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和歌山県屈指の観光地、白浜が目と鼻の先にある漁港の一角に特攻兵器、震洋(しんよう)の基地がありました。手掘りの格納庫には、原寸大の震洋の模型が置かれています。全長5mほど、船体はベニヤ製で250㎏の爆薬を装備していました。田辺湾に侵攻してくる敵艦に対して自爆攻撃を仕掛ける目的で、太平洋戦争終戦間際にこの鳥の巣基地が設置されましたが、ここでの作戦は実行される事無く終戦を迎えました。公園内には小さな資料館もあります。震洋は昭和19年から終戦まで約6200隻が製
今年は、被爆そして戦後80年ということで、過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます日本の春と言えば「桜」そうイメージする人は多いだろう桜の花「桜花」この言葉を「さくらばな」と読むことと「おうか」と読むことで、ずいぶん印象が変わります「「特攻隊員御霊の代弁者」サクラ花上映会出演の林家三平さん語る阿見(茨城新聞より、2015年11月)」特攻機「桜花(おうか)」がテーマの映画「サクラ花桜花最期の特攻」の上映会が10年前(2015年)、主なロケ地だった茨城県稲敷郡阿見町で
まず現実では選択権はありませんでしたが、それを踏まえた上で書いてます。あくまでもifの世界です。一番有名な回天これ、遊就館に実物大の模型がありますね。思っていたより小さい。閉所恐怖症の人は乗り込んだ時点で卒倒するでしょう。操縦方法も難しく、その上脱出不可、深海と限定酸素。訓練中に殉職した黒木さんと樋口さんの逸話は、図書館で読みました。昔の人は凄かった。同じく有名な桜花これ
ツーリングの続き(´▽`)ノ三丘ゆめ広場です。夏は暑いから誰も居ない(*´꒳`*)山の上に有る広場です。(´°v°)/んぴッドローン飛ばした後、移動して、阿多田交流館(平生回天基地資料展示)に来ました。太平洋戦争で使われた特攻兵器のレプリカ回天一型です。これに乗って特攻していたんですね……戦争は良くないです……何も生まないです。お腹が空いたので、昼飯(´°v°)/んぴッ山口県柳井市阿月の、シーゲートバーガー🍔に来ました。グランドオープンしました(*´ω`*)今ならハ
大和ミュージアムの続き展示品として、本物の兵器があるフロアーも魚雷、回天、海龍、零戦が展示されているのだが、2階へは、フロアーの周囲のスロープを上がっていくので、様々な角度から見ることが可能ここも、採光にちょっと難あり窓側に展示された、魚雷、回天は逆光になってしまう九三式魚雷・二式魚雷特攻兵器「回天」十型(試作型)特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)零式艦上戦闘機六二型41cm砲弾46cm砲弾最後にミュージアムショ
こんばんは今日(8/15)は終戦の日ですね。戦争(第二次世界大戦)のことを忘れないように、読売新聞の「戦後79年」特集を読んでいます今日の読売新聞朝刊の24面(社会面)の「戦後79年」コーナーに、「特攻兵器『回天』の搭乗員思う慰霊の旅20年。旧日本軍の潜水艦『伊58』乗組員の96歳。」という見出しの記事〈松山支局長尾尚実記者〉が掲載されていました。元潜水艦乗組員の清積勲四郎(96歳愛媛県松前町)さんのアルバム写真や、終戦直後に潜水艦「伊58」の乗組員が甲板で撮ったセピア色の
大豆の花が咲きました。ちょっと不自然な咲き方をしてるんだけど、これは枝が垂れてましてね。添木をしてそれに引っ掛けたんでひっくり返ったような状態なんです。アサガオが咲いてたところに植えたんです。もちろん土をひっくり返しいてふるいにかけてますけどいくらでもアサガオが出てきましてね。何十本かは移動させましたけど、まだまだ生えてきます。畝に生えてきたやつはさすがに、今は抜いちゃいますけど、周りに生えてきたやつは地を
