ブログ記事14件
Montblanc146MasterpieceGrayStriated1950年代非常に稀なカラードセルロイド/グレー・ストライエイティッド。ほぼ未使用。初期のウブさを感じながら、60年以上の経年変化により素晴らしい景色を見ることができる。こんな佇まいあるモノがとても好きで堪らない。https://hiroshi-kondoh.amebaownd.com/posts/4574771
30年もの間に様々なタイプを使い続けている「ルーペ」。木製、アルミ製、プラ製。しっくりこない理由がはっきりした、ので。電話のない日曜日。納得のルーペを本気で製作&指つれる(笑)「ブッテーロ革巻き~!ルーペ」https://hiroshi-kondoh.amebaownd.com/posts/4120991
写真家・馬場道浩さんによる熊本城復興ポスター&写真展、代々木上原の「Firekingcafe」に行ってきました。店内壁面いっぱいに展示された写真&キャッチコピーがとてもいい雰囲気でした。熊本復興を改めて悲願いたします!viaSPECIUMYourownwebsite,AmebaOwnd
景色も物も、色によって様々な風貌に変わる。隅田川、浜町公園から。viaSPECIUMYourownwebsite,AmebaOwnd
ブラシをブラッシング。年に1度、「ブラシ」の磨き手入れを完了。本来はお馬さんの毛艶を蘇えさせるブラシだが、椅子の手入れに使っている。本店で購入してからそろそろ20年が経つ。磨けば応えてくれる、正に高品質!寿命が読めない…。viaSPECIUMYourownwebsite,AmebaOwnd
ザワークラウトを食べて、銀座のPILSENピルゼンを思い出した。惜しまれ、15年前に閉店している。20代の頃、先輩に連れられ月に3回は足を運んだ。あそこのメニューには"ザウアークラウト"と、あった。このぎこちない「それらしい響きのネーミング」を心地よく感じたものだ。そして、店内の壁画は「藤城清治」若き日の作品。この影絵を見るたびに、何とも表現しがたい郷愁を感じていた。ピルゼンを出ると決まって同じ交詢社ビルの「サン・スーシー」へ行った。「サン・スーシー」が混んでいると、「
久しぶりにフランソワさんの写真集を50を迎えた年だった。オルセー美術館から歩いてもいけるというので、行ってみたら30分以上かかった。確かに歩けた…(笑)AlainDominiquePerrinアラン・ドミニク・ペラン(80年代のカルティエ会長)が、現代美術の振興を目的に設立したFondationCartierpourl’artcontemporainカルティエ現代美術財団。遅ればせながら、ここで彼を見つけた。そろそろ、70才になるFrancoisle
馬から降り、手綱を外してもう16年になる。オペラ歌手になりたかった彼のことを聞いて、ミラノのオペラ座へも行った。EnzoAnselmoFerrariエンツォ・アンゼルモ・フェラーリそしてこの手綱は本拠地マラネッロで買った。今、手にとっても改めて0番糸のステッチワーク、仕上げの良さに感心する。秋の夜長のせいでもあり、追加して残ったままのイグニッション・キーを見ると、エンツォさんが関わった跳ね馬が恋しくなった。もう一度、あの渋いミッションと戦うのも面白そうだ。今は
今日は久しぶりに、ワン・オー・ワンを羽織った。30年以上前に、原宿のバナナボートで無理言って譲ってもらったもの。初期赤タグのLee形状、ロット番号とサイズ表記が赤字。胸のピスネームは、M.R.無し。つまり、1950年代初期から中期に製造されている。古い年代のヴィンテージLeeは、Levi's以上に生地の差がでる。40年代、50年代、60年代とそれぞれ特徴がありどれも素晴らしいが、1950年代のデニムが放つ色味、風合いは格別。JamesDeanは、RIDER
ノーマン・メーラー曰く『なにが起ころうとCoolでいられるのがHipだ』どうも気持ちが冴えない。色々とマイナスなことが重なると、人はつい弱気になる。ギアを変えてもスッキリしない心境である。そういう時は、ハサミを持ち出し切ってしまう、ことにしている。切られた箇所はときたま戻ってはくるが、その時は半分の重さに変わっている。そこで、しばらくぶりの時計を腕にはめた。今日の時計は、3ピースのバブルバック。折角なので、バンブーブレスを付けて楽しむことにした。すると、
新橋演舞場の文楽。昭和16年から18年の3年間、土門拳はこの撮影に打ち込んだ。16年といえば、太平洋戦争開戦の年。「いつ召集令状が届くか不安な日々、ぼくがほんとうに打ち込んだ撮影が文楽だった」と、彼は言っている。文楽とは、太夫・三味線・人形が一体となった総合芸術。日本を代表する伝統芸能の1つ、重要無形文化財でありユネスコ無形文化遺産。私も彼の写真から興味を持ち始めた。その文楽、黄金時代の画像には義太夫節の語りと三味線が1つになり、“命を吹き込まれた人形”その様子が彼の手により
