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行徳の町を見下ろす、小高い丘。その丘の上に、一人の若者が立っていた。犬田小文吾である。懐かしい町並みを見つめながら、小文吾は、ぽつり。「これが……夢にまで見た、わがふるさとか……」長い旅を終えて、ようやくたどり着いた故郷。しかし――その時である。「ん……?」小文吾の目に、不思議なものが映った。行徳の町の上空に、ふわりと浮かぶ桃色の雲。そして、その雲の上には――なんと、犬の背に乗った美しい女の姿!「な、なんだ!?女神様か!?」もちろん小文吾は知
城の深い堀を前にして、進退きわまった犬田小文吾と犬坂毛野。追っ手の声は、どんどん近づいてくる。ところが――毛野は、少しもあわてていない。「犬田殿……いや、小文吾さん」毛野は静かに言った。「あなたとの縁を、私も感じています。あなたをここに残して、私だけ逃げるわけにはいきません。一緒に逃げましょう」そう言うなり、毛野は懐から一本の綱を取り出した。その先には、鋭い鉤がついている。毛野、くるりと振り回して――「えいっ!」ビューン!!鉤は見事に堀の向
「な、なんだ!?」驚く馬加大記。短刀を手にした旦開野が、馬加大記の前に、すっくと立っている。そして――上に羽織っていた美しい小袖を、さらり。脱ぎ捨てた!!「なにっ!?」なんと、その下に現れたのは、女の衣装ではない。男の姿!!「馬加大記、よっく聞け!」短刀を構え、鋭い目で大記をにらみつける旦開野。「この旦開野という名は、世を忍ぶ仮の名。われこそは、お前のために無理やり切腹させられた、粟飯原一族の子。犬坂毛野なり!!」「うぬっ……!
助かったと思った小文吾。ところが、石浜城の家老・馬加大記から、思いもよらぬ誘いを受ける。そして、小文吾が聞かされた「行徳の大火」の知らせ。父は無事なのか。そして、あの家老はいったい何を企んでいるのか――。今回も、八犬士の物語が一人、また一人と動き始めます。石浜城の一室。そこに長いあいだ閉じ込められていたのが、犬田小文吾。すると、部屋の戸が開いて、入ってきたのは――石浜城の家老、馬加大記(まくわりだいき)である。「いやいや、犬田小文吾殿。長いあいだ、
食事もたっぷりごちそうになり、昼間の疲れもあったのでしょう。犬田小文吾、あてがわれた部屋に入ると、早々にぐっすり。高いびきでございます。ところが――。夜も更けた、丑三つ時。ふと、胸騒ぎがして、小文吾は目を覚ましました。すると……。戸が、音もなく、すうっと開く。そこに現れたのは、怪しい人影。「うぬ……盗賊か?」小文吾は、とっさに布団をこんもりと持ち上げると、そのまま、するりと布団の外へ。そして、奥の壁際に身を寄せました。怪しい人影は、そんなこととは知らず――。
さて、ここで舞台はガラリと変わります。武蔵の国。秋の夕暮れ――。山道を一本の道が、ずーっと伸びています。その道を、ひとりの若者が歩いていました。体格のいい、いかにも力のありそうな青年です。幼いころから相撲をとっては、負けたことがない。その名は――犬田小文吾。八犬士の一人となる男です。小文吾、どうやら急いでいる様子。「どうしたんですか?」……と、くまちゃんが聞きたくなるところ小文吾本人答えて・・・「うむ。実はな……」小文吾は、少し心配そうに話
これより前に、千葉介自胤(ちばのすけよりたね)は、無くしてから長年が経った嵐山の尺八が手に入って、その日は早く帰城して、「あの犬田とかいった勇士のことを高成は、常武に報告したのだろうか。彼を当家に留め置けば千騎にも勝るだろう。急ぎ対面したいのだが」と心に思ったけれども、家臣等が申し出もしていないのに、召し出す理由もないため、しばらく黙っていて、翌日馬加常武が、一人後堂(ごどう:奥にある建物)に参上して、名笛が再び宝庫(みくら)に戻ったことを悦んでいることを述べ、かつ阿佐谷の村長等が誤って船
このようにして、畑山語路五郎は、小文吾を連れて、夥兵等を率いて、急ぎ石浜へ戻り、村長は荘客等と車座になって、船虫を縛めたまま監視しており、その日も暮れて夜中に、畑山殿の下知状として、僕使いが持ってきたので、村長がゆっくりと開き見ると、「今宵、罪人船虫を連れてくるように」と書かれていた。「これは心得ぬ事だ。さき程は用心しろと船虫を預かり置けと言われ、今また急に夜の中を召されるというのはどういうことだろうか」と呟きながら下知状を懐に差し入れて、下知を請けた事を使いに告げて帰しながら、荘客達
そして畑山語路五郎は、小文吾を縛めている縄を自ら解き放つと、側に招いて言葉を改めて、「先程まで玉石不明のまま、片言をもって訴えの方を正しいとした粗忽の事、今更謝罪しても遅いと思います。しかし内心は驚いておりますが、あなた様は両手を括られたまま、猛悪の船虫を取り押さえた、その武芸といい、膂力(りょりょく)といい、この時代には得難い勇士だと感じ入りました。並四郎等の積悪が発覚し、失われた笛を手に入れられたのも、すべてあなた様のたまものですので、詳しく報告しようと思います。あなた様が官途(かんと:
