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豊臣秀頼は、大坂冬の陣の結果、なんで堀を埋めたかっていえば、アレは和議ではなく、事実上の降伏だからです。城方が「勝った」というのは幻想です。局地戦で侵入を阻んだからといって、永久に籠城することなど不可能です。いくら頑張っても「徳川を裏切ってくれる豊臣恩顧の大名」なんて、もう誰もいない、という現実が分かったんです。だから、大坂城は武装解除する。もう幕府には決して逆らわない、だから武装は全部捨てる。これしかありません。であれば、堀を埋めるのもあたりまえ。当然、「牢人の召し放ち」も条件に含まれ
長澤七右衛門という武士の名が伝わるのは、慶長19年(1614)、牢人だった彼が家族を連れて大坂へ入城したことに始まります。彼のそれまでの経歴は不明ですが、このとき大坂へ入城した多くの牢人衆と同様、関ヶ原の合戦(慶長5年:1600)で没落した大名の家中だったか、その前後の騒動で禄を失った侍だったでしょうか。いずれにせよ、妻子を抱えて浪々のすえ行き場を失っていた、いわゆる「食い詰め牢人」の類とみて間違いはなさそうで、当時、好条件で牢人を集めていた大坂城は、彼らのような人々にとって願ってもない
今年3月11日、業績悪化が著しい日産自動車は経営陣を刷新。内田誠社長の退任などを柱する人事を発表しました。一方で、内田社長を選出し、経営陣を監督する立場にあった8人の社外取締役は全員留任。そもそも日産自動は「役員の数が多すぎる」「報酬が高すぎる」ことでも有名でしたが、今回の事態で改めて企業統治の問題、すなわち「ガバナンス問題」を世に知らしめることとなりました。日産の内田社長が業績悪化で退任へ社外取締役は留任で問われる企業統治|NHK|ビジネス特集|自動車「ガバナンス」
堅牢な建築、という言い方があるように、牢というのは「がっちり」という意味です。監獄のことを牢屋というのは、囚人が逃げないように、がっちり作られているからです。もちろん、牢屋に入っているやつが牢人ではありません。主君を持たない武士を、戦国時代には牢人、江戸時代には浪人といいました。どっちも「ろうにん」ですけど、ニュアンス的にはだいぶ違います。牢人、というのは「頑固者」くらいのニュアンスだと思えばいいです。戦国時代には、主家が滅んだとか、主人が気に入らないとかで、職を離れる(失う)としても
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜大砲撃ち込まれてボコボコの大阪城、さてどうなったか?ってことで第47話の感想ぉ〜!大筒の砲撃で和議に持ち込むことに成功した家康。和睦の交渉には徳川方は阿茶の局、豊臣方は茶々の妹、初。和睦の話し合いは女性同士の方がよかったかなこの席に豊臣方の大蔵卿がいましたが…おい!大竹しのぶさんじゃん!ビックリ!さて和睦の条件は秀頼、茶々は大阪城に留まり、その代わりに大阪城の本丸以外は破却、堀は全て埋めること。これって大阪城が丸裸になってしま
主家を持たない武士を、戦国時代には「牢人」、江戸時代には「浪人」といいます。考えてみれば、なんででしょうね?意味はほぼ同じなんですけど、大坂城に集まった武士たちは「牢人」であって、これをうっかり「浪人」と書いたら、オマエ間違ってるぞ、真田や後藤に謝れ!って、あっちこっちから怒られますよね(たぶん)。そこで、私なりに、ちょっと理由を考えてみたんですけど。「牢」というのは「くずれにくい、かたい」という意味です。「堅牢」とか「牢固」とかいった熟語がありますが、いずれも「しっかり作った」とい
歴史探偵「島原の乱」を見ました。神君・徳川家康は三河一向一揆や織田信長のvs一向宗を経て、農民と宗教勢力が結びつくことを警戒したと思われる。それで1614年禁教令でキリスト教を認めなかったと思う。神君として自らを神とするように仕向けたのも、江戸時代の神が徳川の祖ならば、歴代徳川将軍も統治しやすいと考えたのではなかろうか?で、番組見て島原の乱の首謀者は天草四郎ではなく、キリシタン大名の有馬氏や小西氏の旧臣らしい。そして、島原藩の松倉氏がめちゃくちゃな政治をして、農民に重税をかけて