1920年代後半のロレックス社は、自社の"ROLEX"というブランド名同等以上に、パテントを取得した防水ケースである"OYSTER"オイスターを重要な存在と考えていました。そこで当時は知名度の低いROLEX名よりも、OYSTERというロゴを12時下のトップ位置と、竜頭の面づらに刻み込んでいます。これらのOYSTERブランド時計は、1930年代前後の僅かな期間に販売されました。その中でも特に興味をそそられる、OYSTER、ROLCO。ROLCOは、RolexCo
毎年、2万人近い方々へ発信している「今年の言葉」。30代後半から70代の方まで年代も様々。「楽しみにしています」というお言葉、書簡、メールなどを頂き、その選択には慎重になっている。今年の言葉は例年に比べ非常に長いが、DonaldJohnTrump大統領当選が決まり、これを機に心に留めておきたい言葉の群れだ。つい最近も、大切なお客様が「今年の言葉」2017年版をブログへ投稿して下さった。そこで、あらためて2016年の言葉を何度も読み返してみた。トランプさんがアメリカ
SeamasterシーマスターRef.CK2913-1Cal.501初期のロリポップハンド(秒針が棒飴に見えることから)1955年から1957年の3年間だけ製造された希少性の高いモデル。Ref.CK2914:Railmasterレイルマスター1stRef.CK2915:Speedmasterスピードマスター1stへと続くOMEGAオメガ/MASTERシリーズの祖でもある。『SPECTRE』(007スペクター)では、ダニエル・クレイグ演じるジェームスボンドが着用して
鑑賞を楽しむ懐中時計文字盤は、3バカ乗せ東京都/ツートーン、アールデコの直球ストレート。それに箱付きということもあり、長く持っているPocketWatch懐中時計。最初の頃は、腕時計だったらなぁーと思っていましたが、今では、40mmという世界の中で、鑑賞を楽しんでいます。viaSPECIUMOurownwebsite,AmebaOwnd
流行ものは後手とする信条上、最近口にするようになった九平次。そのきっかけは久野九平治さんの言葉、「旨い酒は良い米からできる。」「良い米は、美しい田んぼにしか実りません。」「田んぼに入り続ける。その時間がより濃密になるほど、米に美意識が宿る。」明確端的に言えること。そして行動力、ブルゴーニュ地方のモレ・サン・ドニ村にあるワイン醸造所を買い、「異文化とのMIX」ワイン・プロジェクトを立ち上げてしまった。意志を持ち実行に移す決断力。言葉と行動力、この二つにあった。進
流行ものは後手とする信条上、最近口にするようになった獺祭。今年の正月は、振舞い酒で「磨きその先へ」を頂いた。「磨きその先へ」の前に、この「磨き二割三分」を飲むべきだったと反省している。「磨き二割三分」は、なぜか…、ローザンヌ在住の方からの頂きもの。これは、とてもよい機会であった。さて、精米歩合23%、獺祭磨き二割三分。旭酒造桜井代表の言葉をそのまま使わせて頂ければ、「芳醇な味、濃密な含み香、全体を引き締める程よい酸、これらが渾然一体となりバランスの良さ
DomaineDujacドメーヌ・デュジャック/クロ・ラ・ロシュピノ・ノワールに精通していれば、この造り手を挙げないはずはない。JacquesSeyssesジャック・セイス。モレ・サン・ドニのグライエを買収した1968年の創業以来、僅か50年弱でその名を不動のものとした。数百年と続くブルゴーニュのドメーヌの中、パリ出身の部外者の彼だからこそ、当時では躊躇されていた「ノンフィルター」と「ノンファイニング」を取り入れたのであろう。グラン・クリュ、1.95ヘクタールの
RolexRef.6541Milgaussは1950年代後半、研究所/発電所など高い電磁放射の領域で使用するために設計された。Milgaussミルガウスは、ラテン語の1,000を表すMilleと電磁単位を表すドイツの数学者CarlFriedrichGauss氏のGaussを合わせた造語ですある。実際に、医者/高磁放射線技師/物理学者/無線技師など様々な専門職で使用された。「文字盤の中心素材」に耐磁能力のある軟鉄を使用したことから、ハニーコンボ仕上げの文字盤は通常より厚
Ref.3417"Amagnetic"独特なフィーチャーである。ダイヤル上のこのネームはパテックフィリップ社の歴史上、非常に稀なタイプだ。彼らは、初のアンティ・マグネティック時計を販売するにあたりそのイメージを強く押し出すため、戦略的アプローチをこの文字盤に託したに違いない。Ref.3417は1958年に生産開始され、1960年代後半に生産終了されている。その特徴は耐磁性を持つMov.カバー:「IronInnerCase」にあり、磁界単位450エルステッドまで対応
