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地御前聴測照射所は、現在の広島県廿日市市地御前に置かれていた防空施設で、大東亜戦時中(昭和16-20年)に構築されました。地御前村(じごぜんむら)は明治22年(1889)の町村制施行により発足しましたが、戦後の昭和31年(1956)に1町3村合併で廿日市(はつかいち)町となって廃止されました。なお現在の廿日市市は昭和63年(1988)に発足して今に至っています。聴測照射所(照聴所、特設見張所、戦争末期には探照燈台とも呼称)とは、150㎝探照灯と仮称ヱ式空中聴測装置(聴音機)各1基を用
ドライブの続きです赤い橋を渡り島の先っぽに行く前に此方も久しぶりの鯛のバス停此方色あせしてないので再塗装されたのかな?此方の鯛のバス停頭が上を向いているので最初は何コレと思いましたよ🤔グルリと廻るとなるほど鯛と思う所が此方なんか腹の部分肝心の目玉や口が見えにくいので尚更分かりにくい鯛の側面が入口になってます鯛のバス停から更に先っぽにやって来たのは国際交流センターの駐車場遥か彼方に渡って来た赤い橋が見えてました駐車場からテクテク歩いて北緯33度線展望台へ展望台の横には特設
[呉鎮守府]足摺特設見張所⑤電探②高知県土佐清水市足摺岬足摺岬にある四国88ヶ所霊場第38番札所金剛福寺の北側のなだらかな山塊。通称「天狗山に昭和16年11月頃に、呉鎮守府の足摺特設見張所がつくられた。特設見張所は「戊」になり、戦後、南側の敷地の一部が国土交通省大阪航空局航空識標(VOR)跡になっている以外、野ざらしのままになっている(・∀・)出典:国土地理院1947/04/23(昭22)USA-M274-76、抜粋/加工機銃座群から稜線を電探②に向かって歩く。
[呉鎮守府]足摺特設見張所④機銃陣地他高知県土佐清水市足摺岬足摺岬にある四国88ヶ所霊場第38番札所金剛福寺の北側のなだらかな山塊。通称「天狗山に昭和16年11月頃に、呉鎮守府の足摺特設見張所がつくられた。特設見張所は「戊」になり、戦後、南側の敷地の一部が国土交通省大阪航空局航空識標(VOR)跡になっている以外、野ざらしのままになっている(・∀・)出典:国土地理院1947/04/23(昭22)USA-M274-76、抜粋/加工指令室から伸びる軍道(林道)を歩く(Y
[呉鎮守府]足摺特設見張所③指令所?高知県土佐清水市足摺岬足摺岬にある四国88ヶ所霊場第38番札所金剛福寺の北側のなだらかな山塊。通称「天狗山に昭和16年11月頃に、呉鎮守府の足摺特設見張所がつくられた。特設見張所は「戊」になり、戦後、南側の敷地の一部が国土交通省大阪航空局航空識標(VOR)跡になっている以外、野ざらしのままになっている(・∀・)出典:国土地理院1947/04/23(昭22)USA-M274-76、抜粋/加工VOR跡から不舗装の太い林道を歩く。
[呉鎮守府]足摺特設見張所②兵舎や発電所高知県土佐清水市足摺岬足摺岬にある四国88ヶ所霊場第38番札所金剛福寺の北側のなだらかな山塊。通称「天狗山に昭和16年11月頃に、呉鎮守府の足摺特設見張所がつくられた。特設見張所は「戊」になり、戦後、南側の敷地の一部が国土交通省大阪航空局航空識標(VOR)跡になっている以外、野ざらしのままになっている(・∀・)足摺岬には陸軍の西部航空情報隊のいくつかの電波警戒所もある。出典:国土地理院1947/04/23(昭22)USA-M27
[呉鎮守府]足摺特設見張所①電探①高知県土佐清水市足摺岬足摺岬にある四国88ヶ所霊場第38番札所金剛福寺の北側のなだらかな山塊。通称「天狗山に昭和16年11月頃に、呉鎮守府の足摺特設見張所がつくられた。特設見張所は「戊」になり、戦後、南側の敷地の一部が国土交通省大阪航空局航空識標(VOR)跡になっている以外、野ざらしのままになっている(・∀・)足摺岬には陸軍の西部航空情報隊のいくつかの電波警戒所もある。出典:国土地理院1947/04/23(昭22)USA-M274-7
[呉鎮守府]室戸特設見張所②電探基礎など高知県室戸市室戸岬町昭和16年12月:紀伊防衛隊の記録に「室戸特設見張所」の記事が初出?、昭和17年11月:電波探信儀による哨戒開始昭和19年11月:特設見張所(戊)の記載昭和20年4月:25ミリ単機銃×3、13ミリ単機銃×2が配備(増強)引渡目録の一例(複数のデータがある上に差異もある):11号電探×1、113号電探×1、123号電探×1、13号電探×2(破損)、探知機×1*当時の図上下逆さまにしてみた。縮尺とか激しくメチ
