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嵐山光三郎『自宅の妾宅』作家の嵐山光三郎が今月逝去したのだが、流れてくるネットニュースの肩書きが旅とグルメのエッセイストだの「笑っていいとも増刊号」の初代編集長だの当たり障りなくそれなりに書かれているのがなんとも気にいらない。実は嵐山光三郎の書く小説は軽妙でつかみどころなくそして頗(すこぶ)る面白い。それもそのはず奇人文豪で知られた深沢七郎の数少ない門下生だったのだ。深沢七郎が埼玉で開いた文人サロン的なラブミー農場にも出入りしていた。我が儘頑固で偏屈な深沢七郎の弟子筋は破門の嵐だったそうだが
皆さんは「横尾忠則」(以下「横尾忠則さん」と言います)という「美術家」をご存じでしょうか。なぜ「美術家」というあいまいな言い方をするかと言うと、横尾忠則さんは、その長い創作活動の中で、その時期によって全く作風が、いや、その創作手法が全く異なっているので、「画家」とか「グラフィックデザイナー」とかの一定の呼称では紹介できないからなのです。まず、横尾忠則さんの経歴などをざっとお話しさせていただきます。横尾忠則さんは、1936年に兵庫県西脇市で生まれ(2025年8月現在89才)、20才ま
東京、大阪、北海道、そして沖縄と、「昭和元禄」と呼ばれていた時代の性風俗を追う。中島貞夫監督の作品。「猟奇」はかなりの誇張。*****東京。シンナー遊び。全学連のデモ。モノセックス・コンテスト。二十七歳だった唐十郎が率いる状況劇場。「銀座整形外科」での隆鼻、豊胸、二重まぶたの整形手術映像。海水浴場でのボディペインティング。アングラサイケと女装。夜の公園。「新宿で全然知らない女の子に声かけても、だいたい五人のうち一人ぐらいはついてきますね」「僕の場合でも、セックスの対象としては
昨日、2025年5月30日に開催された楽落らいぶ、650席のチケットは完売、満員のお客様、雨でお足元の悪い中ありがとうございました。終わった頃には雨足もだいぶ弱まってよかったです。少し寒かったですね三日前くらいの天気予報では大雨の予報だったので、大事をとって急遽近くのホテルを取ったのですが必要なかったです😅勿体無いから泊まりましたけど、お陰でゆっくり朝食を摂ってから会場へ向かえました👍なにせ9時入り11時開演だったので。写真:古川望さんのFacebookから久しぶりの東京文化会館
「神戸ニニンガ日誌」(第3,382号)○船場センタービルの地下で寄席が開催されている。昔、空地にテントを張りアングラ演劇を観せる劇団があった。阪本順次監督のデビュー作で、赤井英和初主演作映画「どついたるねん」はテントで見た。テントや地下での開催は暗く怪しいアングラ感が醸し出される。○1989年、私がロードマネジャーを務めたジャズ「ジェシー・デイヴィス・クインテット」の東京会場は新宿ピットインだった。あの会場も地下で、えらくマニヤックだ。ピアノはあの大西順子さんだった。○センター
渡辺文雄(本人)、小松方正(本人)、戸浦六宏(本人)、佐藤慶(本人)、山崎唯(本人)らが集まり。性的充足についての議論する。正直だが結論のない話が続く。*****ウメ子(横山リエ)は田辺茂一の著書「夜の市長」から、「他人に見せ、鑑賞させることも悪くない味である。こぶ巻きというのがあった…」と音読する。*****次の土曜日。ともに和服の戸浦六宏と女性(若林美宏)が絡み合うのを離れて見る鳥男(横尾忠則)とウメ子。彼は研究所から持ち出した「張り型」をちらりとウメ子に見せ、走って逃げる彼女を「や
『唐十郎襲来!』河出書房新社から、2024年11月30日初版発行。編集は、樋口良澄。唐十郎は、2024(令和6)年5月4日急性硬膜下血腫により永眠。84歳。2012(平成24)年5月に、自宅前で転倒し、頭部に重傷(脳挫傷)を負い、彼は、『言葉』を奪われました。戯曲を書くこともなくなり、舞台に立って台詞を発することもなくなり。それが、72歳の時。倒れたあと、紅テントの客席に、その姿を見かけることが。しかし、肉体へのダメージは、生気を奪ってしまったかのようで。その衰えに、衝撃を受け