宇和島の予科練に居た事がある川崎さんの記事の続編この写真見て思い出した🤔※同じ予科練に居た澁江さん(高松市)もこのように記念写真を残されてるが、澁江さんの奥様曰く、この写真の制服は上官から借りて撮影したもので、後から怒られたそうだ😅大戦末期、米軍は日本近海まで侵攻し本土を脅かしていた。川崎さんも戦艦大和を目撃されたんやね😳👍松山基地から大和を目撃した杉野富也さんも偵察機・彩雲の搭乗員だった。川崎さん、終戦は城辺(現・愛南町)だったんだ😳宇和島海軍航空隊(予科練)から現在の愛南町の
カミカゼの幽霊人間爆弾をつくった父/神立尚紀:9784093891264:京都大垣書店オンライン-通販-Yahoo!ショッピングstore.shopping.yahoo.co.jp1,980円商品を見る「カミカゼ」と言っても神風特攻隊ではなく、人間爆弾「桜花」のほう。息子・隆司氏の「父」、つまり桜花の発案者である大田正一について書かれている。そして大田正一はあくまでも発案者であり、開発者ではないところが重要である。「終戦の三日後、男は遺書を残し、零戦に
読者のみなさまお疲れ様です。今回は読み終えた本の話題です。カミカゼの幽霊(神立尚紀著)父はなぜ別人になって生きようとしたのか?1994年5月、大阪市東淀川区に住む大屋隆司の父親・横山道雄が突然、失踪した。この失踪騒ぎの後、みるみる衰弱していく父を看病する中で、隆司はこれまで知らなかった父の過去を知る。父の戸籍上の名前は「大田正一」といい、死亡により除籍されていた。大田正一といえば太平洋戦争末期に「人間爆弾」と呼ばれた特攻兵器「桜花」を発案したとされる人物である。大田は
静岡市三保松原文化創造センターと、三保松原、御穂神社を見学したあとに半島を一周しました。『霊峰富士と三保松原天女伝説と富士山信仰』ゴールデンウィーク後半の5月5日、静岡市清水区三保にある静岡市三保松原文化創造センターに行きました。富士山が世界遺産に登録後に完成。初めて来ました。屋上からは…ameblo.jp三保灯台の近くにある、甲飛予科練之像があります。三保で釣りをしていた時は、毎回この前を通っていました。何年ぶりかな、この銅像を見るのは…初めて来たのは12年前、確か4月の土曜か日
5年ほど前に宮崎県日向市のお客様へ伺った帰りに寄り道したら気になり立ち寄った際に上げたブログを再編集。この看板の黒田の家臣が気になり行ってみた。幕末勤皇家海賀宮門外二士の墓【県指定遺跡】(黒田の家臣)|観光地情報|一般社団法人日向市観光協会オフィシャルサイト宮崎県日向市の観光情報が満載の観光ポータルサイトです。金が浜、お倉が浜、サーフィン、細島、馬ケ背、願いが叶うクルスの海、若山牧水、美々津、ひょっとこ踊りの情報もあります。hyuga.or.jp何だろう?なんとこ
猫と関係無い内容のニュース(じゃないけど)に猫が出て来た。アイコンの猫だニャ晴光公園(台北市中山区)それは、戦争遺産島特攻兵器の訓練基地となった島(NHKスペシャル)黒猫が、寛いでいます。(奄美群島)(備忘録)(ジャンル記事)アジアからお届け54位08/19#散歩猫6位(19,985件中)08/19#野良猫56位(114,182件中)08/19#黒猫72位(230,604件中)08/19好きなごはんのお供は?↑マタタビ。▼本
縄文・弥生では妄想する私ですが・・😅元海軍航空隊少尉本田稔さんの証言動画全編類人猿|LINEVOOMCheckout類人猿'spostonLINEVOOM.linevoom.line.me日本の近現代史は、こういった貴重な証言をほとんど取り上げることもない長崎原爆地上起爆の証明写真広島も地上起爆です。B29は落としちゃいません❗【必見】詳しく書かれていますその1広島・長崎の真実1|TOYONOTE広島・長崎原爆による死亡者数広島に投下された
…昨日より続く。ポストもブルーで呉氏^m^まずは、呉市海事歴史科学館の『大和ミュージアム』へ♪施設前『レンガパーク』旧海軍戦艦陸奥搭載品の展示チケットを買っていよいよ常設展へ「今からはあなたを西畑大佐って呼ぶね!アタシは軍曹ね!!」『大和ひろば』うほー、カッチョいいねぇ@@♡「ヤーマートー♪」と歌ったら「ぽんちゃん軍曹のは、アニメの宇宙戦艦ヤマトな」「え?あ?そうなの?」(←付いて来ただけで実はよく分かってい