[呉鎮守府]室戸特設見張所①機銃陣地高知県室戸市室戸岬町室戸岬周辺の遺構室戸は呉鎮守府第11特別陸戦隊が守備していた。出典:アジア歴史センター(C08011282900)引渡目録呉鎮第11特別陸戦隊室戸特設見張所の配置図出典:アジア歴史センター(C08011206800)「阪復」和歌山県区内接収関係引渡目録第2復員局(①ー引渡目録ー215)昭和16年12月:紀伊防衛隊の記録に「室戸特設見張所」の記事が初出?、昭和17年11月:電波探信儀による哨戒開始
[佐世保鎮守府]崎戸特設見張所聴音所長崎県西海市崎戸町本郷362-1長崎県西海市崎戸町本郷、捕鯨基地として栄えた崎戸島(さきとじま)の最先端(九州最西端)にある。現存する唯一の煉瓦造り2階建ての建屋は聴音所。ここで潜行する敵の潜水艦のスクリュー音等を傍受していた。敷地内には兵舎、ポンプ室、発電施設、96式25ミリ機銃座などがあった。戦後、ホテル咲き都(閉館)の建設や公園化整備でこれら遺構は消滅した。昭和13年、佐世保鎮守府によって聴測照射所が設置。昭和17年3月、特設見張所
[徳山海軍警備隊]向道(こうどう)照聴所(聴音照射所/特設見張所)③探照灯・聴音機竣工:昭和17年春頃?備砲(向道防空機銃砲台):3年式機銃×1門(昭和20年1月の日誌)→13センチ単装機銃(昭和20年3月以降の日誌)設備:96式150cm探照灯(100V)×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1指揮所の北側、機銃座の凹み(指揮所と探照灯の間に位置する)徳山警備隊戦時日誌(昭和20年1月〜)をみると、向道防空機銃砲台3年式機銃×1門の記述が確認できる。出典:アジア歴史セン
[徳山海軍警備隊]向道(こうどう)照聴所(聴音照射所/特設見張所)②指揮所竣工:昭和17年春頃?備砲(向道防空機銃砲台):3年式機銃×1門(昭和20年1月の日誌)→13センチ単装機銃(昭和20年3月以降の日誌)設備:96式150cm探照灯(100V)×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1指揮所が見えてきた(・∀・)山頂部分に探照灯・聴音機と共に設置された。指揮所レンガ積み(モルタル仕上げ)、天井はコンクリート製(徳山海軍警備隊(徳山要港)の照聴所(聴音照射所)指揮所の建屋はほ
[徳山海軍警備隊]向道(こうどう)照聴所(聴音照射所/特設見張所)①竣工:昭和17年春頃?備砲(向道防空機銃砲台):3年式機銃×1門(昭和20年1月の日誌)→13センチ単装機銃×1門(昭和20年3月以降の日誌)設備:96式150cm探照灯(100V)×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1防長百名山のひとつ、大高神山(標高647m)の8合目付近〜山頂付近に設置された向道(こうどう)照聴所/特設見張所。徳山警備隊戦時日誌をみると「向道防空機銃砲台」の記述も確認できる。出典:工藤洋三『徳
柱島聴測照射所は2年半前に探訪記を書きましたが、先月再訪しましたので記事を書き直していきます。***********************************柱島は岩国港の南東約26kmに浮かぶ島ですが、大東亜戦争時この島には海軍の聴測照射所(以下、照聴所と記載)が置かれていました。昭和19年(1944年)6月の配備要図で場所を確認。矢印の所にあります。======================呉海軍警備隊の概略はこちら→→→==================
呉海軍警備隊は、呉軍港および徳山要港周辺に高角砲台や聴測照射所を配置して防空網を敷いていましたが、北の日本海や南の太平洋側にも空中・海上警戒を行う見張所を置いていました。昭和20年(1945)8月の終戦時の配置図です。配置図を見ると、電波で敵機接近を探知する電波探信儀(レーダー)を配備した探信所が多いですが、すべて大東亜戦争開戦後に増設されたもので、開戦時点では空中・海上を警戒する見張所だけでした。なお島後や富高は最初から探信所として設けられましたが、日御碕、足摺岬、都井岬は元々見
