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今回から「ア・ラ・カルト」風に勉強会資料の中から今まであまり紹介してこなかった箇所を拾い出して書いてみようと思います。とにかく、生野先生の研究スタイルは、文献史料に出てくる文字の一字、一字を検証して仮説を立てる(文献学の基本ですね)といったもので、概容を紹介するだけでも史料の多さと漢字変換が面倒な文章に苦労します・・・で、今回は2018年(H30)10月勉強会から、物部に関する考察の中に書かれていた「石上神宮」の「十種の神宝+α」についての考察です。『先代旧事本紀』は平安時代初頭に
まだまだ読み終わらないこちらの本ですが・・・もう隠せない真実の歴史世界史から消された謎の日本史Amazon(アマゾン)こちらの本の著者である武内一忠さんが。熊本のマニアックな水源を廻っている動画がありました「たまゆら」って。音の響きのことを言っているのかと思っていたけど。もともとはああいう、澄んだ水面に映し出された水玉型の影が始まりだったの?・・・と、驚きました。*******
安中の調査を終えて今回からは、以前レポートしました高崎南部の山名八幡宮から烏川沿いに北上します。■金井沢碑・・・群馬県高崎市山名町金井沢2334関東平野の北西のはずれ以下順次マップを拡大します。高崎とはこういったエリア烏川と鏑川の合流点すぐそばには有名な#416山上碑・山上古墳、#417多胡碑があり、詳細レポートをぜひご覧いただきたいです。簡略に申し述べますと、「多胡、大胡姓の分布から広島・呉から東京湾に上陸し群馬北部に定着した大胡一族(大いなる胡(=羊)
2000年前頃に、本当の出雲王家を倒したのは誰だったのか、気になっています。もともと、出雲は、インドから来たドラヴィダ人が作った国と言われています。ドラビダ人はもともと、レムリア大陸の国民だったとか地球はパラダイスとして創られた~宇宙の歴史&日本の人々はセントラルサンから直接やってきた存在?一般国民(レムリアの国民達)は、非常に美しく、愛すべき存在で、土地の神々や女神達を崇めていた。彼らは赤色、銅色の肌をし、後にハワイ人、ネイティブアメリカン、南アメリカインディアン、ドラビ
高市首相は、高市皇子(たけちのみこ、たけちのおうじ)の末裔という話があります。高市氏が首相になられた時、「高市早苗総理は、実は天武天皇の子孫らしい」という噂であふれていました。「高市早苗総理が天武天皇の子孫ではないか」という噂が広まった最大の要因は、天武天皇の皇子に、「高市皇子」という人物がいたことのようです。天武天皇は、飛鳥時代の第40代天皇です。672年の壬申の乱に勝利し即位。律令制の整備を進め、中央集権的な国家の基礎を固めた、日本の歴史における極めて重要な変革者
〜参政党神谷氏と私の縁〜今回は、神谷宗幣氏と自分の縁について書こうと思う。一般の方(信者でない方)には、つまらない話(何が言いたいかよくわからない話)になると思う。ただ、私は来月自分の職場用のブログで信仰告白する予定なので、その時にそなえて、書いておきたい幸福信者である私が反グローバリズムの参政党に足を突っ込むことになったのは、実は及川幸久氏の影響だけではない。神谷氏と自分には、縁があるからだ。その縁とは「伊勢神宮」である。私の恩師はもう亡くなったが、修養団
2/14朝目が覚めるや否やこの日参拝する神社を告げて来た主人導く先は上色見熊野座神社〜白川吉見神社白川水源でお水をいただく久しぶりの阿蘇へ出発進行〜上色見熊野座神社夫婦揃い来たのは一年ぶりとなる!私は2025/10以来の参拝↓『1182.黄泉比良坂~上色見熊野座神社~ナバホ族ともに』10/26朝前回ブログの↓この写真を見たとき空雲に目が行くと言葉意識がきた「よもつひらさか」聞いたことある!調べると黄泉比良坂揖屋(いや)と言えば瞑想で受け…ameblo.jp主人は2025
