこにも行きたくない。SNSくらいがちょうどいいのだ。わたしにはリアルな人付き合いは難しい。仕事には没頭しているので、寝る時間も起きる時間もまちまち。ちょっと寝すぎてしまうので薬を減らしてもらった。マチを思うと泣ける。何度で
今日は、マチの誕生日だ。15歳になるはずだった。たった15年も生きられなかっただなんて…。リンパ腫で平均余命500日と宣告されても、わたしは全然あきらめなかった。死なせるものか!と必死になった。自分には必須だった睡眠薬を断ち、4時間半ごとにマチに、少量ずつウェットのご飯を与える。その暮らしを、1年10か月続けた。幸い、薬が効いて、吐き下しが激減した時、「部分寛解、と言っていいでしょう」とドクターに言われた。そのとき、会計を待ちながら、わたしは声を立てずに泣いた。かといって
精神疾患患者なので、いわゆる「木の芽時」は、心がざわめいて仕方がない。体調もすぐに崩す。ゆっくり猫と生きて行けばいいのに、わたしは相変わらず自分を追い込むように制作をしている。やり始めたら止めることはできない。一種の発達障害で、「途中でやめる」ということが、苦手なのだ。それゆえ根を詰めて、息も吸わず瞬きもせず、細かい作業に没頭する。出来上がったら、撮影して掲載せねば売れて行かない。掲載してコマーシャルするまでが一連の作業であり、そのあとは発送が待っている。もちろん発送は楽し
うにくんは、何の問題もない。とてつもなく人懐っこく、甘えん坊で、わたしにも、夫にもめちゃくちゃ甘える。健康で、毎日たくさん食べて、沢山出す。吐くこともなく、下すこともなく、性格もよく、行儀もいい。何も問題がなく、そしてとても愛らしい。すごく可愛い子だ。一緒に寝てくれるし、甘えて膝に乗ったら二時間でも乗っている。見た目もとても美しい猫で、特に黒いお鼻が好きで可愛い。ハチワレ加減も綺麗で、目の色は、中心部にマスカットグリーンが少しあって、周りは黄色。肉球は艶消しの炭色でゴ
昨日は、皮膚科へ。シミをレーザーで焼いてもらう、予定が断られる😓はるくんが亡くなり、鼻の横にヘルペスができた。それが瘡蓋となって残っているので、レーザーは打てないと言われる。突然はるがいなくなったショックは、しっかり体にも出ている。朝から頑張って掃除したりジムに行ったりして、皮膚科の後も買い物に・・・とか計画を立てて頑張る💪、と思っていたのに、そこで躓く😭はるがいない、はるがいない、はるがいない!!!!!どうしようもない現実は、時間の経過とともに何回も思い知らされる。日々の多く
うにくんをもらい受けることが決まってから、もしくはもらい受けてから、ごく狭い範囲にそのことを知らせた。マチが死んでまだ4か月ちょっとしか経っていない。もう次の子?と、思われるのも辛いから。わたしは、自分で積極的に探していたわけではないが、ご縁とは、あるときにはあるものなのだ。うにくんのお顔を見て、この子が欲しい!と思ったのは事実だ。数名にしかまだ知らせていないのだが、不思議な現象が起きた。数名のうち、そのうちの数名が、「マチに似てる」と言ったのだ。どこかにマチを感じると言っ
片付けがものすごく苦手なので(いわゆるグレーゾーン)夫に手伝ってもらうのだが、うちの夫、出来る人で頼れる人で手早いのだけれど、モラハラ・パワハラ夫なのである。わたしの住まいなのに、わたしの部屋なのに、容赦なく全て引き出してひっくり返して、プライバシーも何もあったもんじゃない。自分の物と人のものの区別がつかない人で、わたしの大事なペンや、用途別にしているハサミなどを勝手にめちゃくちゃに使う。耐えられない。モラハラ・パワハラもひどく、耐え切れなくて別居になった。ほぼ毎日会うけれ