AboutthenameasSPECIUM今も思い出す瞬間があります。1999年、残暑が厳しい9月でした。2度目の訪問で、円谷プロの船井部長さんが許可を出してくれました。当時、世田谷の砧にあった円谷プロの門を出てすぐに、店の内装デザインを頼んでいるottimoDESIGN山本さんに電話をいれました。「スペシウム、許可おりました。」1.ウルトラマンを連想させる玩具の売買に使用しないこと。2.円谷プロが造語として作った「SPACIUM」光線のロゴと同じ綴
ヴィンテージ時計専門店である当店のYoutube映像です。
狂騒の20年代ArtNouveauアール・ヌーヴォーが終わりを告げ、社会、芸術および文化の力強さが意識された時代である。ジャズ・ミュージックが花開き、フラッパーが現代の女性を再定義し、ArtDécoアール・デコが頂点を迎え、最後は1929年にウォール街の暴落がこの時代の終わりを告げて世界恐慌の時代に入った。さらにこの時代は広範な重要性を持つ幾つかの発明発見、前例の無いほどの製造業の成長と消費者需要と願望の加速、および生活様式の重大な変化で特徴付けられる。その19
SPECIUMを始めて16年になります。小学校の頃、親父がしていたラドーをいつも見ていた記憶があります。最初に買った時計(買ってもらった)は中学1年の時、セイコーロードマチック23石でした。ヴィンテージ時計に興味をもったのは、成人式を終えたばかりの頃。御徒町の喜久屋へ行くのが楽しみでした。初めて買ったロレックスは、20代中頃。ダルマのトウキョウトでステンの地獄管。くたびれたバンブー付きでした。「煮えたぎったステン素材から造られる東京都限定ダルマのオブジェに枯れた竹薮」で
HudsonハドソンレターROLEXUK本部長、Mr.HNHudsonの証明書。コレクターの間では、属に「ハドソンレター」で通っている。この手のコピー版も出回っていることもあり、レター自体の他に、消印の封書付きであれば申し分がない。十数年前、ロンドンのROLEXUK宛にFaxを流し画像を添た手紙を書きました。送った書文は、「ロレックス社の歴史上、1つの会社のためだけに与えられたリファレンスがあります。この品があなたの会社の歴史の中の1ページであるなら、この時
久しくこんな歯切れのよい方々にあったことはなかった。カウンターの隣にいた30代後半セレブ系の元気なOLさん。ブランド好きではあるが、その層とは一線を置いてる風のチャキチャキ感ある3人。山の手でなく、子供の頃から下町育ちに違いないその口調と”ちょい酔い”態度。私はつい時計に目がいってしまい、すると、腕にあったのは…、光る石のカルティ、ピンクのパテック、ヴァンクリーフ系角のWGブレス時計。それに女性では珍しく時計の話をしているので、聞き耳を立ててしまった。すると、すぐ隣の女
漆は樹脂が主成分のウルシオール(Urushiol)からできていて、その他構成物質に酵素/ゴム質/水分を含み、独特な風合いを生み出していると聞きます。そして、「朱」「白」他の漆色と違い、「黒色」だけは精製の段階で鉄分を混ぜ、鉄の酸化作用により漆自身が黒色に変化したもので、他塗料の黒色と異なり、漆でしか出せない特有な黒色になるそうです。それで、深みのある透明度と艶感を持ち合わせた黒色を「漆黒」と呼ぶようにりました。GlossyDial/GiltDial=ミラーダイヤ
北野武監督、最新作「OUTRAGEアウトレイジ」の撮影があった。舞台は韓国と東京。その一場面をここで撮影した。1ヶ月前、突然たけしさんが視察に来られた。数日後オフィス・キタノからアポが入り、撮影現場としてご協力の申し出の流れとなった。なので、少々渋って、引き受けた。渋り方は下手だった。らしい。撮影当日弊社ビルのB1は“BarNewJeju”という店になり、車からたけしさんが入り込むというシーン。13時から19時までという予定が、21時まで拘束された…。たぶんそ
マイケルの肩をできるだけ丁寧に、トントンと叩いた。ディア・ハンターの名場面、ニックを見つめるうしろ姿のマイケル。鹿狩りの時のあの言葉、「Oneshot」にある画像の、そのうしろ姿が目の前にあった。9年前、本人との距離は50cm以内だった。そこで、思いきって彼の肩に触れてみた。トントンと、丁寧に。振り返ってくれたマイケルに、私は日本語で「こんにちは」と彼の目を見て言った。彼の目元がゆるみ、そして微笑んだ。その微笑みから、役者を離れたRobertAnthonyD
ディアハンターを見ようと思った。鹿狩りの時のあの言葉、「Oneshot」クリストファー・ウォーケンの演技と言葉が、目と耳に焼き付いて離れない。そんな、高校生だった。小学低学年の頃から、浅草の映画館へ行っていた。正月は寅さんに決まってはいたが、夏休みはガメラ/ゴジラが見れた。高校に入ってから、植草甚一と淀川長治を知って、洋画ばかり見ていた。スタンリー・マイヤーズ作曲の『Cavatina』のテーマ曲がいい。https://www.youtube.com/watch