ハメられたナガスネヒコ殺神事件詳しく明らかに最新刊に明かされた卑弥呼を○○した!と自白を掲げた大阪の古社
以前から、問題になっている「夫婦別姓」の話。この「姓」とは、「名字」のことですよね。この、日本の「名字」のの歴史について、以前から、漠然と、考えていたところもあるのですが、この本を見つけて、読んでみたところ、漠然と、僕が、考えていた日本の「名字の歴史」は、かなり、間違っているものだった。名字の歴史学(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)そもそも、「名字」が、歴史研究の対象となったのは、昭和27年(1952)に、一つの論文が、発表されてからだそうです。この時の論文
朝方、香嵐渓を少し走って来た歌舞伎でいう『🍁紅葉狩り』では「降魔の剣」によって首を跳ねられる「紅葉」という鬼の話がある平安中期「紅葉」という鬼とされた娘がいた調べてみると「大伴」氏が凋落してゆく背景で再興の芽を摘まれた話なんじゃないかな?伴笹丸と菊代という夫婦が子宝に恵まれず「第六天魔王」に祈願し子を授かったそれが幼名「呉葉」。成長し「紅葉」となった娘だ(ちなみに「呉葉(くれは)」と言えば「呉服(くれは)」あの伊賀忍者服部半三の出自でもある)学芸に秀で、美
はっきり言って脱帽です僕は10月末に高知県香美市に旅行に行くことにしているが香美市観光協会から送ってもらった中にこの大川上美良布神社のパンフレットがあった昨日もう少し詳しい情報が欲しくてNET検索したそこで目にしたものとは・・↓クリック土佐の歴史散歩こちらのサイトから幾つか写真を転載する僕は写真家だから秋に伺った際に撮り直して掲載し直すつもりだ拝殿神社前の川石垣の川とは・・樹齢千年の神木初めて見る灯篭土佐山内の家紋丸に三つ柏三つ柏紋のルーツはこれ出雲日御碕隠
十津川村玉置神社見よ、この石垣!!これは戦国時代に作られたものではありませんぞ!!玉置神社公式HPから一部を紹介する神社概要玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し神武天皇御東征の途上として伝承されています。創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と
11月1日(土)~3日(月祝)の三連休に高知香美市物部に伝わる民間信仰「いざなぎ流」に濃く触れる旅を開催します。いざなぎ流の祈祷師は「太夫」と呼ばれます。いつも明るいお人柄が本当に素敵な森安太夫さんから、物部に伝わる不思議なお話しの数々をうかがい、儀式の時などに神様の依代となる御幣の切り方を教えていただきます。これまでも何度か開催しておりましたが、土日などは太夫さんの御祈祷のお仕事がある為平日をからめた開催となっておりましたが、今回は特別に三連休に開催出来る運びとなりました。大変貴重
毎月訪れている熱田神宮へ行ったんですがデジカメで写真を撮っていたのに1枚も撮れていなくてガッカリしました。いつもより早めの6時台の熱田神宮参拝でしたが参拝者はわりとおられました。いつもより陽が低いから熱田の森も薄暗くて木漏れ日も柔らかくて時間が違うと雰囲気が違っていいですね。参拝の前か後にいつも近くでモーニングするのですがまだ7時前だったのでコンビニで買って南神池のほとりで食べました。なぜかサンドイッチに飲むヨーグルトとサラダチキンバーという
ネットのニュース(読売新聞)で富雄丸山古墳から出土した蛇行剣について、奈良県立図書館長の千田氏が物部との関連を指摘しているという記事を読みました。物部氏の祖先神は大物主命だし、生野先生の考察では大物主神(大国主命、大己貴神・・)は奴国王家そのものだった可能性もある由緒正しい豪族で、纏向遺跡周辺は旧奴国王家の宮殿跡だと考えられる。(生野先生の電子書籍『神功皇后の実在性と実年代』の前半部分:フォーNET2019年2月号~9月号:に詳細な説明があります。よかったら参照してくださいm(__)m