愛媛県松山市沖の忽那(くつな)諸島は数多くの島々で構成されていますが、その中で最も大きい面積を持つ中島(なかじま)には、戦時中海軍の聴測照射所(照聴所、特設見張所)が置かれていました。昭和19年(1944年)6月の配備要図で場所を確認。矢印の所にあります。中島聴測照射所(以下“照聴所”)は、大東亜戦争中の昭和17年(1942年)に着工された照聴所10個の内の一つで、昭和19年6月頃に運用開始となりました。上記配備要図で“戦前物”と“戦時物”を区分けして記載しましたが、この時点では合
[津軽半島]海軍龍飛特設望楼(龍飛崎特設見張所)青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜54昭和15年(1940年)、海軍は龍飛崎(龍飛岬)の先端にある龍飛特設望楼跡地と逓信省管轄の灯台敷地を無償借用して、ここに特設見張所を設置、津軽海峡を通航する艦船の警戒・監視にあたる。現在は海上自衛隊(大湊地方隊函館基地隊隷下)の竜飛警備所となり、旧軍時代と同じく、津軽海峡を通航する艦船の警戒・監視にあたる。大変残念なことになっている龍飛崎特設見張所(海軍龍飛特設望楼)について。特設見張所(丁)
ええ・・・元気ですよ。色々と忙しくしておりました。アップしないつもりでいたのですが・・・まぁまぁ反響もありまして・・・記事にしておく事にします。詳細のぼやかした内容ではありますが、地方紙の日曜朝刊に掲載されました。平和学習の教材とかに生かせればよいのですけどね。まだまだ眠ったままの戦争遺跡はあると思いますので、細々と・・・ですが、探索していきたいと思います。~おしまい~人気ブログランキングへにほんブログ村
不明窪地は防空砲台北東の尾根上にあります。場所はこちら。不明窪地は遊歩道で一部分断されていますが4つの円形窪地を確認しました。前回レポートした三津峰山山頂の窪地群よりもサイズが大きいです。戦後2年目の空中写真を見ると窪地の影が写っていますので戦時中に何らかの意図を持って造られた物だと思われますが、記録には残っておらず用途は不明です。そこで考えられる用途を挙げてみます。①教練用の機銃座②最初は高角砲座をココに作ろうとしたが立地が悪く放棄③機銃砲台もしくは高角砲台工事中で終戦④敵の
その2では三津峰山の山頂尾根に残る窪地群を見て行きます。戦後の空中写真には円形窪地と思われる影が横並びで写っていますが、現地を歩いたところ遊歩道沿いに10か所以上の窪地を確認することができました。見取図を描くと以下の通りですが、似たような窪地ばかりですので描いた数や形は怪しいかもしれません。まぁ参考程度に。それではこの窪地の用途を考察していきます。『呉海軍警備隊戦時日誌』を読むと、昭和19年初頭から防空に関する訓練・教練が盛んに行われるようになり、6月からは下士官兵の戦時要員教
今回は、呉市街地南東側に置かれた三津峰山防空砲台をレポートします。呉軍港周辺配置図にて場所を確認します。簡単な履歴は以下の通りです。(呉海軍警備隊戦時日誌、引渡目録より)◆竣工:昭和19年(1944年)12月ごろ◆高角砲:10年式12㎝高角砲4門◆照聴装備:150㎝探照灯1基、聴音機は配備せず◆練習部:昭和19年~下士官兵戦時要員教育応急施設を置く。7月兵舎完成。◆機銃(昭和19年7月):13㎜単装機銃30門~その後警備隊日誌に記載がないため詳細は不明大東亜戦争
後編では砲座と探照灯掩体を見て行きます。(施設跡)から東に少し進むと2番砲座があります。砲座内に入る通路が設けられています。砲座内側には奥行と幅の異なる凹みが交互に並んでいます。なお前回レポートした螺山防空砲台の砲座もこのような作りでした。弾薬置場や砲具置場として使われたものと思われます。砲座は凹み部分の天井がコンクリートですが全体の造りは石積みです。12㎝高角砲台は戦争末期に数多く作られましたが、砲座の遺構を見るとほとんどが素掘りの円形窪地ですので、まともな(?)胸墻
