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渡邊崋山の蘇武図蘇武は、中国前漢に時代、使者として赴いたぎょう奴で捉えられ、降伏を拒否し羊を飼いながら19年も苦難の日々を過ごした名臣。蛮社の獄に連座し自任刃した崋山が描く蘇武図。自らの信念を貫こうとした崋山にとって,節を曲げない蘇武は模範の一人だったのでしょうか。久隅守景の許由巣父図屏風許由は、聖帝夾の天下を譲るという申し出を聴き耳が穢れたと水で耳を洗い,巣父は、その穢れた水を牛に飲ませず、牛を牽いて帰ったと言います。守景は、江戸初期の画家で、徳川将軍家の御用絵師、狩野探幽の門
名古屋のシンゾウですPCに溜まりに溜まった自作問題を1日300問を目標に解いています。ミスが目に付きます。誤字も沢山あります。酒を飲みながら入力したことも有りますし、テレビを見ながら、ラジオを聴きながら...ミスがあっても当たり前かもしれません。しかし、知識量が増えたのだろう(?)と....楽観的に思う私です。本日は、お墓参りに出掛けますので、早朝にブログを更新します。――――――――――――本日の問題(258)《整理問題です》建築シリーズの復習です。【】に従い答えてくだ
2006年から年に1~2回の不定期で配信している「時空を超えて~歴代肖像画1千年」というメールマガジンの創刊号に掲載した「織田信長の肖像画(二)」を紹介します。アメブロでは信長の関しては4つめになりますね。文字数は10,400ほど、原稿用紙にすると26ページです。今回の肖像画は、本絵ではなくてデッサンといえるものですが、生前の信長の面前で狩野光信が描いたと思われる唯一の作品なのです。(※正しくは、早稲田大学の紹介するように江戸時代の写しとすべきかもしれませんが、筆者には写しではなく原
総社とは、特定地域内の祭神を集めた、あるいは天神地祇、八百万神をも集め祀った神社のことです。談山神社末社である総社は、境内西側に位置します。旧社殿を移築して総社としているところが特徴!1668-1742年(寛文8-寛保2年)に本社であった建物を、造替時にこちらに移築して存続していることが、今でも貴重な文化財となっています。ちなみに明治に入るまで多武峰は神仏混交であり、移築当時の総社拝殿は護国院、総社本殿は聖霊院と呼ばれていました。■手水鉢■
1月に関西に行った時の事です。この頃から京都は確かに空いてました。そして静かでした。昨年も京の冬の旅の企画に乗って今まで訪れたことのないところへ行きました。解説もわかりやすく足元から冷える感じもなんだか懐かしい。今年も全てまわる予定でした。スタンプも集め、グッズももらう予定でした。しかしそれはできませんでした。アップするかどうか迷ったのですが、記憶があるうちに残しておきたいと思います。お付き合いくださいませ^^まずは三時知恩寺。写真は撮ることはできません。この門まで
「京の冬の旅」で特別公開している三時知恩寺です。「入江御所」とも呼ばれた尼門跡寺院です。なぜ三時かというと、宮中での六時勤行のうち、早朝・日中・日没の三時を当寺で行うようにとの勅命が出されたから。中は撮影禁止なので、写真がありません。見どころは、まず書院の前の蓬莱の庭。中央に石組で囲い池があって、池の中には白砂が、石橋が掛かっています。庭の端には梅が咲いていました。小さいながら、白砂と植木と苔で変化に富んだ枯山水庭園になっています。大正硝子越しに眺めることで風情が増します。襖絵は、琵琶
雪が降ったりやんだりの中、京都御苑から相国寺境内を歩いて、2020年京都冬の旅非公開文化財特別公開寺院に到着。三時知恩寺(旧入江御所)同志社大学新町校舎のすぐ東。新町校舎といえば10年以上前に京都検定1級を受検した時の会場。その後も新町校舎前はレンタル自転車で何回も門前も通っていますが、三時知恩寺といえば受検時をはじめ常に門が閉まっているイメージです。定期的に公開はされますが、なかなかスケジュールが合わず、今回初めての拝観になります。撮影禁止ということ
奈良県の正暦寺へ行ってきました。錦の里と呼ばれるほどに紅葉が綺麗な名所🍁境内には3000本の楓が植えられています。奈良市内から少し南へ、菩提寺山の中腹にありました。山道少しだけ上ります。駐車場から本堂へ。日本酒発祥の地なんですね。お水がとってもキレイです♪特別公開中正暦寺は992年一条天皇の命により創建。当時は86坊の塔頭があったそうですが、焼き討ちや江戸幕府の厳しい経済制圧により、ほとんどの堂塔は失われたそうです。本堂鐘楼真っ赤な楓が鮮やかでした南天もたくさん
2019.10.22即位礼正殿の儀天皇の即位図を調べたくなりました江戸時代の天皇の即位図なるほど素晴らしい寛永七年の明正天皇の即位式上に群居しているのは一般庶民ですわかりにくいですが女性子供もいます紫宸殿のすぐ横まで近づいて拝観が許されていたことから「意外な距離感」が見て取れますこの譲位と即位の儀式を描いた珍しい屏風絵が発見され京狩野第三代の狩野永納(1631~97)が描いたものだとされている右隻に即位左隻から譲位の様子を見て取ることができ
狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。狩野派Wikipediaよりと言うことで、狩野英孝もファビュラスな姉妹(こっちは叶ですね。)も無関係です。その狩野派ですが、昨今は奇想の系譜の絵師や、明治の超絶技巧の工芸家たちのブームにより、これまであまり注目されてこなかった絵師や工芸家に注目が集まってきています。しかし、元々日本画壇のメ
さて、前記事が長かったですが(^_^;)京都国立博物館、ただいまの特集展示は中国近代絵画の巨匠「斉白石」展中国ではもちろん、日本でも中国近代水墨画を代表する画家として有名なそうですが、恥ずかしながら、私、全然知りませんでした(^o^;)しかし、この「宋法山水図」は見たことがあるような・・・で、どこかで見てても意識してなかったのかもしれませんね(・・;)で、チラシにも「かわいい水墨画」と書かれてますが、今回の展示で興味がわいたのは、生き物達を愛らしく描いた水墨画で、この絵はヒヨ
比叡山延暦寺を下山して、我々が到着したのは……秋の特別公開が行われている【聖護院門跡】本山修験宗総本山【聖護院(しょうごいん)】京都市左京区聖護院中町15【聖護院】と言えば…………聖護院八ツ橋(笑)しか思い浮かばない乏しい知識でココロは到着ーーっ「ようお参り」山伏がお出迎えしてくれる……男前やなあ【聖護院】は、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験道の総本山である。2018年9月15日~11月25日特別公開内容/⭐本尊不動明王像(重文)⭐書院(重文
本山修験宗総本山聖護院秋の特別公開(9月15日〜11月25日)に出掛けて来ました。役行者を宗祖とする本山修験宗総本山。皇族が門主を務め、御所の火災の折は仮皇居にもなったそうです。玄関には、京狩野派狩野永納と江戸狩野派狩野益信の金碧障壁画を見比べる事ができます。宸殿には修験道に関係する仏様役行者、不動明王、蔵王権現像が祀られていました。近寄って見ることができます。二人の狩野派絵師による襖絵が、それぞれの部屋に意味を持った絵柄で素晴らしかったです。宸殿「九老
こんにちは奈良の梅谷キミです。大和七福八宝巡りもいよいよ後半。六つ目はお寺ではなくて、神社桜井にある談山神社です。ご祭神:藤原鎌足談山神社には、福禄寿さん奥には狩野永納作の壁画があります招徳人望の神様として信仰されています談山神社は、中大兄皇子と藤原鎌足が極秘で大化の改新の談合をしたことで有名ですね。ここは龍神出現の井戸と言われていますこちらはご本殿(重要文化財)なんと、日光東照宮造営のお手本になったものです色彩とか装飾とか華やかですここ好きな場所です❣️拝殿を下か
こんばんは。今朝ジオトリフ310回目(637日目)服用した妻は今日も元気です🙋今日は急遽ですがEGFRT790M血漿検査をしました。このタイミングでの検査は、一般的には早すぎるのでしょうが、妻が癌以外に重篤な持病を抱えていることもあり、先生なりに熟考して出した決断だと説明をいただきましたのでお願いしました。珍しく早く終わったし、雨も小降りになってきたので、秋の京都を思い切り楽しみました🙋まずは病院近くにある西尾八ッ橋の里(西尾八ッ橋別邸)で昼食🙋数寄屋風書院造りの建物と素晴らしい
2017.3.18は東山七条あたりをぶらっと散策、妙法院に行ってきました(´▽`)ノと言うか、普段は非公開なのに、「京の冬の旅」で13年ぶりに公開されているので、今日の大本命はこちらのお寺さんです(≧∀≦)3/18までの第51回「京の冬の旅」、テーマは「大政奉還150年記念」、妙法院は七卿落ちゆかりのお寺さんなんだそう。妙法院は、青蓮院、大原の三千院と並んで「天台宗三門跡」のひとつで、宸殿があり、御所の旧殿を移築した大書院があり、宝物庫龍華蔵にも皇室ゆかりの品々が。龍華蔵の最後
「野」今年の題は、「野」…。何やら深い。深い…ですね。「野」ときいて、すぐに思い出すのはやはり伊勢物語です。↑↑↑こちら、東京国立博物館図録「歌仙絵」表紙より伊勢物語との直接的な関係はございませんが、後ほど関連してきます。伏線です。***伊勢物語***第百二十三段むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ女、返し、
2016.9.25は聖護院門跡に行ってきました(´▽`)ノ通常は要予約ですが、9/10〜12/18は特別公開中につき、予約不要です(*^_^*)修験道を開いた役行者(役小角とも呼ぶ)が宗祖。智証大師円珍の後を継いだ増誉大僧正は、白河上皇の熊野御幸の先導役を務め、その功績により賜ったのが聖護院だそう。熊野三山検校職(全国の修験者=山伏の統括)を命じられ、寺は本山派山伏の総本山となり、この後、上皇による熊野御幸の先導は代々聖護院先導が勤めることとなったのだとか。今でも恒例行事として
2016.5.14は「かざり-信仰と祭りのエネルギー」に行ってきました(´▽`)ノ会期は明日までなのですが、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」「樹花鳥獣図屏風」が見たくて、何とか滑り込みセーフです!…と思ったら、若冲作品は全8作品、時期によって最大4作品が展示されていたにも関わらず、4/17で全てよそに移動してしまっていました( ̄□ ̄;)でも、海北友賢「大涅槃図」を観ることができたので、それはそれで満足しました(*^_^*)下の方には陸の動物だけでなく、海の生き物、麒麟や龍など架空の