参考動画→YouTubechannel:神旅1.村屋坐彌冨都比賣神社2025.07.112.村屋坐彌冨都比賣神社秘伝物部守屋系図2025.07.25_村屋坐彌冨都比賣神社奈良県磯城郡田原本町蔵堂_祭神:三穂津比賣(みぽつぴめ、みぷつぴめ、彌冨都比賣)_村屋:物部室屋森屋守屋守矢_秘伝系図始祖:大日孁貴天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(相手?)子:天香語山命(例:越後弥彦神社)相手:(長脛彦女)三炊屋比賣(鳥見屋比賣)子:宇摩志麻
参考動画→YouTubechannel:リアル神社「小松神社」2025.07.05_小松神社高知県香美市物部町別役_buccyake-kojiki.comより一部抜粋「一説に、小松氏の祖神とされる秦の功満王を祀るとも。秦の始皇帝の子孫である功満王は、徐福の随行員の一人で、当地に派遣されたとされ、第14代仲哀天皇8年に帰化したという。御神体は鏡。奉納されている鏡の最古のものに、網代松喰鶴鏡(あじろまつくいつるきょう)と呼ばれる、平安時代の渡来鏡がある。」
今回は、神武が「投馬国」を外様の「弥弥(耳)」からヤマト譜代の「物部・平群」らに代えていく経緯についての説明です。生野先生は、基本的に「耳(弥弥:みみ)」は「奴国系王族」を象徴する名で、「足(たらし)」は「ヤマト系王族」を象徴する名ではないかと推察されていて、神武が近畿東遷して全国を平定して以降、「耳」の付く名がほとんど消え、「足(たらし)」が頻出するのはそのためだと考えてあります。なお、神武の御子に「耳」が付いているのは、ヤマト王家に先興した由緒正しい「奴国王家の娘」を娶ったことを意
沖縄のクバみたい@宮城県亘理町いつの世もクバの下で『【星の民】うらおそい浦添うらうら探訪いつの世もクバの下でクバサーヌ御嶽クバと人類』クバサーヌ御嶽浦添市看板より令和7年3月6日沖縄県浦添市仲間うらうら探訪訪れてみたかったクバサーヌ御嶽こんなに近くに住んでいたのに全く知らなかった歴史の深…ameblo.jp令和7年8月宮城県亘理町の記録つづき『▪️星の民たかちゃん朝顔里帰りPJ”私には夢があります。・・・どでかい夢です‼”』亘理町ゆるキャラ観光PR係長波の
上垣外憲一。東大教養学部出身ですが、京都学派の考古学者みたいです。京都学派というのは、上田正昭京大名誉教授を筆頭とする日本の考古学グループのことで、わたしも私的に書籍帯文になる推薦文をいただいたことがあります。空白の4世紀はおもしろいんですが、個人的におもしろいのが、その上田正昭・大先生が大阪北摂(茨木市)の神社の宮司をなさってたというお話がこの本に書かれてることです。大阪北摂は、考古学では金峰山古墳群になります。その南端にあるのが、金峰山古墳。藤原鎌足の墓で、鎌足の人骨が今もそのまま埋
纏向遺跡で発見されていた骨から復元した犬について、卑弥呼も撫でたかも・・なんて記事を読むと考古学界だけでなくマスメディアの問題の根深さを痛感する。何が何でもヤマト王権の始まりを近畿にしようとすれば、本当の纏向宮殿の「主」や箸墓の被葬者を軽んじることにもなりかねない出雲、吉備、近畿に存在した勢力図を冷静に科学的な視野で考察すれば必ずわが国の古代史は「謎」ではなくなると思う。(生野先生の受け売りですが・・・)生野先生は纏向遺跡については旧奴国王家の宮殿跡だと考察され、フォーNET令和3
ペルシャンブルーのアンク我が家のアヌビス鹽竈神社の氏子さん丹六園で出会ったペルシャンブルーのアヌビスを迎えにいった気になっていた青麻神社に案内してくれたこの青麻神社に愛され続けている銀河の巫女さん『銀河の巫女』3つの光の神社から黒猫の龍が来て始めたブログ黒猫⭐︎龍と私新しいブログ名に致します。銀河の巫女🌙ずいぶん前に三つの光の神社で黒龍さんから教えていただきました。…ameblo.jpありがとうございます(๑>◡<๑)『【星の民】思いがけず答え合わせ青麻神社物部マ