もう何年前になるだろうか。札幌芸術の森で人形作家・四谷シモンの展覧会が開催されたとき本を購入した。シモンさん自らのサイン入りで、大切にしてきたが、今日、お嫁さんのお父さんにお譲りした。お嫁さんの父上は趣味が広く、お会いすると、映画や芝居の話で大いに盛り上がるのだが、四谷シモンの人形に並並ならぬ関心を抱いていらして、ご自分も人形製作を習っていたことがあるそう。夏にお会いしたときに、シモンの話になりこの本がほしいとおっしゃる。私が持っているより良いと判断してお譲りすること
皆様、こんばんわ沖田虎丸です!5月4日に84歳で亡くなった劇作家唐十郎さんの舞台ジャガーの眼赤テント唐十郎劇場公演チラシ[ジャガーの眼+電子城」#871:Amazon(アマゾン)盟友の寺山修司がの亡き2年後の1985年に謳ってはいないが明らかに追悼で作られた作品が唐十郎劇団状況劇場公演ジャガーの眼NHKBS放送初演の録画だと思いますwww.youtube.com↑YouTubeで一本あがっていたのでジャガーの眼Amazon(アマゾ
新宿花園神社の紅テントで『泥人魚』を観ました。唐組としては、初演以来21年ぶりの公演だったとか。『泥人魚』の感想は後にして、先ごろ逝去された唐十郎さんについて、書かせてもらいます。僕が初めて唐さんの芝居を観たのは、もう51年前、高校を出た年の春、京大西部講堂の庭に設置された赤色テントで観た、状況劇場の『ベンガルの虎』(73)でした。※「ベンガルの虎」ポスター絵は合田佐和子。右下に「西武」のマーク。唐十郎以下、李麗仙、大久保鷹、不破万作、根津甚八、十貫寺梅軒など懐
唐十郎さんが亡くなった。ネットで画像を探したところ、それなりの年齢でかつカッコ良く写っていたのがこの写真だった。<朝日新聞サイトより>状況劇場の頃をリアルに知らない世代なので、80年代後半から90年代に新宿・花園神社のテント小屋で芝居を観たくらいだ。颯爽としてカッコいい男だと感じたのを覚えている。ケバケバしい衣装の看護師が登場したり、芝居はやや大袈裟で破天荒な印象だった。役者が大きな注射器を抱えていたのか、それともそれが他の芝居とごっちゃになっているのか、もうそこまではハッキリ
5月6日寺山修司と唐十郎〜5月4日唐十郎氏亡くなる〜5月4日は寺山の命日だったが今年この日、唐十郎さんが亡くなった寺山とはライバル?だったとの理解で良いのか…演劇界では"アングラ四天王"と言われたらしいが…(あとのおふたりは各自お調べくださいm(__)m)競馬から寺山を知った身としては唐十郎さんの知識はないに等しい以前、2000年生まれの新入社員と話す機会がありお薦めビジネス書の話から小説の話になった時寺山を知っていて驚いたことがあった寺山が逝ったのは1983年である
五月四日に唐十郎さんが亡くなった。奇しくも寺山修司と同じ日に亡くなるとは。ジョージ秋山原作の実写版映画とか。劇中歌のライブ盤だったり。幻のシングル『愛の床屋』も収録。近年はCD化されました。一番強烈だったのはATG映画の『任侠外伝玄界灘』。個人的にはトラウト映画だわ。
唐十郎さんが亡くなった。私にとっては、青春の記念碑的な存在であり、新宿・花園神社での紅テントは衝撃だった。2012年に転倒して頭を打ってからは、メディアで顔を見ることはなかった。納戸の奥にあるはずの、ポスターを出してみよう。『唐十郎』NHK、濃い人の出演が続きます。今日の「アナザーストーリーズ」は唐十郎。若いころは、目がキラキラした童顔の美少年だった。芥川賞は受賞したけど、紫綬褒章は…ameblo.jp『アングラとはなんだったのか?』「証言
若かりし頃、彼の芝居の世界に惹かれ、赤テントに通い詰めた時期がありました。上野の不忍の池のほとりでしたね。私は新劇やミュージカルはよく観ていましたが、唐十郎率いる状況劇場は、それとは異質な世界でした。怪しく猥雑で、聖と俗、現実と虚構が入り交じる、何とも不可思議な舞台でした。誰の物まねでもない、彼の強烈な個性とエネルギーがほとばしっていた。その熱量に惹かれ、何度も通いましたよ。そんな鬼才が旅立たれたんですね。心よりご冥福をお祈り