淀殿が大砲を恐れて和睦した、というのは、物語として面白いからそういうことになっていますが。それはきっかけの一つに過ぎません。要は、大坂方が「戦争を始めてはみたけれど、勝ち目がないことが分かったから、和睦するしかなかった」ということです。従って、これは講和ではなく、事実上の降伏なんです。どうも、司馬遼太郎の小説が面白すぎるせいで、「大坂城は淀殿と取り巻きが支配していた」ってのが常識みたいになってますけど。「女が支配する組織はロクなことにならない」って話をすると、男は喜ぶんですよ。エンタメの世
ロウニンに「牢人」をあてる語感が解らない。語義としては、牛を家内に閉じ込めておくということ流民化させないという体制側の意思の現れかも知れないが単に表音的だと決めつけておく。江戸中期以降から「浪人」になった。行方定めぬ...って感じだから、感傷感も倭人の心情に合致する。しかし浪人なんて、体制には入れてもらえてはいないが体制側の存在であり、才覚才能はあるが世に入れられない不遇の身剣術や寺子屋の師匠なんかをやっているうちは、まだ未練がある。あんまり悲愴感は感じないが、今時のナンチャラ
大坂の陣の史料を時系列で見ていると、なんだかんだいっても、大坂軍って強いじゃん、って印象。冬の陣はもちろんですが、夏の陣の時でさえ、細川忠興さんをして、存外に大坂強い、って言わしめているし。だからこそ、家康さん、戦後は豊臣家を根絶やしにせんとしたんではないでしょうか。秀頼さんの器量の可能性を恐れて。これ以上、生かしておくと、秀忠の強力なライバルに成り得ると改めて確信した故では。さぞ、自分が死んだあとの大名たちの去就を案じたことでしょう。そして、のち、徳川家は再三、厳しくあたる牢人問題
真田幸村たち牢人衆は、大坂冬の陣から夏の陣までの間の「休戦期間」に、何をしていたのか。大坂城内で、雇用確保のための組合活動をやっていたわけです。冬の陣の講和条件を忠実に履行するなら、大坂城は武装解除をしなければなりません。当然、非正規雇用である牢人たちは解雇されることになります。そんな横暴は許せません。必死に戦った牢人衆を切り捨てて、豊臣の正社員だけで平和に暮らしていこうだなんて、なんという虫のいい連中ですか。とんでもない。いままでの労働の対価に所領を寄越せ、正規社員にしろ、できないならば
ここ2日ばかり、一日会議で缶詰状態になっておりました。楽しみと言えば弁当くらいなのですが・・・これが昨日の弁当。すでに1口食べてしもうた(笑)コロッケと海老フライがメインのおかずです。サラダ以外は茶色いなぁ!そして、これが今日の弁当。さらにおかずが茶色一色(大笑)ミートボールに玉子焼き、豆腐ハンバーグに大根の漬物。白いのは大根のみ(笑)こんな弁当を食べながら、眠気と戦っておりました。やれやれ。【時代劇こぼれ話】時代劇用語辞典?(7)浪人
先日、久しぶりに明大前にある一風堂へ。白丸元味は相変わらず美味いです。そして、昼酒(ハイボール)1杯(笑)【時代劇こぼれ話】戦国敗者復活戦(4)立花宗茂関が原の合戦の敗者の中でも、最も運命が激動したのがこのお人「立花宗茂」であります。立花宗茂は、豊後国で大友家の家臣であった高橋紹運という人の長男であります。本来であれば、高橋家を継ぐところでしょうが、紹運の同僚であった立花道雪という武将が、ぜひ養子に貰いたいと申し込んで来ました。紹運は、嫡男
大坂冬の陣の結果は和議ではなく、事実上の降伏だからです。城方が「勝った」というのは幻想です。局地戦で侵入を阻んだからといって、永久に籠城することなど不可能です。いくら頑張っても「徳川を裏切ってくれる豊臣恩顧の大名」なんて、もう誰もいない、という現実が分かったんです。だから、大坂城は武装解除する。もう幕府には決して逆らわない、だから武装は全部捨てる。これしかありません。であれば、堀を埋めるのもあたりまえ。当然、「牢人の召し放ち」も条件に含まれていたはずです。「それじゃ二度と戦争できないじゃ
Q.大坂の陣には、多くの牢人たちが豊臣方として参加しました。「ろうにん」という言葉には「牢人」と「浪人」の二つの書き方がありますが、違いはあるのでしようか?仕官先がない人という意味で用いる「ろうにん」という言葉には、本当は「牢」という字が使われていました。領地や地位・俸禄などを失って落塊(らくはく)することを「牢籠(ろうろう)」といい、そのような状態に陥った人を「牢籠人」と呼びました。これを略して「牢人」というふうになったんですね。一方「浪人」は、本籍の地を離れて流浪・浮浪す