夜中の雨がようやく止んできたようです。でも、蒸し暑さがある東京。たしかに、もう6月も半ばに入ろうとしていますからね。戦争末期に日本海軍の特攻機「桜花」によって撃沈された米駆逐艦の船体が、沖縄本島沖合で見つかったというニュースがありました。特攻機・桜花が撃沈した唯一の駆逐艦、海底で発見…出撃10回の多くは探知され撃墜【読売新聞】太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻機「桜花」が唯一撃沈した米駆逐艦マナート・L・エベールが、沖縄本島から北に約140キロ、水深約1380メート
九州には太平洋戦争の遺構が数多く残されている。今回のツーリングでもそれらを探し訪ねてみたのだが、ある違和感を感じた。それは何か。広い田園地帯を走っていたら、こんもりとした構造物を見つけたこれがかつての掩体壕で、今では民家の納屋や倉庫になっているケースがある大分県の北部、周防灘に面した町、宇佐市に向かった。ここにはかつての戦時中、飛行場(宇佐海軍航空隊)があり、今ではその滑走路は道路になっているという。そんな道を探していたら、畑の真ん中にこんもりとした小さなふくらみが見えた。あれは”掩体
1944年10月20日、敵はレイテ島に上陸。陸海軍は総力を挙げてこれを撃退しようとしましたが敗退を続け、逆に敵はその勢いを買ってルソン島にまで侵攻しようとしています。1945年1月9日、敵はルソン島リンガエン湾に上陸。その日の深夜、陸軍の海上挺進第12戦隊が四式肉薄攻撃艇(マルレ)数十隻で出撃し、上陸支援艇LCI(G)-365、LCI(M)-974を撃沈。駆逐艦2・戦車揚陸艦3・輸送船1撃破の戦果を挙げました。LCI(G)-3
三菱重工広島機械製作所が1945年4月から新たに製造することになったのは航空機、それも敵艦に体当りして自爆するという特攻機のエンジンだった。有名な「神風(しんぷう)特別攻撃隊」が編成されたのは1944年10月だが、年が明けて1月24日、小磯国昭首相は施政方針演説の中で次のように述べた。いまや戦局は彼我根比べの決戦段階に突入した。特攻隊に続き一億同胞憤激を新たにし、万難を排して一意戦力の増強に邁進し、銃後の責を果たすべきである」と述べ、さらに千辛万苦に耐えよ、航空機を増産すべし、生産
今朝のNHKさわやか自然百景黒潮と瀬戸内の海流がぶつかる海は珊瑚や多くの魚が集まる豊かな海🐟️🐠🐡高知・宿毛市の沖合いに浮かぶ鵜来島👍周囲約7km、島民19人が暮らす小さな島👌太平洋の荒波により長年に渡り耐えてきた島の周囲はゴツゴツした断崖🌊周囲の海の中は多種多様な生き物の楽園🐟️🐠🐡島は渡り鳥の中継地でもあり、山の中の水辺にやって来たのは、約20年前に本土から海を泳いで渡って来たイノシシ🐗近年、このイノシシが増え駆除する者も居らず苦労してるそうな😩オオウミウマはタツノオトシゴ
現在、我が國の周りは、物騒な国だらけだ。我が國の民を拉致している北朝鮮。現在交戰中で北方領土を返さぬロシア。南西方面を中心に妄動を續ける支那。竹島を占領している韓国。そしていまだに日本國内に基地を構え、官僚等を通じて妙な要求をしてくるアメリカ。その全てが、核兵器もしくは我が國を直撃できる兵器を開發・所持している。そもそも、国連には、我が國を名指しした敵國条項なるものがあるから、国連全体が我が國の敵とすら言えよう。ロシアは国連常任理事国ですらある。その中で、最強の国は、アメリカだ。しかし、ア
https://ameblo.jp/azu-bk/entry-12713151763.html『千葉房総戦争遺跡巡り⑧航空特攻兵器桜花四十三乙型黒原基地跡その1』先日は、行川の桜花基地を探しに行ったが、今回は更にマニアックな黒原の基地を探しに。数少ない情報を元に、発見!ここにも格納壕と旋回盤跡、更にはカタパルトも遺って…ameblo.jp↑の記事の続き。壕口から振り返って旋回盤の方を向くとこんな感じ。旋回盤からカタパルトの延びる方を見たところ。竹林の間が道のように開けている。