アングラ演劇の旗手、唐十郎さんが亡くなりました。20年くらい前にアングラ演劇の一端が知りたくて唐組の公演を観に行ったのが思い出です。糸姫の台本です。状況劇場の台本は手書きのガリ版印刷で分厚く昭和時代の小学校の卒業文集のような雰囲気です。こちらは唐版風の又三郎の台本。状況劇場のポスターは個性的で素晴らしい物ばかりです。
唐十郎さんが急性硬膜外血腫で84歳の人生を終焉されました🙏🙏🙏謹んで御逝去を悼み、御冥福をお祈りします。唐さんが亡くなられた原因の、急性硬膜下血腫というのは、例えば、硬いものなどに頭部をぶつけたりして出血する外因疾患ですが、その直後はどうも無くても、30分ぐらいしてから出血の影響で倒れたりしますので、頭を強打した時は要注意です。強打の仕方が深刻だと思った時は直ぐに救急車を呼んだほうがいいですね。ですので、この病因を聞いた時に、直ぐに、え?事故?と思いました。どうもご自宅で転倒されたよう
今朝の横浜の空、分厚い雲に覆われています。今日は雨が降る様子はないのですが、明日からは雨の日が続くようです。さて昨日は午前中からJRで出掛けてジム通い。午後の予定に合わせてMスポーツセンターに行きました。日曜日は混んでいますが、17台のトレッドミルがフル稼働しているトレーニングパーク、2〜3台は空いていましたので、すぐにランニング開始。1回の予約でMAX30分走れるのですが、昨日は体温が上がるのを感じて、20分ごとに給水しました。合計で3セット1時間11.3kmのランニングを終了して、シャワー
昨日、状況劇場を率いていた唐十郎さんの訃報を知った。私がまだ学生時代、東京で暮らしていた頃は(1980年前後)、まだまだアングラ劇団全盛時代であった。◇唐十郎さんの状況劇場◇つかこうへいさんの劇団◇野田秀樹さんの夢の遊眠社など、観に行きましたよつかこうへいさんや夢の遊眠社を、アングラと呼ぶのかどうか分からないけれど。状況劇場は、当時新宿の花園神社だったかしら?にテントを張って上演していた。真っ赤なテント、通称紅テント。靴は脱いで(ビニール袋に入れたかな?)持って、敷物の上に座っ
劇作家で俳優もされていた唐十郎(からじゅうろう)さんが今月4日、都内の病院で急性硬膜下血腫のため亡くなられたと昨日、報じられました。84歳でした。唐十郎さんといえば、状況劇場ですね。新宿・花園神社の境内で立ち上げ、神社の意向を受けて立ち退いた後は、新宿西口公園で、無許可で演劇を続行。東京都の立ち退き命令をひたすら無視し続け、最後は唐十郎さんや李麗仙さん、根津甚八さんらが現行犯逮捕されるという大騒動に発展しました。しかし、この状況劇場の「レベルの高さ」は一般観衆だけではなく、業界関係者
唐さんのご冥福をお祈り申し上げます。「紅テント」の公演アングラの旗手「状況劇場」の旗揚げそして「唐組」「佐川君からの手紙」・・・。青春時代、色々と影響を受けた方でした。
吾妻に藤井屋政右衛門を訪ねます🚶♀️北毛の菓匠の絶対王者であり、其の細かい芸とコストperformanceには呻ります👩柏餅は味噌味にいたしました😋何品もの逸品がありますが、本日は茶菓と栗大福🌰に呻ります茶菓は南牧villageのいぶしと並んで日本の田舎菓芸の極みと謂へませふぞ🙌🎣lakeNOZORI初陣☀︎何と21℃です鯉幟王国六合を楽しみます👩とほくのほふはうみのそらふろやのばばあのせんずりだぁあとみかみかんのこえがしたときにはからじゅうろふはいってしまった
文化「みんな、……正直か?」全員「正直でーす。」文化「本当に正直なのか?正直なんだな。」知らない人「本当は不正直かもしれません。」文化「君だ!君が一番正直だ!」根津甚八と小林薫の2枚看板がいて、唐十郎の状況劇場が一番ミーハー受けしていた頃に、初めて観た芝居が「蛇姫様わが心の奈蛇」。紅テントに染み込んだ昭和の猥雑な熱気は、今でも風化されずに「唐組」に引き継がれて、上演されています。文化「てめえら、死化粧を済ませないで、どこへ運ぼうってんだ⁉」青色「焼き場に