その時、犬田小文吾は左右をキッと見回して、「皆様、何を見ているのですか。先程お話ししたように、昨夜船虫が言葉巧みにかの笛を、先祖相伝の物と言って、私に贈り、その時はその話が嘘か真か、心の邪正も、知る事はできませんでしたが、とても穢れた人妻の手口を、今どうして理解しないのでしょうか。はしたないとは思いますが、その時何度も固辞していましたが許されず、しばらくそのままでいましたが、その間に船虫は菩提所へ出て行ったので、留守をしていて、例の笛を肘の高さにある戸棚の中に残して置きました。しかし笛を包ん
このようにして犬田小文吾は、牛嶋(うしじま)の方へ渡ろうと、河原を目指していくと、わずか三町ばかり行ったところで、まだ新しい草鞋(わらじ)なのに、しっかり括り付けていた鼻緒(はなお)が千切れそうで、それをよく結び合わせようと、跪いて脚を踏み伸ばすと、後ろから伺う捕り手の夥兵(くみこ)達が、「捕縛しろ」とかける声より素早く、地上にハタと蹴倒して、上からかかって組んでくるのを、小文吾は伏せな粗、手足をバタバタと動かして、掻い摘まみ、またはね返すと、およそ二間、もしくは三間おど投げられて転がるも
新潮日本古典集成別巻三南総里見八犬伝第六輯巻之二第五十三回畑上謬捕犬田馬加窃奪船虫畑上(はたけがみ)は謬(あやまつ)て犬田を捕らえる馬加(まくはり)は窃(ひそか)に船虫を奪う船虫は明け方の中を駈けて、菩提所へと出て行ったので、留守には小文吾ひとりだけになり、戻らぬ過去を悔いても、今更ながらで、「過去に、畷で出会った野猪といい、この主といい、人を変え、物を変えて、我が身を危うくした事は、今年はどのような悪い星が巡ってきたのだろうか、重ね重ねの厄難が、こ
すると船虫は、行燈を側に置いて、たださめざめと泣き出し、しばらくして思い返したように、頭を擡げて目を拭って、「なあ、お客人、犬田殿とおっしゃるのでしょうか。それは私の夫ですが、欲に迷って、命の恩人であるあなた様の寝首を掻こうとしてのでしょう、天罰が目の当たりに報い来て、却ってあなた様に撃たれたのは、世にせめてもの罪滅ぼしで、あなた様を少しも恨んではいません。というのも、私の家は昔から村長でしたが、三代前の祖(おや)の時、経営が衰えてしまい、田地(でんち)の大半を売り尽くし、村の役義も人に譲っ
小文吾はまず、自分の名前を告げて、縁側に腰掛けて並四郎の事、野猪の事、今宵の宿泊を許した事の内容を云々と概ね知らせると、燧袋を取り出して見せると、船虫は聞く事々に、驚き、歓び、「それは思いかけない御恩を受けたようでございます。さきに聞いた野猪の事ですが、あぶない事だと止めさせようとしたのですが、聞かずに命が危険になったところを、救って頂いた人ならば、私にとっても産土神(うぶすながみ)同様です。まずは、こちらへお入り下さい」と答えて、やがて急いで盥にぬる湯を汲み持ってきて、草鞋を解いて、足を
その時、小文吾は、「この男は、近村の狩人でなく、百姓の猛者で、あの野猪を殺そうとして、突き刺したものの、野猪が度を失って、たちまち掛けられて、死んでしまったのだろう。うまくいけば、傷があさければ、生き返ることもあるかもしれない。私は、相撲をやっていたので、もともと打ち身の奇薬を持参している。撃たれて気絶しているものに、すぐに効き目があるものを、一日たりとも手放していない。古里を出てくる日も、それを懐に入れておいたので、失っておらず、今もなおある。用いてみようか」と忙しく、旅風呂敷を開いて、
この時、日暮れの鐘が遥かに響いてきて、森の方から暗くなっていた。ここから里までは遠く、途中まで行って宿を求めようと、足の運びを急がせていると、向こうの方の稲叢(いなむら:刈り取った稲の束を重ねたもの)の影から、とても大きな野猪(しし)が、手傷を負ったようで、忽然と駈けだしてきて、こちらに建っている石の地蔵を突き倒して、木ともいわず、草ともいわず、当たるに任せて噛み砕いて、勢いが虎豹に(こひょう)に敵するように、真っ直ぐに走ってきた。小文吾は、「あ、まずい」と思ったが、左右は全て深い田だった
新潮日本古典集成別巻三南総里見八犬伝第六輯巻之一第五十二回高屋畷悌順搏野猪朝谷村舩虫贈古管高屋畷(たかやなわて)に悌順(やすより)が野猪(やちょ)を搏(てうち)にする朝谷村に舩虫(ふなむし)が古管(ふるき笛)を贈る犬田小文吾悌順(やすより)は、道に野武士等を斬り捨ててから、只管に馬の後を追って、東に向かって走ると、その日は儚く暮れてしまった。昨夜は夜通し、今日は終日、大敵と鎬(しのぎ)を削り、さらに長距離の道を端って捜索していたが、遭うことができず辛くなり
その時、小文吾はその場所に追いついたのだが、はるかに馬が撃たれた形勢で、陰火(いんか)の奇特も目の当たりに見て、只管感嘆しながら、馬の行方を知ろうと思い、喘いで走る足音に、呆れて立っていた二人の野武士が同時に振り返って、「思うに、彼奴も落人だ。馬諸共に追えなくして、女を代わりに物にしよう」と囁く間も暴奪略(あらかせぎ)家業、たちまち路を横切って、槍をひねって突きかかるのを、「待ってました」と小文吾は、槍頭(ほさき)を握り止め、引き抜く刀に右手からの槍の、真ん中をチョウと切り落とすと、そ