2021年8月日本の国会議員227名!が、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に所属している。どうかしている!この国会議員たち!参拝する国会議員の会は、昭和56年に設立され、初代会長は竹下登元首相。超党派議員連盟の会である。自民党、維新の会、立憲民主党、国民民主党などの議員たちが入っているようだが、インターネットでを調べてみても、227人の名前は、よくわからない。2021年8月の産経新聞によると公明、共産、社民の議員はこの会に入っていないそうだ。これら22
先日は、行川の桜花基地を探しに行ったが、今回は更にマニアックな黒原の基地を探しに。数少ない情報を元に、発見!ここにも格納壕と旋回盤跡、更にはカタパルトも遺っている。カタパルトの先端?欠けていて、途中かもしれない。崩壊部分が地面に。これは何かな。カタパルトの上は木が生えない為、道のようになっている。知らなければカタパルトや旋回盤跡には気付かず、ただ竹林へ延びる畑道のように見える。進んでいくと、旋回盤が。分かりにくいかもしれないが、縁がところどころ見えている。旋回盤の更に奥に、格
1944年11月20日。77年前の今日。日本海軍特攻兵器人間魚雷《回天》によってアメリカ海軍給油艦《ミシシネワ》は炎上し沈没した。戦士者63名。回天は5基2基は珊瑚礁に激突し自爆。2基は敵艦攻撃により沈没。渡邉英徳さんがカラー化。元の写真。戦争被害者の御冥福を祈ります。
千葉県いすみ市行川の森の中に、桜花四十三乙型の格納庫と旋回盤跡が遺っている。バイクで付近まで。カタパルトの開発は昭和20年2月、桜花四十三乙型本体の開発は3月から始まったが、結局終戦の8月15日までに桜花がこの基地に届くことは無かった。↓旋回盤跡↓格納庫背後から照明が当たっている為、影が壕内に浮かび上がり、不思議な写真に。格納庫寸法奥行き36.5m高さ5.2m幅4.55m旋回盤直径3m藪漕ぎで遺構を探していたら日も暮れてしまい、見つけた頃は薄暗く、あまりよく写真に撮
第十二回天隊小浜基地跡続き右側の壕から延びた、更に狭い通路を進む。そちらはポンプ室らしい。屈んだ姿勢のまま進まなければならず、本当に人が一人やっと通れるくらいのサイズ感。その奥は塞がっていた。ポンプ室通路から、二本目の格納壕の方を振り返った図。真ん中格納壕から左の連絡通路(自転車が置いてあるところ)を行くと、やはり同じような格納壕があり、こちらも入口を塞いである。誰かが火を使い、サザエを食べた跡などがある。生活していたような残骸が残っている。自転車の持ち主?そして、三本の格納壕
第十二回天隊の小浜基地跡。ここに当時、特攻兵器人間魚雷「回天」のレールが敷かれていたとのこと。ちなみに、この基地に回天の配備は結局間に合わなかったらしい。奥の山崖に格納壕が黒く口を開けていた。内部へ。ここには回天格納の隧道が三本あり、それぞれを繋ぐ連絡通路と、ポンプ室、修理場がある。入った壕は三本のうちの真ん中だ。レールの枕木跡も残っている。当然真っ暗な上、湿度があるのか少し曇っていて、壕の内容が内容だけに異様な雰囲気に感じてしまう。この壕の奥、左右にそれぞれ連絡通路が掘られ、
日本海軍が太平洋戦争中盤以降に開発・実戦投入した水上特攻兵器、震洋の、第55震洋隊鵜原基地跡。幸い、鵜原の部隊は出撃せずに終戦を迎えたとのこと。理想郷ハイキングコースへ向かう道中には当時の軍事利用トンネルがいくつかあり、漁港周辺には震洋格納壕や司令室跡らしき壕がある。茂みの奥に黒い口が…内部はゴミだらけ。こちらは、入り口に土が盛ってあって高さがなくなっているように見えるが、狭いのは入口だけで内部はそのまま。水が溜まってしまっている。こんな風に、黒い口が複数山肌に伺えた。現在も漁
回天記念館への坂は電動モーターが役立ちます。汗だくでたどり着いた回天記念館はまさかのノーエアコン(驚)。人間魚雷といわれた特攻兵器回天、その謂れ、当時の若人の祖国を守ろうとした気持ちがよく分かる展示です。彼らの思い無くして、今の日本はないと感じます。