こんにちはアラカン独身無職の3重苦ジジィ遊び人のブレイディーと申します。牛丼の具を大人買い。空いたダンボールは猫大好き❤だけどかじるんだよなぁGoogleから昨年のタイムラインが届きました。なんと大阪に3日居ただけで後は全て名古屋。私のブログ説明で「1年の半分を旅して残りを保護猫活動をする」はずだったのに…1%旅をして99%保護猫活動をしてしまいました。まぁね…病気やケガの寛解を優先させたし中欧行きが台風で中止になったりで不運もあったのだ☝️それでも猫と一緒の暮らしはマン
新しくハチワレ君を迎えるにあたって、すぐにでもお届けできますといってくださっているのに、わたしは二週間、お時間を頂戴した。マチの酸素室をレンタルした時、可哀想だから大きいサイズを借りたのだ。それを入れるために、部屋の中がぐちゃぐちゃになった。マチに死なれてしまい、夫は即日酸素室は返却に行ったが、わたしは何も手に付かず、酸素室のあった場所に資材が山積みになって行くだけで、何も片付けられずにいた。マチのトイレ。最後、使えなくなってたけれど、ご飯スペース。わたしのベッドサイド
わたしは、自分では積極的に猫を探さなかった。一度だけ、めちゃ可愛い子猫を写真で見て、問い合わせしてみて、手厳しく門前払いされた。猫を沢山飼っている、花束をくれた友人と、もう一人、だいぶ年下で、犬も猫も飼っている友人がいるのだけれど、その彼女と二人だけに、猫がいたらよろしくね、と頼んであった。マチのことが愛おしすぎて、マチが使っていたものを割られたりしたら、激昂してしまうのではないかと、自分がまだ怖かった。仕事も、やりたいことがいっぱいあって、ここまでやったら、片付けに入ろう
マチの後を追いたいくらいにギリギリのところに来てしまい、オーバードーズを繰り返しながら眠る。動けるようになって、仕事を再開した時。んん?と思い出した。起きた時に、わたしの脳に直接、メッセージが来たのだった。「天に上がりました。」たったそれだけの短いフレーズ。天に上がった…って?誰…。マチ?マチなの?マチ、やっと天国に行けたって言ってるの?マチはあまり人間語を話さない子だったので、マチかどうかわからない。声で聞こえたのではなく、脳に直接「言葉」が届いたので、マチのあの
たらい回しされたのち、正式に、うつ病であると診断されてから、もう20年も経過した。その苦しみが病気由来だったとわかった時、わたしはホッとした。この苦しみが「基準」なのではないとわかれば、薬を飲んでカウンセリングも受けて、治せるかと思った。20年経って、その間に何度か病院を変わった。やっとやっと信頼できるドクターを紹介してもらえて、薬もかなり微調整を続けて、どうにか生きていられるようになった。それでも、治ることはない。一生薬を飲んで付き合っていくだけだ。今回の墜落は激しい
わたしはおそらくは生まれついての発達障害があり、人よりも長けたところもあるけれども、出来ないことや苦手なことがものすごく多かった。生きづらかった。生まれつきのうつ病だったとも思う。幸せであると感じた経験がなく、家も保育園も学校も辛く、親は優しくなく、味方は一人もおらず、常に孤独だった。この家を自分の家と思ったことなく大人になって、逃げるように結婚した。結婚でもしないとあの家から逃げられなかった。でもそんな結婚は失敗で、9年耐えたが離婚した。母子家庭を15年頑張って、あ
マチは夢にすら出て来ない。この部屋に帰って来た気配もない。猫を亡くした人は、部屋に気配を感じたり足に毛皮を感じたりすると言うのに、わたしは何も感じない。音もしない。決して鈍感なほうではないし、少しだけど霊的に感じる力もあるのに、マチが帰って来ないのだ。何故なのかもわからない。毎日お水を替え、毎日花の世話をしている。マチが死んだ日から、一日も花を絶やしたことはない。長いまま買ってきて、最初はシュッと生けて、毎日茎をカットしたり、枝分かれを切ったりしながら、もちろん水も変えて