現代演劇界を創り上げた巨人、唐十郎先生が旅立たれました。私は唐先生が育てた唯一の演出家である中野敦之さんの御縁により、【風の又三郎】、【腰巻きお仙】という唐十郎作品へ参加をさせて頂く栄誉を受けましたしかも、劇場ではなく唐先生の象徴である野外テント劇場中野さんたちと実現に向けて動いた新宿中央公園でのテント劇場復活の時には本当にニコニコ喜んでお褒め頂いたことが昨日のように思い出されます役者として、唐先生の生み出した言葉をテントの中で発させて頂く事が出来たのは何にも代え難い誉れでありました。あ
銭ゲバ大行進/唐十郎東宝/東宝芸音AS-1020ジョージ秋山原作少年サンデー連載漫画の実写版映画主題歌。爽やかな唐さん(笑)この頃の東宝映画何故か簡単に観られない。これもCSの日本映画専門チャンネルで一回だけ放送されただけ。あと『混血児リカ』とか、観たいのに。でもこれは無理か?人間革命とか夜明けの旗は何度かリピートされたのにね。四角いジャングルで唄う/唐十郎愛の床屋、犬殺しの歌収録のオリジナル盤。歌詞カード代わりのガリ版刷り台本。近年ディスクユニオンからCD化され
今日は昭和の日。猥雑でエネルギッシュで、どこか哀愁を帯びた強者たちが、自分に正直に生きていた時代ですが、そんな懐かしい風景を、未だに失わずに活動しているのが唐組です。唐組は、状況劇場時代から使用している昭和の匂いが染みついた紅テントを大地にはためかせて、変わらぬスタイルで公演を継続していますが、残念な事に、座長の唐十郎は2012年に脳挫傷の怪我を追って以降新作を発表していません。1978年紅テントと若かりし唐十郎2023年唐組春公演「透明人間」の公演会場もうひとり、新
お芝居を生で観たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあるに決まってんだろうが低脳。通算2,839回は、生で観たんじゃないスかねー生まれて初めて観たのが劇団四季のストレートプレイ『から騒ぎ』。子どもだったから日下武史さんしか印象に残っていないが、実はシェークスピアの喜劇。すごく面白かった♪大学受かって東京さブッこいて、直ちに観たのは末期の状況劇場『下谷万年町物語』。だってワタクシ、高校時分に唐さんの戯曲『少女仮面』ー春日野八千代先生が出てく
唐十郎劇作家、演出家、俳優唐十郎の原風景で、芝居のモチーフにもなっている戦後の焼け跡。家族は飢えに苦しみ、弟を栄養失調で亡くしたにも係わらず、あの悲惨な時代に彼の発想の原点があるのは、危機感のない時代にはニヒリズムが生まれるが、カオスの時代にはリリシズムが生まれるからだと、私は思っています。私が若い頃に、唐十郎がパーソナリティーを務めたラジオ番組「オールナイトニッポン」で、その体験を表現した言葉が今でも記憶に留まっていて、私の座右の銘になっています。「荒んでいたけど、
今日は日本の方いつもの貼り付けで失礼します。では、鑑賞しましょクマさんがイラストも描いてた事は知りませんでした。昨日、ブロ友のピートお兄さま✨から教え頂き検索しました武蔵野美大に席を置いてたみたいですしイラスト描いててもおかしくないよね❗😆昔の少年雑誌の挿絵風がいいね(≧∇≦)b謎解きゲームみたいで見たくなるわ🤔😲レトロ感がモダン💕(。☬0☬。)状況劇団の代表者↓おどろおどろしいヽ༼⁰o⁰;༽ノლ(^o^ლ)いいね(≧∇≦)
ひとつ前の当ブログで書いたように、1991年の大河ドラマ『太平記』で新田義貞を演じた萩原健一さんは病気で途中降板、根津甚八さんが代役をつとめます。ちなみにショーケンがこのとき患った右耳うしろの腫瘍は7年後に再発し、当時、監督をやるという話もあったのですが流れてしまいます。代役をつとめた根津甚八さんのことを、ショーケンは非常に高く買っていて、同時代の俳優で意識した人はいるかという質問に「根津を見たときにはちょっと意識した。いい役者が出てきたなと思った」と発言しています。ショーケンはTBSで放映し