今回は吉松山防空砲台をレポートします。昭和20年代の広地区施設配置図で場所を確認します。呉海軍警備隊の概略はこちら→→→「吉松山」の簡単な履歴は以下の通りです。(呉海軍警備隊戦時日誌、引渡目録より)◆竣工:昭和19年(1944年)12月ごろ◆高角砲:10年式12㎝高角砲4門◆探照灯:150㎝探照灯1基大東亜戦争3年目の昭和19年に入ると本土空襲が現実味を帯びてきたことにより、各地で防空砲台の増設が進められました。「吉松山」もその一つで、当初は12.7㎝連装高角砲
後編では砲座から南に下って聴測照射施設を見に行きます。やたら縦に長い見取図を掲載します。戦後2年目(1947年)の空中写真を見ると土塁を配した円形窪地(掩体)が4つ写っており、現地探索においても掩体の跡が標高190m付近と150~160m付近に2つずつ配置されているのを確認しました。螺山防空砲台に配備された聴測照射兵器は空中聴音機と探照灯が各1基でしたが、以下の通り戦時下に機種変されています。聴音機:“英(美?)式聴音機”→“90式聴音機”→“仮称ヱ式空中聴測装置(聴音機
板城村(いたきむら)照聴所(聴測照射所の略、特設見張所、探照灯台とも)は、東広島市西条の大迫山(標高343m)に置かれました。呉軍港の北東約20~25㎞に位置しており、150㎝探照灯と仮称ヱ式空中聴測装置(聴音機)を用いて対空警戒に当たりました。配備要図で場所を確認します。呉海軍警備隊の概略はこちら→→→「板城村」は前回、前々回に紹介した鹿島照聴所、上蒲刈島照聴所と同様に大東亜戦争中に設けられた照聴所です。開戦2ヶ月が経った昭和17年(1942年)2月の『呉海軍警備隊戦時日誌』を見
上蒲刈島(かみかまがりじま)照聴所(聴測照射所の略、特設見張所、探照灯台とも)は、呉市上蒲刈島の東側に置かれました。配備要図で場所を確認します。呉海軍警備隊の概略はこちら→→→「上蒲刈島」は前回紹介した鹿島照聴所と同様に大東亜戦争中に設けられた照聴所です。開戦2ヶ月が経った昭和17年(1942年)2月の『呉海軍警備隊戦時日誌』を見ると、調査中の照聴所建設予定地13ヵ所の中に「上蒲刈島」の名前が挙がっています。建設工事は同年後半から開始され、昭和19年(1944年)3月に完成しました
後編では216mピーク南側にある照聴施設を見ていきます。まずは屋根の上に探照灯を据え付けた「探照灯建屋」から紹介しますが、先月の呉探索で一番見たかった遺構はコレでした。と言うのも、他地域の建屋は半壊状態ですが「鹿島」の物は完全な状態で残っており、屋根の上の据付台座も確認できるからです。なお『倉橋町史』にはこの建屋がカラー写真で掲載されています。探照灯建屋を入口のある前方から見ています。窓は後方の壁に1つだけです。建屋をざっくり計測してみたところ、4.3m×4.3mの正方
鹿島照聴所(聴測照射所の略、特設見張所、探照灯台とも)は、呉市倉橋町の南端に浮かぶ鹿島に置かれました。広域図で場所を確認します。呉海軍警備隊の概略はこちら→→→「鹿島」は大東亜戦争中に設けられた照聴所です。開戦2ヶ月が経った昭和17年(1942年)2月の『呉海軍警備隊戦時日誌』を見ると、調査中の照聴所建設予定地13ヵ所の中に「鹿島」の名前が挙がっています。建設工事は同年後半から開始され、昭和19年(1944年)3月に完成しました。主要兵器は他の照聴所と同じく150㎝探照灯と仮称
灰ヶ峰防空砲台は、呉市北方に聳える灰ヶ峰(はいがみね)に設けられました。終戦時の高角砲台配置図で場所を確認します。呉の名前の由来については、呉一帯を囲む9つの峰が九嶺と呼ばれていたことから、「きゅうれい」が「くれ」に転訛して名付けられたとする説がありますが、灰ヶ峰は連峰の中でもひと際そびえ立っており、九嶺を代表する山となります。呉市街地から灰ヶ峰。一帯を囲む連峰の中では一番高い山となります。砲台の簡単な履歴は以下の通りです。(戦時日誌、引渡目録等より)防空砲台◆竣
大須山防空砲台最後の遺構紹介は、砲台南東側に残る聴測照射施設です。砲台周辺図から位置関係を確認します。大須山防空砲台は前方2ヶ所に聴測照射所を置くスタイルでしたが、砲台のそばに3つ目の聴測照射所の遺構が存在します。おそらく大東亜戦争後期に“前方スタイル”は廃止となり、砲台近くに再配置されたと推測しますが、これに関しては【その1】で考察しましたので下記リンクをご覧ください。『呉海軍警備隊探訪㉓~大須山防空砲台その1(概略と考察)』大須山防空砲台は、江田島市の大須地区に築かれました