三男が家出してはや3ヶ月どこでどうしているのやら考えたとて仕方がないのだけど予防接種したすぐ後だったから野良猫に戻っているなら1年間は病気にならないで済むかな寒くなるといっつも膝の上に乗って来てたよなぁ…↑ソフアーでだらけている私の足に顔をのせて一緒にだらけている三男の図もう帰ってこないだろうと思いつつなんとなくあきらめきれなかったのだけど先日ついにキャリーバッグやトイレなど三男用のものを片付け始めたもともと8年前にはいなかったわけでその当時に戻っただけだと
マチを失った時、あまりの苦しみに、自分はこれに耐えることは出来ないと思った。わたしの脳も、そう考えたらしく、マチが死んだ夜、一晩中傍にいて撫でていようと決めてたのに、気絶してしまっていた。わたしは精神疾患患者だが、自分が気絶することに、なかなか気が付かなかった。あれ?なんで寝てるんだろう?とか、ええ?眠いわけがないはずなのに気が遠くなる…とか。恥ずかしい話、失禁している。寝ていて尿意を感じたら、いくら睡眠薬で寝ていても目が覚めるので、明らかな違いがそこにある。ひどいス
我が家は、昨日から雪が降り続いています。⛄石川県能登半島も雪のようですね。避難されてる方、電気の無い自宅で待機されている方、本当に寒くて厳しいと思います。暖かい空間、温かい食事、安心して眠れる環境がどうかどうか一刻も早く提供されてほしいです。⛄今年は元旦から、能登半島の大震災という衝撃的なニュースを見ることになりました。想像をはるかに超えた大きな被害で、信じられない気持ちとやるせない気持ちでいっぱいでした。それに追い打ちをかける
マチが死んだのが土曜日の午後の診察時間。16時半くらいだっただろう。綺麗にしてもらってキャリーバッグに戻され、それを抱えて車で帰宅した。大きめの箱にマチを入れて、ありったけの保冷剤を詰め込んだ。茫然としているわたしを置いて夫はドライアイスが売ってないか探しに行った。見つからなかったようで、この写真の花を枕花にと買って来てくれた。店を閉めているそのガラス戸を叩いて、どうにか買えたと言っていた。マチが使っていた酸素室の上にまだ置いてある写真。夫はすぐに大きな酸素室を解体し車に積んだ。
年が明けた。何の感慨もなく。午後に起きて座っていたら、自分の脳がユラユラした。気持ちが悪くて、あれ?具合悪いのかな?と部屋を見回した。動くような家具がないのでわからないが、カーテンレールに掛けたストールが嫌に揺れていた。地震だ…長い…横揺れ…。テレビを見られるようにしていなかったので、「X(旧twitter)」で確認。日本海側の地震だ。大きい。テレビに掛けられていた撮影用の帯やストールをどかして、リモコンを探し当ててNHKに合わせる。津波が来るとアナウンサーが叫んでいる
先月お母さまを亡くされたお嫁ちゃん。息子とLINEで話したが「だいぶ元気になったよ。」と言う。いやいや…そんなわけはないのだ。忙しさで紛れてるだけであって、毎年一緒にお正月を過ごしたことを思い出すに決まってるし、思い出したら「なんでいないの、なんで死んじゃったの」になるに決まってるんだよ。息子にはそのことを説明して、しっかり寄り添うように伝えた。わたしだって、猫だけれど、たった一人の相棒を失ったのだ。普段、スーパーで買う、切り落としのマグロには反応しないマチは、大みそかに夫
マチはたった14歳半で死んでしまった。20歳を迎えられる猫が増えている中では、あまりにも若い。いや、これが18歳だったとしても悲しみはもちろんあるが、まだ14歳なのに、という気持ちは大きい。マチは、有名な保護主さんのところにいた子猫で、見た目も可愛かったが、とにかく人懐っこくて性格が良くて、募集をしたら半日で30人を超える申し込みが殺到し、締め切られたという経緯のある「伝説の子猫」だった。名前は考えてあったけれど、仮名で付けられたちょっと変わった名前が、あまりにもこの子にピッタ