■金鑚(かなさな)神社・・・埼玉県本庄市児玉町河内25−1今回の金鑚神社は小山川上流の山中にあります。谷間を見下ろす斜面にこの神社はありました。斜面を少し登る格好になっています。側にあったのは左は社日様、右は八坂そして鳥居の傍には秋葉もう瀛(いん)氏系です。短い階段を登ると拝殿と本殿祭神は天照、スサノオ、ヤマトタケル、これは言い方は悪いですがお飾りと考えます。秋葉と天王の祭礼がありますね。神額があるべき位置に絵画乃木大
頓定の枝垂れ桜の散る花に影姫さまの悲涙を思い😸21歳の春、君とふるさとにある物部町頓定(ものべちょうとんじょう)にある枝垂れ桜を見に行った。少し季節が遅かったせいか、もう桜は散り始めていた。そして余りにも美しく散る花に、僕はふと、影姫さまの悲涙を思い浮かべてしまった。さらに、その悲涙のイメージは、何故だか君へと繋がり、不吉な予感が僕の思いの前に立ちふさがった。嫌な予感だった。美しさそのまま散りて風染めて去りゆく君の黒髪へ
皆さんこんにちは花子です。なるほど…まったく知らなかったでも…わたくしにとっては他にも符号して…興味深いやっぱり何かはあったんだろうなぁ…https://www.facebook.com/share/p/1BypsyHcEh/?mibextid=wwXIfrFacebookにログインFacebookにログインして、友達や家族と写真や近況をシェアしましょう。www.facebook.comレプティリアンが滅びますように…何ーー‼️君も爬虫類じゃろ?あははは🤣そだね。一
守屋神社。写真はお借りしました。会津若松市湊町に、経沢(へざわ)と呼ばれる集落がある。その集落のさらに奥に【守屋神社】が鎮座する。この会津に物部が……672年(白鳳元年)政争に敗れた物部守屋の元を離れ、守屋の娘がこの地まで逃げ落ちて来て、そして亡くなったという。社殿の背後の囲いの中には姫の墓があり、これを土地の人は「みささぎ」と呼んでいるそうだ。実は「みささぎ」もう1つあり、それは社殿の横の4つの石祠の背後にあると。ただ、その「みささぎ」の主が誰
動画*4本目できました。保存版*天照大神は、物部の神神功皇后と御炊屋姫は、武内宿禰と饒速日命今までの三つの動画をさくっとまとめました。保存版です。毎回、説明するのも長くなるので。ちょっとは、慣れたかな~いやいや、まとめだったので^^;感想くださるとうれしいです。Amazon書籍(文芸書判*221ページ)を発売しました。ブログの集大成です。*二版(108ページ判もあります)AmazonAmazonamzn.asia
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com今は蘇我氏や大伴氏が須佐之男系から派生した氏族という認識を得られました、でも対立した物部氏は一般的には邇芸速日命の子供のウマシマチが物部という姓を貰った事になっていますが、本当はその前に既に「祖家(そが)と
●第二章⑪『和名抄』に「邪馬台国=糸島平野説」の傍証があった!『和名抄』(正式名は『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』は、朱雀天皇の承平年間(931~938年)源順が撰録したもので、日本最初の「漢和辞典」であると同時に、日本最古の「地理辞書」的性格を併せ持つ文献。『和名抄』には全国68カ国(壱岐・対馬の二島を含む)郡名と郷名が記録されているが、その中にすでに滅亡したはずの古代氏族の名の地名「物部、大伴、葛城、蘇我、平群(へぐり)、巨勢(こせ)」がある。天皇直轄地だった畿内五
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.comとっかかりを見つけましたが、左右大神の系譜に情報を見つけました、大玉守主命の子とする「大守男命」の所に「称祖家」とあり、「小守主命」には「称武部」とあり、武部氏の祖として前に紹介した人物です。ヒ