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記事が書けなかったのは、バカみたいに必死に仕事をしているか、号泣していたかの二択。もう今年も終わりを迎えようとしている。一年前、まさかマチを失うだなんて想像すらしていなかった。リンパ腫を患っていても、一病息災で、20歳を迎えてもらうつもりだった。生きててくれると勝手に思っていた。死ぬことなんて考えたこともなかった。ずっと一緒、毎日一緒ねと、毎日話しかけて、毎日たくさんのお話をした。肺炎になった時も治せると思っていた。死ぬと思わなかった。三か月近くが経過して、泣かない
バカみたいに、死に物狂いで仕事をして、バカみたいに資材を買い集めて、それを開封もせず、分類も出来ず部屋がどんどんひどい有り様になっている。こんなことで猫なんか飼えないよ?と夫に言われてしまった。それはわかる、わかる、でもね、仕事でもしていないと、わたしは自分を支えていられない。自分の価値もわからないし、泣き暮らすのもしたくないし、かといって有効な気分転換も持ってない。苦しいのだ。辛いのだ。あの日、病院に連れ出さなかったとしたら。土曜日だったから、翌日は日曜日で、病院は休み
マチのいない誕生日を迎えてしまった。夫は、マチが死んでからちょいちょいわたしを連れ出す。気がまぎれるだろうと、思っているのだろう。その時は車の中で歌を歌ったりして楽し気にしているが、部屋に帰ると、激痛が走る。マチはいないのだ。待っていないのだ。もう二度と会えないのだ。そうして逆に辛くなることを繰り返してきた。今年のお誕生日にはドライブだと勝手に決めて、二ヶ所もメインを盛り込んだので、クリスマスの仕事で忙しいわたしは、欲張らないで一つずつにしようよと提案した。当日、夫がETC
マチが死んだのは9月30日。ちょうど二ヶ月が経過した。まだたった二ヶ月なのか!という気持ちである。歳を取りたいわけではないが、楽になるには時間だけが薬なので、まだ二ヶ月か…という感じなのである。昨日、リウマチの診察日だった。マチが肺炎で入院しているとき、ステロイドが効くとわかって、退院の目途が立ったのに、わたしが緊急で入院してしまい、八日間も迎えに行けなかった。リウマチで通っている総合病院に救急搬送されたので、完全絶食で、薬も飲めないわたしを心配して、病室に来てくれたドクタ
前回の記事。それが、実は最も書きたい、最も深い後悔の部分である。それを書けるようになるまで、ずいぶん遠回りした。息子たちが来ることになったせいで、マチを死なせたと思っている。そんなこと、絶対に誰にも言えない。息子を愛してるし、お嫁ちゃんのことも大好きだ。でも、お孫ちゃんについて、わたしはあまり興味がない。マチの方が断然可愛い。そういう「ばあば」なのだ。先日、お嫁ちゃんのお母さまが亡くなられた。わたしよりかなりお年が上だったが、まだ70代前半だ。今どき早すぎる死である。息
マチが肺炎を悪化させた原因が、わたしにあると思えてならない。そのことが自分を苦しめ続けている。抗がん剤治療をしていたのだから、肺炎などを発症しやすいとか、体力が落ちていたから、たまたまだとか、そういう運命だったのだとか、これがマチの寿命だったのだとか、いろいろ言ってもらっても、どうしてもぬぐえない疑問がある。これを書くまでにずいぶん遠回りした。わたしは今の夫とは再婚である。母子家庭を15年頑張って、どうにも生きて行けない体になってしまって、その時求婚されていたうち、最も早く